「どうぞ」
「……あ……。……ありがとう、ございます」
目の前に差し出されたマグカップからは、温かそうな湯気が立ち上っていた。
……当然、自分が知ってるマグカップ。
なのに、どうしてこんなにもまるで“見慣れないもの”みたいに思えるんだろう。
「…………」
彼に半ば強引に連れてこられたこのリビングも、普段とはまったく違った顔を見せている。
それは――……やっぱりすぐそこに……あの彼女が座っているからなのかな。
「…………」
「…………」
「…………」
……ここに連れて来られてから、いったいどれほどの時間が過ぎたんだろう。
誰も口を開こうとせずに、ただただ時間だけが流れて行く。
テレビはもちろんついてないから、誰かが何かを話さなければ――……ずっと音のない世界。
沈黙は重たいって……ホントなんだ。
彼が淹れてくれた紅茶の入っているマグカップを両手で包んだまま、視線はそこから動かなかった。
「……で?」
「………え……?」
「羽織ちゃんは何を見たの?」
「っ……」
私の隣に座ってくれただけでなく、ちゃんと……触れてくれている彼。
そんな彼が、沈黙を切るように口を開いた。
「……私は……」
彼を見上げてから視線を元に戻すと、すぐそこに座っている女の子が反応を見せた。
途端、つい言葉に詰まる。
……そんな顔……されると困るよ。
まるで睨んでいるような顔をされて、上がった視線がすぐ落ちる。
「……美観」
「え?」
「そんな顔をするな」
「……えー? だってさぁ……」
「だって、じゃない」
彼が気づいてくれたようで、ため息をついてから彼女に声をかけた。
途端に『美観』と呼ばれた子の表情が変わる。
…………先生とどんな関係なんだろう。
私のことは仇みたいに見るのに、彼には――……少しだけ甘えているような眼差しで。
「……先生」
「え?」
「紹介……してくれないんですか?」
精一杯、気持ちを奮い立たせて彼を振り向くことができた。
「……あ……。そう、だな」
「…………」
「え? 私?」
「当然だろ」
少しだけ私を見て驚いた顔をした彼と、きょとんとした顔の彼女。
そんなふたりを見比べ、小さくうなずく。
――……と。
「え……?」
一瞬の沈黙のあとでおかしそうに笑った彼女が、胸を張った。
「私は、長瀬美観。あなたと同じ、冬女の3年なの」
「……あ……。私は3年の――……」
「で。瀬尋先生の、れっきとした彼女なんだぁー」
「ッ……!」
にっこり笑った彼女に続いて、自己紹介しようと顔を上げた瞬間。
少しだけ艶っぽく笑った彼女が、腕を伸ばして彼に手を絡めた。
「ねー? うーちゃんっ」
『彼女』という言葉を聞いて、身体が震えた。
……うそ。
だって彼はずっと……ずっと、私のこと……。
「…………っ」
「えへー。ねー? らぶらぶだよねー?」
彼女は私のそんな様子を気にする素振りも見せずに、かわいらしく彼の顔を覗き込んだ。
――……次の瞬間。
「…………はぁ」
「ん? どしたの? うーちゃ――……った!?」
「お前がそうやって誤解ばっかり招くから、ややこしくなるんだ」
大きく深いため息をついた彼が、ばりっという音でも聞こえそうな勢いで、しなだれかかっていた彼女を引き離した。
……え。
これまでとはまったく違う、行動。
それで、これまでの妙な雰囲気が払拭された気がした。
「……え……っと……」
思わず両手を口に当てたまま、彼らを見つめる。
…………どういうこと?
いつもの彼とは違って、やけに砕けた印象。
……先生って、こんなふうに接する子がいるんだ……。
すぐ目の前でやり取りされているなんともいえない光景を、ただただ傍観するしかできない。
「羽織ちゃん」
「……え?」
不意に呼ばれた名前。
――……のあと、彼がまたため息をついた。
「美観は、泰兄の妹だよ」
「…………」
「…………」
「…………」
「……えへ」
ぐいっと彼が私の目の前に引き寄せた彼女と、見つめ合うことほんの数秒。
だけどその間私はというと、気まずそうに笑った彼女と疲れた顔をしている彼とを……ただただ見比べることしかできなかった。
……だから。
「えぇええええぇえ!?」
自分でも驚くくらいの声量で出た叫び声は、本当にしばらく経ってから出た。
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