いつも通りの、うちの朝ごはん。
今日はトーストの気分だったから、しっかりとバターを塗って、そこにイチゴジャムを載せる。
……うん、完璧。
甘い匂いに笑みを漏らすと、慌しくお兄ちゃんがダイニングへ入ってきた。
「あ。誕生日おめでとう」
「おー」
12月24日。
そう。
クリスマスイヴは、お兄ちゃんの誕生日。
そのせいか、我が家では毎年彼の誕生日とクリスマスが1度で済まされている。
「……うわ、またンなもん食ってんのか」
「いいでしょ? 別に。お兄ちゃんこそ、今日もあんこ載せるんじゃないの?」
「馬鹿か、お前。バターとあんこは最強の組み合わせじゃん」
「……それは知ってるけど」
スーツの上着をソファに放ってダイニングテーブルにつき、トーストにバターを塗ってしっかりと餡子を載せる。
……だけならば、まだしも。
それをくわえたままで、新聞をめくって食べながら読み始めた。
「……もぅ、お行儀悪いよ。あ、ほら! 屑が落ちたでしょ!」
「うるせぇな。祐恭にもそうやって言うのかお前」
「先生は、そんなふうに食べながら新聞読んだりしないもん」
「あっそ」
軽く睨むと、眉を寄せて渋々新聞を畳むとトーストをお皿に置いた。
……最初からそうすればいいのに。
テレビの天気予報を見ながらトーストをかじると、コーヒーを飲んだあと何か思い出したように小さく声をあげた。
「お前今日、朝帰ってきたろ」
「……しょうがないでしょ。先生が昨日お酒飲んじゃったんだから」
「やだやだ。アイツのせいで一気にお前生活が傾いたな」
「お兄ちゃんに言われたくない」
「あ?」
「またアンタたちは……さっさ食べなさい。あ、お父さんお茶は?」
「ん? あぁ、もらおうか」
朝から兄妹喧嘩を始めそうになったとき、いいタイミングでお母さんが入ってきた。
それで、お互い朝食に戻る。
……そうでした。
そんなことしてる暇なかったんだっけ。
「はい、どうぞ」
「ん。ありがとう」
相変わらずな両親のほのぼのした雰囲気で、つい笑みが漏れた。
学校じゃ怖い先生で通っているらしいお父さんも、家ではお母さんに何かと弱い。
……夫婦ってそういうものなのかな。
ついつい自分と彼とのことを思い浮かべてしまい、恥ずかしくなってぱたぱたと手で仰ぐ。
すると、何かを思い出したかのようにお兄ちゃんが声をあげた。
「そうだ。古月のプリン、食っといたから」
「え!?」
「ほら、お前昨日帰ってこなかったろ? 冷蔵庫開けたらまだ入ってたから」
「なっ……な!? だって、あれ、私がわざわざ並んで買ったんだよ!? 限定なのに!!」
「いや、知ってるけど賞味期限昨日までじゃん」
「な……な、ななっ……な!!」
まったく悪びれる様子もなく、あっさりとお兄ちゃんが肩をすくめた。
しかも、この話はもうおしまいとばかりにトーストを食べながら再び新聞に手を伸ばす。
「……っ……な!!」
何を考えてるのーー!!?
まさに字の如く、開いた口が塞がらなかった。
トーストを持ったままでわなわなと彼を睨むも、ひらひら手を振ってあしらうだけ。
「お兄ちゃん!!」
「あ?」
思わず、その態度を見たら叫んでいた。
だって……だって!!
信じらんない!
っていうか……もーー!!
「なんだよ。うるせぇな」
「なんだよじゃないでしょ! 返して! 私のプリンだよ!? せっかくっ……! それに、お兄ちゃんは1個食べたでしょ!!」
「別にいいじゃん、残ってたんだから。だいたいお前、名前書いといたか?」
「書いておいた!! お兄ちゃんが食べるから、蓋にちゃんと書いたもん!!」
「げ」
そう。
先日買ってきたときに、冷蔵庫へ入れようとしたらお母さんに言われたのだ。
『名前書いとかないと、孝之に食べられるわよ』って。
まさかとは思いながらも、一応蓋に書いたのに。
書いたのに!!
「ひどい! 買って返して!!」
「っ……マジで」
まくし立てながら、つい涙が浮かぶ。
ひどい……! どうして、そうやって……人のものをホイホイ食べちゃうのよ!!
「お前、何もそこまで怒ることな――」
「ある!! だいたい、お兄ちゃんの食べちゃったらものすごく怒るくせに!!」
「あー……まぁ」
「もぉ!! お兄ちゃんの馬鹿っ!!」
ああもうああもう、なんてひどいんだろう!
涙があふれ、情けなくも泣きそうになった。
もう知らない。もう知らない、もう知らないっ!!
「っ……最低!」
視線を落としたままトーストを食べ、泣くのを必死に我慢。
うぅ、プリン。私のプリン!
しかもあれ、時間限定販売なんだよ? どうしても食べたくて、並んだのに!
「あー……悪かった」
「絶対許さないから」
さすがに罪悪感でも芽生えたのか申し訳なさそうに眉を寄せたのは見えたけれど、そっちは見ないことにする。
もう知らない。
っていうか、買って返して!!
ぷいっと顔を逸らして無言でトーストをかじり始めると、一部始終を見ていたらしいお母さんが苦笑を浮かべて小さく笑った。
あんたたちはもー、朝からまたケンカして。
……そう思ってるかもしれないけど、これはもうただのケンカじゃないんだからっ。
「あ、そうそう。孝之、今晩からお母さんたちいないから」
「……は?」
「お父さんと箱根に泊まりに行くのよ」
「……何言ってんだよ。今日は俺の誕生日だろ? ケーキは? つーか、メシは?」
「もー、あんたいくつになるの? 彼女のひとりやふたりいるんでしょ?」
「馬鹿か! いたら、ンな心配してねぇよ!」
ぶんぶん首を振って否定するものの、『そうなの? 知らなかったわー』なんて言いながらお母さんはそ知らぬ顔。
……それもそうだろう。
だって、お母さんてば昔から“こうと決めたら、こう”ってタイプだから、いまさらキャンセルなんてするはずない。
「去年までは羽織もいたから家でクリスマスしたけど……今年はもう祐恭君がいるんだし。夫婦水入らずでクリスマス過ごしたいじゃない? ねぇ、お父さん」
「孝之ももう24なんだし、親がいなくても寂しくはないだろう?」
「……親父まで何言ってんだよ。あのな。そーゆー問題じゃねぇっつの」
毎年、我が家では古月というケーキ屋さんでケーキを予約してクリスマスを過ごしていた。
そこのお店のケーキはおいしくて、毎年予約だけでいっぱいになってしまうほど。
今年もちょっと楽しみにしてたんだけど……でも、トーストを食べながらお母さんを見ると、心底嬉しそうな顔をしていた。
んー……。まぁ、いっか。
今年は、私も一緒に過ごす人がいるんだし。
先日、彼に送ってもらったときに、冬休みも彼のところで過ごす承諾は両親から得ていた。
だからこそ、ふたりも今夜から出かけることにしたんだと思うけれど……それにしても、お兄ちゃんって本当に彼女いないのかな。
夜だって結構遊び歩いてるのに。
思わず首を傾げてしまいそうになりながら最後のひとくちを食べて紅茶を含み、鞄を持って玄関へ。
今日でいよいよ、2学期も終了。
明日からは、冬休み。
とはいえ、来月の休み明けにはセンター試験が待っている。
だからこそ、彼にはこれまで以上に厳しく勉強を見てもらうことになりそうで、つい苦笑が漏れた。
「じゃあ、行ってきます」
「あ。気をつけてね」
「うんっ」
お母さんに声をかけてから玄関を開けると、すぐに冬の朝の寒さが身に染みる。
……うぅ寒い。
コートの前を合わせるように掴んでから、早足でバス停に向かう。
いつもと同じ、真っ白い息が朝の空気に溶けきれず残り、それすらもなんだか楽しく思えた。
「いよいよ、今日で2学期もおしまいねー」
「ホントだね。なんか、いつもは長く感じるんだけど……今年はそうでもなかったかなぁ」
「それは、アレじゃない? 彼氏のお陰」
「……かも」
絵里に苦笑しながらうなずくと、確かにそんな気がしてくる。
特に、2学期はいろいろあったし……ね。
ケンカじゃないけれど、それに近いようなこともあった。
少しだけ当時のことを思い出すと、苦笑が漏れ。
「……あ」
日永先生が彼を伴って教室に入ってくると同時に、それぞれが姿勢を正す。
いよいよ、2学期も終了。
通知表もそうだけど、なんとなく気合の入り方がみんなも違うような気がした。
「いよいよ、センターを受ける子にとっての天王山とも言うべき冬休みね。……とはいえ、受験生の天王山っていうのは、本来は夏休みなんだけど」
苦笑を浮かべながら封筒を取り出すと、早速通知表を返してくれた。
相変わらず、彼女は通知表を初めに返したがる。
……まぁ、いいけど。
名前を呼ばれて取りに行ってから、早速机に戻ってそれを開く。
「…………」
…………わ。
え……英語が下がった。
1個だけど……文法が下がっている。
変わりに、リーダーは1個上がったんだけど……どういうこと。
ショック。
うちの両親は成績のことでとやかく言ったりしないけれど、やっぱり……少し自信があった教科が下がることほどヘコむことはない。
……はぁ。
ちなみに、ほかの教科はほとんど変わりなかった。
だからこそ、余計に英語の下がりが大きく感じるわけで……。
「…………」
いつまでも見ていたところで、数字が変わるわけじゃない……か。
ため息をつきながらクリアファイルにとじ、配られ始めたプリントを受け取ってから次に回す。
夏休みほど量は多くないものの、結構な量。
トントン、とまとめてから折って同じようにクリアファイルへしまうと、日永先生が連絡事項を言い渡した。
だけど、どれもこれも頭に入ってこない。
……悔しい。
英語が下がったのはもちろん自分が悪いんだろうけれど、やっぱりショックで。
今学期も真面目に授業受けてたのになぁ……。
「……はぁ」
朝から、微妙にいいことがない気がする。
お兄ちゃんには大事にとっておいたプリンを食べられるし。
……付け加えるのならば、今年は古月のケーキが食べられない。
…………で、極めつけは英語が下がるという事態。
はぁ、と何度目かわからないため息をつくと同時くらいに、日永先生の連絡が終わって起立の声がかかった。
……あ。
先生、何か喋った……のかな。
まったく声を聞いた覚えがなくHRが終わってしまい、今になって焦る。
……もったいないことしたなぁ。
ああもう、今日はずっとこんななのかな。
切なくて、なんだか言いようのない悲しさもあって、またため息が漏れた。
「よし。んじゃ、行くわよー」
「……あ、うん」
すでに教室をあとにし始めたみんなと同じように立ち上がり、絵里と準備室へ向かう。
その途中で、しーちゃんと山中先生に会った。
……会ったと言っても、ふたりが仲良く話しているのを見かけただけだけど。
せっかくのいい雰囲気だったので、邪魔せずに見守って通り過ぎることにしたんだよね。
「……あのふたり、相変わらず仲いいわねー」
「ホントだね。しーちゃん、幸せそう……」
「っていうか、詩織よりも山中先生のほうが幸せそうだけど」
「あはは。かも知れない」
小声で話しながら実験室に向かうと、ちょうど祐恭先生が教員用実験台で作業をしているところだったらしく、入ってすぐ私たちに気づいてくれた。
「あぁ、早いね」
「うん。純也は?」
「隣にいるよ」
「どーも」
絵里が笑って準備室に足を向け、ほどなくしてパタンという音とともにドアが閉まる。
――……その途端。彼が、表情を変えた。
「……人の話聞いてなかったろ」
「ぅ。……すみません」
ため息混じりの言葉ながらも、その顔はとっても怖いんですけれど。
だって……なんて言ってみても、言い訳はきっと許してもらえないんだろうけれど。
「ずーっと、違うこと考えてたみたいだけど。……何考えてたの?」
「……ええと……」
瞳を細められ、思わず喉が鳴る。
……うー。
言ったら、きっと笑われる。
だって、ほかの人にしてみればとてもくだらないことかもしれないから。
「……喧嘩したんです」
「喧嘩? 誰と?」
「お兄ちゃん」
「なんで?」
眉を寄せて手元にあったファイルを閉じ、頬杖をついて彼が見る。
……言えない。まさか、プリンで喧嘩したなんて。
「…………」
「ん?」
首を振ってから小さくため息をついて鞄を置き、通知表を取り出す。
無言でそれを差し出すと、手に取ってから目の前で彼が開いた。
「……あ? 英語どうした?」
「…………ですよね」
早速指摘され、思わず口ごもる。
私だってわからない。
だけど、1個下がったのは事実だった。
「わからないんですけど……下がったの」
伏し目がちに呟くと、それを閉じてすぐ返してくれた。
「……だね。んー……でも、テストのできは悪くなかったんだろ?」
「うん」
「なら、まぁしょうがないんじゃない? 受験には影響ないだろうし……ね」
「……うん……」
俯いたままうなずいたら、小さく笑った彼が頭を撫でてくれた。
そうされるだけで元気になれるから、やっぱり彼の力は大きいなぁと思う。
「ほら。そんな顔しない。……今日はせっかくのイヴなんだよ?」
「あ……うん。そうですね」
「今日は、夕食でもご馳走しましょうか」
「え、ホントに?」
「せっかくだからね。……これから始まる勉強地獄のためにも、体力つけてもらわないと」
「え!?」
「……何か?」
「あ……う……ううん、なんでもない……です」
あまりにも大きく反応しすぎたらしく、思い切り瞳を細めて見つめられた。
……うう。
確かに、受験生だし勉強しなきゃいけないことはわかってるんだけど、まさか“勉強地獄”になるなんて。
……べ勉強します。はい。
「ご希望は?」
「え? うーん……これといっては、特に」
「そうなの? いいよ、なんでも。イヴだし」
「んー……あ。じゃあ、お任せします」
「そう言うならまぁ……任されようか」
「はいっ」
笑みを見せてくれた彼にこちらも微笑むと、優しい顔でうなずかれた。
これは、何度経験しても嬉しい。
やっぱり、彼は自分にとって特別なんだなぁ……なんて思うことができる、特別な時間なんだもん。
「……何笑ってるんだよ」
「え? えへへ。ううん、なんでもないです」
「なんでもないって顔じゃないけど?」
「な、なんでもないのっ!」
一変して今度は意地悪く笑われ、慌てて首が横に動いた。
……もぅ。
こんなふうに笑うことが多いから、優しい微笑がより貴重なのかもしれないなぁ。
でも、もちろん彼とのこういうやり取りは嫌いなんかじゃないけどね。
再び突っ込まれそうになってニヤけそうになった口元に手を当てると、そんなことが思い浮かんだ。
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