「はー……。で? 私は何をすればいい?」
「え?」
場所は、さらに移る。
ここは、例の如く家人のいないマンションの一室。
……そう。
言わずもがな、田代純也の根城その場所である。
今では彼がいないのをいいことに、同じく住人の絵里がかつてないまでの模様替えを行っていた。
模様替え。
リフォーム。
飾りつけ。
そんな言葉すべてをひっくるめたような、大改造を。
「えっと……そうだなぁ……。それじゃ、これを作ってくれる?」
「……え……? 作、る……?」
「うん」
時間は、14時を少し回った所。
午前中は、ふたりで一生懸命赤本を頼りに二次試験の対策をやっていた。
先生方それぞれが用意してくれた予想問題も一緒に解いて、勉強面では正直……お腹いっぱい。
やっとのことで切り上げて、のんびりとテレビを見ながらお昼を食べて……そして、今に至る。
これまで、絵里がひとりであれこれと部屋の飾り付けをしてくれていた。
その間私がしていたのは、主に下ごしらえ。
絵里がそれでいいって言ってくれたから、やってたんだけど……どうやら彼女も手伝ってくれるらしい。
それが、素直に嬉しかった。
「でも、羽織……本気で言ってる?」
「え? 何が?」
「いや、だって、あの………私、料理ってガラじゃないんだけど……」
キッチンのシンクにもたれながら私を見た彼女は、困ったように眉を寄せてからため息をひとつついた。
……うーん。
まさかそんなふうに答えが返ってくるとは思わなかったんだけど……。
でも、これだけは正直言って、最初から絵里に任せようと思っていたことで。
「大丈夫だよ」
「……でも……」
「平気だってば! ね? ほら、ここに分量書いてあるでしょ? この通りに量ってもらって、あとはひとつのボウルで混ぜちゃえばできるから」
包丁をまな板に置き、隣にあったデジタルの量りを彼女に渡す。
今から絵里に作ってもらうのは、今日のメイン中のメイン。
パウンドケーキだ。
でも、これって結構大雑把に材料を量っても、ちゃんとできちゃうから余計な気を使わなくて済むんだよね。
私自身も、そういうお菓子作りのほうが楽しくて好きだったりする。
……だって、失敗したらやっぱり切ないもん。
せっかくのバレンタインなんだし、絵里と一緒に、おいしく成功したいから。
「…………うっそ」
「え?」
「マジ? ホントに? ……え? 何よ、そんな簡単にできるの?」
「うん。できるよ」
ぽかん、と口を開けた彼女が、まばたきをしながら私とボウルとを見比べた。
そんな彼女を見ながら、こちらにも笑みが浮かぶ。
……よかった。
これならば間違いなく、彼女も作ってくれそうだ。
「それなら……できるかも」
「でしょ? ……えへへ。よかった」
ひとつうなずいてからボウルを手にした彼女に、安堵の笑みが浮かぶ。
どうしても、彼女にこれを作ってもらいたかった。
……そして、大いに自慢してほしかった。
自分独りで作り上げたということが、絶対大きな自信になるから。
「……わかった。それじゃ、この材料を全部量ってから混ぜちゃえばいいのね?」
「うんっ」
「…………よし」
ドン、と少し強めにボウルを置いた絵里が、早速デジタル量りを手にした。
ぎこちないとはいえ、ひとつひとつ丁寧に材料を量りにかけていく彼女。
その様子を間近で見ていたら、やっぱり――……顔が緩んだ。
「……え?」
「あ」
どうやら、まじまじと見すぎだったらしい。
真剣に量りと睨めっこをしていた絵里が、バターを手にした瞬間、私を見つめた。
「何? 何か間違った?」
「え? ううん、あの……そうじゃなくて」
一瞬、困ったように眉を寄せたのが見えて、慌てて両手を振る。
……違うの。
そうじゃなくて、私……。
しどろもどろに、首を振って訂正する。
「……あのね?」
「うん」
「なんか……」
「……なんか…?」
「なんか……こうして、絵里と一緒に作れるのが嬉しくて」
自分でも少し情けない顔をしていたと思う。
でも絵里は、そんな私の言葉を聞いた途端、瞳を丸くした。
「や、あの、だってね? ほら、こんなふうに一緒に何かを作るのって、本当に久しぶりじゃない? 昔……ほら。小学生のときのバレンタインを思い出しちゃって」
懐かしい、思い出。
でも、あのときは本当に楽しかった。
小学生のとき、ふたりで一緒に担任の先生宛てに手作りチョコレートを作って持っていったことがあった。
まだ若い、お兄さんみたいな先生。
その先生宛てに、ふたりの名前を添えて、不器用ながらもチョコレートを作った。
見た目も味も、お世辞にだってキレイともおいしいとも言えないチョコ。
だけど先生は、本当に優しい顔で『ありがとう』と頭を撫でてくれた。
「……懐かしいね」
「そうね」
ぽつりと呟いたとき、自分の手が止まっていたのに気付いた。
一方の絵里はというと、しゃかしゃか泡立て器でボウルを混ぜている。
「……ま、アレよね」
「ん?」
「私たちも、大人になったなーってこと」
私に気付いたのか、彼女がにっこり笑ってその手を止めた。
その笑みは、いたずらっぽく痛いところを突いてくるときの顔じゃなくて。
……なんか……ホントに、昔のよかったときを思い出してる、みたいな。
「……そだね」
だから、私も思わず釣られて微笑んでいた。
あのころ。
まだ世の中のことをこれっぽっちしか知らなかったのに、自分たちの世界が1番だと思い込んでいたころ。
毎日遊んで勉強して……それが嫌で、早く大人になりたいなんて願ったこともあったっけ。
「でも!!」
「え?」
「もしも、よ? もしも!」
「……うん?」
はーっとため息をついてから再び手を動かしたとき、絵里が大きな声で私を見つめた。
……う。
その顔……それってば……やっぱり、アレですか。
きらきらと輝く瞳に、にんまりと開いた唇。
…………あーうー……。
こんなときの絵里は、いつも決まってトンデモ発言を繰り出してくるんだよね。
「もしも、先生とばったり再会しちゃったらどうする!?」
「……え?」
ものすごーく楽しそうな絵里を見ながらも、一瞬何を言ったのかワケがわからなかった。
……ばったり……。
そのときの光景がぱっと頭に浮かぶけれど、どうにもこうにもそこから話が膨らまない。
「だーかーらー! ほら! だってさぁ? 5年生のときに新任で来たんだから、今は……そう! 30よ? 30!」
「……うん?」
ぱっと両手を開いた彼女は、相変わらず嬉々とした面持ち。
だけど私にはやっぱり意味がわからず、眉を寄せたまま絵里と同じように両手を開くしかできない。
……すると。
「ああもうっ! 30って言ったら、男盛りじゃないのよ!」
「……え。そうなの?」
「そーなの! これからでしょうが!!」
思い切り眉を寄せて、怒られてしまった。
……なるほど。
っていうか……え? そうなの?
ばっちり宣言された今もやっぱりうまく飲み込めず――……だけど、今さらもう1度蒸し返すことなんて到底できない。
だから私は、真剣な眼差しの彼女を見たまま、うんうんとただうなずくしかなかった。
「当時からあんだけちょーカッコよかったのよ!?」
「……うん、それは……まぁ」
「だもん!! ばったり再会しちゃって、そんでもって『瀬那!? うっわ、かわいくなったなお前ー』とか口説かれちゃったら、恋が芽生えちゃうかもしれないでしょ!?」
「……えぇ……?」
「そーなの!!」
途中、わざわざ先生のセリフの部分で、絵里が声色を変えた。
ついでに仕草まで男の人を真似たせいか、一瞬頭に某歌劇団が浮かぶ。
……って、そういうわけじゃないけれど。
でも、あの。
「……なんで絵里、そんなに熱くなってるの……?」
「えぇ!? ったり前でしょうが!!」
「……そうなの?」
「そーなの! ロマンスよ、ロマンス!!」
熱く語るたびに、絵里がダンダンと作業台を叩く。
その都度ボウルやら卵やらがごろごろと動き、今にも落ちそうになっていた。
……あぁ……。
な、なんでこんなに今日の絵里ってば熱いんだろう……。
あわあわしながらフォローに回るものの、彼女は未だに『そうよ! それしかないわ!』とか『ここはひとつ実際に……』とか、目を輝かせてぐーを作っていた。
……うーん。
今日がバレンタインという日だからこうなのか、はたまた……何かあったのか。
割と感化されやすい彼女だからこそ、思わず苦笑が浮かぶ。
……でもまぁ……ここまでなんだかんだ言っていながらも、彼女に限って“ロマンス”に走るようなことはないと思うけれどね。
だって、今日のこのバレンタイン大作戦(絵里命名)の案を練りだしたのは、紛れもなくこの未だに熱く語り続けている彼女その人に間違いないから。
……田代先生、喜んでくれるといいなぁ。
ううん、きっと喜んでくれると思う。
いい具合に練られたボウルの中身を見ながら、思わず顔がほころんだ。
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