「せんぷぁい! もう1軒行きましょぉおっふぅ……!」
「こんなトコで吐くな」
「吐いてません! 隊長! らいじょぶでありあす!」
「全然ろれつ回ってねーぞ」
 びし、と本人は敬礼をしたつもりなんだろうが、まったくなってない。
 電柱によろよろと背中を預けながらの態度を見て、思い切りため息が漏れた。
 結局。
 アレから19時過ぎまで仕事をしたものの、集中力が急に途切れて帰宅することにした……のだが。
 最後の最後まで花山がどうしてもと言って聞かなかったこともあって、それをずーーっと聞いていた小枝ちゃんが最後に俺へキレた。
 減るモンじゃないんだから、連れてってやりなさいよ! うるさいから!
 今行かないと、明日も明後日も、ずーーっと言うわよ!?
 ……まさに、仰る通り。
 恐らく、俺もそうなるであろうことは予想ついてた。
 小枝ちゃんの半ギレで、またもや花山がびくびくっと肩を震わせていたが、どうやらよっぽどトラウマにでもなったらしい。
 ……そしたら、今度は静かにすりゃいいモンを。
 まぁ、3歩ですぐに忘れるコイツには意味ないんだろうが。
「……はー。先輩! もう1軒行きましょうよ!」
「今、何をごっくんした。あ?」
「大丈夫です!」
「全然大丈夫じゃねーし。つか、俺が嫌だ」
 誰がお前の面倒なんて看てやるモンか。
 散々飲んで、散々食って、というハイペースっぷり。
 相変わらず人のペースを完全無視の姿勢は、呆れるというか、もう勝手にしてくれと思う。
 毎回思うんだけどな、コイツとメシ食うのヤダって。
 なのに付き合ってやってる俺は、ホント偉いと思う。
「ほら。とっとと帰れ」
「えぇええ! やですよお! 僕、まだ食べれます! ミノとか!」
「さっき散々肉食ったろーが!」
「大丈夫です! 牛タンなら喜んで!」
「喜ばねーでとっとと帰れ」
 ワケのわからないことを口走り始めた花山のスーツの襟を掴み、ずるずると引きずるようにして歩く。
 幸いにも、この辺には飲み屋が多いこともあって、タクシーが常駐。
 そっちへ近づくと、すぐにドアを開けてくれた。
「すみません、この住所までお願いします」
「わかりました。……お金払えます?」
「あ、平気っす。花山、財布」
「ふぁい? ……あ、ふぁい」
 名刺を差し出して運転手へ渡すと、怪訝そうな顔をされた。
 まぁ、確かに不安にはなるだろう。
 コイツ、金持ってなさそうだし。
「やですよぉ! 僕、まだ帰りましぇん!」
「俺のためにも帰れ」
「やですぅ!!」
「お疲れー」
 気持ちのこもってない言葉を口にし、バタン、と閉まったドアに向かって手を振る。
 よろしく、運転手さん。
 そいつ、多分大分扱いにくい客だと思う。
 内心なむなむしながらきびすを返し、歩いて自宅へ。
 俺の足で、10分少々。
 外灯もあってちゃんと整備されてる道ばかりだから、特になんの心配もなくこの時間でも帰ることができる。
 21時半過ぎ。
 意外とあんな中身のない話でも、時間が経ったんだなと自覚する。
 ……ま、無理矢理とはいえ、祝ってもらえたことに関しては否定しないし、有難いとは思う。
 どんな形であれ、俺を慕ってやってくれてのことだろうから。
「…………」
 すっかり、夜のこの時間でも寒いとは感じなくなってきた。
 お陰で、薄いカットソー1枚でもブラつける。
 ただ、さすがに雨とか降ると冷え込むけどな。
 ……先日買った、この服。
 久しぶりに着る機会ができたな、と思った。
 買ったはいいが、結局あれから一度も着なかったんだよな。もったいないが。
 友人とどこかへ行くこともなかったし、誰かが家に来ることもなく。
 お陰で、誕生日というある意味記念の日におろすことができた。
 ……まぁ、それがいいのか悪いのかは謎だが。
「はー……」
 見えてきた、マスターの店。
 まだ煌々と明りがついているが、22時閉店。
 間もなく閉店終了ってところか。
 駐車場に停めっぱなしだったシルビアを一瞥してから階段を上がり、部屋へ向かう。
 ――……と、不意に背中へ声がかかった。
「……あれ、マスター。どうしたんすか?」
「こんばんは」
「ども」
 ちょうど今考えてた人が現れたので、素直に驚いた。
 だが、マスターはというとまったくそんな感じがなく、いつものようににこにこと笑みを浮かべている。
 まだいつもと同じコック服だが、手には何やら白い箱。
 ラッピングこそされていないが、普段は目にしない類のモノを持っている。
「お誕生日おめでとうございます」
「っ……え。マスター、なんで俺の誕生日知ってるんすか?」
「もちろん知ってますよ」
 はは、と笑った彼が、俺の目の前まで来てにっこり笑った。
 と同時に、両手でその箱を差し出してくれる。
「え、マジすか。……もしかして、コレって……」
「ええ。どうぞ」
「うっわ、ありがとうございます!」
 年甲斐もなく、素直に嬉しかった。
 鳥肌が立ち、笑みがこぼれる。
 その顔は、もしかしなくても小さな子どもみたいな笑顔だったんだろう。
 感謝の言葉を口にしながらマスターに頭を下げると、笑いながら首を横に振られた。
「……うわ。うわー、すっげぇ嬉しい。……ヤバい。ありがとうございます」
「それはよかったです。……でもね、私じゃないんですよ」
「……え?」
「この箱は、私からではないんです」
 静かに俺を見たマスターが、表情を戻した。
 柔らかい、いつもと同じ眼差しに違いはない。
 ……だが、彼は目を伏せるとゆっくり俺を見つめ直した。

「っ……!」
 何度目かのコールがすぎたところで、留守番伝言のアナウンスに切り替わった。
 もしかしたら、運転中なのかもしれない。
 それとも、何かほかの理由があるのかもしれない。
 頭ではそれがわかるし、だからこそやめようとも思うのだが、そうはいかないんだ。
「……くそ」
 ち、と舌打ちをして再度携帯を弄り、耳に当てる。
 だが、結果は同じ。
 ほどなくして聞こえてきたのは、同じことを繰り返す声だった。
「…………」
 画面を見つめながらも切り、ため息に似た息を吐く。
 手にあるのは、白い箱。
 小さな、それでも重みのある……想いが込められたモノだ。

「つい今しがた、お帰りになられたんですよ」

 箱を渡してくれたマスターが口にした言葉に、目が丸くなった。
「……え。誰が――……っ!」
 そんなことをする人間は、恐らく知り合いにひとりだけ。
 言いかけたところで頭に浮かんだ像に、まさかという思いが強まる。
 だが、マスターは静かに笑みを浮かべたまま続けた。
「20時ごろ……だったと思いますよ。ひとりでご来店されて、カウンターでお待ちになってました。ときおり窓から外を気にしてらしたんで、さりげなく伺ってみたんです。そうしたら――……鷹塚先生をお待ちだ、と。そう仰るので、驚きましたよ」
「……え?」
「あんなにかわいらしいお嬢さんが、鷹塚先生のお知り合いだなんて。隅に置けませんね」
 くすくすと笑われ、つい、どんな顔をしていいモノかと悩んでしまう。
 アイツは、俺にとってそういう対象ではない。
 だが、当然褒められて悪い気はしない。
 何より、かわいいと言われれば俺も素直にうなずくから。
「鷹塚先生のお知り合いと聞いたら、おもてなしするのが当然ですからね。お相手しながら、いろいろとお話を伺いました」
「え。……どんな、すか?」
「ふふ。それは言えません」
「えー、なんですか。教えてくれても――」
「いけませんよ、乙女の内緒話ですからね」
「……参ったな」
 相変わらずの笑みなのに、口元に人差し指を立てて当てた姿は『漏洩一切なし』という雰囲気で。
 それ以上聞いても、恐らく同じことの繰り返しか、軽くあしらわれて終わりかのどちらか。
 なので、結局諦めるしかなかった。
 ……気にはなるけど。
「その間、こちらは冷蔵庫でお預かりしてましたので」
「……あ……。すみません、ありがとうございます」
「いいえ。お気になさらず」
 手で箱を示され、改めて頭を下げる。
 いったい、どんな思いで待ってくれていたのか。
 帰って来ない俺を、恨んだりしなかったのか?
 ……ないな、それは。
 アイツはしない。
 だから、携帯に電話もメールもしてこなかったんだ。
「21時半を過ぎたところでお帰りになると仰るので、連絡しなくていいんですか、と促がしたんですが……約束をしていないから、と。私が勝手にしたことだから……と、最後までかたくなに首を横に振ってらしたんですよ」
「……っ……」
「本当に今しがたですから。ご連絡差しあげてみてはいかがです?」
「っ……します!」
「それがよろしいと思いますよ」
 ふふ、と笑った彼の言葉で携帯を取り出し、アドレスから探すまでもなくすぐに見つかる人物を選ぶ。
 『葉山瑞穂』
 ボタンを押して携帯を耳に当てると、マスターが手を挙げた。
「一兎は追わねば得られませんよ」
「……っ」
 小さな声のはずなのに、やけに大きく聞こえたセリフ。
 いつもの笑みとまた違う笑みが印象的で、思わず目が丸くなった。


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