『え? 貧血に効く料理?』
「ああ」
『あはは、やーねぇ。私が知ってるわけないじゃないのー』
あっはっは、とあまりにも軽快に笑われ、乾いた笑いが漏れる。
放課後の準備室。
知っているかもしれないと、期待薄な電話をかけたのだが……。
……やっぱりか。
お袋に、アドバイスを求めた俺が馬鹿だった。
小さくため息をついて電話を切ろうとすると、あれこれ最近の世間話をされてしまう。
……聞く相手を間違った。
こういうのは、直接羽織ちゃんに聞いたほうがいいんだよな。
相槌を打って電話を切り、とっとと部活中の実験室へ戻る。
「……大丈夫なのか……?」
相変わらず、机に突っ伏して寝てるんじゃないかと思うような彼女。
遠くから眺めていたのだが、やっぱり気になるので声をかけるべくそばに行く。
「……大丈夫?」
「え? ……うん。平気」
「いや、平気に見えないから」
きっぱり切り捨てて机に手をつくと、ため息ひとつ。
顔色だってよくなければ、声も小さい。
……ああもう。
「こういうときは何食ったらいいんだ?」
「……んー……なんだろう。あ、でも、明日になれば少しは違うと思うんですけど……」
「そう?」
「うん。ちょっと……重なっちゃったかな」
苦笑を浮かべた彼女に不思議そうな顔をすると、ふるふる首を振った。
「……あー、なるほどね」
「もぅっ……先生はいいの!」
「ごめん」
つい考えてしまってから、謝る。
……女性は大変だな。
「つーか、そういうときに献血しない」
「だって……血が足りないって言うんだもん……」
「そりゃ、みんなに献血してもらえれば助かるだろうけど……自分が世話になったら意味ないだろ?」
「……そっか」
相変わらず、隣人を愛せよ主義の彼女にはため息が漏れる。
まぁ、それが彼女のいいところなんだとも思うが。
「でも、別に重なったって言っても……もう終わったし……。ただ、終わったばっかりだからかなって」
「なるほどね。まぁ、なんにせよゆっくり休んで」
「うん」
ぽんぽんと肩を叩くと、何かを思い出したように小さく声をあげてバッグから小さな包みを取り出した。
「先生、食べる?」
「……何? それ」
「チョコ」
「いらない」
きっぱりと言い捨てると、苦笑を浮かべてひとつ指でつまむ。
チョコ……ねぇ。
つーか、学校に菓子を持ってくるなというツッコミが出ないあたり、まっとうな学生生活を送ってない証拠か。
「……おいし」
指についたココアパウダーを舐め取って、幸せそうな顔を見せた彼女。
……だが。
なんて言うかこう……いつもと雰囲気が違う上に、そういう仕草をされると……不謹慎ながら色っぽく見える。
……この近さで見てるのは危険だ。
直感がそう告げたので、とっととテーブルを離れる。
……今ここで、手を出すわけにいかないし。
もう少し。
もう少しだから、がんばれ俺。
……って、具合悪いんだから彼女の心配しろ、とつっこまれそうだが。
「……先生、私が作るから……」
「いいから座ってなさい」
「でもぉ……」
「ほら、邪魔しない!」
キッチンに入ってきた彼女の背中を押してソファに座らせ、改めてキッチンへ。
ようやく、彼女を連れて帰ることができた愛しい我が家。
学校でなんとも言えない雰囲気をかもし出されたら、たまらない。
だからこそ、家に着くなりやけにほっとできた。
……あ、さて。
そんなわけで、男の料理第1弾。
お題は、スタミナ料理。
……って、何をすればいいんだ?
料理なんて、高校の調理実習までしかやったことはない。
だからこそ、何をどうすればいいのやら……。
つーか、その調理実習も結局俺はほとんどやった記憶ないんだよな。
「……ふぅ」
思わずシンクに置いたままのまな板と包丁を眺めながら、ため息が漏れる。
包丁で切ればいいのか?
とりあえず焼肉が頭に浮かんだので、それをやろうと思ったのだが……さて。
肉はある。
買い物に行って彼女が買ったんだから、間違いないだろう。
……で?
これを焼けばいいのか?
じゃあ、この野菜は何を……。
そんなことを考えていると、いつの間にきたのか知らないが、カウンター越しの彼女が不安そうに視線を向けてきた。
「……先生、大丈夫?」
「当たり前だろ。ほら、病人は休んでなさい」
「……もう、大丈夫ですってば。それよりも、先生のほうが心配」
「あのね。俺だって、料理のひとつやふたつくらい……」
包丁を手にして、ピーマンを切――……。
「わぁ!?」
「……なんつー声を出すんだ」
「だ、だってぇ……! もう、やだ! やめて! そんな切り方怖いです!」
「大丈夫だって。ほら、ちゃんと切れてるだろ?」
「そうだけど……わあ!? ち、違いますよ! そんなふうに包丁当てないの!」
「いいからっ。ほら、邪魔しない!」
「ちょ、待ってぇ! 中の種を取るの!」
「……あぁ? いいよ、面倒くさい」
「そういう問題じゃなくてっ!」
……料理って面倒。
改めて、そんなことを思った。
隣に来てものすごく不安げな顔をしている彼女に眉を寄せてから、再びピーマンにチャレンジ。
「……うぅっ」
「……」
「……わぁ……っ!」
「…………あのさ。ものすごくやりづらいんだけど」
「だって……怖いっ……」
口元に手を当てながら、切るごとに大げさな反応を見せる彼女。
……ったく。
そりゃあ、俺の料理の腕は知らないだろが、まぁ、多分大丈夫だ。
いざ食えないような物に仕上がっても、そのときは――……なんとかするから。
「……ったく」
彼女にため息を漏らしてから、再々チャレンジ。
しかし、ピーマンって滑るな。
よく、いつもの彼女はあんな鮮やかに切れるもんだ。
――……などと、悠長に構えていたそのとき。
ざく
「……っ」
「うわぁあっ!? せ、先生! 血! 血が出てますよ!」
「うわ、すごいな。ちょっと切ったくらいで、こんなに血って出るのか」
「そういう問題じゃないでしょ!? なんで、そんな場所を切るんですかっ!」
「いやほら、ピーマンが滑って」
「わぁっ!? すごっ、ちょ、マズいですよ! 絆創膏は!?」
「……あー、多分その引き出しかな」
指を切った俺よりもずっと慌てている、彼女。
かえってそんな彼女を見ていると冷静になれるから不思議だ。
「先生! 血、血がっ!」
「あはは、すごいな」
「んもぅっ! そうじゃなくてっ!!」
絆創膏を手に戻ってきた彼女に笑うと、切ったほうの手を掴んで――……躊躇せず唇を当てた。
「……え」
ドラマとかで見かける、このシチュエーション。
だが、普通は男がしてやるもので……。
「…………」
切なそうに寄せられた眉。
伏し目がちなのも結構……色っぽいな。
「っ……」
とか思っていたら、舌が当たった。
傷口には触れていないものの、彼女の舌を感じる機会というのはそう多くない。
そのせいか、つい反応が出た。
子猫のような小さな舌。
指に当たる濡れた温かい感触に、思わず手が伸びる。
――……と、そこに唇を当てたままで上目遣いにこちらを見上げた。
「なんですか?」
「……いや……」
ゆっくりと唇を離したことで、自分に当てられていた舌がわずかに見える。
唇についた血を舐め取るように、動く舌。
……やらしい。
ものすごく。
どこで覚えたんだ? この子は。
なんて考えていたら、絆創膏が指に巻かれた。
「はいっ。……もぅ、私がやるから見ててくださいね」
「……わかった」
怪我をした以上、大人しくしないわけにはいかない。
軽くうなずいてリビングに向かうと、いつも通りの彼女が支度を始めた。
トントンとリズムよく響く包丁の音。
……どうしてあんな簡単に切れるんだ?
などと不思議に思いながら、ニュースを大人しく見るしか今の自分にはできなかった。
「いただきます」
「どうぞ」
ほどなくできあがった、うまそうな夕食。
しかしながら、結局俺は何もしなかったワケで。
目の前にある野菜と肉の皿を見ながら、思わずため息が漏れる。
「……先生?」
「いや、だってさ……。作ってやろうと思ったのに、結局作ってもらっちゃっただろ? なんか……俺、何もしてないなと思って」
皿に箸を伸ばしながらそう言うと、小さく笑った彼女が首を振る。
「ううん。先生が作るって言ってくれて、実際に野菜切るとこまで見れて……すごく嬉しかったんですよ? だから、いいのっ」
「……そう言ってもらえればいいけど」
「ですよ」
にっこり微笑んだ彼女に苦笑を浮かべ、早速自分もひと口。
……やっぱり、彼女が作ってくれるメシはうまい。
料理は、彼女に頼るに限るな。
そんなことを考えてから、自然に箸はすすんでいった。
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