「そうなんですか?」
「そうなんですよ! どうですか? これ!」
「…………」
 木曜の職員室。
 給食の片付けを終えてからようやく戻って来ると、俺の席に花山が得意げに腰かけていた。
 ……いい度胸だな、お前。
 そんなに俺に怒鳴られてーのか。
「あ。先輩! お疲れさまです」
「……何してんだ、お前」
「え? えへへー。お喋りですよ、お喋り! 葉山先生とお喋りです!」
 ンなモン見りゃわかる。
 ……そーじゃねーだろ。
 なんでお前が俺の席に座って、葉山とくっちゃべってんだって話。
 別に、話すなとか言ってるワケじゃない。
 そんな権利、俺には無いから。
 だから、なんでわざわざ俺にアピールするかの如く、座ってんだっつの。
 それが、イラっとする。無性に。
「っうわわ!!?」
 無言で椅子の背もたれを掴み、ぐるんと勢いよく回して花山を放り出す。
 大成功。
 自分の席へ慌てて突っ伏すようにどいてくれたので、そのままこちらへ椅子を戻す。
「先輩! ひどいじゃないですか、もう!!」
「うるせーな。誰の席だと思ってんだ、お前。あァ?」
「うっ……うぅうっ……うぅー!!」
 すっかり冷めたコーヒーが残っているマグカップを掴み、花山を軽く睨んでから立ち上がる。
 そのとき、そんな俺たちを見た葉山は、くすくすと笑っていた。
「おふたりとも、仲いいですね」
「えー。そう見えますか?」
「はい。とっても」
「……ですって、先輩! どうしましょう!」
「嬉しそーに近寄んな」
 きらきらした目で見られ、思い切り嫌そうな顔をしながらしっしと手で追い払う。
 仲よくなくていい。
 コイツとなんて、別に。
 ……それでも、だ。
「………………」
 花山に捕まった葉山は、楽しそうに笑っていた。
 表情が、明るかった。
 視界の端でそれを捉えることができ、ほんの少しだけ安堵する。
 もちろん、わかっちゃいる。
 コレが全部、コイツの強がりなんだってことくらい。
「……我慢の裏返しね」
「…………」
 冷たいコーヒーを飲み干し、代わりに新しいコーヒーを注ぐ。
 すると、ポットの前に居た小枝ちゃんが、こちらを見ずに呟いた。
「あの笑顔。私にはどうしても、精一杯我慢してるように見えるわ」
 彼女には何も話していない。
 だが、もしかしたら葉山から何か情報が入ったのかもしれない。
 ……なんでもいいけどな。
 俺には関係のないことだ。
「苦しいのも、悔しいのも、悲しいのも、全部なかったことにするために浮かべてる、防御の笑顔みたい」
「………………」
 隣に並んだまま、同じようにカップへ口づける。
 その視線の先には、葉山の姿。
 ……なるほど。わかってるってことか。
 彼女にとって妹みたいな、相手。
 どうやら、その異変に気付いているらしい。
「…………」
 アレから、葉山と会うのは今日が2度目。
 だが、月曜に会ったときと同じように、彼女は誰に対しても笑顔を浮かべていた。
 ……もちろん、俺にも。
 優しく笑って、決して涙なんて欠片も見せない。
 それでも、確かに小枝ちゃんの言う通りなんだろう。
 がんばって笑ってます。だから、悟らないで。
 知らないふりをして。
 気付かないで。
 ……じゃないと、泣いてしまうから。
 まるでそう言う代わりに、精一杯の笑みを浮かべているように見える。
 …………がんばってるように、見える。
 声をあげて笑うことはないが、微笑みは絶えない。
 だからこそ、不安になる。
 やっぱり俺のせいなんだろ?
 お前、苦しんでるんじゃないのか?
 今、1番救われなきゃいけないのは、お前じゃないのか?
 小枝ちゃんと同じように彼女を向いたままコーヒーを飲むと、砂糖もミルクも入ってるはずなのに、少しだけ苦く感じた。

「……ふー」
 5時間目は、道徳。
 今日は、少し前に葉山に教えてもらったエンカウンターを行う。
 結局、いろいろ迷いはしたんだが、『短所を長所に言い換える』というエンカウンターにした。
 まずは、1回目。
 学期を改めて、またやるつもりだ。
「…………」
 印刷したシートと葉山に貰った資料を持ち、立ち上がろうとしたとき。
 ドアから入ってきた彼女の姿が見え、ついしばらく見つめる形になった。
「っ……」
 わずかに、笑みは浮かべている。
 が――……今日は、その首元に光るネックレスが、違った。
 月曜は、俺があげたネックレスだった。
 なのに今日は、見覚えのないモノ。
 ……なんでだろうな。
 されて当然の行為なのに、変化を見つけた途端寂しくなるのは。
 単なる我侭に違いないのに。
 それなのに、心のどこかで葉山に対して『なんで』を思っている。
「葉山先生」
「はい?」
 名前を呼ぶつもりじゃなかったのに、ついうっかり目が合った途端、彼女を呼んでいた。
 誰に対するのと同じ、普通の顔。
 わずかに笑みを浮かべられ、反射的に奥歯を噛み締める。
「次の時間、エンカウンターやるんだけど。この間貰った……言い換えるってヤツ」
「あ。そうなんですか?」
「ああ。それで……よかったら、来ないか?」
 俺は果たして笑っていただろうか。
 それとも、始終怖いような顔をしていたのか。
 自覚がなく、タチが悪いと素直に思う。
「……いいんですか?」
「ああ」
 本当は、誘うつもりはなかった。
 だが、急遽そうしたいと思ったから。
 本当に普通に接するんだな、という安堵の思いとは別に、ほんのひと欠片寂しさが残っていたから。
「欠けてるところあったら、補ってくれ」
 恐らく、欠けてる場所だらけだろうし、口だけでなく、手も出して貰ったほうがイイとは思う。
 だから、彼女を誘ったんだ。
 他意はない――……なんてキレイごとは、言えそうにないが。
「わかりました。鷹塚先生のエンカウンター、拝見させてください」
「ああ。こっちこそよろしく」
 真正面から彼女を見ることはできず、言い終えるとともに彼女の横を過ぎて先に廊下へ向かう。
 彼女には彼女の支度があるだろうから、恐らく来るのは少し時間が経ってから。
 ――……と思ったんだが、ドアを閉めようとしたときにはもう、慌てて彼女が小走りで俺のあとについてきていた。
 ペンケースと、クリアファイル。
 それらを、両手で抱きしめるようにしながら。
「すみません! ……ありがとうございます」
「っ……いや」
 ドアを開けたまま保ってやったら、ほっとするかのように嬉しそうな笑みを浮かべた。
 この、近さで向けられた笑み。
 だが葉山のその笑顔は、少し前に俺に対して向けられていたモノと寸分違わぬモノで。

 がんばってる笑顔ね。沢山の感情が押し込められてるに違いないわ。

 小枝ちゃんはああ言ったが、全部が全部そうじゃないんじゃないのか。
 俺なんかよりもずっと早く、なかったことになってるんじゃないのか?
 あたたかい笑みとともに小さく頭を下げられ、少しだけ身体の奥が鈍く痛んだ気がした。


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