「それじゃ、これから5時間目を始めます」
 葉山を伴ったまま教室へ入ると、当然のように驚いた声があがった。
 そんな児童らを制し、まずシートを配り始める。
 それぞれ、自分で短所だと思っていることを書き入れ、それをグループのメンバーにどのように言い換えてもらったかを書く欄がある、プリント。
 配り終えると、それを見た児童らが思い思いの話をし始めた。
 まず手を叩いて静め、教卓に両手をついて彼らのほうを向く。
「それじゃ、まずはやり方を説明な。左側にある欄にはまず、自分の短所だと思うことを書いてもらう。で、それをグループのみんなに長所になるように、うまく言い換えてもらうんだ」
「先生ー、たとえばどんなふうにやったらいいのー?」
「……それを今からやるから、ちょっと待て」
 一応、短所を長所に言い換えたモノを自分なりに考えて、一覧にまとめてはみた。
 だが、それは子どもたちには配らない。
 彼らには、彼らなりの言葉で表現してもらい、どうしても詰まってしまったときだけ、手を挙げさせようと思っていたから。
「葉山先生。ちょっと、いいすか?」
「はい」
 教室の後方で子どもたちを見守っていた彼女を手招き、隣へ呼ぶ。
 それだけで、子どもたちのテンションがなぜか上がった。
「実は俺、結構飽きっぽいんですけど」
 1番後ろに座る子どもたちにも聞こえるような大きさで、告げる。
 すると、両手を前で合わせていた彼女が、相変わらず穏やかな顔で笑った。
「好奇心が旺盛なんだと思いますよ」
 さらりと告げられ、思わず目が丸くなった。
 ……言い換え、うまいな。
 さすが、俺に勧めてきた張本人。
 恐らく、彼女の中には一覧なんてモノよりも遥かに優れた多くの語彙が収録されているに違いない。
「あと……新しい物好きで、すぐいろいろ買っちゃうんだけど」
「情報が早いんですね。いろんなことに興味を持っていて、アンテナを常に張ってらっしゃるんだと思います」
「……じゃあ……面倒くさがりなのは? 脱いだ服とか、そのままだし。洗濯物も、ほったらかすことが、しょっちゅうある」
「ちょっとしたことで動じないということですね。我慢強いとも、言えると思います」
 にっこり笑ってつかえることなくあざやかに言い換えられ、情けなくも薄っすらと口が開いた。
 ……すげ。
 だが、どうやらそれは子どもたちにもしっかりと伝わったらしく、おおーという歓声のあとで、ぱちぱちと拍手まで沸いた。
「……どうでしょう? 参考になりましたか?」
「いや、かなり。ていうか、めちゃめちゃ。……サンキュ」
「お役に立ててよかったです」
 最初は敬語を遣っていたのに、次第に普段のクセが出てしまい、ついタメ口で話してしまった。
 そのせいで、子どもたちからも同じくタメ口の質問があれこれと飛び出す。
 ……その、中で。
 ひときわ大きな『はいはーい!』という声のあと、元気代表の男子が手を挙げて立ち上がった。
 まだ指してないにもかかわらず、葉山に身体ごと向きながら、にやにやといたずらっぽく笑う。

「じゃあさじゃあさー。先生が結婚できないのはどうしてですか?」

「ぶ!」
 さらりと出たとんでもない発言に、思わず噴き出す。
 つーか、それって短所じゃねーし。
 え、まさか短所だと思われてんのか? それ。
 だとしたら、悲しすぎる。ものすごく。
 だが、そんな発言でひと笑いした子どもたちは、さらに煽られて次々に手を挙げ始めた。
「先生が結婚できないのって、性格が悪いからじゃない?」
「えー? やっぱ面倒くさがりだからでしょ?」
「あ、ウチのかーちゃん言ってた。出会いがないんじゃないかって」
「っ……お前たち、ちょっと待て!!」
 好き放題くっちゃべる挙句、げらげら笑い出す子まで出る始末。
 ……ああもう、手に負えない。
 思わずため息をつきながら額に手を当て、うなだれる。
 誰か、この状況をなんとかしてくれ。
 つーか、誰が『担任はなぜ結婚できないか』を議論するっつったよ。
 今回はディベートがテーマじゃねーぞ。
「……ん?」
 そんな中、質問を一応向けられた張本人である葉山だけは、静かに笑っていた。
 くすくすと子どもたちを眺めながら、そんな彼女に気づいた子どもたちが静かになり始めたのを見て、ゆっくりと首を振る。
 ……すげーな。
 俺が声をあげたところで、火に油なのに。
 こんなふうに収束するなんて、思いもしなかった。
「鷹塚先生はね、いろんな人が持っていない沢山のものを持ってるの」
「え、車とか?」
「意外にお金持ちってこと?」
「……意外にってどーゆー意味だよ」
「え、だって先生貧乏だって言ってたじゃん」
「あれは冗談だろ。半分」
「半分なんだ」
「そーゆートコは、しっかり拾わなくていい」
 口々に反応した子どもたちに眉を寄せてから、唇に人差し指を当てる。
 静かに。
 今は、お前たちが喋る時間じゃねーぞ。
 その仕草を見せると、普段からそうしているからか、お喋りはすぐに立ち消える。
 その様子を見て、葉山がまた小さく笑った。
「目に見えるものだけじゃなくて、目に見えないものもそうだよね。鷹塚先生のいいところ、みんなが1番よく知ってるんじゃないかな?」
「あー、確かに先生優しいよね」
「そうそ。なんだかんだ言って、面倒見いいし」
「それにさ、年の割りに若くねー?」
「ウチのかーちゃん、カッコいいっつってたよ」
「あ、ウチのねーちゃんも」
「怒るとすげー怖いけど、でも1回怒ったらそのあとはもうウチの母ちゃんみてーに怒んねーし」
「あ、それはあるー」
「だよな」
「っ……」
 口々に始まった、何度目かの勝手な座談会。
 だが、今回は口を挟もうにもついうっかり、それをせず聞き入ってしまった。
 普段、面と向かって俺の“いいところ”なんて口にしたりしない、子どもたち。
 それは当たり前なのだが、こんなふうにすぐ口にしてくれるなんて思わなかったからこそ、内心ものすごく嬉しかった。
 ……そして、誇らしかった。
 うちのクラスの子たちはみんな、すげぇ素直でいいヤツばかりだと改めて実感したから。
「でもさでもさ、だからこそ不思議なんだよねー。なんで先生が結婚できないのか」
「……余計なお世話だ。ほっといてくれ」
 そこは鋭くつっこみを入れ、ぎしぎしと2本足で立たせた椅子を戻すようにジェスチャーする。
 そんな様子を見た葉山が、ゆっくりと子どもたちを見渡してから、わずかに首をかしげた。
「ね。だから、鷹塚先生が『この人なら』って思う人が出てこないのは、仕方ないんじゃないかな? だって……鷹塚先生って、とっても素晴らしい先生でしょう?」
「っ……」
 いつも葉山は優しい口調で喋る。
 だから当然、声も優しい。
 だが、改めてこんなふうに俺のことを言われると、どきりとする。
 ……告白聞いてるみたいに思えるから、少しばかり居づらい。
 たとえの話であり、建前である言葉のはず。
 なのに、これは葉山が俺に抱いてくれている素直な思いなんじゃないかとも思ってしまい、情けなくも子どもたちを見ている彼女の横顔へ視線が張り付いた。
「そのことは、みんながよく知ってると思うの。……鷹塚先生、とってもすてきだよね?」
「先生、ステキだってー!」
「ひゅーひゅー!」
「……あのな」
 一部の子供が茶化すように声をあげたが、ほかの子どもたちはその場でうなずいてくれていた。
 それが、嬉しい。
 ……いや、恥ずかしいってのもあるけど。
 小さく沸いた拍手で、自分も釣られるように彼女へ拍手を送る。
 よくやってくれるよ。俺なんかのために。
 お前は優しいな。
 ……いや。
 だから、優しすぎて自分が傷つくんだぞ。
「……え?」
「それでは、始めましょうか」
「……あ……あぁ。そう、っすね」
 思わず無言で彼女を見つめてしまい、小さく笑われた。
 慌てて反応し、子どもたちに向き直る。
「それじゃあ、これから実際にみんなにもやってもらうから。まず、グループになってー。それから、今配ったプリントにそれぞれ自分の短所を書いて、みんなでそれを言い換える訓練を始めます。わからなかったら、先生でもいいし葉山先生でもいいので、どんどん聞くように。それじゃ、始めー」
 ガタガタと机を動かしてグループになり始めた子どもたちを見ながら、残ったプリントを揃え、改めて――……葉山へ向き直る。
「ありがとな」
「……いえ。まだ何もしてません」
「いや……まぁ……うん」
 にっこり笑って首を振った途端、彼女の髪がさらりと揺れた。
 そのとき、ほんのりとあの彼女の甘い香りがしたような気がして、思わず口を一文字に結ぶ。
 ……何迷ってんだよ。
 もう決めたことだろ。
 いつまでも戸惑うな。抗うな。
 もう彼女は、俺が手を出していい相手じゃないんだから。
「……鷹塚先生?」
「っ……え。あ、いや。……なんでもない」
 まじまじと見つめてしまい、不思議そうな顔をした彼女に慌てて首と手を振る。
 どうやら、まだまだ自分のほうが処理しきれていないようだ。
 もう、1週間近く前になるこの間の出来事を。


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