「おはよー」
いつもと変わらない、朝が来た。
私にとっては、何もかもがこれまでと全然違うのに。
「ん? 元気ないじゃない」
「え……?」
自分の席に着いてから顔を上げると、すぐ横に椅子を引いてきた絵里が座っていた。
「ははーん。わかった、アレでしょ。 まだ、お兄さまのこと気にしてるんでしょ」
「…………うん」
いたずらっぽい顔を見せた彼女にすんなりと首が縦に振れた。
……だって、本当のことだもん。
今日だって、彼はいつもと全然違っていた。
昨日まではしてくれたのに、今日は……いつものように起こしてくれることもなかったし、朝ごはんのときだって目も合わせてくれなかった。
自分の家にいるのに、全然知らない場所みたいで……すごくいづらくて。
それで、今日は彼よりも先に学校へと出てきたのだ。
……昨日までは、いつもと一緒だったのに。
いったいどうして、たった1日でこんなにも環境が変わってしまったのだろうか。
「……はぁ」
このまま、家に帰りたい。
……ううん。
むしろ、このまま――……独りでどこかへ行ってしまいたい。
誰も知らない場所へ、独りで……。
……そうしたら、彼が探しに来てくれるんじゃないだろうか。
そんな、不謹慎極まりないことでさえも、今は考えに浮かんでしまう。
「……あんた、いいかげん兄離れしたら?」
「え……?」
聞こえたため息で彼女を見ると、机に肘をついて少し呆れているように見えた。
「あんたねぇ……。人のこと言えないじゃない」
「……人のこと?」
「だから、先生のことよ! 祐恭先生!」
一瞬、彼女がなんのことを言ったのかわからなくて聞き返すと、眉を寄せて目の前に人差し指を出した。
……だけど、やっぱり私にはそれが何を指しているか掴めなくて。
訝しげな顔を見せた彼女に、何も返すことができなかった。
「あのね。あんた、いっつも先生ばっかりくっ付いてくるとか言ってるけど、アンタも同じなんだからね?」
「……えぇ? そんなことないよ。だって、私は――」
「そんなことあるの!」
いきなり何を言い出すのかと思いきや、彼女はとんでもないことを言い出した。
私は、そんなことまったく思っていない。
だって、いつも彼が私のそばにいるわけで、私が彼のそばにすすんで身を置くことはないからだ。
「じゃあ、今何考えてた?」
「え……?」
「だから、今よ今。何考えてたの? え?」
はぁーっと大きなため息をついた彼女が顔を上げると、頬杖を付いてこちらを見つめた。
……今。
今、私が考えてたのは――……。
「……お兄ちゃんが――」
「ほらみなさい」
「えぇ? だから、これは違うってば」
「違わないの! あんたは、自分のことをわかってないだけなの。いーい? 羽織だって、十分先生に甘えてるんだからね?」
「……そんなことないもん」
「じゃあ、どうして元気ないの?」
「……それは……」
まっすぐに目を見たままで即返され、思わず言葉が出てこなかった。
すると、絵里はすぐに『ほらみなさい』と視線を外して呟く。
……だって、私にはどうしようもないんだもん。
ねてもさめても、考えるのは彼のことばかり。
……兄妹なのに。
それは、わかってる。
だけど、兄妹だからこそ考えてしまうのだ。
普段から喧嘩なんてしないし、ましてやこんなふうに――……ひとことも喋らないなんて。
これまで、絶対に陥らなかった境遇。
それと直面して、よくわかった。
自分にとって、彼がどれだけ大切なのかということが。
「……キスされないなんて、初めて」
机に両肘をついてから手のひらに顎を乗せると、大きくため息が漏れた。
なんだか、天気も悪く見える。
気持ちいいくらい晴れていて、風が心地いいのに。
「…………」
落とした視線の先に、小さな物が映った。
いつもだったら、目の前に消しゴムが転がったら拾ってあげる。
ここにあるということは、私の後ろか横の子が落としたんだから。
……だけど、それを見たまま身体が動かなかった。
ああ。
なんて、私は意地悪なんだろう。
自分が満たされてないだけで、こんなにヤな人間になるんだろうか。
そう思うと、心底自分が情けなかった。
「ッ!? な……絵里……? なぁに?」
突然肩を掴まれたかと思ったら、形相を先ほどまでとはまったく変えた彼女がいた。
こんなふうに驚いたような怒っている顔を見るのは、恐らく初めてに近いだろう。
「何じゃないわよ! ちょっと、羽織!! あんた今、キスがどうのって言った!?」
「? ……うん。言ったけど……」
「言ったじゃないわよ、おばか!!」
「っわ!?」
まっすぐに目を見たまま言った絵里が、どうして怒ってるのかわからなかった。
みんなには聞こえないような小さい声ながらも、ものすごく怒られたんだけど……。
もしかして、キスのことで怒ってるのかな。
椅子を寄せてさらにそばへ来た彼女を見ると、1度大きくため息をついてからキッとこちらに向き直った。
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