「ご相談したいことがあるんです」
そう言って純也と祐恭を引き止めたのは、今にも泣き出してしまいそうな昭だった。
さすがにそんな切羽詰った状況で頼みごとをされて、無碍にできるはずもなく。
純也と祐恭は、昭に引きずり込まれるかのごとく、生物準備室へ姿を消した。
「……何、あれ」
「なんだろうね……?」
一連の流れをかなり離れたところから見ていたのは、羽織と絵里。
つい今しがた教室で通知表を受け取ってきたばかりにもかかわらず、目の前で起きた事態……いやある意味事件めいたものを見ながら、顔を見合わせて眉を寄せる。
「絵里ちゃん、羽織ちゃん……」
「ん?」
「あら、詩織じゃない。どしたの? こんなとこで」
何が起きているのかと見ていたら、背中に声がかけられた。
詩織は、なぜか表情がやや硬い。
いつもとはまったく違う雰囲気に、羽織も絵里も顔を見合わせてから心配になった。
「………あのね、ふたりに……お願いがあるの」
「え?」
「お願い?」
どこか切羽詰ったような顔だと感じたのは、ひょっとしたら先ほど彼氏たちを連れ込んで行った、昭にどことなく雰囲気が似ていたからかもしれない。
その日の夜、4人は純也の家に集まっていた。
あれから、彼氏側と彼女側とでそれぞれ相談を持ちかけられたのだが、部活中ということもあってなんとなく話すのが阻まれたのだ。
その後、純也から申し出があり……というか、なかば無理やり絵里が提案したのだが、純也の家は祐恭の家からさほど離れていなかったため、車を含めた荷物を一度家においてから、歩いて彼のマンションへと足を運んだのである。
「で。そっちはどんな話をされたの?」
「……いや、それは……ねえ?」
「ですね……」
「ちょっと。話してくれなきゃわかんないわよ」
質問対し、純也と祐恭は困ったように顔を見合わせると、どう話したものかとお互いに探り合っているようだった。
少しイライラしながら絵里が言った途端、純也が祐恭に耳打ちを始める。
それを見て、絵里はたちまち嫌そうな顔をした。
「ちょっと。男同士で気持ち悪いわね」
「……お前は少し黙ってろ」
「何よそれ」
絵里の毒づきに純也は一瞬彼女を見るが、すぐに祐恭と相談を始める。
ぼそぼそと聞こえてはくるが、さっぱり掴めない全体像。
そんな彼氏たちを見て、羽織と絵里はただ眉を寄せる。
「いや……で、……うん」
「……それは……ええ、でも……」
ところどころは、なんとなく聞こえてくるものの、はっきりとした語彙はつかめずじまい。
だからこそ、とても……かなり気になるらしく、絵里がふたりの間を切るように腕を割り入れた。
「すとーっぷ!!」
「っわ!?」
言ったあとで、絵里が羽織を抱き寄せた。
「ごしょごしょごにょごにょ」
「あはは! くすぐったいよ、絵里ー」
かと思いきや、まさに言葉通りのことを耳元で囁き、羽織が身をよじる。
ほどなくして、満足でもしたのか絵里はふたりを睨みつけた。
「わかる? 目の前でこんなふうにされたら、気になるでしょ?」
「……そりゃまぁ。てかお前、ほんとにごしょごしょ言わなくても」
「うるさいわね! そこはつっこまなくていいのよ!」
純也のセリフに絵里が一瞬噛み付いたが、それはそれ。
顔を見合わせた純也と祐恭は、小さくため息をつくと……なぜか苦笑を浮かべた。
「え?」
「ちょっとだけ……刺激強いかもしれないけど、平気?」
「えっと……どういうことですか?」
祐恭が彼女に囁くも、ピンとこなくてか、羽織は首をかしげる。
その間に、純也が絵里を手招き、ひそひそと何かを伝えた。
が。
「はあ?」
大きな声で反応した絵里は、ため息をつくと『あのねぇ』とはっきり口にする。
「どうやってエッチすればいいかで悩むとか、中学生じゃないんだからやめなさいよ」
「うわ! おま、馬鹿なの!? なんでそんな、どストレートなんだよ!」
「いいじゃない、別に。うちらもう高校生よ? 小学生の女の子じゃあるまいし。知識ナメんじゃないわよ」
「そーゆー問題じゃないだろ!」
「だってそうじゃない。ね? 羽織」
「うぇ!? う……うぅ、なんていうか……その……」
ねぇ? とストレートに聞かれ、羽織は思わず返事に困った。
……あー、うー……。
視線をあちこちへ飛ばしてはみるものの、さすがに嘘をつくわけにもいかない。
「……大丈夫です」
こくん、とうなずいた羽織の頬が染まっているように見え、それはそれで祐恭としては気になる。
だが、それ以上何かを言うことはなく、純也は小さく咳払いした。
「ったく。で、明日デートに誘ったらしいんだけど、できればそこでせめてキスを成功させたいんだと」
「……馬鹿なの?」
「だからお前は言葉遣いが悪い!」
「しょうがないでしょ! だって、したきゃすればいいじゃない! そんなの第三者がいたらよっぽどしにくいじゃないのよ! でしょ!? 祐恭先生!」
「っ……なんで俺に振るのかな」
「身近なカップルだもの、そりゃ振るわよ。うちらがいる、この目の前で羽織とちゅーしろっつったら、先生できる?」
「…………」
ため息混じりにつぶやいた絵里の言葉で、思わず祐恭は羽織を見た。
頬を染め、恥ずかしそうにしているゆえか、自然と上目遣いで視線が合っている状態。
……してもいいけど。俺は。
そんな意味を感じ取りでもしたのか、まじまじ見られた羽織は目を丸くして緩く首を振った。
「へぇー、ふぅーん。祐恭先生の本気度がよくわかったわ。……今度実践してくれてもいいけど?」
「え、絵里っ!」
「あら、私としては羽織が心底幸せそうな顔してるのを見るのは嫌いじゃなくてよ?」
「そういう問題じゃないの!」
頬を真っ赤に染めた羽織が絵里の腕を叩き、純也は穏やかな笑みを浮かべて『ご馳走様』と合掌した。
「まぁそーゆーわけで、だ。明日水族館でデートするから、付き合ってほしいんだとよ」
「はぁ? やだけど」
「そーゆーなよ、お前。タイミングがわかんねぇっつーんだから、教えてやるしかないだろ?」
「だったらそれこそ、水族館じゃなくて映画にでも行きなさいよ! いちゃいちゃシーン見てその勢いですればいいじゃない! でしょ!? 祐恭先生!」
「……絵里ちゃん、遊んでるだろ」
「あらやだ、そんなことしてないけど?」
にっこり笑った絵里に対し、祐恭はそれはそれは訝しげな顔をした。
羽織には、一瞬火花が見えた気がしなくもないが、純也は相変わらず穏やかな笑みを浮かべているあたり、何も言うつもりはないようだ。
「で? そっちも、田中から何か言われたんじゃないの?」
「……あ」
純也のセリフで、絵里と羽織は顔を見合わせた。
……どうする?
一瞬そう考えたようにも見えたが、今さらな感じもある。
何より、共有しておかなければ実際擦り合わせて同じ方向には動けないだろうと判断し、絵里は肩をすくめた。
「詩織は、心配なんですって」
「心配? あー、彼氏とはいえ、男とふたりきりになるのがか?」
ある意味、純也の質問は当然かもしれない。
普段の詩織を知っているからこそのセリフだろう。
純也自身、この3年間彼女を見てはいるが、未だに話すときはちらちらと伺うようにしか目を合わせず、緊張している様子が見られるからだ。
しかし、その問いに対し絵里と羽織は同時に首を横に振った。
「山中先生が、キスもしてくれないどころか、抱きしめてさえくれないってことがよ」
「何ぃ!?」
「え、そうなの?」
純也と祐恭の意外そうな反応に、絵里と羽織は小さく苦笑を浮かべた。
そこで、今度は羽織が口を開く。
実験室で聞いた、詩織の本音を伝えるべく。
「しーちゃん、山中先生のことはほかの男の人と違うって言ってたんです。いつもにこにこしてるし、男の人って雰囲気がそこまで強くないから恐くない、って。だけど、友達の話を聞いていると、彼氏とキスをしたとか、ぎゅって抱きしめられたって聞くのに、自分は……って不安になってるみたいで」
「そ。だから、自分は本当に山中先生に愛されてるのか、それを確かめたいんだって」
「……へぇ」
顎に手を当てた祐恭がつぶやいたのもあり、羽織はさらに続けた。
一瞬、言おうか言うまいか躊躇もしたが、伝えたい想いのほうが強かったようだ。
「好きな人に好きでいてもらえているかどうかって、大事だし、不安なんです。言葉だけでもダメだし、行動だけでもダメっていうか……ふたつで安心できて、やっと、そうなのかなって思えるんです」
「……そっか」
「っ……あ」
そこでようやく羽織は、祐恭を見つめすぎていたことに気付いた。
……それでも。
言いきると同時に優しく微笑まれたことは素直に嬉しくて、自分にも笑みが浮かぶ。
「そんじゃま、明日のデートに付き添いましょ。ふたりがお互いにそんなこと思ってたら、デートどころじゃなくなっちゃうだろうし」
「……まぁ、それは別に構わないけどな」
「じゃ、決まり。……あーなんか疲れた。もう寝るわ、私」
「あ、まだ寝るなって。せめて、風呂入ってから寝ろ」
大きなあくびをした絵里に、純也の言葉はいかにも保護者で。
羽織と祐恭は、顔を見合わせると小さく笑った。
揃って立ち上がり、絵里に声をかけてから帰るべく玄関へ向かう。
明日は、いろいろと大変になるかもね。
玄関まで送ってくれた純也の苦笑に、ふたりがそろってうなずいたものの、それ以上どういうと も言えなかった。
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