「おはようございます」
「あ、おはようございます」
月曜の、いつもと同じ時間に葉山が職員室へ姿を現した。
大き目のレースがあしらわれている襟の半袖は、いつものように彼女に似合っているかわいらしい服で。
ぱっと顔周りが華やいでいるように見える。
「あ……おはようございます」
「おはよ」
「出張……か何かですか?」
「いや?」
入り口付近に座っていた先生にあいさつしてから、俺の前である自分の席へ来た彼女が、立ったまま不思議そうな顔をした。
ま、そりゃそうだろうな。
この時間、いつもだったらジャージで当たり前。
それどころか、恐らく彼女は俺がこんな姿で座っているのを見たことないはず。
……そう。
今日は、細いラインが入った黒地のスラックスに、カラーだけは白のままのグレーのワイシャツ。
ひっさしぶりだな、こんな格好で通勤するのは。
今日は体育がないからできるような芸当だが、まぁ、たまにはいいかと。
……というのは、誰に対する言い訳なんだろうな。
照れ隠し、か。もしかしたら。
「……どうした?」
「え、あ……すみません。なんでもないです」
「ふぅん」
なんでもない、って顔じゃねーけど。
とはさすがにここじゃ突っ込みはしない。
……お前が言ったんだろ?
スーツ姿のほうがいい、って。
ま、ジャージは見慣れてるしな。
お前がそーゆー顔してくれてるってことは、当たりってことか。
だったら、当分はこの格好で来てもいい。
十分、俺にメリットがあるらしいから。
「あっ、おはようございます! 葉山先生!」
「おはようございます」
にこにこと向こうの扉から姿を現したのは、どうやらトイレにでも行って来たらしい花山。
真っ白いハンカチで手を拭きながら席に着くも、相変わらず葉山に対して露骨に愛想をふりまいている。
……コイツに、俺が葉山と無理矢理キスしたとか言ったら、絶対泣くよな。
いや、それどころか職場放棄して1週間くらい家にこもるかもしれない。
あ、無理。言えねー。
ンなことされたら、みんなが困る。
「……なんだよ」
じぃいーっと嫌そうな顔でしばらく見られ、眉が寄る。
すると、ぱっと表情を変えて葉山に向き直った。
「ねーっ、葉山先生も思いませんか? 鷹塚先生、今朝急にこんな格好で通勤してきたんですよ!」
「そうなんですね。とてもよく似合ってらっしゃると思います」
「え!?」
「……え? と……何か?」
「いや、あの……いや……っ……えぇえええ……!?」
嫌みったらしく言ったにもかかわらず、葉山はにっこり笑って俺を褒めてくれた。
その反応に誰が見てもわかるくらい動揺を見せた花山の肩が、次第に震え始める。
……あーあ。
いらんこと言うからそーなるんだぞ、お前。
「……なんだよ」
「だいたい! なんでそんな格好で来てるんですか!!」
「なんでって……別にお前に関係ねーだろ?」
「あります! 大いにあります! 先輩はジャージ専門じゃないですか! 僕の専売特許取らないでください!!」
「別にお前のだけじゃねーだろ。それ言ったら、小川先生はどーなんだよ。彼もスーツだぞ」
「小川先生は小川先生です! 先輩が僕の真似するのが気に食わないだけです!!」
ぶっちゃけたな、お前。
あ、そう。
……あー、そう。
なるほどね、取られたとか真似されたとか思ってんのか、お前は。
…………どんだけ子どもだ。
思わず、目くじら立てて俺を非難する花山を見ながら、ため息が漏れた。
あー、平気だって。
別に、喧嘩とかじゃねーから。
困ったように俺と花山を見て『いけないこと言ったのかな』なんて不安そうな顔してる葉山をちらりと見てから、肩をすくめておく。
すると、案の定申し訳なさそうな顔で小さく頭を下げた。
「別に、俺はお前の真似してんじゃねーんだよ」
「でもだって! 真似じゃないですかぁ! 今までこんな格好で通勤しなかったじゃないですか!!」
「いーだろ別に。……こっちのほうがいいって言われたんだよ」
「誰にですか! どこのどいつにですか!?」
「彼女」
「……っ……」
「え…………っ?」
さらりと花山に告げた途端、目の前の葉山が反応したのがわかった。
彼女。
間違ってねぇよな?
お前に頼んだアレは1日限定だったかもしれないが、俺としては正式に解除した覚えもない。
……詐欺っぽいけどな。
「はあぁああ!? なんですか、それ! どういうことですか!」
「どうもこうもねーよ。彼女だ、彼女。俺の彼女」
「嘘ついちゃダメですよ!! だって、せんぱっ……先輩! ずっと居なかったじゃないですか! 彼女なんて! お、おおおお付き合いしてる方なんてぇ!!」
「……なんでお前が、全部俺のこと知ったようなクチ利くんだよ。知らねーだろ?」
「でも! でもでもっ……あ!? わかった、あれですか? 妄想彼女ですか? 最近流行のゲームな彼女ですか!?」
「何言ってんだお前。馬鹿か」
頭大丈夫か?
はァ? と思いきり顔を歪めてやると、唇を噛み締めて『うああぁあん』とか言い出した。
あーもー、めんどくせ。もういい。この際、ほっとく。
「……ま、そーゆーワケだからな。朝イチから体育がない日は当分この格好で来る」
「ダメですよぉ! 先輩、置いてかないでください!」
「うるせーな。悔しかったら、お前も励め」
「うぅうう! これでも励んでるんですってばぁ! コンパとか、コンパとか、コンパとかぁぁああ!!」
「コンパばっかりじゃねーか」
ゆっさゆっさと袖を引っ張り始めた花山を振りきって椅子へ強制的にふっ飛ばし、澄ました顔して漢字ノートの丸付けに取りかかる。
恐らく、コイツが言ってるのは本当。
つか、コンパばっかりよくもまぁ行く気になるよ。
偉いっつーか、ある意味タフだな、コイツは。
俺よか体力ありそうだし。
「…………」
机に伏して泣き始めた花山を放置し、目の前の葉山へ視線を向ける。
荷物を整理し始めたらしい――……が、いつものように立ったまま。
お陰で、表情がよく見える。
……なんともいえない、わずかに照れているようなそんな顔が。
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