「…………なんだコレは」
朝の会を始めるべく、職員室から教室へ入ったら、黒板にでかでかと落書きがされていた。
葉山と話したあとに向かった教室。
この時間はちょうど児童らが登校してくる時間だったのだが、揃ったところで1度職員室へ戻ったのだ。
そういえば今日やる漢字テストを置いてきた、と思い出して。
「……?」
教卓に着いたとき、せーの、と小さく聞こえた気がする。
次の瞬間、幾つモノ破裂音が室内に響いた。
「っ……」
「誕生日おめでとー!」
パーンという、やたら耳に強く残るクラッカー音。
ひとつじゃない。ふたつじゃない。もっと沢山。
火薬の匂いが充満して、何人かの生徒が咳き込みながら窓を開けた。
「…………」
「先生、すっげー顔してるよ。何? ちょーびびった?」
「……びびった」
「声掠れてるし!」
あははは、と男子が中心となって笑い始め、女子もくすくすと口元に手を当てて笑う。
……なるほど。
何か変だな、とは思ったんだよ。
みんなして挙動不審ていうか、ものすごく何かをひた隠しにしてますって感じで。
教卓に着いたときも、いつもならお喋りがすごいのに、今日に限って静かで。
まるで俺の行動を見守るかのように、にやにやしながら見ていたから。
「……あ! そのシール、葉山先生に貰ったの?」
「おー。よくわかったな」
「え、だって誕生日にくれるって言ってたし!」
左胸にあったシールを指差され、見てから自分で触れる。
つるりとした、手触り。
感触は悪くない。
「……それでこの絵か」
「そうそ」
「先生の誕生日だから」
改めて黒板を振り返り、腰に手を当てて眺める。
でかでかと描かれているのは、誰もが1度は描いた経験があるであろう、絵描き唄のコックさん。
これを歌えば、すぐわかる。
その中に、俺の誕生日が入っているから。
「……雨ざーざーじゃねーけどな」
「ねー。すごいいい天気だよねー」
「先生、あとで大縄跳びやろーよ」
「おー。んじゃ、中休みちょっとだけな」
「よっしゃ!」
6月6日に雨ざーざー降ってきて。
幼いころは、それをネタにからかわれたことがしょっちゅうあった。
それどころか、大学に入ってもそうだ。
誕生日を聞かれて答えるたび、『コックさんじゃん!』と言われ、なぜか爆笑。
まあ、お陰で人に誕生日を覚えてもらえる確率がかなり高いワケだが。
「よーっし。んじゃ、朝の会始めるぞー」
出席簿を立ててそこに手を置き、声をあげる。
いい子どもたちだよ。ホントに。
……恵まれてるな、俺は。
間違いなく、俺の自慢だ。
にこにこしながら席についてこちらを見ている児童らを見ていたら、嬉しくて笑みが漏れた。
「ちょっと先輩! なんですか、そのシールは!?」
「あ?」
2時間目が終わってから職員室に戻ると、花山が目ざとく俺の胸元についているシールを指差した。
まぁ、目立つんだから当然だけど。
ちなみに、ここに来るまでに会った多くの児童らが『先生誕生日なの? おめでとう』と言ってくれた。
……確かに、悪い気はしない。
むしろ、嬉しい。
単純なことだが、人におめでとうと言われることが嬉しいだなんて、正直思わなかった。
「葉山センセに貰ったんだよ」
「えぇええ!? なんですか! レアシールじゃないですかぁ!!」
「レアって……お前、カードゲームやりすぎ」
「そんなことないです! どうしたら貰えるんですか!? 欲しいです! 僕も!!」
「いやいやいや、無理だろ。コレ、誕生日にしか貰えねーし。そもそもお前の誕生日はとっくに過ぎたじゃねーか」
そう。
コイツの誕生日は、4月の半ば。
新学期が始まって忙しいっつーのに、散々誕生日を2日くらい前からアピールしてきやがって、当日は祝ってくれと無茶苦茶な要求をされた。
まぁ、それでも仕方なしにファミレスで祝ってやった俺は、優しいと思うぞ。多分。
「でも欲しいです!」
「無理だっつの」
「じゃあ、先輩のくださいよ! 剥がして!」
「だから、ここに名前入ってんだろ?」
「いいですよ! 消しますから!」
「……あのな」
相変わらず、自分の目的のためには手段を選ばない猛突進タイプの花山が、無理矢理手を伸ばしてきた。
ため息をついてそれをかわし、手で押さえて次の時間の算数の教科書と資料を持つ。
無茶苦茶だぞ、お前。
「あのな。馬鹿かお前は」
「馬鹿でもいいです! なんとでも言ってください!」
「ばーか、ばーか」
「っ……! うぅう、なんですかもう! 馬鹿馬鹿言わないでくださいよ!」
「なんだよ。お前が言えっつったんだろ」
「言ってません! もう!!」
見下ろすように言った途端、口を真一文字に結んで、ぷるぷると肩を振るわせ始めた。
ヤバい。泣く。
そう思うが早いか、途端に花山が『うわーん』と声をあげた。
「……あーもー、めんどくせーな」
「鷹塚先輩が酷いからじゃないですかぁ!」
「ひどかねーよ」
ぴーぴー言い出した花山をその場に残し、そのまま出口へ――……行こうとしたら、小枝ちゃんが近づいてきた。
あー、まためんどくせーことになりそう。
ふと直感的に思ったので目を合わせなかったが、腕を組んで俺の前に立った彼女は、ため息をついて眼鏡を中指で上げた。
「ちょっとー。何泣かせてんのよー。大人気ないわね」
「別に泣かしてねーだろ。ぴーぴー言ってるだけだ」
「それを泣いてる、って言うんでしょ」
「言わねーよ」
アイツは涙を零してもいなければ、鼻水を垂らしてるわけでもない。
ただ単に、デカい声をあげてるだけ。
見てみろ、両手を顔に当ててはいるが、ちゃっかり隙間からこっちの様子覗いてんぞ。
タチ悪い。
「……まったく」
はー、と深いため息をつき、花山に近づく。
一瞬声が小さくなったが、俺だとわかるとまたわーわー言い出した。
「悪かった。だから、泣きやめ」
「……ホントに悪いと思ってますか?」
「思ってる。すげー思ってる」
「じゃあシールください!」
「無理」
「っ……うわぁああん! 鷹塚すぇんぷぁあい!!」
「るせーな。そんなに欲しけりゃ、自分で貰ってこいよ。フツーにくれるって」
ぱっと顔を抑えていた手を離した花山に真顔で言うと、途端にまた顔をくしゃっとしわ寄せた。
めんどくせーな、コイツはホントに。
よくもまぁ、コイツのクラスの子どもたちが付き合ってるよ。
できた教え子だな。
「……ちょっと。どこ行くのよ」
「校庭」
「なんで」
「いや、子どもらと約束したんだよ。大縄跳びやるって」
「じゃあ、泣きやませてから行ってよ」
「ほっときゃ、じきに泣きやむ」
「やみそうにないわよ?」
「平気だって」
大縄を手に職員室のドアへ行くと、腕を組んで仁王立ちのまま小枝ちゃんが声をあげた。
だが、仕方ない。
俺には、大事な教え子と約束を果たすという使命がある。
「せんせー。まだー?」
「あ。わり、今行く」
カラカラと職員室の校庭側の窓が開き、子どもたちが顔を出した。
それを見てひらひらと手を振り、小枝ちゃんに向かって『じゃ』といつものように手を上げる。
「つーわけで、あとは小枝ちゃんよろしく」
「ちょっとー。めんどくさいこと私に押し付けないでよ」
「めっ……!?」
「しょーがねーだろ。つか、その辺はうまくあしらってくれよ。専門的なトコなんだし」
「私は子どもが専門なの。こんな、できすぎた、もやしみたいな子は無理」
「もやっ……!?」
「そこをなんとか」
「やーよ」
しくしくとまだ続けていた花山が、小枝ちゃんの厳しすぎる言葉にびくっと肩を震わせた。
どころか、さっきまでは指の間から覗いてた格好をやめ、思いきりガン見。
だが、小枝ちゃんはそちらに背を向けているので、まったく気付いていない。
「うわぁぁあああん!! 酷いです、みんなしてーー!!」
大絶叫とは、まさにこのこと。
ぴしゃりとドアを閉めて玄関まで駆けた俺にまで聞こえて、そのあとすぐ小枝ちゃんが『いつまでも泣いてんじゃないわよ、男のクセに! うるさい!』とキレてるのも聞こえた。
……アレはマジ泣きだな。
これに懲りたら、アイツも嘘泣きをやめればいいと思う。本気で。
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