「…………」
 6月に入ってすぐの、木曜日。
 今日は、朝から俺だけが浮き足立っていた。
 若干。ほんの少し。気持ちばかり。
 理由は――……単純。
 ……まぁ、この年になってとか言われそうでもあるが。
「おざーっす」
「あ、おはようございます」
 いつもと同じ時間に職員室へ入り、まず出勤簿へ印鑑を押す。
 相変わらず、同じ時間だからこそ揃ってる顔ぶれはいつもと同じ。
 ……そう。
 昨日と、同じ。
 当然この光景は、明日も変わらないはずだ。
 席へ着いてから、持ち帰っていた先日の漢字と算数のテストを取り出し、揃えて置く。
「…………」
 隣の席が静かなのは、まだ花山が出勤してきてないから。
 ま、アイツはいつもそうだしな。
 遅くなったときの理由は大抵『道が混んでて……』なんだが、駅前の大通りと橋を通らない限り激しい渋滞が毎日起きたりしない。
 それでも道のせいにするってあたり、まだまだ若いなと思う。
 素直に言えばいいのに。
 すみません、朝弱くて起きれなくて……って。
 そしたら俺が1発殴ってやるから。
 ……冗談だけど。
「さて、と」
 昨日の夕方に刷っておいた学級通信と、返却するテスト。それに、市から来た水族館の割引券を合わせて持ち、職員室をあとにする。
 今日の朝の学習は、ミニプリント。
 算数の復習を兼ねたヤツだ。
「あ、鷹塚先生」
「はい?」
「さっき、西田君が登校するとき転んだらしくて、擦りむいちゃって」
「え。そうなんすか?」
「うん。でも、ほんの少しだったから、消毒して絆創膏しといたから」
「すみません。ありがとうございます」
 ドアから出ようとしたら、2年生の先生が声をかけてきた。
 つーか、小枝ちゃんは何してんだ。ウチの養護の先生はよ。
「あら。おはよ」
「……おはよ、じゃねーだろ」
 開けようとしたドアが開き、張本人が現れた。
 どうやら今出勤したらしく、デカい鞄を持っている。
「何よー。朝から怖い顔しないでよねー。私何もしてないし」
「別に怖い顔してねーだろ。悪かったな。生まれつきだよ」
「あ、そうなの? んじゃしょうがないわね」
「……ち」
 さらりと肩をすくめて言われ、あんまりいい気はしない。
 だが、入れ替わりにドアから出て、教室へ向かうべくすぐそこにある階段を上る。
 ――……と。
 背中に声がかかった。
「ん? ……あれ」
「おはようございます」
 笑顔を浮かべてあいさつしてくれたのは、この時間にいるはずのない葉山。
 少しだけ息を切らせているのは、気のせいか。
「なんだ。どうした?」
「あ、いえ。あの……何かあったとかでは、ないんですけれど……」
 普段より1時間以上早い出勤に、上りかかった階段を下りる。
 だが、慌てたように手を振りながら、ゆっくりと息を整えて『違うんです』と首を振った。
「あの……っ」
「うん」

「今日、お誕生日ですよね?」

「…………よく覚えてんな」
 にっこり笑って言われた言葉に、一瞬驚いた。
 そのせいか、テンション上げて『そうそう、そうなんだよー!』なんて言葉が出てこず、すげぇ、という素直な感想。
 今日、起きたときからいろいろ考えてたんだけどな。
 もし誕生日を言われたら、こう返すか、とかって。
 だが、幸いなことに今の今まで誰かが俺の誕生日に触れてくることはなく、心配は結局心配で終わるんだな、なんて思ってたのに。
「……私、鷹塚先生のお誕生日、忘れたことありませんから」
「そーなのか? デキる教え子は違うな」
「そんなんじゃないですよ」
「……でも、俺もだ」
「え?」
「俺も、葉山の誕生日は覚えてるぞ」
 毎年、その日が来ると思い出してた。
 最後に見たときの姿、そのままの葉山を。
 どうしてんだろ。デカくなっただろうな。
 そうは思うが、実際に年を計算して想像するなんてことはなく。
 ただ、誕生日だなー、と伝える術もないおめでとうは抱いていた。
 でも、今年は違う。
 想っていた相手がいるからこそ、祝わない理由はない。
「11月11日。だよな?」
「っ……そうです」
 まだ先の日にち。
 それを口にすると、驚いたように葉山が目を丸くした。
「なかなか優秀な恩師だろ?」
 にや、といたずらっぽく笑った途端、葉山がおかしそうに笑った。
 その笑顔、なんかすげー久しぶりに見た気がする。
 別に会ってなかったワケじゃないんだが、まぁ、いろいろあったからってのもあるのかもな。
 ……恐らく、こうしてふたりきりですげー個人的な話をするのが、久しぶり。
 ここしばらく、俺はいつだってほかの誰かと喋るコイツを見かけることしかなかった。
「お誕生日、おめでとうございます」
「……コレは?」
「子どもたちには配ってるんですけれど、バースデーシールって言うんです」
 デコレーションケーキの形をした、金色の少し大きめのシール。
 ケーキの下のリボンを象った場所にHAPPY BIRTHDAYと描かれていて、中央に文字を書き込めるスペースがある。
「……あ。そういやコレ、貼ってる子見たことあるな」
「そうですか?」
「ああ。ウチのクラスじゃねーけど、4年……? だったかな。廊下歩いてるときに、きらきら光っててなんだ? って思ったんだよ」
 といっても、ひとりやふたりの話じゃない。  日こそ違えど、貼っているのは同じこんな感じのシールだったと思う。
 中には自慢げに担任へ見せているのも見たんだが、何かは結局確かめずじまい。
 ……なるほど。コレがそうなのか。
 手渡されたシールを受け取りながら、ついまじまじと見てしまう。
「誕生日って、大人もそうだと思うんですけれど……子どものうちは、とても特別な日ですよね」
「確かに。俺もなー、この年になってナンだけど、でもやっぱ誕生日ってなると……ちょっと期待するよな。誰かが『おめでとう』って言ってくれるんじゃねーか、って」
 今でも思うんだから、子どもならその想いはさらに強いだろう。
 そういや、俺も小学生のころは誰が祝ってくれるか楽しみに学校行ったモンだ。
 ……で、誰も言ってくんねーと、わざわざ自分から暴露したりな。
 たとえそんな結末でも、祝ってもらえたら素直に嬉しかった。
「幸いにも、俺は葉山に一番最初に祝ってもらえたけど」
「そうなんですか?」
「ああ。まあ、大人になるとなー、誕生日がどうのとかまで気を回さねーし。正直、俺もほかの先生方の誕生日は知らない」
 なのに祝ってもらおうとか、都合いい話すぎだとは思うんだけど。
 でも、それも人のサガってヤツか。
 基本、人間はみんな自分が1番大事だから。
「人の基本理念に、Wanted child っていうのがあるんです」
「……Wanted child?」
「はい。ただ、直訳ではなくて、『特別な存在』という形で私は捉えているんですが……」
 苦笑を浮かべた彼女を見ると、普段の穏やかな顔とまた少しだけ違う、先生の顔をしていた。
 ……先生。
 確かに、今の葉山は俺のない知識を持っているから、ある意味俺の先生だ。
「温かで豊かな愛情の中で育つ子、という感じですね。私だけにしてくれた、という特別扱いとも言いますけれど。そうして誰かに大切に思われて愛されることで、人は自分を大切にするんです」
「……なるほど」
「特別扱いの代表が、誕生日ですよね。自分が生まれた日。この日を祝ってもらうことで人が喜ぶのは、当然の反応だと思うんです。それで――……子どもたちには、このシールをあげていたんです。ここに自分の名前を書くの、喜ぶんですよね」
 ちょうど空いている、シールの中央。
 確かに、これだけ空いていれば名前を書き入れることができる。
 ……特別、ね。
 子どもが好きな言葉だ。
「これがあれば、ひと目で誕生日だってわかりますもんね。『誕生日おめでとう』と言われたら、子どもは素直に喜ぶじゃないですか。祝ってもらえた、特別扱いしてもらえた、大切に思ってもらえている……って。それを特に実感できるのが、誕生日ですから」
 誕生日。
 年に一度、誰もが持っている特別な日。
 確かに、思い入れはそれぞれ違うかもしれない。
 素直に喜ぶ子もいれば、逆になくていいと思うような子もいるかもしれない。
 ……それでも。
 今、出会えたのは誕生日があるからこそで、巡り合えたのは単純ではないモノ。
 奇跡。それに近い。
「これ、ウチのクラスでもやっていいか?」
「あ、もちろんです。使ってください」
「サンキュ」
「……だって、元々は鷹塚先生のアイディアみたいなものなんですから」
「俺の?」
 くす、と笑ってうなずかれた言葉に、思わず目が丸くなった。
 自覚はまったくない。
 ゆえに、アイディアなんて形で葉山に出した覚えはないから。
「昔、誕生日の子がいると必ず朝の会で前に呼んでくれて、みんなでお祝いしてくれたじゃないですか」
「……あー。アレか」
「あれ、とっても嬉しかったんです。もちろん、私だけじゃなくて、みんなが。自分の誕生日が来るのを心待ちにしていて、当日はわくわくしながら教室に入るんです。だって、鷹塚先生が特別扱いしてくれるじゃないですか。主役だ、って言って拍手してくれて。……すごく嬉しかったんですよ?」
 それなら、覚えがある。
 今でもやってる、誕生日の儀式みたいなモン。
 朝、教室へ入ってすぐ、誕生日の子を呼んでみんなで『せーの』とバースデーソングを歌ってのお祝いはしていた。
 低学年ならば、たまにまとめての誕生会をしたりするんだけどな。
 まぁ、たまにゲームで遊んだりはするけど。
 フルーツバスケットとか。
 ……みんな好きだよなー、アレ。
「シールを使おうと思ったのは、ディズニーランドが元ですけれど」
「そうなのか?」
「はい。誕生月に行ってキャストの人に言うと、貰えるんです。もっとかわいいディズニーのバースデーシールが」
「へぇ」
 ディズニーランドなんて、久しく行ってない。
 つか、多分学生のころ行ったきり。
 ひとりで行く場所じゃないし、付き合ってたころもディズニーってガラじゃなかったからな。
 多分、俺にとって1番縁遠い場所があそこ。
 ああいうファンタジックでかつふわふわした感じの場所は、俺がはしゃぐようなトコじゃないからな。
 花山は大好きだけど。
 つい先日も、春のなんちゃらに行ったらしく、土産の定番でもあるチョコクランチをくれた。
 ちなみに、男同士で。
 ……男とディズニーって楽しいのか……? とも思ったんだが、もちろん口には出していない。
 大人だからな。
「サンキュ。んじゃ、貰っとく」
「どうぞ」
 シールを受け取り、持っていたペンで早速真ん中に名前を書く。
 『壮士』
 果たしてコレを何人の生徒が読めるのか。
 ある意味楽しみだな。
「……っと。こんなモンか」
 シールを剥離紙から剥がして、左胸に貼る。
 光を受けて、きらりと光るモノ。
 あー。確かにコレは目立つ。
「んじゃ、教室行ってくるか」
「はい」
「あ。あとで何人に言われたか、報告する」
「ふふ、お願いします」
 くすくす笑いながらうなずいた葉山に同じく笑い、荷物を持ち直して階段へ向かう。
「ありがとな」
「っ……いえ。とんでもないです」
 途中、首だけで振り返ると、職員室へ行こうとした彼女が足を止めて笑みを見せてくれた。
 ……特別扱い、ね。
 確かに。されて悪い気はしない。
 むしろ――……安定するモンだな。
 アイツにあんな笑顔を向けられて、おめでとうと祝われて。
 いつもはなんてことないと思っていたような笑顔も、特別に見えた。
 俺だけに向けられたモノ。
 それが、わかったから。
「…………」
 久しぶりだな。アイツと喋ったの。
 これまでは、いつだってそばにいたのに。
 それが当たり前だったのに。
 ……そう。
 頭のどこかで、葉山は俺の教え子なんだから俺のそばにあって当然、て考えがあったんだ。
 自惚れか、欺瞞か。
 ……まぁ、そのどちらもか。
「…………厄介だな」
 妙な感情がぐるぐると考えの邪魔をする。
 本音と建前と、大人と子どもと。
 それぞれが独自の考えを持っているせいで、纏まらない。
 ……結論が、出ない。
 本来そうでなければならない、分別あるわきまえた大人の考えが。




目次へ 次へ