「……うぅ、眠たい……」
 なかば閉じたままのまぶたをこすりながらベッドをあとにして、リビングへ足を向ける。
 まずは、着替え……の前に顔を洗って、髪をとかして……んー、なんだかたくさんやらなきゃいけないことがある。
 なんて思いながらも、やっぱりこの状況は楽しいと思った。
「……ん」
 寝起きの火照った身体に、フローリングの冷たい感触が心地良かった。
 今日は、昨日約束したとおり4人で海へ行く日。
 時計を見ると、まだ4時を少し過ぎたところだった。
 珍しく祐恭先生に起こされる前にセットしたアラームで起きたものの、隣にもリビングにも彼の姿はない。
「……先生、どこ行ったんだろ……」
 冷蔵庫のアルカリイオン水を取り出してグラスにそそぎ、ひとくち含む。
 寝起きの頭が徐々にすっきりとしていくような、そんな感覚が心地よかった。
 今日から、1泊2日の小旅行。
 ふたきりではないけれど――……部屋では、間違いなくふたりきり。
 彼の家にはこうしてよく泊まるようになっていたけれど、どこかに出かけるのは初めてだけに、やっぱり新鮮だった。
「っ……つめた……」
 洗面所で顔を洗うと、今度こそ頭がシャキッとした。
 タオルで水滴を取ってから、鏡を見る。
 そこには、いつも通りの自分の姿。
「……ん」
 にっと笑みを浮かべ、リビングへ戻る。
 今でこそ少しずつ慣れてきたものの、このマンションの雰囲気は変わらず好きなまま。
 デザイン性に優れているにもかかわらず、しっかりと住むことに関して考えられていて、キッチンも使いやすければ洗面所や浴室などの水周りも細かく考えられている。
 必ず警備会社の人が常駐しているということもあって、セキュリティにも力が注がれているから、安心して過ごせる点もすごい。
「……あれ?」
 いつもはそのままリビングへ戻るんだけど、右の廊下――……つまり、リビングから少し玄関のほうへ戻ったところにあるドアから、うっすらと光が漏れているのが見えた。
 使わない部屋が幾つかあるということは聞かされていたけれど、そこもその部屋のひとつ。
 ドアを開けたことがないというのもあったけれど、それよりもまず彼の姿が見えなかったから、気になって自然と足が向く。
「……あ」
「ん? おはよ」
「おはようございます」
 少しだけドアが開いていたのでそこに手をかけた途端、自分が考えていた以上にすんなりとドアが開いた。
 にっこり笑った祐恭先生と目が合い、ほっとすると同時に目が丸くなる。
「ごめん、散らかってる」
「いえ、そうじゃなくて……」
 中を覗いて、驚いた。
 いかにも書斎といった作りのその部屋は、多くの本や資料などで埋め尽くされていた。
 ほかの部屋はすっきりと片付いていて物があまり多くないからか、この部屋だけはまるで違って見えて。
 ……すごい。
 難しそうな本が、たくさん。
 普段なかなか目にしない物が溢れていて、素直に彼らしいと思った。
「せっかく、起こそうと思ってたんだけど」
「もぅ。私だってひとりで起きられますっ」
 思わず苦笑まじりに笑うと、彼も小さく笑った。
 ……ちょっぴり、惜しい気もする。
 なんて、思ったのは内緒。
「ずっと起きてたんですか?」
「いや、3時ごろかな。ちょっと気になったことがあったから」
 そう言いながら彼はノートパソコンの電源を切り、椅子から立ち上がって大きく伸びをした。
 そんなちょっとした仕草すらも、見ることができて嬉しくなる。
「朝飯どうする? 早めに出て、先に何か食べようか」
「あ、駅にいいお店があるからそこで食べようって、昨日絵里が言ってました」
「そっか。じゃあ、準備して純也さんトコ行こう」
「はいっ」
 電気を消してから私の肩に手を回した彼と一緒に、朝の光が漏れるリビングへ。
「っ……」
 リビングに入った途端、背中から彼に抱きしめられた。
「水着姿、楽しみ」
「う……あんまり期待されると困っちゃいます。……胸、ないし……」
 もたれるようにして彼を見上げると、笑って首を横に振った。
「っ! せ、んせっ……!」
「ほかの男に見られるのはヤだけどね。……でも、羽織ちゃんが思ってるほど小さくないよ?」
「……えっち」
「うん。否定しない」
「わ!」
 首すじに顔をうずめるようにされ、ぞくりと身体が反応する。
 かと思いきやそのままソファに倒され、ごく近くで彼が笑った。
「……だ、めですよ。時間になっちゃう……」
「平気。まだ30分もあるし」
「で……もっ」
 頬を指先で撫でられ、耳に髪をかけられる。
 その仕草すべてがどきどきして、身体が熱くなるような気がした。
「……あ……」
 結局最後は、いつもそう。
 優しく囁かれて、何も言うことができなくなる。
 きっと、祐恭先生自身もわかっているんだろうなぁ。
 それが少し悔しい気もしたけれど、嫌じゃないのも本音。
「ん……」
 優しく唇が重なり、すぐに舌でこじあけられる。
 ゆっくり解きほぐすように中に入ってきた舌を感じながら、彼に応えるので精一杯。
「ん、ん……っ」
 優しく責められるにつれて、身体も敏感になっていく。
 だけど、いつもと違って彼はキスしかしなかった。
 だからこそ、落ち着かなくてそわそわするのは変に思われるだろう。
 彼の髪が額にかかって少しくすぐったくもあったけれど、それよりも、与えられ続ける快感に半ば翻弄され始めていた。
「……ふ……」
 頭がうまく働かない。
 うっすらまぶたを開くと、少し困ったように頬に触れた。
「そんな顔したら、間に合わなくなる」
「……だって、先生が……っん!」
 ぽつりぽつりと呟いた唇をもう1度塞がれ、ゆっくりと唇を舌でなぞられる。
 ……どうしよう。
 なんだか、すごく変な気分。
 これ以上キスをされたら、おかしくなってしまいそう。
「……ふ、ぁっ」
「ごめん、苦しかった?」
「……ううん、平気……です」
 彼とのキスは、もちろん好き。
 ……でも、気のせいかな。
 最初のころと違って、長いキスが増えている気がするのは。
 苦しくて、いつも変な顔になっちゃいそうで、それがちょっと不安。
 でも彼は、そんな私を満足そうに見てくれるから、どきどきして……だけど、嬉しかった。
「それじゃ、忘れ物ないようにして行こう」
「……あ、はい」
 ふと時計に目をやると、歩いて田代先生のマンションに向かうにはいい頃合いだった。
「っ……」
 ゆっくり抱き起こされたかと思いきや、その頬にちゅ、と音を立てて口づけをされる。
「……もぅ」
「ん?」
「なんでも、ないです……」
 こういうとき、どういう顔をすればいいんだろう。
 なんだか、いつも私はふにゃんとした情けない顔しかしてないような気がする。
 でも、いつだって彼の笑みで全部消えちゃうんだよね。
『もぅ』って思ったことも、『そんな』って思ったことも、全部。
 ……ずるいなぁ、なんだか。
 なんて思いはするけれど、手を引いて笑みを浮かべたのを見たら、当然のように私にも笑みが浮かんだ。

「うわぁ。ねぇ、見てよ! 海!」
「え? あ、ホントだー」
 電車を乗り継いで2時間ほど走った、伊豆の先。
 窓から見える広大な海を見て、絵里と顔を見合わせると笑みが浮かぶ。
「ほら、もう降りるぞ」
 田代先生が苦笑を浮かべたものの、絵里の耳には入ってないようだ。
「……ったく」
「見慣れてるのに、海を珍しがるなんて意外ですね」
「そんだけ子どもってことだな」
「……なんですって?」
「あれ。なんだ、聞こえてるんじゃないか」
「そーゆーのは聞こえるのよ!」
 キッと眉を寄せて軽く睨みを聞かせた絵里を見て、田代先生がため息をついた。
 でも、絵里はまたすぐに海へ向き直る。
 祐恭先生の言うとおり、田代先生のマンションからも海は見える。
 だから、こんなふうに海を見て喜ぶ誰かを見るのは久しぶりだった。
 まるで、海がない県から遊びにきた……そんな気さえする。
「ほら。降りるぞ」
 ゆっくりとスピードが落ちて電車がプラットホームに停車すると、田代先生が絵里の腕を引いた。
「……あ」
「降りるよ?」
「はい……!」
 そんなふたりを見ていたら、祐恭先生が手を取ってくれた。
 ……手、繋いでる。
 すぐ前を歩く彼の背中と繋がれた右手を見ながら、誰を気にすることなくこうして手を繋げるのが素直に嬉しかった。
「あー、着いた着いたー」
 夏らしい太陽が空にある下で、絵里と一緒に駅前のベンチへ身体を預ける。
 ここからは海が見えないものの、なんとなく潮風の匂いがして。
 ……えへへ。楽しい。
 まだ始まったばかりとはいえ、旅行は旅行。
 自分の知らない場所にきた感じがして、ずっと笑みが浮かんだままだった。
「ん?」
 田代先生が、レンタカーの受付けをしに入った建物の中から祐恭先生を手で招いた。
「荷物、よろしく」
「あ、はい」
 うしろ姿を眺めていると、すぐに何やら楽しげに話し始めた。
 きっと、どの車にしようかと話しているんだろう。
 ……いいなぁ。
 あの中、クーラー効いてるよね。
 ふとそんなことが頭に浮かんで、苦笑が漏れる。
「ったく。車なんて乗れればいいんだから、なんでもいいじゃない。……ヴィッツとか」
「かわいいよね」
「どうせならピンクがいいわね」
 ちょうど目の前の道を走っていったのを見て、絵里が暑そうに空を見上げた。
 それにならうと、眩しい太陽が目に入ってすぐまぶたが閉じる。
 ……夏だぁ。
 暑さは厳しいけれど、でも、嬉しい。
 この季節に、この場所へ遊びにきている自分が。
 しかも、友達とじゃない。
 人生で初めての、彼氏と一緒にきているんだもん、特別でしかない。
「……しっかし暑いわねー。早く海行きたい」
「気持ちいいだろうね」
「あ。ねぇ、羽織。ちゃんと水着持ってきた?」
「もちろん! 絵里も持ってきたでしょ?」
「まぁね。でも、海なんて久しぶりー。あー、すんごい楽しみ」
「うんっ」
 にこにこと笑う絵里に、こちらもつられて頬が緩む。
 絵里と一緒に海に行くなんて、いったい何年ぶりだろう。
 去年の夏、一緒に行ったのは近場のプールだけ。
 しかも、お互いに彼を同伴なんて……実現するとは思わなかった。

『夏までに彼氏作りなさい』

 ふと、春に聞いた絵里の言葉が頭に響いて、笑みが浮かんだ。
「じゃ、行こうか」
 ようやく祐恭先生が戻ってくると、私が持っていた荷物を受け取ってくれた。
 エンジン音でそちらを見ると、そこにはヴィッツが1台。
 しかも、絵里が言っていたピンクの車体。
「ヴィッツにしたんですか?」
「うん。そこまで狭いわけじゃないし、レンタカーだからね」
 まさか、このふたりが選ぶと思っていなかった車種だけに、絵里と顔を合わせてつい笑ってしまった。
 意外も意外。
 だって、いつも乗ってる車とはまるで違うタイプなんだもん。
「宿までの道はわかるんだよね?」
「へーきよ、へーき。だから、おとなしく羽織と座ってて」
 助手席に座った絵里が、いたずらっぽく笑ってからシートベルトを締め、こちらへ小さくウィンクした。
 かと思いきや、当たり前のようにカーナビへ手を伸ばしたのが見えて、祐恭先生と顔を見合わせて小さく笑う。
 それにしても……後部座席に、彼とふたり。
 こういうシチュエーションはなかったから、これはこれで嬉しい気持ち。
 狭くはないけれど、つい、寄り添うように彼へ無意識のうちに近づき、肩が触れた。
「さ。絵里ちゃんスペシャルで行くわよ」
「……うわ。お前、持ってきたの?」
「ったりまえでしょ。せっかく旅行きたのに、好きな曲聞かなきゃテンション上がんないじゃない」
 ごそごそと何かを探していた絵里が、ふいにCDのディスクを取り出した。
 見覚えのあるアーティストは、今年流行りのグループ。
 テレビでもしょっちゅう取り上げられていて、どうやら今年のベストアーティストには選ばれそうだ。
「はー、テンション上がる!」
「俺にはもうついていけない」
「ちょっと。そーゆー発言やめてくれる? だだ下がり!」
「しょうがねーだろ。10代とは違うんだよ」
 アクセルを踏みながら嫌そうな顔をした田代先生を、絵里が不満げに見つめる。
 でも、一度言ったきりで、それ以上は何も言わなかった。
 大きな音量で響く、メロディーとドラム。そして、ギター。
 リズムがいいからか、ついつい口ずさんじゃうんだよね、この曲。
 そんな私を見て絵里が助手席のシート越しに笑うと、曲の声に重なってより一層響いた。
「……ったく」
 悪態をつく田代先生も、声とは裏腹に表情は楽しげで。
 ふと隣を見ると、祐恭先生もまた楽しそうに笑っていた。
「あ、そこの信号左ね」
「カーナビが喋ったろ。聞いてた」
「案内してあげてるんだから、感謝しなさいよ」
「そりゃどーもご丁寧に」
 ウィンカーを出して左に曲がると、曲がりくねった上り坂が見えた。
 傾斜は、割ときつめ。
 ギアを落としてのぼるものの、やはりパワーがない。
「……だからオートマは嫌なんだよ」
「かったるいですよね」
 眉を寄せる田代先生に、祐恭先生だけが賛同する。
 その隣の絵里は、身を乗り出してフロントガラスから前方を見つめていた。
「そこ! その旅館ね」
「あー、ここか」
 坂をのぼりきって平坦な道になってすぐ、いかにも由緒正しきといった風情のある建物が目に入った。
 ウィンカーを出して車を乗り入れ、駐車場に車を停めてからドアを開ける。
「……うわぁ、あつーい」
 途端に、クーラーの効いていた車内から一転、むしむしと暑い熱気に眉が寄った。
 湿気のせいもあったけれど、今日は日差しが強い。
「あーもー暑いじゃないのよ! ……っく、セミ! 暑い!」
「……セミに怒るヤツ、初めて見た」
「うっさい!」
 トランクから荷物を取り出し、早足で旅館の入り口に向かう。
 その道中でも、絵里は田代先生と楽しそうないつものやり取りを見せていた。
「いらっしゃいませ」
「お疲れさまでした」
「それでは、お荷物お預かりいたしましょう」
 旅館の名前が入った服を着た人たちが、あれよあれよという間に群がり、気付くと荷物がなくなっていた。
 ……すごい。
 やっぱり、プロは違う。
 なんてことを考えていたら、記帳を済ませた田代先生が受け取った鍵をふたつとも絵里に渡す。
「えーと? ん、3階ね。行くわよ」
「あ、待って!」
 ひとつを渡してくれながら、エレベーターへ。
 ――そんな姿を見ていた男性陣が、『まだまだ子供だな』なんて笑っていたことは、まったく気づいていなかった。

 エレベーターが3階に着いた途端、目の前には落ち着きのある空間が広がっていた。
 赤絨毯が敷き詰められ、ところどころに一輪挿しだったり、大き目の花器が置かれている。
 しっかりと隅々まで手の行き届いているのを見ると、さすが老舗旅館だけあるなぁ……なんて思った。
「それじゃ、少し休憩したら早速海にいきましょ」
「うん。じゃあ、あとで声かけてね」
 絵里にうなずき、それぞれわかれて部屋へ向かう。
 ……えへへ。
 鍵を開けるこの瞬間が、好き。
 部屋の中を見るまで、どきどきは消えないんだよね。
「っ……すごい……!」
 扉を開けると、畳のいい香りが鼻についた。
 でも、それだけじゃない。
 真っ先に目に入った大きな窓からは一面、きらきらと光を受けている海が広がっている。
「羽織ちゃん、海好き?」
「大好きです。冬瀬にも海はあるけど……あそこ泳げないじゃないですか。砂浜じゃないし」
「あー、なるほど」
 海の見える公園はあるし、小さいころから何度も行ったことはある。
 だけど、冬瀬市自体が埋立地なので、遊泳可能な区域はない。
 ……だから、嬉しいんだよね。
 海に遊びにいける、っていうのが。すごく。
「あ、お茶淹れますね」
「ありがとう」
 テーブルの上にまとめて置かれている急須を取り、パックになっているお茶の葉を入れてから湯飲みにお湯を注ぐ。
「……大丈夫かな」
 熱すぎず、ぬるすぎず。
 ポットに入っていたお湯は、そのまま急須に入れても渋みが出ずにおいしくお茶が出る温度だった。
 ……習ったというか、小さいころからずっとお母さんに言われてたから、覚えちゃったんだよね。
 でも、感謝。
 彼の前で恥をかかなくて、済んだから。
「え?」
 湯飲みのお湯を急須に移していたら、しげしげとその様子を彼が見ていたのに気付いた。
 手を止めると、すぐに目が合う。
「いや、ウチのお袋みたいだなと思って」
「そうですか?」
「うん。お湯の温度を確かめてから急須に入れるなんて……いまどきの女の子らしからぬ、きちんとした作法だね」
「っ……ありがとう、ございます」
 わ、褒められちゃった。
 にっこり微笑まれたことも、そんなふうに褒めてもらえたこともどっちも嬉しくて、笑みがこぼれる。
 感心したように頬杖をついて見つめられ、なんだかくすぐったくて視線が逸れた。
「せっかくだったら、おいしいお茶を飲んでもらいたいし……」
「うん。だから、感心してるんだよ。ちゃんとしてるな、って」
 気恥ずかしさと嬉しさが入り混じって、なんだか変な感じ。
 でも、嬉しいのはもちろん。
 だって、彼に褒めてもらえるなんて、すごくすごく特別だから。
「どうぞ」
「いただきます」
 茶たくごと湯呑みを彼の前へ置くと、すぐに手を伸ばしてくれた。
 そんな彼を見てから、自分も口をつける。
 広がる、緑茶の甘み。
 ……うん。
 あたたかいお茶だけど、エアコンの効いている室内だから、おいしく飲める。
「おいしい。やっぱり、羽織ちゃんが淹れてくれたからだね」
「そう言ってもらえると嬉しいです。でも、なんにも出ませんよ?」
「それは残念」
「……もぅ」
 いたずらっぽく微笑まれて、思わずこちらも笑ってしまった。
 でも、素直に嬉しい。
 彼にそう言ってもらえることが、何よりも自分自身を肯定することができる。
「……はー」
 ゆっくりと息を吐いた彼が畳に横になり、大きく伸びをした。
 目を閉じている姿は、なんだか気持ちよさそうだ。
「旅行なんて久しぶり」
「私もです。でも、まさかこの4人で……しかも、泊りがけで海に来るなんて思わなかったですよ」
 そんな言葉を聞いてか、祐恭先生がゆっくり起き上がると、苦笑を浮かべてうなずく。
「それも、教師と生徒のペアで来るとはね」
「……ですね」
 まさか、自分を彼が選んでくれるなど思ってもいなかっただけに、4人でここにいるのは不思議な感じだった。
 ふわふわしてる、っていうのかな。
 彼の家で過ごしているときもそうだけど、本当に現実なのかと思ってしまうときがいまだにあって。
 ……幸せ。
 こんなふうに一緒にいられることは、とても類稀な奇跡が重なってくれたからに違いない。
「っ……な、なんですか?」
 小さな咳払いで我に返り、彼を見る。
 すると、にやりと普段とは違う笑みを向けられ、ちょっとだけ恥ずかしくなった。
「何考えてた?」
「べ、つに何も……」
「ふぅん?」
「う、本当ですよ?」
 考えていたことを見抜かれているような気がして、少し意地悪そうな笑みを向けた彼から視線を外してお茶を飲み干す。
 ――と、同時にチャイムが響いた。
「あ、絵里かな?」
 恐らく、間違いないと思う。
 ぱたぱた駆けてからドアを開くと、案の定そこには小さめのバッグを持った絵里が立っていた。
「準備できた?」
「あ」
 言われて気付く。
 自分が今まで、何もしていなかったことに。
「何してたの、アンタ」
「ご、ごめんっ! ちょっと、お茶飲んで……ちょっと待って!」
「……ったく。ふたりきりになった途端、らぶらぶしてて忘れたんでしょ」
「違うってば!」
 にやにやしながら部屋に入って来た絵里へ首を振り、慌てて水着と着替えを取り出す。
 ……あぁ、タオルも持っていかなきゃ。
 っ、あと日焼け止めも!
「まったく」
「まぁ、ちょっと待って」
「おもしろいからいーけど」
「……うぅ……」
 慌てて準備をしている私とは違い、彼はなんだかすごく身軽な格好で立ち上がった。
 小さめのバッグこそ持っているものの、私とは荷物の量が違う。
 しかも、絵里と楽しそうに話してるし。
「……はぁ」
 まじまじ見てしまうほど、ふたりの横顔はとてもよく似ていて。
 だからこそ、ふたりの共通点が幾つも浮かび上がるのは、仕方ないんだと思った。


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