「ちょっとだけ、いい?」
「え……あ……の、えっと……」
振り返ると、いつもと同じように優しく笑う瀬尋先生がいた。
けれど、何よりもまず気まずさが先にたち、思わずしどろもどろにしか受け答えができない。
でも、まずしなければならないことが頭に浮かび、ぺこりと頭を下げる。
「昨日はごめんなさい! ……偉そうなことを言って……」
「いや、別に……というか、偉そうだとは思わなかったし、気にしないで」
慌てたように手を振った彼を見るものの、表情は戻らない。
だって、自分はそれなりのことをしたんだから。
「本当にすみませんでした。あとから考えても、生意気だなって思うし……それに、余計な口出しだと思うし……」
「大丈夫だから。羽織ちゃんの言うとおりだとは思うしね。むしろ、謝るのは俺のほうだよ」
「そんなことないです!」
逆に、申し訳なさそうな顔をされ、慌てて首を振る。
だけど、目があった瞬間『そうだ』と彼がポケットから何かを取り出した。
「これ。よかったら、もらってほしいんだけど……」
「……え?」
目の前に差し出されたのは、小さな紙袋。
そう。お土産を買ったときに入れてくれるような、そんな感じのサイズ。
「泣かせちゃった、おわび」
「えぇ!? だ、だって、あれは……」
「いや、むしろもらってくれないと困るかな」
「っ……」
すい、と手を掴んだ彼が手のひらへそれを載せた。
当たり前のように触れられたものの、私にとっては当たり前ではなく、どきりと鼓動が跳ねる。
そのとき、いつもと少しだけ違う雰囲気で笑われ、さらに顔が熱くなった。
「あー……センスは自信ないから、笑わないでほしいんだけど」
「……瀬尋先生が選んでくれたんですか?」
「もちろん」
『だから自信がないんだけど』と苦笑を浮かべた彼に断ってから、そっと封を開ける。
すると、中からは陶器でできた白いウサギの根付けが出てきた。
「わぁー! かわいい!!」
「ホント? ……よかった」
かわいい、を笑顔と一緒にこぼすと、少しほっとしような笑みを見せてくれた。
その顔を見ることができて、こちらもほっとする。
「先生が、これを……」
呟いた途端、かわいらしい根付けが並ぶ前で、真剣に彼が悩んでいる姿が想像できてしまい、思わず笑っていた。
瀬尋先生が、お土産屋さんで……。
「あはは。かわいい」
「あ、そこ笑うところじゃないから」
「ごめんなさい、でも……あはは」
冗談まじりに指摘されたことが、ちょっぴり嬉しかった。
こんなふうにやりとりができて、自分でもほっとする。
また、同じように話ができただけじゃなくて、彼が私のために選んでくれたことが何よりも嬉しかった。
「えっと、鍵に付けさせてもらいますね」
「使ってくれると嬉しいよ」
「もちろん使いますよー! だって、うさぎ好きなんですもん」
「そうなの? じゃあ、よかった」
「ありがとうございます。大事にしますね」
今ここにはないけれど、きっと一番使うものといったら家の鍵かなと思った。
せっかくもらったんだもん、毎日目に触れるようにしたい。
でもまさか、瀬尋先生から何かをもらえるとは思ってもなかっただけに、どうしたって顔はにやけてしまう。
……あんまりニヤニヤしてると怪しいかも……とは思うけれど、なかなか収まってくれない。
でも、彼はそれを見て変に指摘したりしなかった。
それが、素直に嬉しい。
「自宅用のお土産?」
「あ、そうなんです。母に、漬物を買ってこいとは言われたんですけどね」
すぐ隣にある漬物屋さんは、雑誌に載るほど有名らしく、かなり混雑していた。
うーん。
私は別に漬物をそこまで食べたい人じゃないんだけど、だからこそ、どれがいいのかよくわからない。
だけど、お金を受け取ってきてしまった以上、買わないわけにもいかず。
一連隊が出て少し緩和されたのを見ていたら、瀬尋先生がうながしてくれた。
「じゃあ、またあとで」
「あ……ありがとうございました!」
「こっちこそ」
笑みを見れたことが、素直に嬉しかった。
柔らかく笑われ、すごくあったかい気持ちになる。
……よかった。
だって、もう普通に話せないかなって覚悟したから……本当に嬉しかったの。
「……えへへ」
袋へ戻したうさぎの根付を見て、ついまた笑みが漏れた。
「あ」
「え?」
低い声だったのは、気のせいじゃなかった。
後ろから聞こえた声で祐恭が振り返ると、そこには純也と絵里が立っていた。
「祐恭君も土産見れた?」
「あー、まだです」
ふーんと言った絵里の言葉が、少し低いように聞こえたが、祐恭は気にも留めなかった。
羽織のように付き合いのある人間ならわかるが、彼はまだそのレベルではなく。
察した純也は、絵里に咳払いで『その辺にしとけ』と伝えたつもりだったが、残念ながら伝わってはいない。
「あー、かわいい彼女へのお土産?」
「いや、買わないけど」
「なんで? 大事なんでしょ?」
「……よせって」
絵里は笑ってなかった。
羽織に聞いてはいたし、彼女自身納得しようとしてはいたが、どこか腑に落ちない気持ちがあった。
八つ当たりでしかないのは、わかってる。
だが、親友が泣いて戻ってきたことの発端が自分にあるのもそうだが、少しだけ悔しかった。
「大事にしてあげてよ。付き合ってるなら」
「絵里。お前いい加減にしろ。……ごめん、祐恭君」
「え? いえ、別に。……というか、純也さん仲いいんですね」
「え!? あー、いやー、ほら。昔からの付き合いだから」
「そうなんですか」
「うん、まあ」
一瞬声が上ずったが、祐恭はそれ以上追求しなかった。
いや、しなかったというよりは、気づかなかっただけかもしれない。
「えー、いいのー? 大事にしないと、怒られちゃいますよー?」
「彼女っていうか……そういう関係じゃないんだよ。俺、携帯の番号も知らないし」
「え!?」
「……あー、そうなるよね。だから人には言えないんだけど」
珍しくバツが悪いような顔を見せたかと思いきや、祐恭のセリフに絵里は思い切り反応した。
だが、純也とて同じ気持ちだ。
付き合ってる人間がいるとか、そういう話を普段しなかったこともあるが、まさかな発言に思わず絵里とふたり顔を見合わせていた。
「ねえ、ちょっと待って! えぇ? どういうこと?」
「もともと、大学に入ってすぐくらいに付き合う云々になったんだけど、そのあと一緒にどこか行くってこともほとんどなくて。結局、学部も違うし自分もほとんど研究室へこもってたこともあって、全然会うタイミングなかったんだよね。だからまあ……途中で携帯変えたりなんだりで、連絡取れなくなったんだけど、まあいいか……と」
「えぇえ!?」
それはそれはバツが悪そうな顔をした祐恭を見ながら、絵里はまったく違うことを考えていた。
なぜなら、昨夜羽織から聞いたこととまるで反対だったからだ。
「え? なんで!? じゃあ、なんで初日『彼女いる』って言ったの?」
「それはほら、そう言っておいたほうがラクな面あるでしょ? みんながみんなそうだとは言わないけど、正直、面倒なことは嫌だなっていう単純な理由からだけど」
ちょっと待った、と言わんばかりに絵里の頭はだいぶ混乱していた。
昨日羽織は、『瀬尋先生が電話で彼女と話してる最中に泣いた』と言った。
きっと、それだけ大切な人なんだろうと思ったし、叶わないなと感じた……と。
だけど、彼女の携帯の番号さえ知らなかったと、瀬尋先生は言う。
となるとつまりーー昨日の夜電話をしていたのは、彼女じゃなかった。
てことは……彼が『泣いた』事実も違ってくるんじゃ……?
「ねえ瀬尋先生。それ、羽織知ってる?」
「羽織ちゃん? いや、言ってないけど」
「……やっぱり」
「え?」
「あ、ううん。なんでもない。……は、こんなことしてる場合じゃないわ。悪いけど私、急用だから。じゃあね!」
「あ! おま……八つ橋どうすんだよ!」
「とりあえず、チョコと抹茶と限定のほうじ茶味買っといて!」
「俺が!?」
真面目な顔をした絵里が、突然その場から駆け出した。
純也がかけた声に対して、一応は顔だけで振り返りながら手をあげる。
その様子を祐恭は不思議そうに見ていたが、純也にたずねるも、彼はため息混じりに首を振ると『俺もさっぱり』と肩をすくめた。
「あ、絵里。さっきメッセージ送ったんだけど、絵里が探してた宇治金時味の八つ橋、あそこのお店にあったよ」
「ンなことどうでもいいわよ、ちょ、羽織! あんたよく聞きなさい!!」
「わ!?」
ぐいっと肩をつかんだ絵里が、そのままの勢いで先ほどのことを羽織に伝えると、みるみる表情を変えた。
だが、羽織自身は涙した祐恭を見ているだけに、信じきれない部分もある。
それでも、『かもしれない』の幅が広がったこともあってか、少しだけ頬に赤みがさした。
「っ……あ」
そのとき、集合時間を忘れないようにとセットしたタイマーが鳴り、高い鐘の音が響いた。
タイミングはばっちり。
それこそ、はかったかのような音で、偶然とはいえ、羽織はなんともいえない気持ちになった。
「とりあえず、詳しくはバスでまた話すけど……でも、諦めるのは早いと思わない?」
「それは……でも……」
「でも、じゃないってば! ……行動しなきゃ、何も変わらないんでしょ?」
「っ……」
羽織が祐恭へ言った言葉でもあるが、これはふだんから、羽織がよく口にしている言葉だ。
もともとはきっと父の受け売りだったのだろうが、いつからか兄が言うようになり、自然と自分も使うようになっていた。
……行動することは、何かを変えることに繋がる。
それは比喩ではなく、自身の考え方を変えるためでもあり、何かのきっかけにもなると羽織自身信じていた。
「……………」
どうしたらいいのかは、よくわからない。
でもーーもう一度祐恭と話せたとき、嬉しかったのが事実。
今はただ、ポケットに入れたままの、あのうさぎの根付に触れながら、絵里の話に耳をかたむけるだけだった。
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