ショッピングモールからマンションまで運転する彼は、制服こそ着ているものの、やはりいつもの彼と違いはなかった。
 つい、その横顔に見とれてしまう。
 眼鏡がないのが、なんだか不思議な感じ。
 でも、眼鏡を外したときに感じるあの感覚は今の彼からは感じられないから、それが唯一ほっとできるといえばそうだった。
「ここでいい?」
「あ。ありがとうございます」
 食料品をキッチンまで運んでくれてから、夕刊を手にした彼がソファへ向かった。
 制服姿の彼が、夕刊を持つ。
 ……なんだか、変な感じ。
 いつもと同じ目線で見ていると、どうしても違和感があってそのうしろ姿が少しだけおかしい。
「………………」
 冷蔵庫にしまう物を片付けてから改めて彼を見ると、真面目な顔つきで夕刊を読んでいた。
 ……高校生っぽくないなぁ。
 妙な感じ。
 いつも彼がしていることを、制服姿の彼がしているとやっぱり不似合いな気がしてしまう。
 ……なんてこと言ったら、叱られそうだけど。
「何がそんなにおかしい?」
「えっ? あ、なんでもないです」
 ばっちりと目が合ってしまい、慌てて首を横に振るものの彼は訝しげな表情を崩さなかった。
 広げていた夕刊を畳み、立ち上がってこちらに歩いてくる。
 ……うぅ。逃げられそうにはないらしい。
「なんか……今の祐恭さんが、本当に先生の弟みたいに見えるんですもん」
「本当って……いや、羽織ちゃんに信じこまれても困るんだけど」
「だって、制服姿でそうやって真面目に夕刊読んでると……あはは」
 たまらず声を出して笑うと、眉を寄せて彼がキッチンまで歩いてきた。
「そんなに笑うことないだろ」
「だ、だって……なんだか、変な感じで」
 ごめんなさい、と小さく呟くものの、やっぱり簡単に笑いを止められるはずもなく。
 くすくす笑っていると、急に彼が私を挟むようにして壁に両手をついた。
「っ……な、んですか……?」
「ん? ……いや、“兄貴”が帰ってくる前にヤれることはヤっておこうかなと思って」
「な…っ……!」
「ほら、兄貴と一緒に住んでるんじゃあ、なかなかこうしてふたりきりで過ごすことなんてできないだろ?」
 つ、と首筋に指を当てられて、思わず身をよじる。
 いくら腕力が落ちているとはいえ、私が彼に勝てるわけない。
 困ったように眉を寄せると、意地悪そうな笑みを浮かべて顔を近づけてきた。
「……んー? そういうことだろ?」
「い……いじわる」
「意地悪、だァ? 人のことを笑うのは意地悪じゃないのか?」
「っ……ごめんなさい」
 瞳を細められ、たまらず謝る――……と、彼が頬に口づけをしてからリビングへ戻って行った。
「ったく。同い年だからって、ナメるなよ」
「なっ……ナメてなんかないですよ!」
 フン、と大げさなそぶりでソファに戻っていった彼を慌てて追いかけ、隣に腰をおろす。
 すると、彼が私を見下ろすように瞳を細めた。
「祐恭さんのこと、そんなふうに思ってませんよ?」
「……わかってるよ」
 じぃっとしばらくのあいだ黙ってみていたかと思いきや、ふっと笑ってから髪を撫でてくれた。
 その感じはいつもの彼と同じで、身体に入っていた余計な力が、ふっと抜ける。
「馬鹿にしたらどうなるかってことくらい……わかるよね?」
「……う。うん」
 にやっと笑われて思わずうなずくと、満足げな笑みを浮かべた。
 こういうのって、ある意味脅迫にならないんだろうか。
 ……まぁ、だからといって彼が何をするわけでもないのは、もちろんわかってるけど。
 ………………たぶん。
「よろしい。じゃ、夕飯よろしく」
「っ……わかりました」
 キッチンに向かいながら、ふと彼を振り返る。
 と、やっぱり着替えようとせずに制服のままテレビのニュースを見つめていた。
 ……なんだかんだ言って、制服気に入ってるのかも……?
 なんてことが、ちょっぴり頭に浮かんだのは言うまでもない。

「――……だから、これはこの数式に当てはめて考えるんだよ」
「あ、なるほど」
 翌日。
 夏休みの間、彼が家にいるときの午前中は、こうして勉強を教えてもらうことにしていた。
 それは彼が見た目18歳であろうと変わることなく、普通に続いている。
 ……さすがに今日は制服じゃないけどね。
 見慣れたシャツとズボン。
 背は変わらないのに、なんだか大きく見える。
 体重が違うのかな……。
「え?」
 なんてことを考えながら彼を見ていたら、ふいに手の甲を指で叩かれた。
「……どこ見てるんだよ。えっち」
「ち、違いますよっ! そうじゃなくて――」
「まぁその辺は、あとで聞くとして。はい、次」
「……うぅ」
 口調も態度も24歳の彼のまま。
 でも、見た目が違うとやっぱり違う人みたいなんだよね。
 夢のような話だからこそ、そんなふうにまだ思う。
「………………」
 ……それにしても。
 かりかりとシャーペンを動かしながら問題を解いているものの、やっぱり……変な感じ。
 18歳。つまり同い年の彼に勉強教えてもらうなんて、まるで本当に高校生同士のカップルみたい。
 ……とはいえ、私もそういう話を聞いたことがあるだけで、実際に同い年で付き合っている子が必ずしも勉強を教わっているわけじゃないだろうけれど。
「……何?」
「え? あ、ううんっ」
 ついつい視線は彼のほうへ行ってしまうらしく、そのたびに怪訝そうな顔をされるんだけれど、やっぱり直らなかった。
 ……ひょっとすると、もう癖になっているのかもしれない。
 頬杖をつきながら勉強を見ている彼は、まるで本当に先生の弟みたいなんだよね。
 といっても、涼さんとはまるで違う。
 雰囲気も、顔も、何もかも。
 でも――……目の前で起きていることが、やっぱり夢みたいなんだもん。
 24歳の彼が、1週間だけ同い年の彼になったなんて、誰が信じてくれるだろう。
 …………お兄ちゃんは信じてたけど。
 大っぴらに恋人同士として外を歩けるのは嬉しいけれど、やっぱり彼じゃないみたいに思えて、ちょっとだけ寂しくなる。
 違いなんて、あるはずないのに。
「……?」
「……結構、度が入ってたんだな」
 数学の問題集に目を落としていたら、テーブルのケースへしまっていた眼鏡を手にした。
 両手で扱い、すぐにケースへ戻す。
「高校のときは、悪くなかったんですか?」
「うん。今、普通に見えてるしね。眼鏡をかけるようになったのは、大学行ってからだから」
「そうなんだ」
 自分が知らなかった事実。
 たまにこういうのがぽろっと耳に入るのは、ほかの人が知らないことを知り得たような気がして、嬉しかった。
「……そういえば。この時計って、自分で買ったんですか?」
「ん? これ?」
「うん。えっと……高い時計、ですよね?」
「……そうなの?」
「そうですよー!」
 高校生がしているような類のものじゃない、腕時計。
 いわゆる、時計ブランドの中ではかなり有名なモノで、私も何度か雑誌やテレビで見たことはある。
「じーちゃんが就職祝いにくれたんだよ」
「浩介さんが?」
「うん。だから、ブランド名はわかるけど正直価値はそこまで」
「そうなんですか。……でも、浩介さんなら、納得」
 なんといっても、フェラーリ2台所有している社長さんだし。
 そんな事を考えて苦笑すると、外した時計をくるくると器用に指で回しながら彼が続けた。
「そろそろ休憩にしようか。で、昼飯どうする?」
「んー……。ご飯が残ってたから、オムライスとかはどうですか?」
「いいよ」
「よかった」
 これまで、私の提案に彼が異を唱えることはあまりなかった。
 それは、彼の優しさであり、私に対する……甘やかし、かもしれない。
 でも、やっぱり嬉しいんだよね。
 彼が『うん』とか『いいよ』って、許可してくれると。
 キッチンに向かい、冷蔵庫から野菜と残っていたベーコンを取り出す。
 細かく刻んでボウルに入れたそれを、フライパンを熱してからバターで炒め始める。
 ある程度火が通ったところで、塩コショウとケチャップで味付けしてから、ご飯を投入。
 昔から、チキンライスは好きだった。
 ……とはいえ、今回はチキンの代わりにベーコンを入れたから、正確にはチキンライスとは言わないんだけど。
 別のフライパンで溶いた卵を半熟まで加熱し、形を整えて……あらかじめお皿に盛っておいたチキンライスの上に乗せてから、半分に割る……と、ふわふわ卵のオムライスの完成。
 トレイに、オムライスとスプーン、そしてアイスティーの入ったグラスを乗せていくと、参考書をどけて机を空けてくれた。
「どうぞ」
「ありがとう」
 にっこり笑ってお皿を受け取ってくれた彼が、早速スプーンを手にする。
 その右隣に座ってから、自分もスプーンを手にする……ものの。
 実はひとつだけ、こっそりある野菜を入れておいた。
 ので、早速食べ始めた彼を見たまま、手は止まってしまう。
「………………」
 スプーンですくって……ぱくん。
 もぐもぐ。
 ……ごっくん。
「……何?」
 そんな一連の動作を見ていたら、怪訝そうに彼が眉を寄せた。
「……あ。おいしい、ですか?」
「うん。おいしいけど?」
「よかった」
 ほっとして微笑んでから、自分も食べ始める。
 どうやら、気付かれてはいないらしい。
 …………って、もしかしたら今のこそ余計だったかな。
 私を見つめていた彼が、いきなりチキンライスを崩し始めた。
 それこそ――……何かを探すかのように。
「……トマト」
「っ……」
「トマト入れた?」
 びくり、と肩が震え、おずおず上げた視線の先には瞳を細めた彼がいた。
 ……まずい。
 目の前に上げられたスプーンには、わずかながらトマトと思しき破片が見える。
 ……しっかり炒めたはずなのに。
 そうは思うけれど、笑顔で取り繕うべく手を振る。
「やだなぁー。それ、ケチャップですよー」
「こんな、いかにもトマト入りのケチャップなんて使ってないだろ?」
「た、たまに入ってるんじゃないですか?」
「ない」
 ……即、切り捨てられた。それも、ばっさりと。
 ……うぅ。
 もしかして、怒ってる……かなぁ。
 でも、トマトってとっても身体にいいのに。
 ……と、何を言ってみたところで、単なる言い訳だよね。
 ここは、素直に謝るのが1番いいと思う。
「……ごめんなさい」
「ったく。別に怒ったりしないんだし、正直に言えばいいのに」
「え。そうなんですか?」
「当たり前だろ。こんなことくらいで怒るような人間だとでも思ってるの? そのほうがよっぽど心外だね」
「っ……ごめんなさい」
 慌ててもう1度謝り、改めて彼を見る。
 すると、もうひとくちチキンライスを食べるところだった。
「……でも、トマト駄目なんじゃ……」
「トマトの味しないだろ? だから、食える」
「……なるほど」
 スプーンを止めることなく進めている彼を見ながら、ほっと安堵の息をつく。
 ちょっと安心。
 でも、『トマト入れてもいいですか?』って聞くと、明らかに嫌な顔するんだもん。
 この間のスパゲティのときは、明らかに拒絶したのに。
 ……トマトの味がしない、かぁ。
 なるほどね。覚えておいて、損はない情報。
 うなずきながら自分もオムライスの続きを食べ始めると、どこか懐かしいような味に、つい笑みが浮かんだ。

 あと片付けを終えてソファに座ると、洋画のCMを見ていた彼が、視線はそのままで小さく呟いた。
「映画、見に行こうか」
「映画ですか?」
「うん。今夜」
「っ……今夜?」
 小さく笑ってこちらを見た彼の顔は、どこか楽しそうだった。
 まるで、何かを企んでいるかのような顔。
 でも、面影って言ったら変だけど、こういう顔、いつもの祐恭先生もするんだよね。
「んーと……別にそれは構いませんけど。でも、珍しいですね」
「ほら、続編って気になるじゃない?」
「……それは、まぁ……」
「じゃ、決まりね」
 にっと笑って視線をテレビに戻した彼の、横顔。
 その顔は、なんだかとっても楽しそうに見える。
 続編ってことは、今CMをやっていた映画のことなんだろうなぁ。
 いわゆる、カーアクションがふんだんに盛り込まれている、シリーズモノの映画の2作目。
 もしかして、そんなに好きだったのかな?
「そういえば、初めてですね。映画を見に行くのって」
「だね」
「先生、映画好きでしょ? だから、そういえば行ったことないなぁって思ったら、なんだか珍しい感じがして」
 普段でも、彼はたまにCS放送の映画を見ていたりすることがある。
 それに、家のDVDラックにも様々なジャンルの映画のパッケージも並んでいるから、彼が映画を好きだというのは間違いない。
 だけど、ある意味デートの定番とも言われる映画館デートは、今までしたことがなかった。
 それがちょっぴり今になって不思議に思えたから口にしたんだけど、なぜか彼は苦笑を浮かべた。
「……そりゃ、本当は行きたいけどね。でも、映画館に教師と生徒が一緒に入ったところを見られたら、言い訳できないでしょ?」
「っ……それは…………そっか」
 あ、と思ったときにはもう遅かった。
 ……私、自分の立場をちゃんと理解してなかったのかな。
 まるでなだめるかのように頭を撫でられて、思わず眉尻が下がった。
「でも、今なら誰に見つかっても平気だよね」
「……ですね」
 もしかしたら、私がそんな顔をしたのがわかったのかもしれない。
 髪を弄っていた彼が、顔を覗き込んでからにっこり笑った。
「そういえば、祐恭さんの1番好きな映画って、なんですか?」
「……俺?」
「うん」
 今まで彼とテレビでいろんな映画を見たことはあったけれど、そんな話をした記憶はない。
 私もそれなりに見ることはあるけれど、きっと私の知らない映画を何本も知っているであろう彼が何を選ぶか、気になるというか……正直、知っておきたかった。
 だって、自分が知らない映画だったら、ちゃんと見ておきたいし。
「羽織ちゃんは?」
「私は、やっぱりプリティウーマンですね」
「……あー。結構多いよね、そういう子」
「だって、あれはいいですよー。ジュリア・ロバーツもかわいいし、徐々に変わっていくところとか、見ていて楽しいし」
「なるほど。やっぱり、女の子ってああいうシンデレラストーリーが好きなんだな」
「夢があるじゃないですか。それに、ハッピーエンドですもん」
「そっか」
 もしかしたら、紗那さんも同じことを言ったのかもしれない。
 『みんな同じだな』なんて、彼が小さく付け足したから。
「……で?」
「ん?」
「祐恭さんは?」
「……まぁ、いいじゃない?」
「え?」
 いつもと違って、彼が珍しく言葉を濁した。
 だけじゃない。
 視線も私からふいと逸らし、テレビへと向き直ってしまう。
 ……んー。なんだろう?
 もしかして、さりげなく話題を逸らされたのかな。
「祐恭さん?」
「……あー、眠くなってきたな」
 こちらに背を向けて伸びをすると、そのままソファに横になってしまった。
 いわゆる、しらんぷり状態だ。
「もぅっ! どうして? そんな、人に言えないような映画なんですか?」
「いいだろ、別に。あー、ほら。アクションとか好きだよ」
「……それで?」
「ファンタジーも見るし」
「…………で?」
「洋画は大抵……あー、あれだ。トトロ」
「……トトロぉ?」
「うん。ネコバス欲しいね。ふわふわだし、どこでも連れてってくれるし」
「もぅ! 祐恭さん!」
 ぷらぷらと手を振るものの、結局私には背を向けたまま。
 ……むー。それがとっても怪しい。
 そもそも、私が教えたのに教えてもらえないなんて、ちょっと理不尽な感じがするし。
「うわ!」
「もぅっ! どうして教えてくれないんですか?」
「ち、ちょっ……ま、待て! 話せば――」
「だって! さっきからこうして話してるのに、祐恭さんが聞いてくれないんじゃないですか!」
「わ、わかった! わかったから、ちょっと離れる!」
 横になった彼へおおいかぶさるように顔を覗き込むと、慌てて彼が私を制した。
 さらりと髪が滑り落ち、くすぐったそうな顔をする。
 ……こういう顔、あんまり見たことないなぁ。
 なんだか、ちょっとだけ楽しくなっちゃった。
「はー……」
「教えてくださいね」
「……わかったよ」
 少し頬を赤らめた彼が、ため息混じりに上半身を起こしてから私を見た。
 まるで、拗ねているかのように見える顔。
 思わず首を傾げると、小さく咳払いをした。
「……笑わない?
「うん」
「…………ホントかな」
「ほんとにっ! 笑ったりしないですよ!」
 ぎゅっと腕にしがみつき、何度もうなずく。
 すると、しばらくまじまじ私を見つめていたけれど、ほどなくしてからため息をついた。
「――……の奇跡」
「え?」
「……だから。『34丁目の奇跡』が好きだったよ」
 ぶっきらぼうに言い放った彼は、それ以上何を言うでもなく視線をテレビへ向けた。
 ……34丁目の奇跡って……あれだよね?
 あの……サンタさんが出てくる映画。
 …………ホントに? だとしたら――……。
「ただし子どものときの話ね。今じゃなくて」
「……かわいい」
「っ……だから嫌だったん――」
 慌てたように首を振った彼に思わず笑うと、眉を寄せた彼がふいに目を丸くした。
「私もあの映画好きですよ? すごく感動したっていうか……ホントに、見終わった後で『こういう映画っていいなぁ』って思いましたもん。それに、クリスマスが近くなると思い出すし」
「……ホントに?」
「うんっ! 特に、あのラストが1番好きです。アメリカらしい終わり方で、希望持てるじゃないですか」
 にっこり笑って何度もうなずくと、まじまじ見ていた彼が、ふっと微笑んだ。
 頭を撫でるように手を伸ばし、髪をすく。
「そっか」
 その顔はどこか安心したようなもので。
 なんだか本当にかわいく思えて、にまにまと頬が緩む。
「でも、祐恭さんがあの映画を好きだなんて知らなかったです」
「……昔、かなり小さいころに見たんだよ。それ以来、好きっていうか、1番心に残ってるかな。ほかにもグロかったり痛かったりアクションだったり、まぁいろいろ観るけど、そういうのって印象に残りにくいっていうか。きっと、当時の自分のわくわくした気持ちとか、なんかそういうのが残ってるんだろうなとは思うけどね」
 懐かしむようにそう言った彼は、本当の高校生みたいに見える。
 普段とは違って、少しだけ幼さが見えるからか、眼差しがついつい“小さな男の子”に接しているときのような――……そう。
 それこそ、和哉君に接しているときのようになるのがわかった。
「私、祐恭さんがどんな映画を好きだって言っても、笑ったりしませんよ?」
「……だね」
 ふふ、と笑ってみせると、彼が苦笑を浮かべてからうなずいた。
 でも、なぜかそのあとすぐ、今度は彼がいたずらっぽく笑う。
「それにしても、ずいぶんかわいい顔して共感してくれたね。……俺と違って、いかにも純粋って感じ」
「そっ……そんなことないもんっ。私もあの映画好きだし……」
「思わず食いたくなる」
「っ……! も、もぅ! そんなこと――」
 ふ、とすぐそばで瞳を細められ、途端に頬が赤くなった。
 普段の彼に言われても恥かしいのに、普段とはまるで違う雰囲気だからか、余計にどきどきする。
 慌てて視線を逸らし、彼の注意を引くべくテレビのリモコンに手を伸ばす。
 すると、ニュースからうってかわってバラエティ特有の大きな笑い声が響いた。
「こら。勝手に変えない」
「だ、だって! 祐恭さん見てないじゃないですかっ」
「だめ。ほら、戻して」
「見たいんですっ」
「たまにはニュースを見る」
「夏休みに入ってから、すごく見てます!」
 照れ隠しで始めたことだったけれど、ちょうど内容がおもしろそうだっただけに、チャンネル変えられたくなかった。
 だって、『彼の深層心理をチェック! これであなたも、魅せる彼女に!』なんて言われたら、気になるんだもん。
 慌ててリモコンを取り上げられないように身体の向きを変え、彼の手から逃れるように精一杯がんばる。
 ――……と、最後にはため息をついて、彼が折れてくれた。
「……ったく」
「わ!?」
 はぁ、と大きなため息を感じたかと思いきや、急に抱きすくめられた。
 彼の鼓動が背中越しに伝わり、どきどきしてぎゅうっと胸が苦しくなる。
「それじゃ、ここで見なさい」
「……うぅ。なんでここなんですか?」
「我がままな彼女の指定席」
「っ……」
 結局、いつものように彼の足の間へ座らされることになった。
 ……うぅ、恥ずかしい。
 だってここ、何かされそうで緊張するんだもん。
 この間だって、結局途中から彼が……その…………うぅ。
「…………」
 ふと彼を見上げると、視線はテレビに向いていた。
 あんなにいろいろ言っていたけれど、こうして集中し始めると顔つきがガラリと変わる。
 こういうときの顔も、かっこいいんだよね。
 ついつい笑みが浮かび、テレビに向き直りながらもしばらくその顔は戻らなかった。
 ――……結局。
 そのあとも簡単に離してくれることはなく、番組が終わるまでこのままの姿勢で過ごすことになった。


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