『彼氏……かな』
私はあのとき、どんな確信を持ってそう言ったんだろう。
“彼女”って何?
“彼氏”って、どうやって決められるの?
……相手が自分をどう思ってるかなんて、本当のことまではわからないのに。
いくら言葉では許してもらえても、本当の本当までは――……その人にしかわからないのに。
「……っ……」
“彼女”と定義されるには、どんな条件が必要なの?
しゃくりが上がりそうになるのを必死にこらえながらエレベーターまで辿り着き、ボタンを叩くように押す。
……嫌だ。
嫌だ、嫌だ、嫌だ……!!
自分は、彼の何を知っていると思っていたんだろう。
……何ひとつ、知らなかったじゃない。
本当の彼なんて、これっぽっちだって……!
「……っふ……」
ぎゅっと結んだままだった唇から、情けなく息が漏れた。
すぐに開いたエレベーターのドアへと身体を滑らせ、操作パネルに寄りかかる。
まず何をするよりも最初にしたのは、閉じることを表示している記号ボタンを押すことだった。
外と――……これまでの状況と、絶ってしまうこと。
それが、どんなことよりもまず今の自分のために必要だと思った。
「待ッ……た!!」
「!!」
閉じかけたドアを片腕で強引にこじ開けたのは、声じゃなくても十分にわかる人。
……やだ……!
姿が見えると同時に首が振れた。
見たくないの。
会いたく………ないの。
今、この状況では――……どうか。
「……や……!!」
「っな……!」
ぐいっと腕を掴まれた途端、反射的にその手を払おうと身体が動いた。
咄嗟だった。
だから、私自身も予想してなかったの。
「……あ……」
違う。
先生が悪いわけじゃない。
だから……どうかそんな顔しないで。
驚いた顔をしている彼に、たまらなく申し訳なさが浮かぶ。
「ごめ……なさっ……」
ひどく傷ついてるに違いない。
間違いなく、彼は……私のせいで。
……だから、ただただ謝罪をするしかできなかった。
私のせいだから。
きっと、何もかも――……こんなふうになってしまっているのは、すべて私のせいだから。
彼をそうさせてしまったのも、今の彼をこうさせてしまっているのも。
……だから。
「ッ……!」
「ちゃんと話聞いて」
突然引き寄せられて、本当に久しぶりに彼の温かさを感じた。
比喩なんかじゃない。
……本当に、彼自身の体温を。
「違う」
「な……にがですか……っ」
「誤解してるようなことは、何もないんだよ!」
「ッ……違わない……!!」
まっすぐに私を見つめてくれているのは、わかる。
だけど、私がそんな彼を見ることができるはずなくて。
――……つらい。
こんな状況も、こんな言葉も……こんなやり取りも。
先生とするなんて考えてもなかったのに。
……それなのに……。
「…………どうして、ぇ……」
ぎゅっと閉じた両目を手のひらで押さえるとともに、情けない声が漏れた。
「誤解だって。ホントに何もない!」
きっと彼は私を落ち着かせるためにそう言ってくれたんだと思う。
……でもね。
それはやっぱり、私にはダメなんです。
……だって――……。
「私見た……んです」
「……見た? 見たって何を」
訝しげに眉を寄せた彼に向けるのは、きっと……私らしくない眼差しだっただろう。
それだけは、自分でも確かにわかった。
「っ……先生……あの子……」
彼を見つめたままなのに、瞳に彼は映っていない。
このとき頭の中にも浮かんでいたのは、あの光景だけで。
……だって……見たんだから。
あのときこの目で間違いなく。
「あの子……抱きしめてたじゃないですか……っ!」
言い終わると同時に大きく涙が零れ、情けなくしゃくりが上がった。
もう嫌だ。
いったい何度あの光景を思い出せばいいんだろう。
……何度つらい思いをすれば、救われるんだろう。
もう、嫌なの。
つらい思いをするのも、彼を自分以上に傷つけるのも。
……そんな顔、見たくない。
そうさせているのは私にほかならないのに、そんな我侭だけは紛うことなく確かに浮かぶ。
でも、今だけは彼のどんな言葉も欲しくなかった。
欺瞞に満ちているように感じてしまう自分が、心底嫌でたまらなくて。
「……ダメだ」
「っ……」
「このままじゃ、帰さない」
「……な……!?」
ホールに響いていた私の嗚咽を遮るかのように、彼が改めて腕を掴んだ。
いつもより、ずっと強い力で。
……まるで、『離さない』と言ってくれているかのように。
「っ……せんせ……ぇ」
ただそれだけのことなのに、痛いくらいに掴まれたそこから彼の強い感情が流れ込んでくるようだった。
「今離したら、二度と俺のところ戻ってこないだろ?」
「……ッ」
ぐいっと腕を掴んで引き寄せた彼が、ごく近くで目を合わせた。
……少しだけ、怒っているみたいに真剣すぎる顔で。
|