彼女の両親に許してもらってから、早速買い物に出た先は、近所にあるショッピングモール。
規模は県内でも割と広いほうで、オープンしてから数年経つにもかかわらず、遠くからの客もいまだに多かった。
近所ということはもちろん冬瀬市内のため、ひょっとしたら教え子やら同僚やらに見咎められる確率は高いわけだが、それはそれ。
『大事な知り合いのお嬢さん』であることに変わりはないわけで、そうなったら理由はいくらでも作れるといういみでは、恵まれた関係なのかもしれない。
お手数をかけることになるだろうが、いざとなったら瀬那先生へ連絡を取って彼女を迎えに来てもらうこともできるだろうし、孝之ならフットワーク軽いから……ああそうか、あっちを使うほうが楽でいいな。
人一倍察する力が強いアイツのこと、うまーくなんとかしてくれるだろうし。
あとはまあ……優人呼んでもいいけどな。
うん。まあ、なんとかなるだろう。
「じゃあ、食料品見ようか」
「そうですね」
エスカレーターで降りた先は、雑貨専門店などが入っているフロア。
途端に、彼女が何かを見つけたらしく声をあげる。
「わぁ、かわいー」
どれもこれも彼女が好きであろう、かわいらしい物ばかり。
小さい子のようにきらきらと瞳を輝かせてそれらを物色する姿に、思わず目が細まる。
――……と。
羽織ちゃんのすぐ隣の棚に並べられている、あるものが目に入った。
「……へぇ」
ガラじゃないのは確か。
だが、今はこれが似合うだろう子を連れていて、だからこそ手が伸びる。
ピンク地にあしらわれているのは、小さな雪うさぎの柄。
「…………」
いまだ、マグカップやら何やらの雑貨でこちらに気づいてはいない彼女で、ふと想像。
やらしい意味じゃない。もちろん。
ただ、ある意味これは自然の摂理とも言えるんじゃないか。
このパジャマを着て、上目遣いに見上げられたら……うん、なかなか悪くない。
いやしかし、かえってこの純真さが……。
「先生? どうし……わぁ、かわいい……!」
「うわ!」
「え?」
心臓が飛び出るかと思った。
よからぬことを考えていたなど微塵も想像もしていない彼女に見上げられ、脈が早まる。
「……なんでもないよ?」
「んー? どうしたんですか?」
「別に」
視線を逸らしてなんとか乗り切ったものの、彼女はそのパジャマを手にして何やら悩んでいるようだった。
「買ってあげようか?」
「え!? だ、駄目ですよ! そんなっ。でも、かわいいなぁ……あっ! ほら、見てくださいっ」
「え?」
何かを見つけたらしく、あった場所へ嬉しそうにパジャマを戻す、彼女。
……が、そのうしろから色違いの物を取り出した。
「ほらっ! これ、お揃いになるみたいですよー」
彼女が手にしたのは、同じ柄で紺色のパジャマ。
サイズも大き目で、いかにも男物だった。
「……いや、これは……」
さすがに、かわいすぎるだろ。
自分がこれを着て寝ている姿を想像すると、非常に痛々しい。
……冗談だよな。
苦笑を浮かべて彼女を見――……。
「かわいいなぁ……。着てほしいなぁ……」
最初にこのパジャマを見つけたことを、ものすごく後悔した。
潤んだ瞳で懇願されるように見つめられ、何も言えなくなってしまう。
「いや……でもさ、これを俺が着るのは――」
「かわいいですよ? 見たいなぁ。……ダメですか?」
きゅっとパジャマを両手で抱くようにした姿を見て、思わずため息が漏れた。
まさか、こんな展開になるとは思っていなかっただけに、どうしたらいいのか頭が損得勘定を始める。
……悩む。
これだぞ?
お揃いはいいとして、こんなかわいい柄で。
新聞を取りに行くとき、ほかの住人に見られたりしたら――……。
「…………う」
彼女をちらりと見ると、きらきらした眼差しで今も訴えていた。
『着てほしい』
『一生のお願いだから』
そんな、目に見えない光線が、ひしひしと伝わってくるワケで。
はー……。
「……わかった。羽織ちゃんが着てくれるなら、着る」
「ホントですか!? わぁい」
やはり、敵わなかった。
……彼女は、ある意味ものすごくズルいと思う。
あんなかわいい顔で“お願い”されたら、自分が何も言えなくなるのを知っているんじゃなかろうか。
……まぁ、彼女の場合は無意識にしてるんだと思うが。
なんてことを考えながら彼女を眺めていたら、ハンガーの下にあるバスケットから包装されているピンクと紺色のパジャマを取り出して、そのままレジに向かおうとした。
「あ、いいよ。これで――」
「だめですよっ! これは、私が買います」
財布からカードを抜こうとしたとき。
そこに彼女が手を添えて、首を横に振った。
「でも――」
「だって、水族館も旅行も……全部出してもらっちゃったんですもん。ひとくらい、私にもさせてください」
眉を寄せて、こちらを見上げる彼女は、どこか断れない雰囲気を漂わせていた。
……そっか。
確かに、彼女にしてみれば『どうして』と納得いかない部分もあったかもしれない。
自分は社会人で、彼女は学生で。
そんな線引きをされてばかりいて、喜ぶはずないよな。
……彼女だからこそ。
「わかった」
笑みを浮かべて財布をしまってから、その頭に手を置く。
「それじゃ、よろしく。……でも、食料品はダメだよ?」
「はいっ!」
嬉しそうに笑ってレジへと向かった彼女が、店員と何やらしばらく話しながら精算をしていた。
……うーん。
彼女も、やはり初対面の人間と仲良くなる不思議な才能があるようだ。
“も”というのはもちろん、ほかにもそういう人間がいることを知っているから。
その人物は、ほかでもなく彼女の兄である孝之。
アイツは、初対面だろうとなんだろうと、うまく馴染んで溶け込む人間だ。
それこそ、敵対している人間であっても、彼ならばすんなり味方につけられるんじゃないだろうか。
――……などと、彼女が戻ってくる姿を見ながら苦笑が漏れた。
「夕飯、何がいいですか?」
食料品売り場にきて、カートを押す。
こんなことをするのは、いつぶりだろう。
多分、最後にこういうスーパーへ買物に来たのは、はや数年前のこと。
友人らとバーベキューしたとき以来じゃないだろうか。
「うーん……そうだな……」
『なんでも』
と言ったら彼女が困るのはわかっているので、とりあえず何か考えるのだが……いまいちぱっと出てこない。
「……ハヤシライス」
「ハヤシライス、ですか?」
「うん。ダメ?」
「まさか! ダメなんかじゃないですよー。でも、ハヤシライスって、トマト入ってますよね?」
「みたいだね。でも、好きだよ」
「……じゃあ、普通のトマトも食べればいいじゃないですかー」
「それは別。羽織ちゃんだって、料理に入ってるニンジンは食べれるんでしょ? カレーとか」
「……うん……」
「それと一緒。ほらほら、買い物買い物」
とん、と肩を叩いてやると、苦笑を浮かべてから『はぁい』と応えた。
好き嫌いというのは、そんなもの。
妙なルールが各自にあるのだ。
「じゃあ、ハヤシライスにしましょうか」
「よろしく」
そう言って、てきぱきと物をカゴへ入れる彼女に、ついつい見入ってしまう。
……なんか、新婚夫婦みたいだな。
一生懸命に夕食を考えながらあれこれと動いている彼女を見ていると、思わずそんなことが頭に浮かんだ。
高校生とは思えない、生活観念のしっかりした彼女。
嫁にするならこういう子がいい。
……って、何を考えてるんだ俺は。
あまりにも飛躍しすぎるたくましい想像力に苦笑を浮かべてから首を振ると、彼女がルーを手にして戻ってきた。
「カレーのルーも一緒に買っておこうかなって思うんですけど……どれがいいですか?」
「……カレー?」
「…………嫌みたいですね」
思わず眉が寄る。
すると、苦笑を浮かべてハヤシライスのルーだけをカゴへ入れた。
「嫌いなワケじゃないんだよ。ただ、さ……俺、辛いの食えないんだよな」
「え、そうなんですか?」
「うん。昔から食えなくて。だから、カレーは甘いやつじゃないとダメ」
「あはは。先生、かわいいー」
「っ……言われると思った……」
はぁ、とため息をついてきびすを返そうとすると、慌てて彼女が腕に手を添えた。
瞳を細めてそちらを見るも、やっぱりまだおかしそうな顔をしているワケで。
「別に、子ども扱いしたわけじゃないんですよ?」
「いいよ、別に。どうせお子様だからな」
ぷいっと顔をそむけると、苦笑を浮かべて近場にあったカレールーを手にした。
「じゃあ、これにしましょっ。これなら、辛くないし。ね? 辛くないカレー、作りますから」
「……辛かったら、おしおきね」
「お……おしおき!?」
「うん。化学の問題集やらせるから」
「……う……。か、辛くないの作るもん」
にっこり笑って言ってやると、眉を寄せてそれをカゴに入れた。
その後も、しょうゆ、味噌、砂糖、塩、油……などなど、基本的な調味料と米とが、カートに入れられていく。
「えーと……あとはなんだろ……。とりあえず今日の夕食分くらいは平気かなぁ」
顎に手を当てて考える彼女を見ていたら、ようやくカゴの中がいっぱいになっていたのに気付いた。
……そうか。
本来は、生活するためにはこれだけの物が必要なんだな。
……なんて、ひとり暮らし6年目で気付いた俺は、やっぱりダメなのかもしれない。
基本、メシはできあいの弁当派だった自分。
可燃ゴミは出ども、生ゴミが出たことはない。
今日からは、人並みの生活を送れるのか。
なんて思うと、少し笑えた。
「あ、卵」
思い出したように卵のパックを取りに行った彼女。
戻ってくると、そーっと……いろいろ入っているカゴの1番上にのせた。
……なかなかチャレンジャーなことをしてくれる。
落ちたら、卵、どうするんだろ。
……まぁ、彼女の場合は何かの料理へと化かすことができるだろうが、落ちないように睨めっこしながらカートをゆっくり押して行く姿を見て、つい笑いが漏れた。
|