夕食を済ませたあとの、部屋で過ごす時間はなんだかゆったりしてるように思う。
 ……えへへ。お布団の上に座ってるのは、一緒。
 でも、横になっている祐恭先生が私のすぐそばにいて、ほんの少しだけ身体が触れている状況が、たまらなく嬉しかった。
「ん?」
「え? なんでもないですよ?」
「そう? 今、笑わなかった?」
「してませんってばー」
 まるで、私の考えを読んだかのように、彼が振り返った。
 にまにましてたの、バレちゃうかな。
 でも……いいよね。だって、ほんとに嬉しいんだもん。
 格安のお値段で泊まっているにもかかわらず、出てきたのはしっかりした食事で。
 田代先生の言う通り、今日は生ビール半額デーらしく、泊まりとあってかふたりはかなり飲んでいて、絵里と一緒にちょっとだけ驚いた。
 田代先生も、普段はお家でそんなに飲まないんだって。
 ひょっとしなくても、お酒って一緒に飲んでくれる人がいると、どんどん飲めちゃうものなのかもしれない。
「お風呂どうします?」
「あー、そろそろ行こうかな。そんなに酒も飲んでないし」
「え。結構飲んでませんでした?」
「いや? 酔ってないでしょ?」
「それは、そうかもしれないですけど……」
「電車だといいね、明日を気にせず飲める」
「先生、お酒そんなに好きでした?」
「たまにはね」
 21時少し前。
 壁にかかっていた時計を見てから彼の顔をのぞくと、伸びをひとつ。
 もしかしたら、アルコールのせいかな。
 少しだけ、いつもは見ないような表情に、ちょっとだけどきりとする。
「……あ」
 響いたチャイムで立ち上がり、ドアに向かう。
 開けてみると、そこにはバスタオルを抱えた絵里が立っていた。
「ね、いいお風呂があるらしいのよ。行かない?」
「うんっ、行くー」
 ナイスタイミングとは、まさにこのこと。
 着替えを詰めた小さなバッグを抱くようにしてうなずくと、うしろに祐恭先生も続いた。
 だが、そのとき。
 なぜか、不意に絵里の表情がニヤリと変わる。
「先生、喜んだほうがいいかもね」
「どうして?」
「ふっふっふ。だって、混浴だもん」
「え!?」
「……へぇ。そうなんだ」
「うん。あ、なんなら羽織とふたりきりにしてあげましょーか?」
 絵里が笑いながら彼を見たとき、当然のように視線はそちらへ。
 瞬間、まんざらでもない表情を浮かべているように見え、びっくりとドキドキでなぜか慌てた。
「も、もぅ! 先生のえっち!」
 眉を寄せて彼を見るものの、間違いなく頬は赤くなっているはず。
 ふたりそろって同じように笑われ、思わず唇を噛んだ。

「俺が先に上がったら待ってるけど、もし羽織ちゃんが先だったら部屋に戻ってていいから」
「えっ、待ってますよ?」
「部屋で待っててくれるほうが安心だから、そうしてほしいんだけど。だめ?」
「っ……部屋にいます」
「ん。よろしく」
 露天風呂の前の、分かれ道。
 そこで祐恭先生から部屋の鍵を渡され、いつもと違う言い回しに、どきりとした。
 ……ダメじゃないです、全然大丈夫です。
 顔が赤くなった気がして、まっすぐ彼を見れなかったものの、絵里がにやにやしてるのはわかって、なんとも言えない気持ちだった。
「それじゃ、あとでね」
「はい」
「広いからって、泳ぐなよ」
「それはこっちのセリフ」
 絵里がにんまり笑いながら教えてくれたのは、屋上にある大きな露天風呂だった。
 脱衣所に入ってみてわかったけど、予想よりもずっと少ない人数しか入っていないみたい。
 タオルの持込が可になっているので、ある種の一線は守られるといえば守られるけど、やっぱり気になる人にとって“混浴”の2文字は大きいよね。
 事実、私だって絵里や彼がいなかったら、まず選ばない選択肢だもん。
 ちなみに、洗い場や内風呂は建物内に設置されていて、広い露天風呂だけが混浴になっているらしい。
「わぁ! 広いねー!」
「なんでも、近隣の県内一の広さなんですって」
 ざっと身体を流してからタオルをまとって外へ出てみると、湯気のせいもあるだろうけど、端のほうは霞むほどの規模だった。
「はぁー……気持ちいい」
「もー。あんたね、温泉のよさを実感するにはまだ早いわよ」
「そうかな? でも、気持ちいいでしょ?」
「まぁね」
 温泉につかると、熱くなく心地よい温度と包み込むような心地よさの泉質とで、ふにゃんと眉が下がる。
 混浴だけど人も少ないし、何よりこの規模なら人の目をそこまで感じずに過ごせそうで、正直ほっとした。
「……なんか、こんな広い空は久しぶりに見た感じね」
「そうだねー。……気持ちいい」
 絵里が、露天風呂の中央付近にある大きな岩へもたれるようにして、空を見上げた。
 天気がよかったこともあって、たくさんの星がキレイに見えている。
 まっすぐ、広い空を見上げている絵里。
 その横顔を見ながら、思わず笑みが浮かぶ。
「絵里、田代先生のこと本当に好きなんだね」
「な……によ、急に」
「だって、あのときの絵里ってば、すごく女の子らしかったんだもん」
 浮かぶのは、ついさっきのこと。
 思い出したように笑ったのを見てか、絵里が困ったように……というよりは訝しげに眉を寄せる。
 かと思いきや、「あ」と小さく口にして、にやりと笑った。
「そういう羽織だって、先生によしよしされてるとき、随分とかわいい顔してたじゃない」
「そ、れは絵里も一緒でしょ?」
「違うわよ。あ。それにほら、ここだって……きゃー、やらしぃ」
「ここ?」
「あーらら、気づいてないの? キスマークばっちり付けちゃって。ちょっと前の羽織からは考えられないモノよ?」
「わあ!? う、だ、だって! これは、知らない間につけられて……っもぅ! そういうのは先生に言って!」
「あら、いいの? 言うわよ?」
「うっ……ごめんなさい」
 キスマークを指差され、慌ててそこを覆うものの、絵里の前ではなんの効果も示さなかった。
 それはそれは楽しそうに笑われ、顔だけでなく、身体までかぁっと赤くなった気がした。
「……でもま、幸せそうでよかったわ。安心した」
「えへへ。それは、絵里も一緒だよ。田代先生といるときの絵里って、すごく嬉しそうな顔してるんだなーってわかって、嬉しかった」
「そお? あんま自覚ないけど」
「そうだよー。さっきだって、すごくかわいかったんだから」
「またそれ? ったく。まぁ……その、しょうがない、わよね。やっぱ悔しかったし」
「……うん。今日みたいにキレイなお姉さんを見ると、すごく思うなぁ。……ちょっぴり自信なくなっちゃう」
 彼と比べたら、明らかに年下でまだまだ子どもっぽくて。
 彼らの横に立った彼女たちは、いかにも大人の女性だった。
 けど――。
「自信は持っていいのよ。なんたって、アンタは祐恭先生に選ばれたんだから」
 よしよし、と頭を撫でられて見ると、絵里がすごく優しく笑っていた。
 彼女。
 たったひとことだけど、特別な言葉。
 ……そうだよね。
 私、彼女だもん。
「っ……」
 うなずくと同時に、あのときのキスの感触が蘇った気がして、どきりと胸が鳴る。
 う、なんか……なんだろ。どきどきすると、体が変な感じ。
 鳥肌とは違う感じに思わず気恥ずかしくて、口元までお湯で隠していた。

「…………」
「…………」
「アイツら、絶対俺たちのこと忘れてるよな」
「でしょうね」
「出てく?」
「どうぞどうぞ」
「待った。祐恭君が先だろ? ほら、こういうのは若者が先」
「2歳しか違わないじゃないですか」
「何言ってんだよ。もうじき30間近の俺にそれ言うか? 差はデカいよ?」
 ちょうど、ふたりがもたれている岩の真後ろには、脅かしてやろうと潜んだことが仇となった、祐恭と純也がいた。
 ぼそぼそとやりとりするも、内容が内容だけに出るに出られず今に至る。
 ――……が。
「っきゃぁ!?」
「あーらー? 羽織ってば、春休みのときより胸育ったんじゃない?」
「や……ち、ちょっと……やだ、やめてよ、絵里ぃ」
「何よ、いいじゃない。減るもんじゃな――きゃあ!?」
「胸はコンプレックスなの! もぅ、絵里のほうこそ前より大きくなったでしょ!」
「あはははは! ちょ! 羽織、くすぐったいってば!」
「えい!」
「あはは! ごめん、ごめんってば! 許して!!」
 ザプン、と大きな波がこちらまで来たことと、彼女らのセリフとで、今この真後ろの光景がうっすらと頭に浮かぶ。
 女同士は、そんなこともするのか。
 目を合わせた男たちは、思わずごくりと喉を鳴らす。
「……参ったな」
「予想外のことしますね」
「だね」
 ため息混じりにうなずく、男同士。
 だが、その顔にもまた、笑みがあった。
「はぁ、そろそろ出ようか。のぼせそう」
「……だね。暑くなっちゃった」
 ざば、と彼らの元にも波が集まり、彼女らが立ち上がってその場を離れていくのがわかった。
 だがしかし、すぐに上がれないのは男女の違いか。
 顔を見合わせるも、どちらともなく湯へ肩までつかる。
「……はー」
「参った……」
 小さく呟いたふたりは、結局彼女らが服を着始めるころまで、血の上った頭を冷ますように夜空を見上げていた。

「はぁ……いいお湯だった」
 絵里と一緒にエアコンの効いている館内のおかげで、少しだけ体が冷えていたせいか、温泉が心地よかった。
 部屋の温度、ちょっと下げすぎちゃったかな。
 彼に言われた通り先に戻ってきたものの、気持ちいいよりはちょっと冷たい気もして、リモコンの前へ。
 でも、お風呂上がりだし、祐恭先生は暑く感じるかな?
 結局温度は弄らず、ペットボトルのレモンティーを取ってから窓辺の椅子へ。
 向きが違うのか、ここはちょっとだけ冷気が弱かった。
「…………」
 祐恭先生は、まだ戻ってこない。
 テレビでも付けていようかなとは思ったけど、ぴったりと並んで敷かれているお布団を見たら、どきどきしてそれどころじゃなくなった。
 じぃーっと見ること、数秒。
 思わず頬が赤くなるのを感じて、お布団自体を少し離そうかとも考えたけれど……やっぱりそれも寂しい気がして、結局することはなかった。
 だって、せっかくの旅行だもんね。
「……あ」
 ペットボトルを冷蔵庫へ戻したところで、タイミングよくチャイムが鳴った。
 恐らく、彼が戻ってきたのだろう。
「はーい」
 声をかけてから薄くドアを開くと、笑みを浮かべている祐恭先生がいて、顔を見てすぐ嬉しくなった。
「ゆっくりでしたね」
「……うん。ちょっと、ね」
「そんなに、田代先生と話すことがあったんです――っ……!」
 くすっと笑って背を向けた途端、いきなり抱きすくめられた。
 途端、バサリと音を立ててタオルが床に広がる。
「はー……困ったな」
「え……?」

「いけない子」

「っ……!」
 耳元で囁かれて、背中が粟立つ。
 足に力が入らない。
 彼に身体を預けるようにして前を向いていると、抱きしめられた腕に力がこもる。
「いつだって、羽織ちゃんが欲しいと思ってたけど……あんまりかわいいこと、言わないで」
「祐恭、せんせ……」
「そんなに揺さぶられたら、我慢できない」
「んっ……」
「ほら。そういうところだよ? そんな声出されたら、歯止めきかなくなる」
 唇を耳元に寄せてわざと息をかけられ、身体から力が抜ける。
 後ろから抱きしめてくれる腕に触れると、自分の手のひらが冷えていたのか、普段より熱く感じた。
「せ、んせっ……」
「そろそろ、限界」
「ぁ……」
 ちゅ、と首筋に唇を当てられ、たまらず身体が折れた。
 大きな手のひらを浴衣越しに感じるたび、鼓動が早くなる。
 ……今日こそは……もしかして、もしかしちゃう……のかな。
 でも、泊りがけということもあって、最初からわかってもいたし、期待だってしていた。
 嘘はつけない。
 自分だって、彼とそうなったらいいなって……期待してたんだもん。


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