「コンパから連れ出したとき。……あのまま、家に連れてきてほしかった?」
「……えっ……」
思わず目が丸くなる。
それは……その………えっと、正直に言っていいんだよね?
私たちはもう、特別な間柄なんだから。
「それは……はい。だって、先生のこと……好きだったもん……」
少し唇を尖らせて呟くと、彼が意地悪そうに笑った。
「本当はあのままキスして、抵抗させずに家に連れ込もうかと思ったんだけどね」
「えっ!? ……ほ、ホントに……?」
「だって、羽織ちゃん。あんな顔するんだもん」
「あ、あんな顔って……どんな……?」
思わず喉を鳴らして訊ねると、瞳を細めて軽く見下ろす。
その顔は、いつもの彼だけど……とても優しい顔だった。
「あんな無防備にキス待ったりして。俺を試してんのかと思ったよ。……えっちな子」
「なっ……! だ、だって……あれは、先生が……キスしようとしてくるから……」
慌てて首を振ると、彼がくすっと小さく笑った。
……反応を見て楽しんでることくらい、わかってる。
けれど……やっぱり、彼にはつい転がされてしまうのだ。
大好きな人だからこそ。
「……じゃあ、先生はあのとき言った言葉、本気だったんですか?」
「どの言葉?」
「……ふたりきりになる口実で、あのまま家に連れ込む……とか、簡単にキスだってできる……って……」
ぽつりぽつりと呟くと、彼が目を丸くしてからかぶりを振った。
しかも、視線を外して、しれっとした顔で。
「俺、そんなこと言ったかな」
「あ、ずるい! 言ったもん! だって、現に私――」
「まさか。教師の俺が教え子に手を出すわけないじゃない」
「っ……! だ、だって、あのとき……」
「さ。身体洗お」
「……うぅー! もぅ、先生っ!」
たまらず浴槽から立ち上がって彼の背中に回ってから、肩に手をやってその顔を覗きこむ。
――……と。
「先生?」
「……何?」
ぶっきらぼうに答えた彼の頬が、ほんのわずかだけど赤くなっていた。
もちろん、視線を合わせてはくれないけれど……照れてる、みたいに見えるのは気のせいなのだろうか。
「……あのとき、俺は教師として言ってるんじゃないって言ったよね?」
「ですね」
「だったら、そういうこと」
顔をそむけてボディソープを取ると、わしゃわしゃとスポンジで泡立て始めた。
……そういうことって……。
え?
「……どういうこと?」
「…………」
「せ、先生ぇ! ホントにわからないのっ! どういうことなんですか……?」
なんとか視線を捕まえようと彼の頬に手を伸ばすと、ため息をついてからちゃんと瞳を合わせてくれた。
「……だから。ひとりの男として、正直な行動を取ったんだよ。……連れて帰ろうかと思ったよ、ホントに」
ぼそっと呟かれたその言葉は、あまりにも大きく身体に沁み込んできた。
本当に……あのとき、そんなふうに思ってくれたんだ。
「…………」
にんまりと顔が勝手に笑顔になって、心がじわじわと熱を帯びる。
……嬉しかった。
彼が、本当のことを言ってくれたから。
あのとき、自分をそんなふうに見てくれていたんだと思うと、心底嬉しくて心底誇らしかった。
「……えへへ」
「まったく。そこまで言わなきゃいけないなんて――っ……!」
頬に手を当てたまま、その唇を塞ぐことに成功した。
一瞬だけの、短いキス。
だけど、今回だけはしっかりと瞳を見て微笑む。
「……大好き」
驚いたように瞳を丸くした彼が、眉を寄せて瞳を閉じる。
その頬は、明らかに赤くなっていた。
「……俺だって……好きだよ」
ぽつりと呟かれたその言葉は、小さかったけれど大きな威力があって。
……えへへ。
嬉しい。
「……あ。それじゃあ、今日は私が洗ってあげましょうか」
「結構です。羽織ちゃん、どうせ何か企んでるんでしょ?」
「あ、ひどい。私、先生みたいに意地悪じゃないもん」
「ずいぶんと俺のことを悪者扱いするね、今日は。……怒ってるの?」
「え?」
はぁ、とため息をついて見つめられ、思わず驚く。
だって……意地悪だったじゃない? え? 違うの??
「先生が怒ってたんじゃないですか。家に帰ってくるまでだって、怖い顔だったし……。田代先生のところでも、そうだったじゃないですか」
「俺? 怒ってないよ。勘ぐりすぎ」
「でもずっと機嫌悪かったじゃないですか。黙ってて……」
「……あぁ。あれ、ね」
少し口元に笑みを浮かべて泡を取ったかと思うと、いきなりその泡を私に塗ってきた。
「わっ!?」
「あれは、怒ってたんじゃなくて、どうやって羽織ちゃんで遊ぼうか考えてたの」
「あ、遊ぶ……!?」
「そ。あんなふうにかじりついてAV見てたから、よっぽど俺とのセックスに不満があるのかなーって」
「ち、ちがっ……! だから、あれは……あれを見ればスワッピングがわかるっていうから……」
「……そんなに知りたいの? スワッピングの意味」
眉を寄せて怪訝な顔をしてから瞳を合わせた彼が、手で腕を洗ってくれながらため息をついた。
う……そんな顔しちゃうようなことなのかな。
でもやっぱり、気になるわけで。
「……うん」
こくん、と小さくうなずくと、困ったように手を止めてスポンジを泡立てた。
「……じゃあ、あとで辞書引いてごらん。英語の辞書」
「辞書? え、先生が教えてくれればいいのに」
「俺の口からは、とても言えないようなこと」
「えぇっ」
ぼそっと呟いた彼は、なんだか少し不機嫌そうにも見えた。
……聞いちゃマズかったのかなぁ。
「……わっ!? も、もぅ! そこは自分で洗います!」
「そう? 遠慮しなくていいのに」
わざと知らないふりをするような笑みを浮かべて、彼が自分を洗い始めた。
「私が洗うのっ」
「いいから。ほら、先に上がって辞書引いといで」
「……うー……はぁい」
シャワーをひねって渡され、仕方なく先にあがることにした。
……本当は、私が洗いたかったのに。
仕方ないから、また今度の機会に取っておこう。
……なんて、彼の背中を見ながら小さくうなずいた。
タオルで髪を拭きながらリビングに向かうと、ほどなくして上がってきた彼が辞書を差し出してくれた。
「はい」
「あ。お借りします」
結構分厚いその辞書は、いかにも使い込まれているという感じで。
……えへへ。
なんとなく、彼の物を使うというのは、ちょっと嬉しくなる。
皮の表紙をめくってSの場所を探していく、と――……。
「あ、あった。……えーと……『swap』。意味は、『物々交換』、『取り替えること』」
「うん。そうだね」
「……で?」
「で、じゃないよ。そこから想像つかない?」
「……取り替え……?」
「うん」
辞書をリビングのテーブルに広げながらキッチンの彼を見るものの、それ以上は何も言ってくれなかった。
……?
これが、なんだろう?
「はい」
「あ、いただきます」
グラスを受け取ってアイスティーをひとくち含むと、冷たさが心地よかった。
でも、ソファに深く腰かけてからテレビをつけた彼が、じぃっと私を見ている。
「……これが……隠すほどのことなんですか?」
「そうだよ? ……ちゃんとした意味として使われてないからね」
「……じゃあ、どういう意味……?」
『?』がいっぱいの頭で訊ねると、はぁ……とため息をついてから彼が辞書を閉じた。
「……いい? たとえば、俺と羽織ちゃんが純也さんのところに遊びに行ったとするでしょ?」
「うん」
「で、俺が彼にスワッピングしたいんだけどって言って、彼がそれを了承したとする……」
「……うん」
「そうしたら、俺が絵里ちゃんを抱いて、羽織ちゃんは純也さんに抱かれることになるの」
「…………え?」
「どういう意味か、わかった?」
「……あんまり……」
「やっぱり」
ぽつりと彼が漏らしたのを聞いて、なんとなく悔しかった。
だって……えぇ? よくわからない。
……取り替える。
それはわかるけれど……。
「だから。スワッピングっていうのは、彼氏彼女をお互いに取り替えてセックスするってことなんだよ」
「えぇーー!!!? な、なんでですか!?」
「なんでって言われても。それが、スワッピングだから」
「なっ……なんで……っ! なんで、先生知ってるの?」
……やっぱり聞かれた。
彼の目は、そう語っていた。
「男だから」
「えっ。男の人はみんな知ってるんですか……?」
「じゃないの? ほら、男はどうしたってそういう話するから」
「えぇー!? ホントに? ぅ、なんか……やらしぃ」
「だから言わなかったんだよ。どうせ、羽織ちゃんがそう言うであろうことくらい、わかってたし」
「……なるほど」
彼の説明に、思わず納得。
うーん……確かに、田代先生も知ってたし……。
男の人って、みんなそういうこと知ってるのかな?
…………。
……うー。
ふと、身近にいる人たちを想像してしまって、なんとも言えない気分になった。
「……じゃあ、お兄ちゃんも……」
「アイツなら確実に知ってるでしょ。優人もいるし。むしろ、知らなかったら俺が驚く」
「……そんななんですね」
「気になるかもしれないけど、絶対聞いちゃダメだよ。 絶 対 。何があってもダメ。わかった?」
「っ……き、聞きませんよ!」
眉を寄せて『絶対』を強調した彼に、慌てて何度もうなずく。
だって、そんなこと口にできるわけない!
……おそろしい。
そんなこと口走った日には、ものすごい勢いで軽蔑された揚げ句、先生に電話がかかるに違いないだろうから。
「……あ」
「え?」
いろんなことを考えていて忘れていたけれど、そういえば彼に聞きたいことがあったのをようやく思い出した。
「……先生。これ……」
「何?」
取り出すのは、掃除のときに見つけてしまった1枚の写真。
ソファに腰かけながら彼へ差し出すと、特に気にする様子なく手を出した。
「この人、誰ですか?」
「? 誰――……ッ!! これ、どこにあった?」
「……パソコンラックの下を掃除機かけてたら……出てきたんです」
「はー……全部捨てたと思ってたのに……」
額に手を当てながら写真をテーブルに伏せて置いた彼が、大きなため息を吐く。
そんな彼の呟きに、ついつい視線が落ちた。
「……きれいな人、ですよね。だから……誰かな、って」
「きれい? これが?」
「うん。なんか……妙な色っぽさがあるっていうか。きれいな人ですよ?」
ゆっくりと視線を上げてぽつりぽつりと呟くと、眉を寄せた彼が伏せた写真に手を伸ばした。
「……え?」
「見たことない?」
再度写真を渡され、まばたきが出る。
「……んー……あるような……ないような……」
「しっかり、見て」
「……」
……たしかに、見たことがあるような気はするんだけど……。
でも、こんな人知り合いにいないし……。
「…………」
彼はなぜか、怪訝そうなというか……少し機嫌が悪そうだった。
……なんで、先生が怒ってるんだろう。
怒りたいのはこっち――…………あ、れ?
「…………」
もう1度、彼を見る。
そして、写真に視線を落とす。
「あ。これ……もしかして先生!?」
「……今ごろ気付いた? ………はぁ。全部捨てたと思ってたんだけどな」
ぶちぶちと文句を言いながら、彼が写真に手を伸ばした。
――あ、だめ。
彼が触る前に、思わず取り上げるように写真をつかむ。
すると、当然のように目を丸くした……ものの、すぐに瞳を細めた。
ぅ、怖いですってば。
でもだめ。だめだめっ。
これが彼の貴重な姿だとわかった以上、渡すわけにはいかない。
しかも、今言ったよね?
『全部処分したのに』って。
ということは、これは貴重な最後の1枚ってことになる。
「……何? 返してほしいんだけど」
「だっ……めです」
「どうして?」
「だって、こんな先生見たことないんだもん」
「……あのね。それは孝之にバラまかれた黒歴史なの。わかる?」
「でもっ、欲しいんだもん!」
「っ……いや、だから。俺の写真ならもっとちゃんとしたヤツあげるってば」
「いいのっ! これがいいんですっ!!」
「それはダメ!」
でもでもだって、これがいいんですってば!
迫り来る彼の手から逃れつつ、必死に保護。
だけど次の瞬間、ため息をついた祐恭先生はぐいと両肩をソファへ押した。
「っきゃ!」
「どうしても欲しい?」
「う。……欲しいです」
「ふぅん。じゃあ、手を出させてもらおうか」
「えぇ!?」
思ってもなかった彼の言葉に、かぁっと頬が熱くなる。
て、手を出すって……あのですね。
それってつまり……そういうことでしょ?
うぅ。恥ずかしいよぅ。
思わず眉を寄せると、そんな私を見てまた彼は深いふかーいため息をついた。
「いつの写真ですか?」
「……大学最後の文化祭。そんな格好させられて、写真無理やり撮られて、孝之に撒かれて……散々な目に遭った思い出したくもない写真だけど何か?」
「う……なんだかごめんなさい」
一気にまくし立てた彼は、非常に機嫌が悪そうな顔をしている。
もぅ。お兄ちゃんなんてことをするんだろう。
……とは思いつつ、こんな姿が見れたことは貴重でもあるから、心のどこかではグッジョブと思ってる部分もある気もする。
「で?」
「え?」
「いいの? 写真返してくれないなら、もう1回抱かせてもらいますけど」
「う。それは……その……」
困るんですが。
それはちょっと、お返事しがたいです。
……でもこの写真は欲しいし……。
「で? 返す気になった?」
「……ええとあの、違う形で――」
「じゃあ、あと2回させてもらおうか」
「っ!!?」
瞬間的ににっこり笑うと、とんでもないセリフとともに唇を強引に塞がれた。
っうぅ……!!
こ、こんなハズじゃ……!
ていうか、回数が増えてるし!
――っ……!!!
結局、その夜は簡単に離してもらえなかった。
約束どおり、写真もらえたからいいけれど……うぅ。
次からは気をつけないと。
――と、羽織が思ったとか思わなかったとか。
そして、一方。
……自分でも、あんなにいろいろするつもりじゃなかったんだけどな……。
それでも、やっぱり目の前で自分の彼女がAV見てる現場目撃しちゃったら……そんな簡単に落ち着けないよな。
うん。悪いのは、彼女。
ホント、いけない子だ。
と彼が思ったかどうかを、羽織は知るよしもなかった。
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