「あ、おはようございます」
「……おはよ」
「どうしたんですか? 声酷いですね」
「風邪引いた」
「えぇー!! どうしたんですか、健康超優良児の鷹塚先輩が風邪って――……あいた!」
「……うるさいんだよお前は」
 怒鳴る元気もなく、持っていたクリアファイルで花山の頭をチョップ。
 だがまぁ、確かに久しぶりといえば久しぶりの体調不良。
 記憶にある風邪は、いつだったか正直覚えていない。
 寝込んだことなんて、10年以上ないんじゃないか。もしかしたら。
 おかげさまで、毎年流行を見せるインフルエンザにもかかったことはなく。
 一応予防接種だけはしているというのもあるんだろうが、それでも体調を崩すことなんてなかったのに。
 ……今年初だな。
 しばらく前から喉が痛かったが、今朝はそれがなかった。
 だが、変わりに感じたのは喉のいがらっぽさ。
 軽く咳が出るので、どうやら喉の炎症が一歩進んでしまったらしい。
 それでも、声の掠れに気づいたのは本当に今。
 独り暮らしで今まで誰とも口を利かなかったせいなんだが、それはそれで切ないな。実際。
 ……まぁ、仕方ないが。
「…………」
 今日は水曜か。
 ちなみに、小枝ちゃんは未だ俺を敵視している。
 いや、それは多分もう変わらないんだろうな。きっと。
 彼女はずっと俺を睨んでしかこない。
 ……嫌われたモンだな。
 まぁ、それだけのことを俺が彼女にしたせいなんだが。
「先輩、大丈夫ですか? そんなんじゃ、今日は子どもたち叱れませんね」
「………………」
「あっ、なんなら僕が代わりに喋りましょうか! こう見えても僕、最近6年生に打ち解けてもらえるようになったんですよー」
「………………」
「いつでも言ってくださいね! がんばりますから! 先輩のためなら!!」
「……うるさい」
「もー、いいですよそんな照れなくったって! 僕と先輩の仲じゃないですかぁ!」
「…………殴るぞお前」
「えぇ!? なんでですかぁ!!」
 鬱陶しいほどデカい声だな、お前。
 それが若干羨ましいと思えるあたり、ああ俺は具合悪いんだなと改めて思う。
 思い切り眉を寄せて睨みつけるものの、わずかに喋るだけで声が掠れてムセそうになる。
 ……あー、だるい。
 微熱があるせいか、寝起きからもっぱら体調不良。
 栄養ドリンクも効かねーな。さすがに。
 やっぱり今日は、とっとと保健室で薬を貰ったほうがいいかもしれない。
「あれっ? 先輩、どこ行くんですか?」
「…………」
「あぁっ!? もしかして、具合が悪くて保健室ですか!? 寝ちゃうんですか!?」
「…………」
「否定しないってことはそうなんですね!? やっぱりなんですね!? ビンゴなんです――」
「うるせぇな!!」
「ぎゃあ!?」
「ぎゃーぎゃーワメくなうるせぇから! 朝っぱらからテンションたけーんだよ! 馬鹿ぐ……げほげほ!!」
「うーうー! く、くるし……! ぎゃはぁ!」
「……あー……喉痛ぇ」
 立ち上がって保健室へ行こうとした途端、先読みした花山がぎゃあぎゃあ言い出し、さすがに頭に来て片手で胸倉を鷲掴んでそのまま――……というときになっての咳き込み。
 たまらず力が抜け、放るようにしてから口元へ腕を当てる。
 夏風邪は馬鹿が引くとか言うけどな、そういや。
 ああ、どーせ馬鹿だよ。俺は。間違いなく。
 恐らく、同じセリフを小枝ちゃんにも言われるだろうが、気にしない。
 今はとにかく、この体調不良をどうにかしたい。
 ガラッガラの声で叫んだせいか、けほけほと声が一層掠れた。
 ただでさえガラが悪いのに、今日は劣悪だな。
 ……よかった、放送当番俺じゃなくて。
 こんな声で喋ったら、どっかから苦情が来そうだ。
「………………」
 わんわん言ってるような気のする花山を放置し、ドアの取っ手へ指を引っかける。
 もうじき朝の会。
 ここでわずかでも浮上しておかないと、あとでツラいのは俺。
 ……あー。久しぶりにヤな感じだ。
 身体のだるさがハンパなくて、もしかしたら微熱じゃない体温にまで上昇してるかもしれない。
 何が悪かったんだろうな。
 花山とのストレスフルな飲みもそうだろうが、どっちかっつーと………まぁ、理由はストレス。
 間違いなく、ここ数日で味わったデカすぎるストレスのせいで抵抗力も免疫力も低下したのは、間違いない。
 だが、すべては自業自得。
 ……誰も悪くない。
「っ……と。……ッ!」
 扉を開けようとした途端、向こう側に人影が見えて反射的に身体をズラす。
 だが、その相手を見て目が丸くなった。
 ……いや、それ以上の反応だ。
 ごくりと喉が鳴り、口が開く。
「なっ……に……? ッ……は……!?」
 まったく知らない相手だと思ってた。
 面識のないヤツだと思ったのに――……今、俺の目の前に居るのは、間違いなく彼女で。
「……あ……。え、と……おはようございます」
 驚いたように目を丸くしてから1度視線を逸らして再び俺を見た彼女は、はにかんだように笑った。
 ……そう。
 今俺の目の前に居るのは、先日まであった長い髪が消え失せた、葉山その人だった。


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