「…………」
 その日の放課後。
 教室から職員室へ戻る途中で、葉山を見かけた。
 職員室でも、相談室でもなく……なぜか保健室へ入るところを。
 ……また小枝ちゃんか。
 どんだけ仲いいんだ、あのふたりは。
 葉山が勤務の日は必ず保健室に行くのを見かける。
 それは単なる養護教諭との情報交換というだけではなさそうで、職員室やほかのところでもよく喋ってるのを見かけるほど。
 もしかしたら、プライベートでも会ってるのかもしれない。
 随分前に、『この間のイタリアンのお店が……』とかって話をしてるのが耳に入ったことがある。
「あら」
「……あ」
 開けっ放しになっている保健室のドア前まで行き、ノックしてから中へ。
 その音でふたり揃って振り返ったが、見せた表情は対照的なモノだった。

「瑞穂」

「っ……」
「今日、一緒にメシ食おうぜ」
 ドアへもたれるように腕を当てながら、葉山を見る。
 パソコンに向かっている小枝ちゃんのすぐ隣に立ち、驚いた顔をしている彼女。
 何か物言いたげな顔のまま何も言おうとしない葉山に眉を寄せると、困ったような顔をしてちらりと小枝ちゃんへ視線を向けた。
「……え、えと……あの……」
「……? どうした?」
 ええと、と困ったような表情。
 ……何か変なことでも言ったか?
 とは思うが、ぱっとは思いつかない。
 だが、仕方なく葉山に促されて小枝ちゃんの顔を見てみると、あんぐりと口を開けてそれはそれは驚いた…………と言うよりは、ものすごく……ものすごい顔をしていた。
「……あぁ。葉山先生」
「ちょっと!! 葉山先生、じゃないわよ!!」
 もしかして、呼び方か?
 そう思って言い直すと、途端にばしぃんと机を叩いて小枝ちゃんが立ち上がった。
「何!? なんで呼び捨てなの!? 信じらんない!!」
「別に小枝ちゃんに関係ねーだろ」
「あるわよ! おおあり!!」
 ツカツカとなぜか尖ったような足音を響かせながら目の前まで来た彼女が、胸を張って両手を腰に当てる。
 俺と大差ない身長。
 目の前できりりと眼鏡を直され、細まった瞳にこちらも目を細める。
 あからさまに向けられた、敵意と悪意と邪気。
 唇をへの字に曲げた彼女に、視線を外して少し離れたところにいる葉山へ視線を戻す。
「一緒にメシ食おうぜ。平気だって、何もしねーから」
「だーめーよ! ずぇったいダメ!! いい? 男の『何もしない』ってセリフほど詐欺なモノはないんだからね!?」
「平気だっつってんだろ。別に、取って食ったりしねーから」
「ダメだったらダメって言ってんでしょ! だいたい、今日は私とごはん食べるんだから!」
「は?」
 しっし、とまるで犬か猫かを追い払うかのように手を振った彼女が、俺を見下げるようにしてにやりと笑った。
 その顔、もっそい性格悪そうだぞ。
 ……ってまぁ、別に否定しないだろうけど。
「今日はね、やーっと紹介してもらうんだから。……瑞穂ちゃんの大事なヒト」
「……はァ?」
 小枝ちゃんが得意げな顔をしたのを見て、あからさまに嫌悪の表情を浮かべてやる。
 と同時に、イラっとした。
「ンな話聞いたら、なおさら無理だな。ますます今日一緒にメシ食いたくなった」
「なんでよ! 邪魔しないでくれる?」
「してねーだろ」
「やぁね。みっともないわよ、男の嫉妬は」
「してねーっつの」
 ずい、と腕を組んで一歩踏み込んだ彼女をかわし、こちらも腕を組んで応対。
 つか、なんであの男を小枝ちゃんに紹介しなきゃなんねーんだよ。
 そこがまず、ワケわかんねぇし。
 理由はなんだ?
 そもそも、小枝ちゃんと知り合わせる必要はねーのに。
 姉貴でも恩師でもなんでもねーんだから。
 どうせだったら、まだ俺のほうがよっぽど権限はあるはず。
 コイツに大事にされてきた、恩師ってヤツなんだから。
「んじゃ、明日。一緒にメシ食おうぜ」
「だっ!? だから、明日もダメよ!」
「小枝ちゃんに聞いてねーだろ」
「だめったらだめ! 明日も明後日も明々後日もダメったら!」
「だから! なんで小枝ちゃんがイチイチ絡んで来るんだよ! 関係ねーだろ!!」
「関係なくないわよ! 手ぇ出さないって約束でしょ!? ちゃんと守って!!」
 ぶんぶんと目の前で手を振られ、いい加減イライラしてきた。
 だいたい、なんで葉山と喋ってんのに小枝ちゃんがイチイチしゃしゃり出て来るんだよ。
 おかしいだろ、この状況は!
 困ったように遠くから俺と小枝ちゃんとを見比べている葉山を見ながら、目の前の彼女へ舌打ちが出る。
「あのな、だから――……」
「手ぇ出さないって言ったじゃない、あのとき!!」
「ッ……それがどうした……!」
「え?」
「だからなんだ?」
 ギリ、と奥歯が鈍く軋んだ。
 眼鏡越しの彼女の瞳を睨みつけ、唇を結ぶ。
 そんな様子を見たからか、俺と葉山とを見比べてから肩をすくめた。
「はー……ないわ」
「何が」
「別に。なんでもないわよ」
 首を緩く振った彼女が、ようやく俺の前から退いた。
 付けっぱなしになっていたパソコンの前に座り、そばにいた葉山にうなずく。
 すると、葉山は小枝ちゃんから俺に視線を向け、手持ち無沙汰気味に弄っていた両手を重ねてから小さく笑った。
「明日でもいいですか?」
「ああ。今日はダメなんだろ?」
「ダメよダメ。今日は私との約束があるんだから」
「……すみません」
 聞いてもないのにまた小枝ちゃんが返事をし、ち、と舌打ちしてから『わかったよ』と彼女に向けて返事を飛ばす。
 そんな様子を苦笑しながら見ていた葉山にため息をつき、じゃあな、と断ってから保健室をあとにすべくドアへ。
 そのとき、パソコンに向かっていた小枝ちゃんが小さく笑ったような気がしてそちらを見ると、ちらっと俺を見た彼女がまた『ないわー』と首をかしげた。
 ……なんなんだよ、だからソレ。
 すげー違和感っつーか、正直腹立つ。
「……ち」
 小さく舌打ちしてからドアを引き、廊下へ。
それから職員室へ戻るべく歩き出すと、ほどなくしてまた小枝ちゃんと葉山の話し声がぼそぼそと聞こえてきた。


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