「羽織ちゃん、本当にありがとうね。お客さんできてもらったのに、休めなかったでしょう? ごめんなさいね」
「いえっ! とんでもないです。むしろ、喜んでいただけて本当に嬉しかったですし」
「……んもぅー、羽織ちゃんってばぁ」
「わぁっ!?」
申し訳なさそうに頭を下げたはずのお袋が、いきなり彼女を抱きしめた。
むぎゅ、と音が聞こえたような気がする。
困ったように彼女がこちらを見るが、俺としてもどうしようもないワケで。
……そういえば、紗那も抱きついてたな。
これも遺伝なのか?
などと思っていたら、母が彼女に頬を寄せたままで俺を見た。
「? ……なんだよ」
「羽織ちゃん、母さんにちょうだい」
「……はぁ?」
「うちの娘に欲しい! こんないい子、今どきいないわよ!! 年は紗那より年下だけど、いいお姉さんになるものっ」
「……何を寝ぼけたこと言ってんだよ。ダメに決まってるだろ」
たまに出る、母の駄々っ子ぶり。
見慣れてはいるしわかってはいるのだが、こちらとしては早く彼女をいつもと同じ家事から解放してやりたいワケで、眉が寄る。
「いーじゃないのよ! ちょうだい!」
「……しつこいな。祭りが終わっちゃうだろ」
「あら。お祭りだったら、ひとりで行ってくればいいじゃないのよー。羽織ちゃん、置いてって」
「嫌だ」
「なんでよ!」
「どうせロクでもないこと吹きこむんだろ? だから、嫌だ」
「んまぁー、ひどいわね母親に向かって……。いいじゃない、羽織ちゃん娘に欲しいんだもの!」
……はぁ。
相変わらず、どっか論点がズレてる。
よくもまぁ、親父はこんなお袋と何年もいられるモンだ。
「あのな。いい加減、手を離せって!」
「いやっ! 娘にちょうだいっ!」
「しつこい!」
「わぁっ!?」
腕を組んで首を横に振っていたものの一向に改善が見られないので、実力行使に出る。
ぐいっとその手を離しにかかる――……が、がっちりと絡めて離そうとしない。
……あー、しつこい。
というか、正直面倒くさい。
なんなんだ、この親は。
「親不孝!」
「なっ……! どっちがだよ! ほら、もーいいだろ? 離せって!」
「嫌なのっ! 欲しいのっ!」
「だから、ダメだって!」
「いーやぁー!」
「あー、もー………」
いい加減頭にきた。
しつこいぞ、我が親ながら……!
いや、むしろやはり『我が親だから』なんだろうけど。
「しつこいぞ、お袋!」
「いいでしょっ! だって、羽織ちゃん欲しいんだもんっ!」
「ッ……だから! そのうち娘になるんだから、今じゃなくてもいいだろ!!」
つい、カっとなって出た大声の余韻か、空気がビリビリと響いた。
「………………ふぅーん」
「あ」
口が滑った。
というか、無理やり言わされたというか。
思わずぽかんと口を開けた俺を、お袋がくすりとそれはそれは意味ありげな顔で笑う。
「羽織ちゃん。不束な息子だけど、どうぞよろしくお願いします」
「っ……そんな! とんでもないです。こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします」
先ほどまではテコでも動こうとしなかったお袋が、すんなり彼女を解放したかと思いきや、ぺこりと頭を下げた。
もちろん、彼女とて同じ。
丁寧に腰を折ってくれ、髪がさらりと落ちる。
「いいから、そんな挨拶は」
「あっ! せ……んせっ! ちょっと待っ……!」
そんな姿を見ているのが気恥ずかしいというよりもいたたまれなくて、彼女の手を引いて無理矢理方向転換。
階段へ連れ去るように足を進め、音を立てて段を上がる。
「………………」
部屋のドアを閉めてから向かう、クローゼット。
彼女がうしろにいるのはわかるのだが、いや、だからこそ気まずい。
……なんであんなこと口走ったんだ。俺は。
咄嗟に口から出てしまったというか……まぁ、別にアレはお袋を納得させるための口実とは思ってないが。
「っ……」
奥にしまいこんであった浴衣を引っ張った途端、背中に彼女の感触があった。
ぴと、と。
何も言わず腰に腕を回され、思わず喉が鳴る。
「……な、に?」
思わず、声が上ずる。
久しぶりに彼女が自ら抱きついてきたからというのもあったが、やはり頭には先ほどの言葉があった。
「さっきの……どういう意味ですか?」
「……どういうって……。……そのままだけど」
「…………」
ズルいと思う。この言い方は。
だが彼女は、腕に力を込めたものの何も言わなかった。
言ってあげたほうが、恐らく喜んでくれるだろうとは思う。
『今からそんなこと考えてるの?』なんて茶化すような子じゃないのは、俺が1番わかってるから。
それでも、やはり……気恥ずかしさがあって。
「…………」
「…………」
彼女の手に手を重ね、撫でるようにしながら小さく息を吐く。
……今さら照れても仕方ないか。
アレは、事実。
彼女に対する、俺の思いなんだから。
「……羽織ちゃんがよければ、だけどね」
「っ……ホントに……? ホントに、そんなふうに……」
「当たり前だろ」
ぺちぺち、と手の甲を叩いてから、身体ごと彼女に向き直る。
正面から見るとその頬は赤くて、少し困ったような、照れているような……そんな感じの表情をしていた。
「最初から、遊びのつもりなんてないよ」
「……先生」
「親に会ってもらったのだって、そういうつもりがあるからだし」
「っ……」
ゆっくりと髪を撫で、頬に手を当てる。
温かい彼女。
手のひらを両手で触れながら、頬をすり寄せて瞳を閉じると、改めて俺を見上げた。
「……ね」
「…………うん」
ゆっくりとそれだけ呟いてから、彼女に口づける。
いつもより優しく、甘い。
そんな雰囲気に、思わず酔いそうになる。
「……それじゃ、終わらないうちに祭りに行こう」
「うんっ」
顔を近づけたままでそう呟くと、嬉しそうに彼女も微笑んだ。
――……が。
「ん?」
「えっ? ……あ……えと」
早速浴衣を手にすると、ふいに彼女の視線を感じた。
ひしひしと、というわけではないが、目が合った途端、困ったように視線が泳ぐ。
…………なるほど。
「何? ここで着替えたらマズい?」
「えっ!? う、ううん。そんなことは……ないけど……」
「そ? じゃ、いいよね」
「っわあ!?」
首を振ったのを見てTシャツをたくし上げようとした途端、慌てたように両手で顔を覆った。
……おもしろい反応するな。
見てて飽きない。
「……何?」
「や、やっぱり……別の部屋のほうが……」
「んー? 別に全部脱ぐワケじゃないんだから、そんな慌てなくても……」
「でもっ」
わざと彼女に詰め寄って、いたずらっぽく笑いながら壁との間に挟んでやると、あとがなくなって困った顔を見せ、眉を寄せた。
「……いじわる」
「どうして? 今さら、裸になったところで何も困らないでしょ?」
「っ……! でも……!」
「……ま、そう言うなら出てあげるけどね」
「…………ほ」
ぎりぎりまで詰め寄ってからゆっくり解放してやると、それはそれは安堵の表情を浮かべながら胸に手を当てた。
からかい甲斐があるというのは、やっぱりイイもので。
楽しい。ものすごく。
素直にそう思った。
「それじゃ、支度できたら下においで」
「あ、はい」
浴衣を手に部屋を出て、そのまま1階へ向かう。
誰もいない和室でとっとと服を脱ぎ、浴衣を羽織る……が。
「…………」
浴衣って、どうやって帯締めるんだ?
紋付袴ならば自分でも着られるが、これは別。
……帯って、同じ巻き方でいいのかな。
それとも、やっぱり浴衣は浴衣の結び方があるのか?
さすがにこの年になってお袋に聞くというのもどうかとは思うが、まぁ、恐らく彼女なら知ってるだろう。
俺の有能な彼女。
何よりも頼りになるし、事実そうしてる。
「お待たせしました」
「っ……」
なんてことを考えていると、浴衣をきちんと身に着けた彼女が降りてきた。
赤い生地に、大き目の矢羽柄。
そこに、黄色の帯がよく映えている。
だが、もちろんそれだけじゃない。
ぱっと目が合ったとき思わず喉が鳴った理由は、彼女を際立たせている着物なんかではもちろんなくて。
いつもは下ろされている、長い髪。
それが、今はきちんとアップに纏められて、うなじが見えていたからだ。
「……な、んですか?」
艶っぽいな。
だらしなく浴衣を纏ったまま彼女のそばへ行き、まじまじと見下ろす。
わずかに頬を染めた姿が、余計色っぽくて。
ついつい手を出したくなるのも、仕方ないだろう。
「いや。きれいだな、と思って」
「……本当ですか?」
「俺が嘘言うワケないだろ」
苦笑してうなずくと、嬉しそうに彼女も微笑んだ。
そして、帯を弄んでいたのを見て、小さく笑う。
「締めましょうか?」
「できる? じゃあ、よろしく」
「はぁい」
くるっとうしろを向かされ、子どものように着付けをしてもらう。
帯を前に通すために身体が密着すると、つい鼓動が早くなった。
ぎゅっと締められ、少し気が引き締まる感じがする。
……理性のタガってとこか。
なんて思っていると、不意に背中をぽんと叩かれた。
「どうですか? 苦しくないですか?」
「うん、平気。ありがとう」
「どういたしまして」
微笑んでから彼女の手を取り、リビングにいる両親へ声をかけて玄関を出る。
すると、エンジン音を響かせながら、ちょうど祖父の車が入ってくるところだった。
しばらくすると、若い女性を伴ってこちらに向かってくる。
その女性は、もちろん妻の里美さんで。
俺が彼女を連れているとわかってか、少し駆け足でこちらにきた。
「こんばんわっ。あらぁ、ずいぶんかわいい子連れてるのねー。紹介は?」
「はは。彼女の、羽織です」
「っ……あ、えと、初めまして、瀬那羽織です」
「こんばんは、羽織ちゃん。瀬尋里美です」
「ほぉー、これはこれは。ずいぶん、すてきなお嬢さんじゃないか」
にこやかに髭を触りながら現れたのは、祖父の浩介。
にこにこと笑顔を浮かべたままで、彼女の目線に合わせて頭を下げる。
「初めまして、お嬢さん。祐恭の祖父の、浩介です」
「瀬那羽織です。お噂はかねがね」
「ほぅ。どんな噂かな?」
ちらりとこちらを見られ、顎で車庫をさしてやる。
今帰ってきたばかりの車も含め、これだけ目を惹く車が堂々と停まっていれば、噂にもなるというモノ。
しかも、普通過ぎるオープンな車庫。
頑丈な鍵もなければ、普通程度のシャッターとすらない、出入り自由の場所に、だ。
「アレだよ、アレ。あんな車に乗ってる、若いじーさんって話」
「はっはっは、それはそれは。まぁ、あんな車に乗ってるからこそ、こういう若い妻をもらうこともできたというものだがね」
「きゃっ。もぉー、浩ちゃんてばぁー」
言いながら里美さんを抱き寄せると、彼女もまんざらではなさそうに笑った。
……相変わらず、よくやるよ。
「しかし、今どきのお嬢さんにしては本当にしおらしくて。祐恭、いい子を捕まえたな」
「まぁね。じーちゃんの孫だから」
にっと笑ってこちらも彼女の肩に手を回すと、いたずらっぽく笑われた。
やっぱり、血筋ともいうべきかな。
なんて、彼を見ていたら少し思った。
「近所の祭りに行くのか? 暗いから、気をつけてな」
「そーよぉー。あんまり、暗いところへ行っちゃダメよー?」
「ああ、そうするよ」
何やら意味ありげな視線のふたりに苦笑を浮かべてから道に出ると、同じ方向を目指す人々が何人見えた。
まだ、祭りは十分賑わいを見せているようで、人通りも多い。
「ずいぶん若いお祖父さんですね」
「まぁ、だからこそ里美さんをもらったんだろうけど」
「ですね」
ふっと笑ってうなずきながらしばらく歩いていくと、一層賑わいを見せる場所が見えてきた。
色といい音といい、まさに祭り会場そのもの。
……久しぶりだな、こういう雰囲気。
お囃子や太鼓の音を聞くと、なぜだか少しわくわくしているような自分がいるのに気付き、それが少しおかしかった
「すごーい!」
嬉しそうに声をあげた彼女を抱き寄せ、耳元で呟く。
「迷子にならないでね」
「もぅっ。子どもじゃないから、大丈夫ですよ!」
「はいはい」
くっくと笑いながら肩をすくめ、彼女とともに歩みを進める。
昔から、こうして幾度となく夜祭に訪れた近所の神社。
無論、夜祭だけでなく、初詣や多くの年中行事に足を運んだ、いわゆる氏神だ。
……しかし、まさか彼女とここへくることになるとは。
人間、わからないモノだな。
不思議そうな顔の彼女に苦笑を浮かべ、人をかきわけ奥へと進む。
すると、しばらく露店が続いたあとで、ふっと視界がひらけた。
そこは、いわゆる本殿がある場所。
なんとなく、ほかと雰囲気が違うのであたりを見回すと、理由がよくわかった。
「…………」
静かで人気がなく、そしてうっすらとした明り。
どうりで、カップルが何組かいるわけだ。
……こんなところで、どいつもこいつも似たようなことしてんなよ。
内心ため息をつきながら財布を取り出して15円を取り出す。
「あれ? 15円なんですか?」
「以後縁がありますように、って」
「あー、なるほど」
チャリ、と小銭を手の内で転がして見せてやると、彼女も同じく15円を取り出して、手に持った。
タイミングよく同時にそれを投げると、カラカラと木の乾いた音が響く。
二拍手一拝。
まずそれをしてから、そっと願をかける。
……まぁ、初詣じゃないから多くは望まないけれど。
『ずっと彼女がそばにいるように』
単純かもしれないが、今の自分にとって1番だと思える願いをしながら、顔を上げる。
……と、隣の彼女はなにやら一生懸命に願っていた。
そんな姿をまじまじと見ていたら、やっとこちらに視線を向ける。
「ずいぶん、たくさんお祈りしてたね。15円なのになぁ。……欲張りさん」
「いっ、いいんですっ」
慌てたように先を歩き出した彼女のあとを追い、笑ってから隣に並ぶ。
だがそのとき、提灯の柔らかい光に照らされた彼女のうなじに、ついつい目が行った。
いつも髪を下ろしているせいか、やけに初々しさを感じる。
「で。何をお祈りしてたの?」
「だめですよー。……話したら叶わなくなっちゃうじゃないですか」
「しょうがないな。じゃ、俺が何願ったのかも内緒ね」
「……あ……」
少し眉を寄せてこちらを見上げた彼女。
だが、内緒は内緒。
……というのは建て前で、言うのが照れくさい。
「そんな顔してもダメ。さ、露店見てみよう」
「うー……。はぁい」
ぱっと彼女の手を取って露店がひしめく通りへ戻り、早速あれこれ物色し始める。
幼いころから変わらない、おもちゃ屋の並び。
昔と同じ、露店ならではの食べ物。
懐かしい、とまず頭に浮かぶからこそ、自然と笑みが浮かんだ。
「懐かしいなー。久しぶりにきたよ」
「私も、お祭りなんて久しぶり……」
わた飴の甘い匂いに、焼きそばやたこ焼きのソースの匂い、そしてテキ屋の呼び声。
祭りはなんとなく童心に戻してくれるような気がして、嫌いじゃない。
「りんご飴とか、イチゴ飴とか。よく食べたんですよー」
「うわ、チャレンジャーだね。俺は食えなかったな」
「そうなんですか?」
「だって、色がすごいだろ?それに、りんご飴ってデカいし」
「でも、それがいいんですよーっ! 子どもとしては、理想なんですよ? あれをひとりで食べるの」
「そうなの?」
通り過ぎる露店のことであれこれと思い出を話しながら歩いていると、祭りにきて本当によかったと思う。
こうして話すことで、埋められるものもあると思うから。
しばらく歩き回ってあちこち見たりしていると、結構な時間が経っていた。
それほど広くない神社ながらも、祭りになると不思議なモノでやけに広く感じられる。
さすがに夕食を食べたばかりなので食べ物は買わなかったが、結構な満足感が得られていた。
「……?」
ふと彼女を見ると、何かを気にするように足元を見ていた。
不思議に思って自分も彼女の足元を見てみるが、これといって何もない……んだが。
……何だ?
「どうかした?」
「えっ? う、ううん、別に」
声をかけると、少し驚いたように彼女が慌てて首を振った。
……何かあるな。
そう直感したからには、やはり原因を追究しないと落ち着かないもので。
「ちょっと。おいで」
「え?」
「座ろうか」
「あ……はい」
あたりを見回して手ごろなベンチを見つけてから、彼女の手を引いてそこに座らせるべく足を向けた。
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