「お先に失礼します」
「あー、お疲れ」
夕方の4時半手前。
ようやく職員室へ戻って来た葉山は、なぜかまた小枝ちゃんと一緒だった。
思わず目が合い、途端ため息が漏れる。
が、当然のように小枝ちゃんは見逃すことなく、きらりと眼鏡を光らせた。
「何よ。私が一緒じゃ不満とでも言いたげね」
「別に」
誰もそこまで言ってない。
……でもま、似たようなことは思った。
「あのね、鷹塚君。ちょーっとばかり葉山センセと話してたんだけど――……あなたも来る? 食事会」
「……何?」
「どーしても食べたいんでしょ? 葉山センセと、ごはん」
「…………」
もしかしなくても何か勘違いされてるっぽいから言っておくが、別に俺はただ一緒にメシを食うだけなら行かない。
俺がしたいのは、一緒に話しながらメシを食うことじゃない。
ふたりきりで――……それこそ、手を出せる状況になることがしたいワケで。
……小枝ちゃんと一緒にメシ食ってもな。
「あら、いいのよ? 別に、来なくても。……ただ、あなただけ見れないってだけだし?」
「…………」
「……なぁに? そんな怖い顔して」
どうしてそこまで高飛車にモノを言えるモンかと不思議になるが、まぁ、コレが小枝ちゃんといえば小枝ちゃんなワケで。
ついでに、『あ、怖い顔は生まれつきか』なんて余計なひとことを足したのを聞いてから、ため息が漏れた。
「行く」
「あら、そ。それじゃ、家で大人しく待ってなさい」
「は? なんで」
「今日はね、葉山先生が車を出してくれるって言うのよ。だから」
「……そうなのか?」
「はい。いつも、ごはんに行くときは乗せていただいてばかりなので……今回は、私がハンドルキーパーをします」
小枝ちゃんの言葉で葉山を見ると、にっこり笑って大きくうなずいた。
……つか、『いつも』って言葉に小枝ちゃんが『そんなこと気にしなくていいのにー』なんて答えてたのが気になるんだが、もしかしてしょっちゅうメシ食いに行ってるのか? やっぱり。
「…………」
「ん? 何よ」
「……別に」
まじまじと小枝ちゃんを見たら、視線に気づいた途端眉を寄せた。
葉山とはまったく違う、かわいげのない反応。
……あー。やっぱ、小枝ちゃんはわかんねぇな。
恋愛したら、ホントに変わるのか? この人。
友人である元旦那から聞いてた話からまったく想像できなくて、やっぱりあっちがデマなんじゃないかと思うほど。
……小枝ちゃんに限って、ツンデレじゃねーしな。
そーゆーイメージがまったく湧かない上に、当然だが微塵も見たことがないので信じられない。
が。
この日こそ、ある意味“記念すべき日”となった。
「……もー、しょうがないわね。付いてるわよ?」
「っ……ありがとう」
「ホントにもう。私がいないとダメなんだから」
「はは。そうかもね」
「………………」
ふふ、と目の前で口元に手を当てて笑ったのは、葉山じゃない。
正真正銘、小枝ちゃん。
だが、この食事が始まってから感じまくりの違和感は何か。
……あ、わかった。
まだほとんど視線が合わないというのもそうだが、それ以上に、小枝ちゃんがやたらにこにこと機嫌いいからだ。
「はい、きれいになったわよ?」
「ありがと、小枝さん」
「だからー。いい加減、小枝でいいって言ってるじゃない」
「いや、でも……うん。じゃあ、小枝ちゃん」
「ん。許したげる」
「ぶ」
「っ……大丈夫ですか?」
いちゃいちゃいちゃいちゃ。
そんな音とピンク色のライトが覆ってそうな前のふたりを見ていたら、思いきり緑茶ハイでむせた。
ごほごほと咳き込むと、隣に座っている葉山が慌てたように背中を叩いてくれる。
……悪いな、葉山。
つい、目の前の見慣れない惨事に動揺した。
なんだコレ。
つか、なんでそもそも小枝ちゃんの隣に頬を赤くしてる小川先生がいるんだ。
そこがまず、何よりの疑問であり、俺にとっては難解な数式よりもよっぽど意味不明。
今日のメシは、国道沿いに新しくオープンしたお好み焼き屋。
何もこの時期にクソ熱い鉄板料理を食いに行かなくてもいいだろと言ったんだが、焼肉食べるのと一緒なんだから別にいいじゃない、と強引な小枝ちゃんに押し切られた。
当然だが、そのときに文句を言ったのは俺ひとりで。
葉山と小川先生は、苦笑を浮かべてこそいたものの、何も口答えらしいモノは一切しなかった。
「……あのさ」
「何よ」
「なんで4人でメシなんだ?」
「あら。それを言ったら、なんで鷹塚君がここにいるわけ?」
「……小枝ちゃんが誘ったんだろ」
「やーね、人のせいにしないでよ。鷹塚君がもの欲しそうな顔でずーっと葉山先生を見てたから誘ってあげたんでしょ? そうでもしなきゃ、危害加えちゃいそうだったし」
「ンなことしねーよ」
腕を組んだまま斜め向かいの小枝ちゃんを睨み、緑茶ハイをひとくち。
今日は、葉山に勧められて酒を飲んでいる。
私が居るから、大丈夫ですよ。
酒を頼むときに言われたセリフで、若干どきりとしたのは言うまでもない。
もちろん、そーゆー意味合いで言われたワケじゃないのもわかってるんだが、つい……な。
迂闊にも、履き違えそうになった。
……恐らく、それが俺の何よりの願望だからなんだろうが。
この席は完全な個室ではないものの、仕切りの壁が高いせいか隣はまったく見えない。
お陰で、ちょっとした予約席めいた雰囲気がある。
最近の流行だかなんだか知らないが、この席も掘りごたつ式。
お陰で足がラクっちゃラクなんだが、ちらりと隣を見ると、葉山の短いスカートから覗く白いふとももにどうしても目が行ってしまうという、難点があるワケで。
……これで気にするなってのは、無理だよな。
多分、本人はそこまで気にしてねーんだろうし。
「…………」
そんなことを考えながら葉山を見ると、なんとも言えない幸せそうな顔で小枝ちゃんたちを見つめていた。
……こういう顔、あの結婚式でもしてたな。
はるか昔ってワケでもないのに“懐かしさ”を覚え、我ながら子どもたちとは明らかに違いすぎる時間概念に苦笑が漏れる。
「……つか、なんでそんなべったべたなんだよ」
ここにきてもっともな疑問をぶつけると、小川先生の口元に付いていたソースを拭った紙ナプキンを畳んだ小枝ちゃんが、眉を寄せて『はぁ?』と口を開いた。
……俺は何かマズいことでも言ったのか?
違うよな。違うだろ?
そんな意味で葉山を見ると、目が合った途端苦笑した。
「あのね。ヒロくんと私、随分前から付き合ってるのよ」
「……ヒロくん?」
「あら、まさか名前を知らないとか言わないわよね? ヒロくんよ、ヒロくん。小川弘人」
「…………」
ぴ、と手のひらを小川先生に差し出した小枝ちゃんにならい、そのまま彼を見る。
……と、なぜか『どうも』と照れた顔であいさつされた。
「…………は?」
「は、じゃないわよ。馬鹿じゃないの?」
「っ……だから、それは失礼だぞ」
「だって、ホントのことじゃない。付き合ってるっつってんのに、なんで『は?』なの? ワケわかんない」
「…………」
付き合ってる、だと……?
小枝ちゃんと、小川先生が?
この、目の前のふたりが……?
それこそ、まったくタイプも何もかも違うのに?
基本的に水と油のような、相対する存在だと思うのに……か?
「……はぁあ?」
まじまじとふたりの顔を見比べてからもう1度眉を寄せると、イラっとしたらしい小枝ちゃんが、ストローの袋を投げつけてきた。
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