……ピピピ……ピピピ……。
小さい音ながら、しっかり頭に響く無機質な音。
眉をしかめてそれを手にし、うっすら瞳を開いて解除しておく。
……もう少し寝よう。
現在時刻、10時少し過ぎ。
いつもならばとっくに起きて、何かしらしている時間。
だが、昨夜は家に帰ってから溜めっぱなしになっていた番組の整理をしてしまい、寝たのが朝方近かった。
F1然り、格闘技然り、洋画然り。
……そろそろHDDがいっぱいになってきたから整理しようとは思っていたのだが、つい見ないでそのままになってしまう。
だったら録らずに見ようと思うのだが、F1は夜遅いし、格闘技は彼女が嫌がるし、洋画は濡れ場で襲いたくなるし。
……大変なんだよ、いろいろ。
寝返りを打って普段彼女が寝ている場所に腕を置くと、当然の如く空を切った。
……虚しい。
あーもー、週末はここに彼女が寝てるからいいのに。
ひろびろとひとりで寝ることができてしまう状況が、悔しかった。
…………まぁ、結婚式じゃ仕方ないけど。
今日は、大学時代の友人の結婚式。
アイツが結婚なんて大丈夫かと心配したが、さいわいにも新婦が年上らしい。
それを聞いて、納得できた。
場所は――……茅ヶ崎のロメリア国際ホテル。
……そう。
あの、俺と彼女とで模擬結婚式を行ったホテルだ。
………………。
俺たちが先に使わせてもらった、あのスウィートの、あのベッドでふたりが今夜初夜を迎える……というのは、なんだか申し訳ない気がしないでもないが、まぁいいとしよう。
式の開始が13時と聞いて、思わず半端だと思ってしまったのはダメだろうか。
昼メシを食っていけば、披露宴の食事は無論入らない。
……とはいえ、何も食べずに行けないしな……。
「…………」
などと考えていると、次第に頭が冴えていった。
……今のうちに軽く済ませる選択をし、ため息まじりに身体を起こす。
明るい陽射しのあるリビングへと向かうと、欠伸がひとつ漏れた。
高校、大学と、ずっと周りからは『冷めてる』とか『シニカル』とか『物事を斜めに捉えすぎ』とかいろいろ言われたものだが、今ではすっかり『変わった』と言われるようになった。
彼女のお陰だな、こうして人並みに笑えるようになったのは。
普段、にこやかなという対人をしたことがないだけに、今の自分がときどきおかしくなる。
紗那や涼にも散々言われたこと。
それでも、羽織ちゃんの笑みを見ていると、自然に漏れるんだよな。
笑みの連鎖。
……彼女には、人を和ませる不思議な魅力がある。
初めて彼女と話した、あのとき。
あれから、なんとなく変わった気がした。
今まで自分の周りにいなかったタイプ。
そのせいか、どんどん惹かれていって………今では、彼女なしでは生きられない身体になった。
……と言うと、なんかヤラシイ。
まぁ、その通りだから仕方ないし、彼女にもそう思うことを強要したいんだから仕方がない。
「…………さて」
着替えて準備をして――……あ、祝儀の名前書かないとな。
買い物に行ったついでに買った、いかにも“結婚式”という感じのするめでたい祝儀袋。
万札の代わりに千円札でうっすら分厚くしてやろうかとも考えたのだが、それは孝之のときにでもすることにして、今回は普通に相場の額を入れる。
筆ペンを取り出し、再びソファへ。
小さいころから、弓道と書道を習ってはきた。
追加で、危うく剣道もさせられそうになったが、さすがに弓道の家柄ということもあってかそれは免れた。
昔は眼鏡をかけてなかったから弦で弾くこともなかったが、始めたばかりのころは頬に当たったんだよな。
それでも、じーちゃんの手前泣かずに耐えた。
悔しいところを見せたくない。
昔から、人一倍負けず嫌いだったと思う。
道場では誰よりも早く練習を始めて、誰よりも遅くまで。
……まぁ、敷地内に道場があったとおかげで、かなりやりこんでいたほうだろう。
大会に出るようになってさらに欲が出て、自分でものめりこんだ。
そのお陰で今の自分があるのだから、有難いとは思っている。
段もそれなりに受かったし、何よりも精神的に強く磨かれたし。
……そのせいかもな。
彼女をいろいろ責めたくなるのは。
ふとそんなことを考えたら手が止まり、苦笑が漏れる。
「………………」
息を整え、名前を書き入れる。
これまでずっと書いてきた、氏名。
さすがに書き慣れただけあって、我ながらきれいな字だとは思う。
小さいころは苗字も名前も難しい字で、書くのが嫌だったが、今ではこの名前がしっくりくるし、バランスよく書けるようにもなった。
……成長?
そんな言葉を思い浮かべた途端苦笑が漏れ、我ながら何してるんだかとおかしかった。
「お。来た来た」
「……早いな、お前」
「まぁな。今はヒマだし」
「あ、そ」
式場の受付の前でたむろっていた孝之に声をかけると、苦笑を浮べてひらひらと手を振った。
……いいなお前は。俺はヒマじゃない。
小さくため息をついてから、設置されたテーブルに祝儀を出す。
――……って
「……なんで、アキが受付嬢なんだよ」
「何よ、不満なの?」
「不満っつーか……」
ブルーのカクテルドレスを着てしっかりメイクをしている姿を見ると、普段の彼女からは想像がつかない。
だが、やっぱり口を開けば彼女に変わりないわけで。
苦笑を浮べて祝儀を出すと、筆ペンを差し出されて記帳を促された。
台が若干高いお陰で、書き易い。
「もう、タケには会ったの?」
「いや、今来たばっかり」
「なんだ。じゃあ、奥の控え室に行ってくれば?」
「……別に俺が行かなくてもいいだろ?」
目線を下げて名前を書いたまま呟くと、小さくため息が聞こえた。
「もー、そんな友達甲斐のないこと言わないものよ? ハレの日に」
「……男に会ってもつまらないだろ」
「じゃあ、女だったら会うわけ?」
「いや? 同ように言ったと思う」
「でしょうね」
書き終えて顔を揚げると、苦笑を浮べてうなずいたアキがしげしげと字を見つめた。
「相変わらず、きれいな字書くわねー」
「まぁな」
軽く笑みを浮かべてからその場をあとにし、たむろしたままの友人らに会う。
……といっても、コンパやら何やらで会った奴らで、久しぶりって感じじゃないが。
「お。祐恭ー」
「……真治。お前か」
夏休みの合宿の件が思い出される、彼。
咄嗟に睨みが入ると、ひらひらと手を振って近づいてきた。
「んな顔すんなってー。俺が悪いわけじゃないだろ?」
「どう考えたってお前が悪いだろうが。……ったく、散々な目に遭ったんだぞ?」
「あはは。悪い悪い」
まったく反省の色が見えない彼に苦笑を浮べると、アキと同様に着飾った同窓生がやってきた。
「瀬尋君、久しぶりー」
「元気だった?」
「おー、山村と成瀬?」
「うん。覚えててくれたんだ」
「あはは。忘れないって」
工学部では珍しい女性陣のふたり組み。
そのせいか、印象は結構強い。
……まぁ、アキの知り合いってこともあったんだけどな。
「瀬尋君、今高校の先生やってるんだって?」
「よく知ってるな。……って、孝之か」
「うん。さすが、よくわかってるじゃない」
……やっぱり。
ベラベラ喋るといえばアイツぐらいしか思い当たらないからな。
「しかも女子校でしょ?」
「……まぁね」
「ダメだよー? 教え子に手とか出しちゃー」
「あはは」
「あ、それならさぁ――むがっ」
「はははははは。じゃ、またな」
やっぱり首を突っ込んできた真治を笑顔で捕まえ、ふたりに手を振ってその場を離れる。
こいつは……どれだけ痛い思いをしたいんだ。
「……だーかーらー。お前は、余計なことを喋るな!!」
「わ、悪かったって」
「反省してないだろ!」
「してるしてる! 先生、勘弁してよー」
苦笑を浮べてうんうんとうなずく彼にジト目を送ってから手を離すと、ほかの奴らも近寄ってきた。
くそっ。
どいつもこいつも、余計なこと言い出すんじゃないだろうな。
つーか、元はと言えば孝之が――……まぁ事実、手を出したのは俺だけど。
「今からさぁ、武人のとこ行くけど……お前らも行くか?」
「……あー、じゃあ行く」
「よし。んじゃ、本番前でガッチガチの新郎をからかってこようぜ」
楽しそうに笑った孝之に苦笑を浮かべて、数人で控え室へ。
その道中、どうしても懐かしさが浮かんだ。
……あのとき、着替えて彼女を待っていた、あの控え室。
ドアを開くと同じように椅子に座ってこちらを振り返った友人が、一瞬デジャヴった。
きっと、じーちゃんや里美さんはこんなふうに見えたんだろうな。
「よっ! 新郎」
「おー、来てくれてサンキュー」
相変わらず変わっていない、人懐っこい笑顔。
久しぶり、と声をかけながら立ち上がり、ぽんぽんとそれぞれの肩を叩いてから彼が窓に寄りかかった。
「どうよ、今の心境は?」
「ヤバいね。……ちょっと、緊張しててさ。トチりそう」
「あはは、がんばれよー」
苦笑を浮かべた武人に、それぞれが声をかけていた――……そのとき。
遠慮がちにドアがノックされ、反射的にほぼ全員がドアへ視線を向けた。
|