……よかった。
 彼の表情が和らいだのを見て、ほっと自分でもすごく安心する。
 これで、不安は全部消えてくれた。
 どうしてだろうって思っていたことを、ちゃんと彼が答えてくれて――……しかも、もらえたのはとっても嬉しい答えで。
 これでもう、悩むことは何もない。
 彼に微笑んでから枕まで向かい、ぽふっと顔をつける。
 ……はぁ。安心。
 これで、ゆっくり眠れる――……って思っていた。
 …………のに。
「……え?」
 髪を撫でてくれた彼が、思い出したように人差し指を立てたのはすぐあとのことだった。
「復習しようか」
「復習……ですか?」
「そ。テストで間違ったところの、復習」
「えぇ!?」
 思わず、眉が寄る。
 だ……だって!
 てっきり、これでもう眠れるとばかり思ってたんだもん!
 だけど、彼はやっぱりそんなつもりじゃなかったらしい。
「覚えてるよね? ちゃんと説明したんだから」
「そ……れは……あの……」
「これで間違ったら、ホントにペナルティだから」
「えぇっ!?」
「……あれ。文句?」
「う、ううん……違います」
 肘枕をしながら、にやにやしつつ彼が続ける。
 それがものすごく楽しそうで……なんだかちょっぴり怖かった。
「カリウムの炎色反応は?」
「紫」
「ご名答」
 さすがに、覚えてます。
 なんて意味を込めて眉を寄せると、にっこり笑ってうなずきながらどんどんと続けていった。
 すべて、私が間違えたところ。
 ……よく覚えてるなぁ。
 ヘンなところに感心していると、彼が欠伸を噛み殺すのが見えた。
「……もぅ。眠いなら寝ましょうよ」
「ダメ。次ね。分子式が同じで、構造の異なるものをなんて呼ぶ?」
「……え……と」
 …………わかんない。
 あれ? 聞いたはずなんだけど……。
 …………。
 ……あ。
 ちょっと待って。
 だって、先生途中から……答え教えてくれてない……よ?
 それは、あの、その、私がやめてほしいってお願いしちゃったから……なんだけど。
「なんだよ……わからないの?」
「え、待って! だって、先生途中から答え教えてくれてないじゃないですかっ」
「そう? でも、1度習ったんだから覚えてるだろ?」
「あの、だから……覚えてないから……間違えて――」
「あと3秒」
「えぇ!?」
 慌てるこちらを完全にスルーして指を立てながらカウントを進め、瞳を閉じつつ指を折って――……瞳を開けたときには、なぜかとても嬉しそうだった。
「……時間切れ。答えは異性体」
「あ……あの、だって……」
「言い訳無用」
「っ……!?」
 眉尻を下げておずおず反発しようとしたのに、手を伸ばした彼がパジャマのボタンを片手で外し始めた。
「なっ! ち、ちょっ……待って!」
「ダメ」
 慌ててそこを掴むものの、もう一方の手であっさり阻まれる。
 うぅ、なんでこんなことに!
「……せっ、先生!」
「ペナルティって言ったろ? 次。フェノール性水酸基の検出方法」
「え? え? っ……あの、えと……薬品を入れて……っ」
「なんの?」
「え!? あの、え、塩化水素?」
「……塩化鉄水溶液を加えると、青から紫色の呈色(ていしょく)を見せる」
「っ!」
 組み敷くように肩口を押さえながら上着のボタンを外し終えた彼が、そのまま唇を耳元に寄せた。
 ため息混じりに呟かれてたまらず顔をそむけると、頬に手を当てて鼻先をつけられる。
「アルデヒドの検出反応をふたつ」
「……うぅ……銀鏡反応、だったと思います」
「もうひとつは?」
「だから……もうひとつはわからなくて……っん!」
 眉を寄せて彼を見ると、瞳を細めたあとで首筋に唇を寄せた。
「フェーリング反応」
「や……ぁ」
 舌で撫でられ、ぞくりとした感覚が背中を走って快感に変わる。
 だけど、彼はまだやめるつもりがないようで、今度は反対の耳元へ唇を寄せた。
「ん……っぁ」
「トルエンを酸化すると、何を経て何になる?」
「っ……ん、わかんなっ……ぃ」
「ベンズアルデヒドを経て、安息香酸になるんだよ」
「ふ……ぁっ」
 胸を揉み、耳元でわざと息をかけながら弱い部分を舌でなぞる。
 い……いじめ、ですか? もしかしてこれって。
 もぅっ……だって……こんなんじゃ……!
「二級アルコールは酸化すると、何になる?」
「え……? う……んんっ……は、ぁっ」
「ほら……何になるんだよ」
「っ……何って……うーっ」
「……ケ ト ン。ここ、正解したトコだけど?」
「ひぁっ! だ、だって……こんなんじゃぁ……ちゃんと考えられなっ……」
「そういうのを、言い訳って言うんだよ」
「ふぁっ……んんっ!?」
 するりと手を滑らせてパジャマを脱がせてから、そのままズボンに手をかけられた。
 ――……途端。
「っ!?」
 ショーツの上から、秘部をなぞられた。
 ……鼻先をつけたままで。
「……俺の質問には全滅のクセして」
「だっ……てぇ……」
「やらしいな。……どっちに集中してたんだ?」
「ひど……いっ。先生が、意地悪するから……っ」
「意地悪? 答えられない、どこかの誰かさんが悪いんじゃないの?」
「そ……れは……」
「……さて」
 眉を寄せて彼を見つめていると、にっと口元だけで笑って見せた。
 ……なんだろう?
 ものすごく嬉しそうな顔なのに、途端に不安になるんだけど。
 …………やだなぁ。
 なんて眉を寄せていたら、彼の手がショーツにかかった。
「なっ……!?」
「邪魔しない」
「せんせっ!!」
 慌てて彼の手に触れるも、あっさりと弾かれた。
 ショーツをするりと脱がされ、すっかり裸の状態。
 暖房が入っているから寒くはないものの……こう……明るいし……。
「……やだ……ぁ」
 両肩を抱いてから視線を逸らす。
 だけど、顎に手を当ててすぐに正面を向かされてしまった。
 意地悪そうな、彼の瞳。
 そこに照明の光が映って、なんていうか……きれいですよ? たしかに。
 ……ものすごく意地悪そうだけど。
「……ペナルティ。だよね?」
「でもまだ……順位わかって――」
「そっちは、別。……今は、これまでの問題に正解をひとつしか出せなかったことの、ペナルティ」
「……えぇ……?」
「そんな声出さない。……さて。何してもらおうかな」
それはそれはもうって位嬉しそうな顔をすると、暫く考えた様子を見せてからにやっと笑みを見せた。
「……誘ってもらおうか」
「はい!?」
「ほら。この前『責めたい』とか言ったろ? あれの延長だと思えば平気」
「な……なっ!?」
 思いもしなかったことに思わずぱくぱくと口を開くと、彼が上着を脱いで私に着せた。
「……どうぞ?」
 え、えぇえ……っ……!?
 どうぞって言われても、とっても困るんですけれど。
 ベッドの棚へもたれるようにしてから、にやにや笑いながら私を見る彼。
 ……うぅ。さ、誘うって……いったい、どういうことなんだろう。
「……む……無理ですよぉ」
「無理じゃないだろ? ペナルティなんだから、君の意見は聞いてないの」
「そんなぁ!」
「男はみんな、誘ってほしいんだよ?」
「っ……」
 さらりとすごいことを言いのけると、口元に手を当てて『どうぞ』とばかりに手を差し出した。
 ……うぅ。そんなぁ。
 …………。
 ……でも、彼が本気で言っているのはわかるから、どうしようもない。
 だって……瞳が笑ってないんだもん。
「……はぁ」
 仕方なく、視線を逸らしてから彼の前に足を崩して座る。
 ……楽しそうだなぁ。
 まさかこんな目に遭うとは思ってもいなかったので、すごく緊張というか……もぉーっ、どうすればいいの……?
 相変わらず意地悪そうな顔の彼をわずかに見上げると、またため息が漏れた。

 …………はぁあ。
 ため息をついて俯いてから、彼のパジャマのボタンを留める。
 自分のと違って、随分と大きい。
 袖……長いし。
 でも、丈があるお陰でしっかりと太腿まで隠してくれたので、それは都合がよかった。
 …………けど、ね?
 誘うって……どうすればいいんだろう?
 俯いたまましばらく考えこんでいると、彼がぽつりと呟いた。
「『True Lies』って映画知ってる?」
「……あの……シュワルツェネッガーの?」
「そ。実は裏組織の仕事をしてるんだけど、普段は冴えない父親っていうアレ」
「知ってますけど……」
 というか、結構好き。
 コメディだし。
 シュワルツェネッガーの映画はどうも派手なアクションが多いせいか、ギャップを感じるあれは面白くて好きだった。
 ……でも、その映画と何が関係あるんだろう?
 思わず首をかしげるも、彼は自分の好きな話をするときの顔を見せた。
 それこそ、小さな男の子みたいな、すごくかわいい顔なんだよね。
 …………うぅ。さっきまでとは、大違い。
「アレの中で、奥さん役のジェイミー・リー・カーチスがホテルのスウィートで踊らされるシーンがあるだろ?」
「……あ、うん」
「アレとは少し違うけど、ああやって誘って」
「お……踊るの……?」
「……まぁ、踊ってくれてもいいけど?」
 眉を寄せると、くすくすおかしそうに笑って小さく肩をすくめた。
 ……誘う……。
 んー……あの映画だと天蓋付きのベッドなんだよね。
 その柱に身体を寄せて……ポールダンスみたいに、誘うシーンがある。
 でも……うーん……。
 まじまじと彼を見つめると、やっぱり楽しそうな顔だった。
 さっきまでの顔はどこへやら……でも、しなきゃ許してくれないことは、十分に伝わってくる。
 ……もぉ。
 随分と大きなペナルティになったなぁと考えながら彼の首に腕を回し、まずはじぃっと見つめてみることにした。
 ただ、見る。
 見る。
 ……見る……。
 んー……やっぱり、カッコい――……じゃなくて!
 ……はぁ。やっぱり、だめ。
 こっちが先に、視線を外してしまった。
 だって、彼の瞳を真正面から見ているのは、結構、精神的に……どうにかなりそうなんだもん。
 まだ何もされていないのに、どきどきと高鳴る鼓動。
 それを感じながらパジャマの袖を掴み、今度はぎゅっと抱きついてみる。
 パジャマ越しに伝わってくる、彼の鼓動。
 いつもと変わらない、落ち着いたそれ。
 自分の大きな鼓動に邪魔されてそれほど強くは伝わってこないけれど、それでも十分な物だった。
 さらりとした髪に指が当たったので、よしよしとばかりに撫でてみる。
 えへへ。なんか、いつもと違ってちょっとだけ楽しくなってきた。
「……なんか、全然誘われてる気がしないんだけど」
「こっ……これからなのっ!」
 はぁ、とため息混じりに呟かれ、慌てて彼の顔を見てから首を振る。
 ……とは言ったものの。
 どうしろ、と。
 …………うー……。
「あ」
「え?」
「……えへへ」
 ……そうだ。
 ふいに思い出した、先日のドラマ。
 それで見た――……あのシーン。
 ……まさかこんなところで思い出すとは思わなかったけれど、でも、あれならば――……もしかしたら、お手本になるかもしれない。
 ……こういうときの、ね。
  

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