「わぁ、すごい人」
「ホントね。穴場だと思ってたんだけどなー」
少し残念そうに呟く絵里の肩をぽんぽんと叩いてから、4人で近場の海の家を目指す。
どこも混んでいて、人で溢れていた。
けれど、これでもまだきっと少ないほうなんだろうな。
電車から見えた途中の海岸沿いは、レジャーシートを敷けるようなスペースのないほど、人であふれている砂浜ばかりだったし。
「それじゃ、またあとでね」
「ああ」
ひらひらと田代先生に絵里が手を振り、男女わかれて更衣室に入る。
躊躇なくTシャツを脱いだ絵里に、慌てて続く。
「いいなぁ、絵里は。スタイルよくて」
「何言ってんのよ。羽織だって十分あるでしょ」
「わぁっ!?」
自分の胸元をまじまじと見ながら呟いた途端、むに、と背後から胸を揉まれた。
慌ててその手を払うものの、わきわきといまだその手を崩していない。
「もぅ! 急に何するの?」
「いーじゃない、減るモンでもなし。ほら、早く着替えないとふたりとも待ってるわよ」
「うー……」
ふふん、となぜか得意げな顔をして話をすり替えた絵里に唇を尖らせるものの、肩をすくめてみせるだけ。
……うぅ、絵里ってばまさかTシャツの下に水着を着ていただなんて。
相変わらず、用意がいい。
「っと……」
バッグから取り出すのは、この間絵里と一緒に買いに行った水着。
色と柄がかわいくて選んだんだけれど、やっぱり、ちょっと……む、胸がないのにビキニタイプは、やめたほうがよかったかな。
絵里とは違い、なだらかなラインしか浮かばなかった自分の胸元を見て、小さく後悔が生まれる。
「どう? 変……かな」
「おっ。いーじゃーん。やっぱ、それで正解だったね」
ちょっぴり恥ずかしいけれど、満面の笑みでうなずいてもらえてほっとする。
青の布地に、白い花がプリントされているパレオ付きのビキニ。
絵里は赤の布地に、白のラインが細かく入っている物。
……やっぱり、大人っぽいなぁ。
どうしても目の前の彼女の胸元へ目が行き、思わず両手で自分の胸を押さえてしまう。
「あーらぁ?」
「え?」
そんなことをしていたら、ふいに絵里がいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「羽織ちゃん。ここ、どうしたのかなー?」
「……ここ?」
ちょうど、鎖骨の下あたり。
首を曲げてようやく見えるその場所を、絵里がニヤニヤしながら指でなぞった。
少し赤くなっているのはわかる。
だけど、特にかゆみなどはなく。
「なんだろ……虫刺され、かな?」
「ほぉう? どっかの彼に食われた、の間違いじゃないの?」
「なっ……!?」
さらりと悪戯っぽい顔で言われ、慌ててそこを隠す。
まさか、そんなはずがない。
だって、自分はまだ――。
「……ぁ」
ぐるぐると考えを巡らせていたら、ふと思い浮かんだことがあった。
ちょっと待って。
そういえば、この間……この、目の前の彼女から何度も着信があったあの夜、そんなことがちょっぴりあったような……。
……。
え。じゃあ、じゃあ……もしかして?
「んんー? やっぱり、心当たりあるのかしらん?」
「なっ……なんでも、ないったら!」
手で隠したまま首を振るものの、私より先にばっちり見られた以上何も言い訳はできない。
絵里に意味ありげな視線を向けられ、一層頬が赤くなるのがわかった。
「あとで、しーっかり聞いてあげるから、覚悟しておきなさいね」
「なんでもないってばぁ」
恥ずかしくて、思わず必死に首を振る自分の手を取りながら、絵里は相変わらず楽しそうに笑った。
……うぅ。
だって、気付かなかったんだもん。
というか、わからなかったというか……。
まさか、自分の身体にこんなものがあるだなんて。
わ、どきどきする。
わずかに頬へ触れると、やっぱり顔は熱いままだった。
「……あ」
更衣室をあとにすると、すでにパラソルを持って何やら話しているふたりが見えた。
ふたりとも長めのサーフショーツで、いつも学校で目にする白衣姿からは想像がつかない感じ。
それなりに焼けていて――なんとなく、なんとなくだよ?
ちょっぴり、遊んでる人のような雰囲気を漂わせている。
……なんて思ったことを知られたら、絶対に怒られちゃうだろうけれど。
「いかにも、ナンパ目的で海へ来ました、って二人組に見えない?」
「もぅ。絵里ったら、言いすぎだよ」
耳元で囁かれ、首を横に振る。
とはいえ、つい今しがた自分も同じことを考えていたので、苦笑が浮かんだ。
「何してんだ。早くこい」
「あー、ごめんごめん」
絵里が、ひらひらと手を振り、私たちへ気付いたふたりへ歩み寄る。
いつもと、まったく違う雰囲気。
自分も同じような格好だけど、やっぱり上半身裸というのは目のやり場に困ってしまう。
うぅ……どきどきする。
そのせいか、ようやく彼の顔を見れたのは、一緒に歩き出して暫くしてからだった。
「眼鏡、しなくて平気なんですか?」
「うん。まったく見えないってワケじゃないし、何より、海で眼鏡は変でしょ」
苦笑を浮かべて笑う彼の雰囲気がいつもと違ったのは、そのせいもあったんだ。
「…………」
眼鏡がない彼を見るのは、その……夜、だけで。
そのせいかな。
つい、どきどきしてしまうのは。
思い浮かんじゃうんだよね。
さっきの絵里のこともあってか。
「似合ってるね」
「え?」
「水着。……色っぽい」
「っ……」
彼を見上げると自然に目が合い、頬が染まるのがわかった。
いつもの優しい瞳なんだけれど、眼鏡がないぶんダイレクトに感情が伝わってくるように思う。
「先生も、いつもと違って……なんだか、どきどきしちゃいます」
「かわいいこと言ってくれるね」
「っ……そんなんじゃ……」
熱い頬のまま首を振り、彼を見上げる。
すると、いたずらっぽい顔をした彼が、不意に耳元へ囁いた。
「なっ!?」
「ちょっとーふたりとも、手伝ってよー」
「ごめん、今行く」
ボートを借り終えた絵里が大きな声で私たちを呼んだ。
途端、真っ赤になった私を置いて、祐恭先生が彼女の元まで小走りで向かってから、ボートを手にする。
「もー。羽織、早くしなさいよ」
「ご、ごめん……」
慌てて追いついたものの、すぐ隣でボートを持つ彼と目が合い、たまらず視線を逸らす。
『そろそろ理性の限界』
わざと息がかかるように呟かれ、何も言えなかった。
……限界、って。
その……えっと……。
「……うぅ」
いたって普通の顔で田代先生と話している彼を見るものの、やっぱりどうしてもさっきの彼の声が耳元に残っていて、何度か深呼吸をしてみても、鼓動は一向に収まる気配がなかった。
「このへんで、いいよな?」
「うん。うー、あっつ! 早く!」
「……なんだ。お前、サンダル履いてこなかったのか?」
「るさいわね! 一緒に持ってきてくれればいいじゃない!」
「馬鹿だなー」
「あーもー! 早くシート敷いてよ!」
じりじりと焼けた砂の上をぴょんぴょんする絵里を、田代先生がとても楽しそうに笑った。
絶対焦らしてる。
……でも、気持ちはちょっとだけわかるんだよね。
普段、それこそ完璧な姿を見せている絵里だからこそ、こういう慌てたところってなんだかとってもかわいく見えるんだもん。
「あー、熱かった。……ったく。とっとと敷きなさいよね」
「カエルみたいだったな」
「うっさい!」
「あて」
ようやく広げてもらったシートの上に絵里とふたりで座ると、途端に、立ったままだった田代先生の膝を彼女が叩いた。
いい音がしたことで満足したのか、なぜか得意げな顔を見せる。
相変わらず、場所を問わず繰り広げられるふたりのやり取りは、見ていてとても楽しい。
海の家の前あたりは、どうしても人が集中していてシートを広げられるような場所がなかったので、ここは割と端のほう。
でも、人が少ない分いい場所だと思う。
「ね、何か飲み物買ってくる?」
「そうだね。えっと、何がいいですか?」
「え? あぁ、俺が行ってくるよ」
パラソルを立ててくれた祐恭先生を見上げると、首を振ってから微笑まれた。
そんな彼に眉を寄せるも、頭を軽く撫でられ、立ち上がりかけたものの座ってしまう。
「ほら、俺はサンダル履いてるし。ふたりとも何がいい?」
「私、炭酸がいいー。甘めので」
「私は――」
「レモンティーでしょ?」
「……です」
絵里に続いてお願いしようとしたものの、先に言われて少し驚いた。
だけど、やっぱり嬉しい。
自分が何を飲むかすぐに答えてくれるのは、きっと彼だけだと思う。
「あ。俺も行くよ」
「いいですよ、別に」
「いや、俺は何売ってるか見てから買いたい」
「それじゃ」
田代先生も名乗りを上げ、結局ふたり揃ってこの場を離れた。
そのうしろ姿は、やっぱりどこかナンパしそうなおにーさん的感じで。
……うーん。
先生っぽくないなぁ。本当に。
なんてまた頭に浮かんで、苦笑が漏れた。
「……ったく。ビーチに女ふたり残して行くな、っつーの」
「そだね。でも、すぐに戻って来るだろうし。あ、先に海行ってる?」
「そーね。よし、勝負!」
「わぁい」
大き目のビーチボールを手にした絵里がニヤっと笑い、それにつられた私も大きくうなずく。
日陰になったパラソルの下とは違い、やはり熱い太陽の下の砂。
結局、ふたり揃ってまたきゃーきゃー言いながら波打ち際まで走ると、当然のように顔には笑みが浮かんでいた。
「正直に、言ってあげたらイイじゃないですか」
「……そうは言ってもなー。アイツのことだから、変に褒めても文句言われそうだし」
店員からペットボトルを受け取りながら、祐恭は純也に苦笑した。
彼の意図を十分理解しているせいか、肩をすくめた純也は頭をかく。
「かわいいって言ってあげたら、絵里ちゃんだって嫌がらないですよ」
「……そうだといいんだけどね。で? そういう祐恭君は、ちゃんと羽織ちゃんのこと褒めたの?」
「あー……。褒めたような褒めてないような。……なんか照れくさくて」
「だろ!? 俺もそうなんだよ。いざ目にすると、何も言えなくなるんだよな」
そう言いながらも、ふたりの顔は嬉しそうだった。
お互い、彼女に対して抱く思いというのは、同じようである。
「……おーおー、はしゃいじゃって」
海の家を出て彼女らのほうへ目を向けると、少し離れた波打ち際で早速遊んでいる姿が目に入った。
ここまで高い声が聞こえてくるせいか、純也がわずかに苦笑を浮かべる。
「……っと」
丁度入れ違いで、ふたりの女性が駆けこんできた。
息を切らせ、かなり慌てている。
海にそぐわない様相だったせいか、祐恭と純也は、互いに顔を見合わせてからそちらへ意識を向けた。
「あのっ、バッテリーを繋ぐ工具みたいなのってありますか?」
「え? あー、ごめんなさいね。ここにはないのよ。でも、確か近くにスタンドがあったと思うんだけれど……」
「……そうですか……」
「バッテリー、上がっちゃったの?」
「……そうみたいなんです。エンジンが、かからなくて」
しゅんと視線を落としてから海の家を出て行く彼女らに、祐恭と純也は顔を合わせてから――……どちらともなくうなずいた。
お互い、車のことと聞いては黙っていられない性分なのかもしれない。
「車、見ましょうか?」
「えっ?」
困りきっている背中に声をかけると、驚いたように彼女らが振り返った。
「俺たち、レンタカーだから。多分そういう工具も、積んであると思うんだけど」
「ほ、本当ですか?」
「ユリー、よかったねー!」
「うんっ!」
見た感じ詳しくもなさそうだし、このまま放っておいても可哀想だろう。
そんな判断から声をかけたのだが、途端に彼女らは嬉しそうな顔で手を取った。
それを見て、祐恭と純也も顔を合わせて笑みを浮かべる。
頭を下げてから駐車場へと案内を始めた彼女らのあとについていくと、駐車場特有の熱気が広がっていた。
少し歩いたところに停められていた、彼女らの車。
キーを受け取って純也が回してみるものの、やはりエンジンはかからない。
「どうしたらいいか、わからなくって……」
「まぁ、この程度ならある程度充電すれば走れると思うから」
「ホントですか!?」
「うん。だから、かかったらすぐスタンド行ってね。途中でエンジン切ったりしないで」
「はいっ」
髪の長い女性が嬉しそうに笑顔を浮かべると、ほっとしたように一緒だった子と『良かったね』と口にした。
――と、そこへ彼らが借りたヴィッツが着く。
「やっぱり、入ってましたよ」
「さすが」
彼女らの車のそばに停め、ボンネットを開けてから順を守ってブースターをバッテリーに繋げる。
これだけ済ませれば、あとは何もすることはない。
4,5分置いて、充電させてみるだけ。
「じゃ、よろしく」
「はい」
祐恭が運転席でアクセルを踏み込み、エンジンの回転数を上げていく。
マニュアル車ならば数人で押していくこともできるのだが、さすがにそんな荒業はふたりとも願い下げだった。
今は夏。
じりじりとした太陽が照りつける中、いくら近いとはいえこの坂を上るのは御免こうむる。
「……っし。そろそろいいか」
暫く充電を続けていたら、純也が彼女らの車へ再度近づいた。
ゆっくりとセルを回し、エンジンを――かける。
「あっ、かかったぁ!」
「わー、すごーい!」
さすがにかかりは悪かったものの、なんとか無事にエンジンが動いた。
それを見て、彼女らの車から降りてきた純也が、祐恭と顔を合わせて笑う。
「それじゃ、このままスタンドで見てもらって」
「本当にありがとうございました!」
「いいえ。気をつけてね」
ブースターを外し、工具をトランクにしまいこんでから、空いていた場所へ車を停める。
そのとき、助手席に放りっぱなしだったペットボトルが目に入って、祐恭は『あ』と口が開いた。
「あ」
それを手にして純也の元へ戻ると、彼もまた同じ反応を見せた。
浮かぶのは――……絵里の、恐い顔。
今ごろ、もしかしたらあの場所にでかでかと『馬鹿たれ』などという文字が刻まれているかもしれない。
「やっべ!」
「絶対怒ってますよね」
「だろうな」
慌てて浜辺への階段を下り、シートへと駆ける。
そのとき、背中に彼女らから感謝の声が届いたが、顔だけで振り返りながら手を振るだけに留めた。
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