「…………どうした?」
「え……?」
「…………」
「…………」
もぐもぐ、とは動いていない口元に目が行く。
…………あ?
「もしかして……ミント、ダメか?」
「…………です」
「あー、ワリ。それは知らなかった」
車内に漂うミントの香り。
だが、それに反して葉山は苦々しげに口を結んだ。
すでに、噛んではない。
それでも、当然口の中はあのミント特有の辛さでいっぱいになっているだろう。
「いいぞ、出して。苦いだろ?」
「……でも……」
「いーって。出せ」
ポケットへねじこんだ包み紙を取り出し、彼女に差し出す。
すると、『すみません』と相変わらず律儀に断ってからガムを包んだ。
「……子どもみたいですよね」
「いや? ダメなモンは誰にでもあるしな。ワリ。別に、意地悪したかったワケじゃねーんだけど」
「そんな……! 大丈夫です。すみません……せっかく、いただいたのに」
「いいって」
苦笑交じりに俺を見た彼女へ首を振ると、改めて――……手が伸びた。
理由はいろいろあった。
苦笑した顔がかわいかったとか、困ったように俺を見た目がそうさせたとか。
……だが、いちばん大きいのは間違いなく、彼女が最後にしてみせた恐らく無意識のクセのようなモノ。
舌に残るミントの味をなんとかしたくてか、舌先を見せて薄っすら唇を開いた……その仕草が、決定的だった。
「っ……ん!」
顎を取り、引き寄せてすぐ口づける。
舐め取るように舌を絡め、味わうように吸うと、鼻に抜けるミントの香り。
ときおり苦しげに喉から漏れる声がヤらしくて、もっと、もっと……とキスをやめることは当然できなかった。
「ふぁ……っ……」
ちゅ、と吸い付いてくるような唇の感触を楽しんだところで離れ、ゆっくり開いた惚けた瞳を間近で捕らえる。
揺れる、瞳。
だが、いい加減俺とのキスにも慣れてきたのか、最初のころのような動揺にも似たモノは感じ取れない。
「……少しは、直ったか?」
「…………はぃ」
こくん、と素直にうなずくところは相変わらずだな。
それがあってこそ、のかわいさなんだが。
……というより、そうするだろうとわかってるから、キスしたくなる。
反応を確かめたくなる。
…………欲しくなる、んだ。
衝動的に、どうしてもコイツが。
「……キスするのが好きな花は?」
「え……?」
鼻先数センチ。
その距離を保ったまま笑うと、まばたきを増やして俺をまっすぐに見つめた。
「っ!」
「チューリップ、だろ?」
「です……ね」
ちゅ、と唇に口づけ、ゆっくり離れる。
どうやら彼女もすぐ納得できたようで、『確かに』なんて小さな独り言が聞こえたような気もした。
「葉山」
「はい?」
「今日、泊まってけよ」
「っ……え……!」
前を向いたままそんなことを口にすると、さすがの彼女も目を丸くした。
腕を組んで彼女を見てから、口元だけで笑う。
だが、さすがにこの投げかけには、すんなりうなずいてくれそうにない。
「……でも、あの……明日も、仕事がありますし……」
「まぁ、そうだな」
「それにっ……突然、泊まるなんて……ご迷惑……じゃないですか」
「……なるほど」
しどろもどろに並べられた考えつく限りの理由を聞きながら、ふっと笑いが漏れた。
…………そうか。
お前の考えてることは、よくわかった。
「彼氏を裏切れません、ってなんで言わないんだ?」
「っ……!」
「お前にとってそばにいる男は、本当に大事なヤツなのか?」
彼氏が居て、円満な関係を築いているならばなおさら、今の返事はいただけない。
付き合ってる人が居るの、知ってるじゃないですか。
ほかの男の人のところに泊まるなんて、そんなことできません。
男を理由にされれば、引き下がるしかない。
ぺい、と目の前に壁を作られるんだから、当然だ。
……なのに、それをしなかった。
彼氏がいるから。
そのセリフが一度も彼女から出ることがなく、だからこそあまりにも不自然でしかなかった。
「……時間の問題だな」
「え?」
「お前をソイツから奪えるのも」
「っ……」
ふ、と笑ってドアを開け、表に出る。
この時間にもかかわらず、まだあたりの空気は暖かい。
だが、吹いている夜風は心地よくて、しばらくこのまま外に居るのも悪くはないなと思えた。
「ありがとな、送ってくれて」
「……あ、いえ。とんでもないです」
運転席へ回り、ガラスのない窓枠に手を置いて少しかがむ。
こうすれば、彼女と目線はほぼ同じ。
まぁ、見上げられるのも個人的には悪くないと思ってるし、嫌いなんかではまったくないが。
「っ……ぁ」
「おやすみ」
「……おやすみ、なさい……」
手を伸ばし、滑らかな頬を撫でて耳たぶに触れる。
それから手を離して軽く振ると、慌てたように耳たぶへ触れた彼女が小さく笑った。
はにかんだような笑み。
彼女特有の眼差しに、情けなくも若干どきりとする。
かわいい、だけじゃない。
……ああ、間違いなく俺のことを好きでいてくれてるんだろうな、と確信してしまうような顔だから。
「…………」
ハザードを点滅させてから通りへ戻った黒エボを見送り、きびすを返して建物裏手の階段へ。
だが、どうしても今しがたの彼女の表情が頭から離れず、しばらくは現実とのはざまのようなふわふわとした感覚が抜けてくれなかった。
……押せばイケるな。間違いなく。
今までは、あれこれと試してきた時間。
つかず離れず、判断を見極めていた。
だが、さっきので十分確信は得られた。
アイツは、獲れる。
モノにできる。
そう、わかった。
――……だからもう、手加減はしない。
ここからが、仕上げだ。
「………………」
アイツを俺だけのモノにしてしまうための時は満ち、材料は揃ったんだから。
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