「んじゃ、みんな気をつけて帰れよー」
「はーい」
「明日の調理実習、エプロンと三角巾なー。なかったら、バンダナでもいいから。忘れんなよー」
「はーい」
 帰りの会を済ませ、ぞろぞろと教室から出て行く子どもたちを見送りながら背に声をかける。
 明日の3,4時間目は調理実習で卵料理を作る予定になっている。
 一応ボランティアの保護者が何名か見える予定だが、さすがに担当は俺じゃなくて小枝ちゃんに頼んだ。
 仮にも栄養士の資格も持ってるワケだし、これ以上の適任は居ない。
 つーワケで、俺の担当は味見ってトコか。
 もちろん、顔を出さないワケにはいかないから、端っこのほうで写真係だ。
「ねー、せんせー」
「ん?」
 配ったプリントのあまりを持って教室から出ようとしたら、女子2名が教卓へ近づいてきた。
 普段からよく喋る、今どきの格好をしている子。
 つーか、背が高いのもあってか、女子高生っぽいんだよな。見た目は幼いけど。
「どうしてもお嫁さんが居なかったら、しょうがないから嫁に行ってあげてもいいよ」
「……ん?」
「だってさ、今日が誕生日ってことは、今日で35ってことでしょ?」
「まぁそーだけど」
「その年になると親が心配する、ってウチのお母さんが言ってた」
「そうそ。だからさ、別に先生のためじゃないんだから。勘違いしないでね」
 なんだ? お前たちはツンデレか?
 思わずそんなつっこみをしそうになり、噴き出す。
 おもしれーなこの子らは。
 普段そんなこと言ったりすることがなかっただけに、急にかわいく見えた。
「っ……わ!?」
「ちょっ……! もー、先生!」
「お前らいいヤツだなー、ホントに」
「ちょっとー! 子ども扱いしないでよ!」
「別に子ども扱いしてねーだろ?」
「してるってば! 頭撫でないでよねー」
「……そうなのか?」
「そうだよー。頭撫でられて喜ぶのなんて、小さい子だけなんだから」
「…………あ、そう」
「もー。髪ぐちゃぐちゃになっちゃうじゃん」
「悪い」
 わしわしとふたりの頭を撫でた途端、悲鳴があがった。
 ……そういうモンなのか?
 だとしたら、それはすまなかった。と、素直に謝る。
 だが――……。
「…………」
 この子らよりも、もっと沢山頭を撫でてしまった人物。
 その顔が浮かんで、今さらながら『もしかして、マズかったか?』と焦りが生まれた。
「でも、なんでだろーな。教え子はみんなそう言ってくれんのに、リアルで嫁が来ないのは」
「性格じゃない?」
「お金だよ」
「え、目付き悪いからじゃないの?」
「あー、それはあるかもね。なんか、ヤンキーみたい」
「……おいおい。ヤンキーって」
「え? 暴走族のほうがよかった?」
「よかねーだろ」
 だいたい、そんなに若くねーし。
 さりげにつっこみを入れつつ、そのあと少しばかり切なくなった。
「じゃあ、ハタチの成人式で同窓会やったとき、先生結婚してなかったら言ってね」
「あのな。お前たちがハタチのとき、俺はもう40超えてるぞ」
「えー! すっごいおじさんじゃん!」
「ヤバイよ、先生! 早く結婚しなよ!!」
「わーってるよ。でも、しょーがねーだろ? 相手がいねーんだから」
 急に焦り始めたふたりが大声をあげた。
 オーバー40。
 若くして子育てしてきたこのふたりの両親よりも高い年齢でかつ、大台。
 どうやらそこが彼女らにとってのボーダーらしいとわかった。
「あ。ねえねえ、金谷先生は?」
「えー。ヤだよ俺は」
「なんで? 美人だし、優しいよ?」
「俺には優しくない」
「あー、それはほら。先生が怒られるようなことばっかりしてるからだよ」
「……悪かったな」
 小枝ちゃんの名前がさらりと出て、思わず顔が歪む。
 もしかしたら、あとで『鷹塚先生が、金谷先生は無理って言ってた』なんて告げ口されるかもしれないが、それはそれ。
 俺は嘘をつけない。
 つーか、女子って甘いよな。女の先生に対しては。
 ……まぁ、甘いっつーか……なんつーか。
 自分の好みじゃない先生に対しては、ハンパねーけど。
「あー、ほら。俺の心配はいいから、帰った帰った」
 チャイムが響いたことで、ちょうどおひらき。
 あーだこーだと話しているふたりの肩を叩いて促がし、自分も職員室へ向かう。
「じゃあ、気をつけてなー」
「はぁーい」
「先生、ばいばーい」
「さようなら」
「あ。さよならー」
「おー」
 ばいばい、と手を振ったふたりに『さようなら』を強制すると、すんなり訂正。
 その辺、なんだかんだいって素直で助かる。
「……はー……」
 それにしても、まさかここに来て同じようなセリフを聞かされるとは。
 俺、教え子にはモテるんだなー、なんて馬鹿なことが浮かんだ。
 ……まぁ、それでも。
 一番最初に俺に対してそのセリフを言ってくれた子が、今ではすっかり大人に成長して、まさにこれから適齢期ってヤツを迎えるワケだが。
「……結婚ね」
 まぁ無理だな。
 そんな自己完結が起き、苦笑が浮かぶ。
 今年の誕生日も、やっぱり何事もなくすぎたな。
 少しだけ角が剥がれかかっている胸のシールを指で撫でると、小さくため息が漏れた。

「いいじゃないですか、先輩ー! せっかくなんですから!」
「だから、いいっつってんだろ。しつこいぞお前」
 17時まであとわずかとなった現在。
 珍しく早々に帰り支度を始めた花山が、まるで駄々をこねるかのような声を出して俺の腕を引っ張った。
「あーー……鬱陶しい!」
「わぁ!?」
「男がぴーぴー言うな! めんどくせぇ!」
「うぅっ……先輩冷たいですよぉ!」
「ああもう、気色悪い声出すな!」
 捕まっていた袖を振り払い、ついでに足で軽く椅子を蹴飛ばす。
 途端、くるくると回転しながら後ろの棚へガシャンと派手に音を立ててぶつかった。
「いいじゃないですかぁ! せっかく、僕がお祝いしたいって言ってるのに、どうしてダメなんですか!」
「だから、それがそもそも間違ってんだろ! 別に俺はお前に祝ってほしいなんて、ひとことも言ってない!」
「でもでもっ、今年も寂しくロンリーバースデーじゃないんですか!?」
「うるせーな。お前に関係ねーだろ!」
「関係ありますよ! 大事な先輩の誕生日を、独り悲しくなんて過ごさせられません!」
「そーゆーのを余計なお世話、っつーんだ馬鹿!」
 だいたい、なんだそのロンリーバースデーって。
 ほんっとに失礼だぞ、お前。
 そもそも、俺がいつお前に独りで寂しいなんて言った。
 ンなことほざくくらいなら、誕生日なんて来なくていいっつの。
 去年も一昨年もその前も……と、数えたらきりがないほど独りで過ごして来た、誕生日。
 大抵仕事が20時くらいまで伸びて伸びて、家に帰るのは21時すぎなんてのもザラだった。
 ここ最近だぞ、ちゃんと早く帰れるようになったのは。
 まぁ、それもこれも校長先生が変わったからってのが大きな理由だとは思うが。
「いいんだよ! 俺は今夜、ひとりでのんびりしたいんだっつの!」
「いいじゃなですかぁ! 一緒にケーキ食べましょうよ! お祝いしましょうよ!」
「間に合ってる!」
「間に合ってないじゃないですか、ちっとも! 彼女できたんですか!?」
「…………だから……ッ……お前はなんでそうやって地雷を踏みに来るんだ馬鹿が!!」
「わぁああ!?」
 イラっとした途端、ガッと背もたれを掴んで勢いよく回してやる。
 すると、まるで楽しむ子どもみたいに敢えて両足を上げながらくるくると回り始めた。
 暇なヤツめ。
 案外コレはコレで楽しんでるだろ、お前。
 めんどくせーヤツだな。
「とにかく! いいか? 俺はまだ仕事が残ってるんだから、お前に祝ってもらう必要はない! だいたい、まだ帰んねーし!」
「えぇえ! 誕生日くらい、早く帰りましょうよ!」
「ひとりで帰れよ! つか、今日はお前の誕生日じゃねーだろ!」
「いいじゃないですかぁ! 一緒にお祝いしましょうよ!」
「断る!!」
 延々と繰り返されそうな堂々巡りに、飽き飽きしてきた。
 口調が乱暴になり、ついでに目付きの悪さもパワーアップ。
 だが、こんなときに限ってひるんだり泣いたりしない花山は、ほんっとーーに扱いがめんどくさい。
 こういうときにこそ、小枝ちゃんがびしっとまた1発かまして泣かせてくれればいいモノを。
「……たく。……あー、お疲れ」
「お疲れさまです」
 くすくす笑いながら正面の机に来た葉山を見ると、花山の意識がようやく俺から剥がれた。
 音を立ててそちらを向き、きらきらと笑顔を浮かべる。
 ……あー、めんどくせ。
 そのちょっと違和感のあるというか、うそ臭い感じの笑顔を見ながら、ち、と小さく舌打ちが出る。
「あっ、葉山先生! よかったら、葉山先生も一緒に行きませんか!?」
「……あ……すみません。せっかくのお誘いなんですが、今日はちょっとこれからしなければならないことがありまして……」
「えぇっ! そうなんですか!?」
「すみません」
 内心、もしかしたらって思いもあった。
 理由は簡単。
 さっきまで散々否定してたものの、今日が俺の誕生日だから。
 だが、申し訳なさそうに頭を下げたのを見て、だよな、と内心納得している自分もいる。
 ……そんなモンだ。
 つーか、コイツにはコイツの用事があって当然なんだし。
「ほらみろ。な? 暇なのはお前だけなんだよ」
「えぇえええ! 別に、僕暇じゃないですよ!」
「暇だろ。暇じゃないなら、とっとと帰れよ」
「嫌です! 先輩のお祝いをします!」
「だから、結構だっつってんだろ!」
「いいじゃないですか、お祝いさせてくれても!」
「なんで俺がお前に祝ってもらわなきゃなんねーんだよ! 頼んでねぇっつの!」
「いいじゃないですかぁああ!」
「あーもー、うるせぇ!!」
 またもやこちらへ矛先が向き、袖を掴もうとしてきた花山の腕を掴んで向こうへ投げる。
 そんな様子をくすくす笑いながら楽しそうに見ていた葉山だが、腕時計を見てから、慌てて上着を着込んだ。
「すみません、それではお先に失礼します」
「あー、お疲れ」
「お疲れさまですっ!」
 ぺこり、と丁寧に頭を下げた葉山に手を上げ、またな、と横に振る。
 いつもと同じ笑顔。優しい顔。
 だが、再度時計を見ると足早にドアへと向かって行った。
 ……待ち合わせ、か?
 また小川先生じゃないのか、なんてことが頭に浮かび、今まで静かだった部分の感情が音を立てて動き始めようとする。
 関係ないのに。
 アイツが誰と会おうと何をしようと、俺には権利なんてないのに。
 止めることも、知ることも……何もかも。
 俺が拘束できることじゃないし、何よりアイツはもう子どもじゃない。
 とうに成人している大人、なんだから。
「……あーー、仕事しよ」
「えええ! 帰りましょうよ!」
「うるせーな。帰りたけりゃ、ひとりで帰れ!」
「えぇぇえ!? 酷いですよ、先輩!」
「黙れ!」
 大きくため息をついてから机に向き直り、未だに食いついてこようとする花山をしっしと手で追い払う。
 今日は、日直じゃねーけど最後まで残る。
 なんなら、俺が代わりに鍵当番したっていい。
 そんなことを考えながら明日の調理実習の資料を開くと、予想以上に眉間へ皺が寄っていたのに気付いた。


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