「んっ……ぁ」
甘い声が浴室によく響く。
こういう点では、浴室という場所は適所なんじゃないか。
簡単に抱き寄せられるし、音はよく響くし。
なかなか、イイ環境だ。
「も……許して……ぇ」
「ダメ。まだまだ全然足りない」
荒く息をつく彼女にさらりと言ってのけると、困ったように眉を寄せた。
「だって、もぉ……立てない……っ」
「立てない? なんで?」
「っ……! せ、先生が悪いんでしょっ!」
「どうして? ……感じやすいのが悪い」
「んっ!」
耳元で呟いてやると、いい顔で誘ってくる。
……だから、やめられないんだよ。
――……あれから。
彼女を、まず丁寧に洗ってから身体をあたためるために湯船へ誘導。
その後、2度ほどいただくことに成功した。
そのたびに、違った表情と違った声を聞かせてくれるからこそ、ついつい何度でも……という気にもなる。
……でもま、そろそろ上がるか。
いい加減のぼせそうだ。
多少くらくらする頭を軽く押さえながら彼女を抱き起こすと、だるそうにふらつく足で身体を支えた。
「……は、ぁ」
よろめいて危なっかしく歩く彼女にバスタオルをかけると、かったるそうにそれを身体に巻きつける。
……ごめん。
よろり、と壁に手を当てた彼女を見て、内心謝罪がたっぷり浮かぶ。
「……十分あったまったんだし、そのままの格好でもいいよ?」
「っ……! もぅ! ちゃんと、服を着ます!」
別に、そういう意味で言ったわけじゃないんだが、慌てたように彼女は肩を抱くようにして眉を寄せた。
だが、その対応に安堵する。
先ほどまであった不安の色は、その瞳にまったく見えなかったから。
その代わりといってはなんだが、今では澄んだ瞳に自分が映っているわけで。
ついつい、頬が緩む。
自分色に染めてやりたいという言葉があるが、彼女の瞳の中に自分だけが映っているというのもなかなかイイ。
手にしたタオルで髪を拭き、着替えてからリビングへ。
すると、キャミソールにミニスカートという、いかにも誘ってるんじゃないのか? と言いたくなるような格好で、彼女がソファにもたれていた。
……そりゃ、疲れただろうな。
我ながら、苦笑が浮かぶ。
さすがに2週間というブランクと、あの光景に対しての彼女への欲はとどまることがなく、自分はまだまだ若いんだと実感した。
「何か飲む?」
「……うん」
小さくうなずいたのを見てからグラスにアイスティーを注ぎ、テーブルまで運ぶ。
……ホントに、だるそうだな。
「飲める?」
「飲めますっ」
グラスを渡してやると、力が入らないからか両手でそれを受け取った。
こくん、と動く白い喉。
……あー。何もかもがヤらしく目に映るのは、どうしたらいい。
なんてことを考えながら見ていたら、唇の端からひとすじこぼれた。
「っ……ん!」
慌てたように伸ばした彼女の手を押さえ、代わりに唇を寄せる。
「ん、……ぁっ」
ほのかに口内へ広がる紅茶の香りと、それとは別の彼女の香り。
そのどちらをも堪能してから唇を離すと、頬を染めて必死にグラスを落とさないようにしていた彼女と、目が合った。
――……のも、束の間。
途端、睨まれた。
「……もぅ! 何するんですかっ!」
「羽織ちゃんがこぼすから」
「こっ……こぼしてなんか、いません」
「こぼしただろ? ……子どもみたいに」
「っ……もぉ」
ニヤっと意地悪く笑うと、唇を尖らせてテーブルへグラスを置いてから、膝を抱えて顔をうずめるような格好をした。
……ったく。
ミニスカートでそんな格好するな、と言いたい。
「ほかのヤツの前でそんな格好したら、許さないから」
「え……?」
「ミニスカートで膝抱えて。見えるだろ!」
「……わっ!?」
伝えたかったことがようやくわかったらしく、慌てて膝をまっすぐ伸ばした。
だが、見えてしまったモノは見えてしまったワケで。
「何? まだ足りないの?」
「ッ……! もう、十分すぎますっ」
ぶんぶんと首を振る彼女に苦笑を浮かべてから、テレビをつける。
さすがに、この時間は大した番組もないな。
ワイドショーなんて、見る気にもならない。
「あ」
などと考えていたら、そういえばまだ昼飯を食べていなかったことに今ごろ気付いた。
「腹減ったろ。……何か取る?」
「……いいんですか?」
「もちろん。なんでも、好きなの言って」
普段ならば『何がいいですか? 作りますね』と言う彼女が、このときばかりは抵抗しなかった。
さすがに、料理できないほど、だるいらしい。
……まぁ、そうだろうね。
むしろ、こんな状態で『作る』と言われても、丁重にお断りするつもりだったし。
「何がいい?」
「……なんでもいいですけど。あ、ピザがいい……かな?」
「ピザ? じゃあ、それね。どれでもいいけど、食べたいのある?」
「辛いのが食べたいです」
「……辛いの……?」
「うん。ほら、唐辛子とかは夏バテに効くって……ぁ」
ぽつり、というよりは、ぼそり。
いつもより低い声で呟いた俺が今どんな顔をしているか、ようやく彼女が気付いた。
……しまった。
その瞳は、明らかにそう言っていた。
「ふぅん。ずいぶん強気ですね、羽織さん。それは、何? 俺に対する、挑戦って受け取っていいワケ?」
「やっ! ち、違うの! あの、私、辛いの好きで……」
「へぇー。じゃあ、何か? 俺に対するあてつけか? いいよ別に、辛いのだって甘いのだって。その代わり、今夜はもう離さないから」
「っ……!?」
電話の子機を手にしながら番号を押し始めると、慌てて彼女がそれを止めた。
「何? 食べたいんだろ? 食べたい物食べればいいじゃないか」
「こ、これがいいっ。ほら、これ! ねっ? いろんな味があって、いいなぁー!」
「……何?」
「おいしそうですね! 1枚で、いろんな味が食べれて! ねっ……!?」
先ほどとは打って変わって、いくつかの種類が1枚になっているピザを指すと、必死な様子で笑みを浮かべた。
……相変わらずおもしろいな、この子は。
表情には出さずにそんなことを考えてから番号を押し、彼女が言ったそれを注文。
その後、『30分ほどお時間を』と言われた割には、テレビを見ていたら程なくして玄関まで届いた。
「どうも」
金を払ってそれをリビングに持って行った途端、嬉しそうに彼女が微笑む。
「いい匂い」
「昼飯抜きだったからな」
苦笑しながら蓋を開けると、うまそうな匂いが一層強くなった。
こういうのって、食欲刺激されるよな。
さっそく『いただきます』をし、ピースを口に運ぶ。
……うん。普通に、うまい。
「ん。おいしい」
にこにこと嬉しそうな顔の彼女を見て、こちらも笑みが浮かんだ。
……なんか、食べてるときが1番幸せそうだな。
まぁ、それが人間の基本といえばそうなんだろうが、ほっとすると同時に、嬉しくもあった。
「……あのさ」
「はい?」
半分を食べ終わったところで、おもむろに彼女に訊ねる。
食べきった俺とは違い、彼女はまだ、もぐもぐと口を動かしていたけど。
「あのとき。……そんなに嫌だった?」
「え? ……っと……あのときって……?」
たしかに、具体的なことを言ってないんだから、ピンとこなくても当然。
それでも、彼女の中から先ほどまでの不安や怖さが残っていないほうが、安心といえば安心なので、どう言うべきか少しだけ悩んだ。
……が、聞きたいのはそのこと。
あえて、ストレートに訊ねる。
「実験室でキスしたとき」
「っ……! ……あれは……え、っと……」
途端に、彼女は頬を染めて視線を外した。
だが、じぃっと見つめたままでいたら、ゆっくりと視線を上げてから困ったように眉を寄せる。
「嫌っていうか……なんか、先生がいつもと違って……」
「違った? どこが?」
「……なんか……すごく、強引だったんですもん」
「…………強引、ね」
そう言われても、いまいちピンとこない。
あのときはそれこそ、悔しさというかでいっぱい――……。
「あ。そうだ」
「え?」
ヤなことを思い出した。
……いや、肝心なこと、って言ったほうがいいか。
本来であれば、何よりもまず最初に彼女へ聞かなければならないことを、今の今まですっかり忘れていた。
「今日、英語の先生に抱きしめられてたろ」
「っ……えぇ!? そ、そんなことないですよ!!」
ごくん、と大きな音を立ててアイスティーを飲み込んだ彼女は、慌てて首を振ってから食べかけのピザを置いた。
そのあとで、律儀に手と首を振ってくれるが、実際にこの目で見た俺には通じないセリフだ。
「俺の授業の前。すげぇ楽しそうに話てて……それこそ、俺にもあんまり見せないような顔して。そのあとだよ。いきなり転びそうになって――」
「あっ! あれは、別に抱きしめられたわけなんかじゃ――……!」
「でも、嬉しそうに笑ってたろ!」
「嬉しくなんてないですよ!! だって、私は先生しか――」
眉を寄せて反論していた彼女が、俺を見たままで口をつぐんだ。
視線を外し、小さく俯いてしまう。
「……俺しか?」
「…………なんでもないです」
「それはナシだろ」
「わっ!?」
改めてピザに伸ばした手を掴み、ぐいっと身体ごと引き寄せる。
途端、驚いた顔をしながらも、目が合った途端唇を噛んでみせた。
「目の前で、そんなトコ見せられた気分。わかる?」
「っ……え!? あの、えっ? め、目の前でって……!? で、でも、あのとき――」
「いたんだよ、あのとき! それこそ、真正面に!」
「えぇえっ!?」
思わず、握りしめた手に力がこもる。
悔しさと、嫌悪感と、いたたまれなさ。
醜い負の感情が湧き上がって、どうしても止められなかった。
「……ごめんなさい。でも、あれは私が転びかけたのを助けてもらっただけで……」
「それでも、嫌だったんだよ。……彼氏の俺が2週間も我慢してたのに、抱きとめられて……頬を染めてるのを見るのが!」
「先生……。じゃあ、それで……? それで、実験室で――」
瞳を丸くする彼女を離し、今度は自分がピザを手にして背を向ける。
どうせ、格好悪いとかいろいろ言うんだろ。
……冗談じゃない。
こんな気持ちになったのは、誰のせいだと思ってるんだ。
「っ……」
「……言ってくれれば、よかったじゃないですか」
きゅ、と背中に抱きついてきた彼女が、ぽつりと呟いた。
鼓動と一緒に伝わってくる、彼女の言葉。
背中から、身体に響く。
「……言えるわけないだろ。みっともない」
「どうして? みっともなくなんてないですよ! すごく、嬉しいです」
予想外の言葉にふと振り返ると、頬を染めた彼女と目が合った。
「嬉しい?」
「……うん。だって……先生に嫉妬してもらえるなんて、思ってなかったから」
えへへ、と嬉しそうに笑った彼女が、あまりにもかわいく見えた。
……自分の予想をいい意味でことごとく裏切ってくれる彼女が、改めて大きく見える。
存在自体が大きいのは、当然。
今はもう、俺という人間の大部分を彼女が占めているから。
「男の嫉妬なんて、カッコ悪いだろ」
「そんなことないですよ。私だって……里美さんが先生と楽しそうに笑ってるの見て、すごく悔しかったから。……だから、先生の気持ちがすごく嬉しかったの」
そう言った彼女を、向き直ってから抱きしめると、乾いた髪がくすぐったかった。
……あ。
髪といえば、そういや……もうひとつ気になっていたことがあったんだったな。
というのは――……今とは違う、髪型だ。
「そういえば、どうして今日は髪型が違ったの?」
「え? あ……えっと、それは……」
さらり、と指先で髪をすくようにしながら呟くと、困ったような顔を見せてから頬を染めた。
だが、すぐに顔を上げ、少しだけ照れくさそうに笑う。
「……久しぶりに先生と会えるから……いつもと同じじゃ、つまらないかなと思って」
「え……俺のため?」
「ですよ?」
思わぬセリフに口を開けると、2度ほど彼女がうなずいた。
……なんだよ、それ。
そんなの、聞いてないぞ。
「……かわいかった」
「っ……えへへ」
耳元に唇を寄せて呟くと、一瞬彼女が目を丸くしてから嬉しそうに笑った。
……なんか、な。
俺、やっぱり心が狭いのかも。
思っているだけじゃ、伝わらない。
それは、わかっていたはずなのに、どうやらまったく理解できていなかったらしい。
「……嫌な思いをいっぱいさせるようなことして、ごめんなさい」
「いや、それは俺のほうだろ? ……ごめん」
よしよしと彼女の頭を撫でてから抱きしめ、背中へと手を滑らせる。
……これだよ、これ。
やっぱり、俺には彼女が必要不可欠。
こうしてただ触れているだけで、さらに気持ちが安らいでいった。
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