普通に朝起きて、普通に朝ごはん食べて、普通に着替えて……。
「……なんか、いつもと一緒なんだけど」
「そりゃそうだろ。一緒に住んでるんだから」
 着替え終わった私に、しれっと純也が呟いた。
 当の本人は、まだ着替えてない。
 ……くぅー。
「ねぇ、出掛けないの? デートなのよ?」
「わかってるって。すぐ行くから、下で待ってろ」
「……ホントにすぐ来るの?」
「しつこいな……。行くって、ちゃんと」
 眉を寄せて呟くと、苦笑交じりに純也がうなずいた。
 ……ふむ。
「わかった。じゃあ、下にいるから……早く来てよね」
「はいはい」
 欠伸をしている純也に、イマイチ真剣さが見えないんだけど……。
 まぁ、いいわ。
「じゃ、お先に」
 玄関で声をかけてから、外に出る。
 いつもと同じ、見慣れた廊下。
 それを通ってエレベーターに向かい、呼び寄せる。
 今日は、どこに行こうか。
 ひとり、エレベーターに乗り込むと、自然に笑みが漏れた。
 だって、こんなふうにするのって本当に久しぶりなんだもん。
 やっぱり、嬉しい。
 一緒に出かけるってことに変わりないけど、やっぱり気分が違うのよね。
 にやけてしまいそうになる顔を押さえながら、マンションの正面へ向かう。
 いつもはエントランスから駐車場に行くんだけど、せっかくだから待つことにした。
 ……それにしても、ホントにすぐ来るのかしら。
 電話してやろうかとも考えるけれど、やめておく。
 すぐ後ろなんかで鳴ったときには、切ないじゃない?
 …………とはいえ、ちょっと手持ち無沙汰。
 もー。女を待たせるのって、どうなの? 疑っちゃう。
「……あ」
 ため息をついてスマフォを取り出そうとバッグを探ったとき、見慣れた車が横付けされた。
 しかも、ご丁寧にハザードまで焚いてくれたりしてるし。
 ……それが、なんかちょっとおかしかった。
 緩い階段を降りて助手席を開けると、よく知った匂いのする車。
 かかってる音楽だって、もちろん聴きなれている。
 だけど……。
「……? なんだよ。早く乗れって」
「あ、うん」
 純也が、立ったままの私を不思議そうに見てから声をかけた。
 それでようやく身体が動く。
 いつもと同じように車に乗り込むと、ハザードを消してから車を出す姿。
 ……いつもと、一緒。
 の、ハズ。
 だけど、なんか……ちょっと雰囲気が違ってた。
 いつも出かけるって言ったって、純也はちゃんとした服を着るなんてこと滅多にない。
 いや、もちろん部屋着のまま外に行ったりしないけど、それでもすごく適当。
 なのに……今日は、違ってた。
「……なんだよ、にやにやして。やらしーぞ、お前」
「うるさいわねっ。そういう……純也こそ、どうしたのよ。そんな格好して」
「そんな格好ってことはないだろ。別に、いつもと一緒」
 平然と言った彼の言葉に、つい笑ってしまった。
 だって、いつもと一緒なんかじゃないんだもん。
 ……嬉しかった。
 ――……思い出すのは、一緒に暮らす前の週末。
 こうして一緒に出かけるときみたいに、やっぱりしっかりした服装だったから。
 たまにしか着ないジャケットと、私があげたカットソー。
 そして、やたら自慢げにしてたヴィンテージのジーンズ。
 普段、てきとーな服装して、家でごろごろしてる純也じゃないみたい。
 アレだけデートがどうのって言ってた割に、きっちり合わせてくれたのが本当に本当に嬉しかった。
「で? どこ行きたいんだよ」
「んー……そうね。しいて言うなら、お任せ?」
「……お前なぁ。行きたい場所くらい決めとけよ」
「もー、わかってないわね。いい? デートってのは、大抵男がリードするものなのよ?」
「しょーがねぇな……。じゃあ、適当に行くか」
 適当って言いながらも大方決めてあるらしく、すんなりと高速のインター方面へと道を曲がった。
 ……そんな姿が、ちょっと笑える。
 そして、純也らしいと思った。
 一緒に暮らす前も、こうしてよく出かけたっけ。
「あれ? 高速乗らないの?」
「誰も、高速使うなんて言ってないだろ」
「それはそうだけど……」
 遠く後ろに過ぎ去った、緑の看板。
 それをバックミラー越しに見ていると、純也が小さく笑った。
「え?」
「そんなに気になるか? 行き先」
「……別に。お任せって言ったんだから、気にしないわよ」
「ほぉ。んじゃあ、キョロキョロしねーで前向いてればいいだろ」
「うるさいわねー。いいでしょ、別に!」
 ……ったく。
 相変わらず、ひとこと多いのよ純也はっ。
 ……でもまぁ、大人しくしてやるか。
 せっかく、純也も乗り気になってくれたみたいだしね。
 CDのボリュームをちょっと上げてから、シートに身体を預けることにした。

「……なんで、ここなのよ」
「お前がどこでもいいって言ったんだろ?」
 着いた場所で、思わず眉をしかめてしまう。
 だって、そうでしょ?
 もー……。
 私、何回ここに来たと思ってるのよ。
「ほら、文句言ってないで来いよ」
 純也に促されるようにチケット売り場へ向かう。
 相変わらず、人がごった返しているこの場所。
 柱へもたれるようにして小さくため息をつくと、ほどなくしてチケットを手にした純也が戻ってきた。
「……なんだよ、嬉しくないのか?」
「別に、そういうわけじゃないけど……」
「じゃあいいだろ。ほら、もっと楽しそうな顔しろって」
 チケットを受け取りながらも、いい顔なんて出てこない。
 ……だって、しょうがないじゃない。
 もう、何度となく来た場所なんだもん。
 しかも、夏にも来たのよ? ここ。
 ……別に、嫌いじゃないけどさぁ……。
「…………はー」
 ここは、何度となく純也と来た……水族館。
 夏には詩織と山中先生の一大作戦のために、3ペアで訪れた場所だ。
 少し薄暗い館内の壁に浮かび上がる、水槽。
 そして、厚いガラスの向こうに広がる、たくさんの水。
 ぺた、と手を当てるとやっぱり気持ちよかった。
「……楽しそうだな」
「え?」
 少し上から聞こえた声にそちらを見上げると、くすくす笑った純也の顔があった。
 ……はっ。
 しまった。
 いつの間にか、笑顔になってた。
 バツが悪いなぁ……もぉ。
 ふいっと視線を逸らして奥に進もうとすると、急に手を引かれた。
「……え……?」
「どこ行くんだよ。迷子になるぞ?」
「……あのねぇ。私を誰だと思ってるの? 少なくとも、きっとここにいる誰よりも迷わない自信あるわよ。隅々までよく知ってるし」
「あ、そ。……でも、デートなんだろ?」
「っ……」
 珍しく、純也が優しく笑った。
 思わず、その顔から瞳が逸らせなくなる。
「……そ……だけど……」
「じゃあ、久しぶりにこうするのもいいだろ」
 ちょっとだけ手のひらに加わった力に、喉が鳴った。
 何よぉ……。
 こんなときだけ、ヘンに彼氏ぶって。
「おい、絵里。行くぞ?」
「……うん」
 繋がったままの手。
 私を引っ張って順路通りに進んでいく、純也の背中。
 ……へへ。
 なんか、付き合ったばっかりのころ……っていうか、なんか……初めてふたりっきりでここに来たときのこと思い出すかもね。
「ほら、絵里の――」
「しーつーこーいー! いい加減、この子たちと一緒にするのやめてくれない?」
 純也が足を止めたのは、案の定イワトビペンギンの水槽の前だった。
 ……ったく。何回このネタやれば気が済むのよ。
 ていうか、ここに来るたびやってるでしょ、こいつは。
「そうだな……コイツらがかわいそうだもんな」
「……何か?」
「別に。ああ、じゃあアレか。今のお前は」
「……? どれよ?」
 ふいに奥の水槽へと向かった、純也の視線。
 ……相変わらず、目がいいわね。
 瞳を細めてそちらを見るも、私には判別できなかった。
「ん?」
「だから、アレだって」
 手を引かれるまま、小さな水槽に連れて行かれる。
 ……? 魚?
「何? これ」
「知らないのか? ベタだよ、ベタ」
「……ベタ?」
「そ。別名、闘魚」
「闘魚ぉ?」
 聞きなれないヘンなふたつ名に、思わず眉が寄った。
 すると、指をさして説明を始める。
「この水槽だけ、反射がないだろ?」
「……そう言われれば、そうね。真っ黒」
「メスは違うんだけどさ、オス同士はテリトリー争いが激しくて、ガラスに映った自分の姿も敵とみなすんだよ。んで、喧嘩するからこうなってるんだってさ」
「ふーん」
 珍しく純也のうんちくを聞いた。
 ……けど、ちょっと待って。
 あんた今、私がどうのとか言ってなかった……?
「……ちょっと」
「なんだよ」
 その顔がむかつく。
 思いっきり笑うの我慢してますって顔じゃない。
 ……ひっぱたいてやる。
 手に力がこもり、思わず奥歯を噛みしめていた。


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