浴槽から上がって、そのまま彼女の後ろに回る。
――……その途端、驚いた彼女が振り返った。
「っ……なんですか? ゆっくり浸かって――」
「いや、せっかくだから背中でも流そうかなと思って」
「え!? そ、そんな……っ、いいですっ」
「気にしないで。ほら、前を向く」
「でもっ……!」
まだ渋る彼女を無理やり前を向かせ、ボディソープを手に取って軽く泡立てる。
少し泡が立ったところで背中に手を滑らせると、小さく反応を見せた。
「っ……くすぐったい……」
「そんなつもりないんだけど」
苦笑を浮かべながら背中を撫でるようにして洗ってから――…ついつい、そのわき腹に手がいく。
「っ……あははは! や……く、くすぐったいっ!」
「そんなに笑わなくても。だいたい、くすぐるっていうのはこうして――」
「きゃあははははっ!! や、やっ! 先生やめてぇ!」
「羽織ちゃんは敏感すぎるんだよ」
わざと脇へ指を滑らせると、案の定大きく反応を見せた。
だが、あまりやっても可哀想なのでほどほどでやめておく。
「はぁ、は……ぁっ。もぅ、意地悪はやめてくださいっ」
「ごめん」
頬を赤く染めた彼女が、眉を寄せてからシャワーを出した。
「っ……」
泡で隠れていた彼女の肌が露になった途端、思わず喉が鳴る。
とはいえ、さすがにここで手を出すわけにもいかない。
床へ直に座らせることはできないし。
なんてことを考えていると、ふっと振り向かれた。
「ん?」
「入らないんですか?」
「……あ、いや、入るよ」
彼女に微笑んでから、先に湯船に浸かる。
それを見てから少し照れたようにして、彼女も向かい合うかたちで湯船へと入ってきた。
少し湯のかさが増え、胸元まで上がってくる。
ふと彼女に視線を送ると、指先をなにやら気にかけているようだった。
「爪がどうかした?」
「え?」
少し驚いたように顔を上げた彼女が、苦笑を浮かべて小さくうなずく。
「……なんか、ささくれができてて……」
「…………親不孝してるから、かな」
「え? そうなんですか?」
「あれ。そういうふうに言わない? ささくれは親不孝してるとできる、って」
「ううん、知らないです。へぇ、そうなんだ。……親不孝、かぁ」
ぽつりと呟いた彼女の手を取ってまじまじと見ると、確かに少し荒れているのが見えた。
「……実際は多分、家事をさせちゃってるからだろうけど」
「ううんっ! そんなことないですよ。大丈夫」
ごめん、と小さく口にするとと、首を振って笑顔を浮かべてくれた。
そんな彼女に、こちらも笑みが漏れる。
「ありがとう」
「……え?」
面と向かって礼を言ったからか、少し困ったように眉を寄せた。
「それは、こっちのセリフですよ。……一緒にこうしていられて……すごく幸せ」
「……よかった」
心底そう思った。
自分だけが満足しているんだとしたらどうしようか、と少し思ったことがあったので、彼女の口から気持ちを聞くことができてほっとした。
「……さて、と。じゃあお先に」
「あ、はい」
浴室をあとにし、ざっと水気を取って洗面所に立つ。
湿度が高い浴室とは違って、さらっとした空気が心地よかった。
例のパジャマを穿き、上着を羽織ろうとした――……そのとき。
「……もぅ。先生、背中がびしょびしょ」
背後でくすっと笑う声が聞こえた。
「え?」
「これじゃあ風邪引いちゃいますよ?」
少し呆れたようにしてから、手にしたタオルで背中を拭いてくれる。
その感触が、なんともくすぐったい。
「はい、どうぞ」
「ありがとう。……羽織ちゃんも、ふいてあげようか?」
「なっ……!? だ、大丈夫ですっ」
「そう?」
いたずらっぽい笑みを向けてやると、案の定軽く睨まれた。
……残念。
苦笑を浮かべてから外に出た途端、リビングから風が吹き込んできた。
心地いい反面、やはり台風が近づいているせいか、その風は少し湿気を帯びていた。
冷蔵庫からアイスティーを取り出してソファに座り、早速天気予報をつける。
台風がかなり近づいていて、明後日――……つまり、こちらに帰ってくる日には、このあたりへ最も接近しそうだった。
わずかながら、進路が逸れて直撃こそ免れたものの、強い勢力を保ったままでいるので、やはり心配なことに変わりはない。
「……なんだか、被害が大きそうですね」
「うん。……心配だよ」
眉を寄せてテレビに釘付けになっていると、グラスを持った彼女もソファに腰をおろした。
下手すると、どこか途中の駅で立ち往生なんてことにもなりかねない。
なんて考えていたら、彼女が俺を見上げた。
「ん?」
「無事に……帰ってきてくださいね」
やはり、心配そのものといった表情。
そんな顔をされては、やはり彼女ひとりを残していくことが心苦しくてたまらなくなる。
「うん。ちゃんと帰ってくるから」
そっと抱き寄せて呟くと、小さくうなずてくれた。
彼女を、ひとりきりにさせるわけにはいかない。
なんとしてでも、早く帰ってこなければ。
「あ、そうだっ」
何かを思い出したように立ち上がった彼女が、冷蔵庫へ向かった。
程なくして水の音がしたかと思うと、小さなボウル状の皿を持って戻ってくる。
「これ。ほら、まだ食べてなかったでしょ? 早く食べないと、ダメになっちゃうから」
彼女がそう言ってテーブルに置いたのは、さくらんぼ。
そう。
先日、母が送ってきたアレだ。
……そう言えば、ついつい食べそびれてしまっていた。
「あー、そうか。忘れてた」
「ねっ。いただきまーす」
嬉しそうに笑ってからひとつつまんだ彼女が、口を開いてぱくんっと食べた。
「ん。あまーい」
その顔は、やはり嬉しそうで。
思わず、笑みがこぼれる。
「じゃ、俺ももらうかな」
皿からひとつ茎を取――……ったとき。
思わず、視線がそこへ張り付いた。
「……え?」
「羽織ちゃんてさぁ……」
「? なんですか?」
不思議そうな顔をする彼女に、そっと顔を向ける。
ここにいるのは、普通の顔をしている、普通の女子高生。
……なんだが。
「……なんか、すごいな」
「はい?」
よほど真面目な顔をして言っていたらしく、苦笑を浮べた彼女が首を傾げた。
「だってさ。俺、今までこんな風にさくらんぼ出してもらったことないよ?」
「……あ、それですか?だって、種を出すのって、結構面倒じゃないですか」
不精なんでしょうね、きっと私。
苦笑を浮かべた彼女だが、自分にとっては結構感心。
さくらんぼを、茎が付いたままの状態で割り、中から種を除く。
簡単といえば簡単だが、さくらんぼは食べてから種を出すものという固定観念があったからか、ついつい目に留まった。
なんていうんだろうな。
お茶の入れ方といい、これといい……気が利いているというか、いい嫁になるというか。
……って、嫁ってなんだ嫁って。
慌ててそんな言葉を飲み込んでから、さくらんぼを食べる。
……確かに、甘い。
まぁ、イチゴとかそういった物に比べれば、甘さは控えめだが。
「そういえば、これってできます?」
「ん?」
彼女が手にしていたのは、さくらんぼの茎。
それを指で弄って、ひとつ縛りの輪を作る。
「これ。ほら、よく口の中でできる人っているじゃないですか」
「あぁ、それか」
確か、できるヤツはキスがうまいとか、そんなとこだったかな。
まじまじと茎を見ていた彼女が、そっと口にする。
……で、ひとつを俺に差し出した。
「はいっ。早くできたほうが、勝ちですよ?」
「……ふぅん?」
俺に勝負を持ちかけるとは、なかなかいい度胸だ。
……とまでは思ってないが、茎を受け取り、さっそく口に含む。
目の前で、いろんな表情を見せてくれながら、一生懸命に眉を寄せてがんばる彼女。
その様子がおかしくもかわいくてしばらく見ていたのだが、先に茎を出す。
「……んっ。先生、もうできたんですか?」
「なんだ。羽織ちゃんできないの?」
「で……できない……です」
「そう? こんな簡単なのに」
言ってからもうひとつ手にし、同じように口に含んでから出してみせる。
すると、まじまじとそれを見ながら小さく拍手をした。
「すごーい! 先生、器用ですね」
「なんだ。できないのに、勝負申し込んだの? ……ずいぶんと豪気だね」
「だって……先生ができるなんて思わなかったんですもん」
苦笑を浮べてから、空になった皿にそれを置くと、彼女が思い出したような顔をして俺を見上げた。
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