「っやぁ……」
「……ほら。そんなんじゃ、化学いい点取れないよ?」
参考書片手に頬杖をつきながら隣に座った彼女を見ると、上目遣いに眉を寄せた。
「期末、順位下がったらペナルティね」
「えぇっ?」
「えー、じゃないだろ。受験生なんだから、もっと気合入れる」
ジト目であっさり返せば、しゅんと視線を下げて問題集に向かう姿。
それが、相変わらず彼女らしくて、つい苦笑が浮かぶ。
来週の水曜から期末テストという、金曜の夜。
テスト週間のために午前中で授業を終えてからなのだが、ほとんどこうして勉強をしていた。
……とはいえ。
「んっ……!」
「……そんな声出さない。次の問題」
間違うたびに、あれこれ手を出して苛めてやりながらだが。
ここに来るまで、正解を数えたほうが早いかもしれない。
俺が手を出した回数の方が多いし。
ま、これはこれで楽しいからいいんだけど。
カチカチと響く時計の音が、テレビもラジオもつけていないせいかやけに大きく耳に届いた。
「センター、化学受けます」
出願時に、彼女が言った言葉。
新聞を読んでいた手を下ろしてまじまじと彼女を見ると、軽く睨むように真剣な顔を見せた。
「……熱でもあるの?」
「違うのっ! ……だって……悔しいんだもん」
額に当てた手を剥がしてから首を振って視線を再び合わせた彼女は、いつもの彼女らしくなく、本当に真剣そのものだった。
「……でも、化学苦手なんじゃ……」
「だけどっ! 今まで先生に化学教えてもらったし。それに――……」
「……それに?」
「…………やっぱり、先生の教科で試験受けたいの」
ダメかなぁ? と続けた彼女に笑みを浮かべて首を振ると、嬉しそうに笑った。
自分の教えている教科でセンターを受けたいという言葉は、嬉しい。
……まぁ、もしダメでも、生物も受けるみたいだしいいか。
そんなわけで、こうして化学を個人的に教えていたりする。
「……違うってば。だから、ここは3だろ?」
「……ぅ」
「はい、もう1回ね」
「やっ……んっ!」
耳元に唇を寄せて、弱い部分をしっかりと舐めてやる。
……これのせいもあるかもなぁ。
さっきから、結構間違いが――……。
「……ひょっとして、わざと間違えてる?」
「まさかっ……! そんなことしないもん……」
赤らめた頬で首を横に振る彼女を見ていると、確かに違うとは思えるんだが、ついついそう聞いてみたくなるのが性分というもの。
「だよね」
にっこり笑って次の問題を指してやると、小さくため息をついてから再び問題に取り組み始めた。
……なんか、家庭教師のバイトしてるみたいだな。
とはいえ、こうして好き放題に手を出せるものではないが。
昔、バイトしてたときは男ばっかりだったしな……。
私服とはいえ女子高生……しかも自分の彼女に対して勉強を教えるというのは、結構……いや、とても楽しい。
「……ん。正解」
「…………ほ」
「何か言った?」
「う、ううん」
瞳を細めて彼女を見ると、ぶんぶんと首を振ってから笑みを浮かべた。
……ま、いいか。
「じゃあ、今日はここまで。きちんと復習しておくように」
「はぁい」
本を閉じてテーブルに置くと、さらに教師っぽさが匂い立つ。
……それが、少しおかしい。
「紅茶、飲みます?」
「あ、欲しい」
「はーい」
彼女を振り返ってうなずくと、キッチンに向かってから湯を沸かし始めた。
テレビをつけてから時計を見れば、すでに18時すぎ。
……これはこれは。
相変わらず、勉強させていると時間の感覚が薄れる。
というよりは、彼女といるとどうしてもなくなってしまうんだが……。
ほどなくして揃いの白いカップを手に戻って来た彼女が、座ってからひとつを渡してくれた。
「ありがと」
「いいえ」
少し長めのセーターからみえる、指先と手の甲。
細くて小さい手は、なんていうかこう……。
「え?」
「……いや……小さいなぁと思って」
「そうかなぁ」
「だろ?」
「……んー、これでも大きいほうなんですよ?」
両手で包んでやった手をまじまじと見ていると、苦笑を浮かべて握ったり開いたりを繰り返した。
……じゃあ、あれか。
指が細いからか?
自分と違ってスッと通る長い指。
肌が白いせいか、随分と華奢な印象なんだが……。
「……? なんですか?」
セーターの襟元を上げるようにする手を見ていたのだが、ついつい視線は肩口へ。
「……寒くないの?」
「え? うん。……どうして?」
「どうして、ってそりゃあ……」
大きく開いた襟ぐり。
鎖骨から肩にかけてのラインがしっかり出ていて、見ているだけで寒そうだった。
……そういや、スカートも短かったな。
よく風邪引かないもんだ。
しげしげと彼女の格好を見ていると、こちらが寒くなってくる。
……つーか、やっぱ、手を出したくなるんだが……。
「ちょっと」
「え? ……なんですか?」
こいこい、と手で彼女を招くと、不思議そうな顔をしながら足に手を置いてきた。
「……せ、先生っ」
「なんか、寒そうなんだよなぁ。温めてやりたくなる」
「もぅっ! だから、平気なのっ」
「わかってるんだけど……。あー、あったけー」
「先生が寒いんじゃないですか……」
「そうかも」
苦笑を浮かべて髪を撫でてくる彼女に笑いながらうなずくと、すんなりと身体を預けてくれた。
自分がタートルネックのシャツだからか、やけに温かく感じる。
……猫みたいだな。
温かくて優しい香りに、ついつい目が閉じる。
部屋にも暖房は入ってるんだが、彼女を抱いてるほうが温かい。
……なんてことを考えていると、もぞもぞと彼女が動き出した。
「……ん?」
「そろそろ……帰らなきゃ……」
「……あー、そうか」
申し訳なさそうな顔を見せた彼女で思い出した。
そう。
今夜は、彼女が家に帰ると言っていたのだ。
明日用事があるというのを了承の上で預かってきたので、帰さないわけにはいかない。
……もう少しまどろんでいたかったが、まぁそれはまた今度じっくりしよう。
どうせ、明日の夜には……んー、まぁ、明後日には会えるだろうし。
「じゃあ、行くか」
「……ん」
ため息をついて彼女の頭に手をやると、寂しそうに小さくうなずいた。
そんな彼女に苦笑してから頬に触れ、そのまま唇を寄せる。
相変わらず、心地いい口づけ。
毎晩でも抱きしめて寝ていたいだけに、この温もりがない夜はどうも落ち着かない。
……寒い冬だからってのもあるだろうが。
そっと離してから立ち上がり、彼女の手を引いて同じように立たせてやってから、ジャケットを羽織――……。
「……だから、寒いってば」
「寒くないですよ? マフラー、あったかいし」
……若さか?
これが、6歳の年齢差なのか?
セーターに、マフラーをしただけの格好。
そりゃあ車はヒーター入れれば暖まるが……見てるこっちが寒い。
なんて考えていたら、苦笑を浮かべて腕に手を絡めてきた。
……珍しい。
彼女がこうして甘えてくることはかなり少ないので、素直に思った。
そのままエレベーターでロビーまで降り、駐車場へ。
一歩外に出れば、刺すような寒さが肌に当たる。
よく、こんな気候なのに、軽装でいられるよ……。
彼女に苦笑を浮かべて車に乗り込んでから、とっととヒーターをつける。
すると、徐々に足元から暖まってくるのがわかった。
ゆっくりとギアを入れ、彼女の家へと車を走らせる。
ふと見上げれば、澄んだ空気に瞬いている星。
……すっかり冬だな。
思わずそんなことを感じながら、通いなれた道を曲がる。
相変わらず、すぐに着いてしまう距離。
これでも物理的には離れているのだが、彼女と話しながらとなれば、ものの数分。
家の前に車を停め、エンジンをそのままで助手席の彼女に視線を向けると、バッグを膝の上に置いて同じように空を見上げていた。
「……早い」
「ん?」
「……もう、家なんだもん」
「…………このまま引き返すかって感じになるね」
「……うん」
苦笑を見せて彼女を引き寄せ、そのまま唇を合わせる。
柔らかく、あたたかな感触。
舌を絡めてしっかりと口づけると、ほぅっと悦の表情を見せて頬を染めた。
……あーもぅ。
このまま持って帰りてぇ。
抱きしめたままでいるものの……離さないわけにもいかないのが切ないところ。
「……明日、もし早く迎えにこれそうだったら、来るから」
「うんっ。……待ってます」
「……ん」
嬉しそうに笑った彼女に笑みを見せると、同じタイミングでドアを開けた。
「……うわ、さむ」
ポケットに両手を入れて眉をしかめると、彼女がおかしそうに笑うのが見えた。
「……なんで、そんな平然としてられるんだよ」
「だって、十分暖まったもん」
「……若いな」
「それは先生も一緒っ」
「いや、俺はもうダメかも」
「そんなことないですよっ!」
彼女の手を取ってポケットに入れてやってから、玄関に向かう。
お互いの息が白く色づき、夜に広まる様子がきれいだとも思った。
「……じゃ、またね」
「うん。……気をつけて帰ってくださいね」
「そうする」
心配そうに眉を寄せた彼女の頬に口づけをしてから笑みを見せると、小さくうなずいた彼女が微笑んだ。
「……おやすみ」
「おやすみなさい」
笑みを浮かべながら嬉しそうにうなずいた彼女が、玄関を開けてから振り返った。
「……はぁ。じゃあ、帰るよ」
「…………うん」
「寒いし」
「あはは」
じゃ、と声をかけて車に戻ると、暖かさにほっとする。
玄関を見れば、まだそこに彼女が立っていて――……。
うう。見てるこっちが寒い。
軽くクラクションを鳴らして、彼女の家からとっとと家に帰ることにした。
……12月って、こんなに寒かったかな。
ふと去年のことを思い出しながら車を走らせると、すぐにマンションが見えてきた。
今夜は、ひとりきりの夜。
…………寂しい。
小さくため息をついてから駐車場に乗り入れ、暖かいエントランスへと走りこむと、またため息が漏れた。
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