「わぁ!」
 車を車庫に止めて玄関へ向かおうとすると、彼女がそこから動こうとしなかった。
「……? どうしたの?」
「だ、だって! あれっ……!」
「……あぁ、アレか」
 彼女が驚いたような嬉しそうな顔をして指差したのは、祖父の車。
 とはいえ、尋常じゃない。
 フェラーリのモデナF1。
 色はロッソコルサ。
 俺が1番好きで、最もきれいだと思う赤。
 それが、フツーに停まっているんだから。
 小さくついたフェラーリのマークが、目立つ。
 さすがは車好きということもあってか、彼女はすぐに気付いた。
「じーちゃんの車だよ」
「おっ、お祖父さんの!?」
「うん。金持ちの道楽ってヤツだな、ありゃ」
「……すごい……。だってアレ、1千万こえるんじゃ……」
「中古でも、もっとするね」
「うわぁ」
 苦笑しながらうなずくと、両手で口を押さえたまま、先ほどと同じような反応をしていた。
 そりゃそうだよな。
 俺だって、遊びにきた家にフェラーリがぽーんと停まってたらびっくりする。
 が、昔からそうだったせいか、これは普通なんだと思ってたあたり、正直恐い。
「エンツォもあるけど」
「エンツォ……って……」
「ガルウィングっつってさ、ドアが上に開くヤツ」
「ああっ! 知ってます!」
「そう? それの黒。去年あたりに買ったんじゃないかな。多分、それで今日会社行ってると思う」
「……ふぁ……」
 ぼそっと呟いてやると、思った通りの反応。
 やっぱ、おもしろいなこの子は。
 返って来る反応が楽しくて、ついついアレもコレも言ってやりたくなる。
「ま、フェラーリなんて金持ちが乗る車だからいいんだよ。何千万もするヤツ、心配で駐車場停めらんないし」
「わかりますっ。……怖いですもんね」
「そういうこと」
 苦笑しながら彼女の手を取り、家へと促す。
 このまま放っておくと、いつまでもここにいかねない。
 車を見ていたい気持ちはわかるんだけど……まぁ、今日は車を見るために来たワケじゃないんだから。
「……なんか……緊張します」
「大丈夫だよ、取って食ったりしないから」
 ……俺みたいに。
 と言ったら恐らく困るだろうから言わないでおく。
 反応が見たい気はするが。
 ……まぁいいか。
 それは、またあとで。
「それに、中にはふたり確実に羽織ちゃんの味方がいるんだからさ」
「……あ……はいっ」
 彼女に笑顔が戻った。
 そう。
 今はもう夏休みなので、涼と紗那も今日は家にいるはずだ。
 先日話しておいたので、多分楽しみに待ってくれているだろう。
 彼らにとっての“妹”が遊びにくることを。

「ただいま」
 鍵を開けて中に入ると、声につられたのか紗那が早速玄関まで現れた。
「あ、いらっしゃーい。久しぶり、羽織ちゃん」
「こんにちは」
「どうぞ、上がって! 涼ー! 羽織ちゃんきたよー。……あ、お兄ちゃんもか」
 ……俺はおまけかよ。
 若干そんなことを思いながらも、まぁ文句は言わないけどな。
 今日の主役が彼女であることに、違いないから。
「いらっしゃい。兄貴の運転、恐かったでしょ。大丈夫?」
「あはは、大丈夫ですよ」
「……人のことを悪く言うモンじゃないぞ」
「だって、本当のことじゃん。俺、死ぬかと思ったもん」
「……ったく。大げさなんだよ、涼は」
 ため息をつきながら軽く睨むと、眉を寄せてさらに抗議しかねない様子だった。
「ほらぁ、お兄ちゃんが上がらなきゃ羽織ちゃん上がれないでしょっ! 早く上がる!」
「あぁ、悪かったよ」
「お邪魔します」
 紗那にもっともなことを言われて玄関に上がると、当然の流れのようにリビングに通された。
 自分の家なんだけどな……まぁいいけど。
「……あ」
 入ってすぐに置かれているソファには、父の姿があった。
「久しぶり」
「どうも」
 親子でこの会話をするのはどうかとも思うが、まぁ仕方がない。
 実際、最近会ってないんだし。
 微笑を浮べながら立ち上がった彼が、彼女に向かってにこやかに頭を下げた。
「いらっしゃい、羽織ちゃん」
「初めまして! ……あの、名前……覚えてくださってるんですね」
「祐恭からいろいろ話を聞いてるからね。さ、どうぞ。座って」
「ありがとうございます」
 物腰柔らかく彼女に笑った父が、キッチンへ向かって声をかける。
 どうやら、向こうに母がいるようだ。
「母さん、こっちにきなさい」
「はぁいー」
 相変わらず能天気な声が響き、続いて彼女も姿を見せた。
 ……変わってないな。
 まぁ、会うたびにころころと変化していたら、それはそれで嫌だけど。
「あらぁ、予想以上にかわいらしいお嬢さんねー! 初めまして、母の美代です」
「……おっと、名前をまだ言ってなかったね。父の修一です」
「初めまして、瀬那羽織です」
 どこか緊張しているような笑みを彼女が見せると、両親はソファに座ってにこにこと見つめた。
「いやー、とても孝之君の妹さんには見えないねぇ」
「本当ねー! こんなにかわいい妹さんがいたなんて……。孝之君、何も話してくれなかったし」
「……別に、家族の話をする必要はないだろ」
 今ごろ、アイツは盛大なくしゃみでもしてるころだろう。
 などと内心思いながらソファへもたれると、母が何かを思い出したように身を乗り出した。
「そうそう! 羽織ちゃん、塩辛が作れるって本当?」
「えっ? あ、はい。作れます……けど、どうしてご存知なんですか?」
「若いのにすごいわねぇー。あ、この前ね。祐恭に電話したときに……この子が自慢げに話すもんだから」
「……いいだろ、別に」
「そんな話まで、してくれたんですか?」
「うん……まぁ」
 目を丸くして彼女に見られ、苦笑を浮かべてからうなずく。
 すると、照れたように俯いてしまった。
「今度作ってもらえないかしら?」
「あ、はいっ。もちろんです。私でよければ喜んで」
「まぁー、ありがとう! 楽しみにしてるわね」
 にっこり笑って呟いた、母
 そんな彼女に、父が眉を寄せた。
「ときに、母さん。お茶は?」
「……あらやだっ、忘れてたわ!」
 ……やっぱり。
 母のことくらいお見通しだが、こう毎回毎回同じようなパターンがくり返されると、やはり疲れる。
 父はよく付き合っているものだと感心するのだが……。
「え?」
 ふと、隣にいる彼女を見ると、なんとなく納得できる気がした。
 どこか似てるんだよな。
 ……ちょっと抜けてるところとか。
「なんですか?」
「あ、いや。……なんでもない」
 怪訝そうな顔を向けられ、思わず手を振る。
 こんなことを言えば、どうせまた怒られるんだし。
「ねえ、お母さん。今日って……夕飯どうするの?」
「どうって……何が? 母さんが作るけど?」

「「は!?」」

「……何よ、ふたりでそんな声を出したりして」
 お茶を運んできた彼女の一言に、思わず俺と紗那がハモった。
 わけがわかっていない羽織ちゃんを除けば、みんなが不快感を表している。
 ……とはいえ、父はどこか冷静だが。
「だ、だって、お母さん……料理っ、作れるの!?」
「何言ってるのよー。これまでだって作ったことあるじゃない」
「だって、お母さんが作れるのって限られてるでしょ!!」
 慌てて紗那が叫ぶと、眉を寄せて口を尖らせた。
「何よー。母さんのごはんは嫌だって言うの?」
「だ、だって! ……羽織ちゃんに……食べさせるのぉ?」
「……え?」
 ちらっと紗那が可哀想な視線を羽織ちゃんに向けたからか、少し驚いたように彼女がまばたきした。
 それを見てから、自分もうなずく。
「だいたい、なんで佳代さんがいないんだよ」
「だって、佳代さんは夏休みなんだもん」
「っだぁー……。だからって、何もお袋が作ることないだろ!」
「何よぉ。祐恭までそんなこと言うの? じゃあ何? 祐恭が作ってくれるの?」
「うっ」
 たまらず抗議していると、いきなりとんでもない言葉が出てきた。
 ……俺が料理できるわけないだろ。
「……それは」
「ほらぁ、できないじゃない。だったら文句言わないのっ」
「だけど、お袋が料理する姿なんて……ガキのころまでしか記憶にないぞ」
「そうかしら。でも、私だって料理のひとつや、ふたつや、みっつくらいは――」
「ゆで卵、目玉焼き、スクランブルエッグだろ?」
「……十分料理じゃない」
 はぁ。
 どん、と胸を叩いたのを見て、眩暈がした。
 相変わらず進歩してないらしい。
 ていうか、卵を茹でるだけなのは料理って言わないだろ。
「…………」
 困ったようにこちらを見上げている彼女の横に腰を下ろし、ため息をついてから説明をしてやる。
 どうして俺たちが、ここまで困っているのか、を。
「お袋、料理まったくダメなんだよ」
「え? そうなんですか?」
「うん。だから、佳代さんっていう家政婦さんが小さいころから俺たちの飯作ってくれてたんだけど……。今、夏休みで田舎に帰ってるんだってさ」
「へぇー」
「だから、佳代さんがいないときは……ものすごい料理とか弁当とかが……」
「料理って言えない、あれは。冷凍食品だけ詰めてもらったほうが、ずっとマシ」
 ぶんぶんと首を振って彼女の横に紗那が腰かけると、困ったようにこちらを向いた。
 その目は、いかにもってくらい何かを訴えかけている。
「お兄ちゃん、なんとかしてよ」
「俺に言うなよ。涼はどうしたんだ、涼は」
「部屋に逃げた」
「……ったく。アイツは……」
 ぼそぼそと、あくまで聞こえない程度の会話を続けつつ、ため息を漏らす。
 なんてことをしていたら、父が静かに肩を叩いてから割り込んできた。
「……あんまり母さんに刃向かわないほうがいいぞ」
「いや、でも……」
「いいのか? 夕飯がふりかけごはんとかになっても……」
「「う」」
 痛いほどわかっているのは、やはり父その人。
 何か言えばどうせ『じゃあ作らない』とか言い出すであろうことは、目に見えている。
 それだけならばまだいいが、何かゲテモノ料理を出された日には……。
「あの……」
 それまで静かに俺たちの様子を見ていた羽織ちゃんが、そっと手を上げた。
 一斉に3人で彼女を振り返ってしまい、途端、目を丸くしてから苦笑を見せる。
「……私でよければ、作りましょうか?」
「えぇーーっ、い、いいの!?」
「それはありがたい。羽織ちゃんの料理が食べれるなんて、嬉しい限りだよ」
 ものすごく嬉しそうに紗那と父が微笑むと、彼女もまた照れたように小さくうなずいた。
 だが、こちらは眉が寄る。
「待った。彼女は今日、お客さんとして――」
「先生、いいんです。私でよければ作らせてもらいたいし……。でも……納得していただけるか……」
 ふと困ったように視線を向けたのは、母。
 そんな視線に気付いたらしく、彼女がこちらに歩み寄ってきた。
「なあに?」
「お母さん、羽織ちゃんが料理作ってくれるってー!」
「あらっ、ホントに? やだぁ、嬉しいわぁー」
「えっ、いいんですか?」
「もちろんよ! 楽しみだわ−」
 案の定、嬉しそうに母は微笑んで父の横に腰を下ろした。
 昔から料理が苦手ということを自分でも把握しているらしく、その笑みは本当に嬉しそうで。
 ……良かった、本当に。
 救われた。
 嬉々として何やら盛り上がっている母親を見ながら、改めてほっとする。
「じゃあ、がんばって作らせてもらいますね」
「……でも、ホントにいいの?」
「うんっ。私でよければ」
「そっか。……ありがとう」
「いいえ」
 ぽんぽんと頭に手をやると、少し照れながらも微笑んでくれた。
 どうやら、緊張もほぐれたらしい。
 それはそれは彼女らしい笑みで、見ているこちらにも笑みが浮かんだ。



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