あの子が笑顔で男のこと話すのなんて、初めてだったの。
 ……自慢なんて、絶対にしなかったのに。
 なのに、祐恭先生だけは違った。
 先生に会った次の日は、心底嬉しそうに『こんなことした』とか『こう言われた』とかって……必ず私に話したのよ?
 ……先生と付き合うようになって、本当に変わったわ。
 笑顔が、本当に増えたの。
 ……だから、羽織にとってちゃんとした居場所が見つかったんだなって、安心した。
 …………先生なら、あの子……。
 きっとね、だから羽織は先生のそばにいたがるのよ。
 傷つけられても、いいって思ってるのよ。
 ……それほど、羽織にとって先生は――……。
「…………」
 彼女と別れて向かうのは、1階の奥にあるフードコート。
 ……別に、待ち合わせをしたわけでもない。
 だけど……やっぱり、こんなところへ置き去りにすることなんて当然できなくて。
 自然と、足が向いた。
 迎えにいかなきゃいけない、と無意識の内に思ったから。

 『特別な人なんだと思う』

 ふと、絵里ちゃんの言葉が蘇る。
 ……特別。
 彼女にとっての『特別』ってなんだ?
 いったい……どういう意味なんだろうな。
 今では、すんなりと信じて飲み込める余裕も持ち合わせていないのか、俺は。
「……情けないな」
 ここに来て、自分自身という人間もよくわからなくなってきた。
「ちょっ……や……!」
「話だけでも聞いてよ!!」
「やめてください!」
「……?」
 彼女とわかれた、場所。
 そのすぐ近くのベンチから、そんな声が聞こえてきた。
「だって、ひどいじゃないか! 俺のこと、あんなに……好きだって……!!」
「こんな場所で言われても、困ります!!」
 ――……彼女。
 男の陰に隠れて姿がほとんど見えはしないが、当然すぐに見つけられるし判断もできる。
 ……当たり前だろ?
 どんな場所にいたとしても、俺は確実に彼女を見つけ出す自信があるんだから。
 声があれば、十分に。
 彼女の一部しか見いだせなくても……っと。
「っ……! ……あ……」
「……何してるんだ」
 ため息をついてから彼女の腕を取る。
 ――と。
「瀬尋……先生……」
「……え?」
 驚いたように、男が俺の名前を口にした。
 ……当然、視線が向かう。
 すると、そこには確かに見覚えがある彼がいた。
「……篠崎先生……」
 そう。
 実習生としてウチの学校に来て、そして……彼女を好きになった、人物。
 あの、篠崎圭介だった。
「……瀬尋先生、どうしてここに」
「それはこっちのセリフ。何してるんだ? こんな場所で、そんなに大きな声出して」
 彼女を掴んでいた手を離し、彼へ向き直る。
 だが、俺だとわかった途端彼は酷くあからさまに動揺を見せた。
「あ……あの……羽織ちゃんと、ふたりで……話させてもらえませんか?」
「ふたりで?」
「あ、あの! 別に、やましいことがあるとか、そういうんじゃなくて――」

「嫌よ」

 先ほどまでと、まったく違う声の質。
 ……そう。
 “彼女”の声だ。
「羽織ちゃん……?」
「ったく。しつこいのよ。どうして別れたのか、まだわからないの?」
 ものすごく驚いた彼に構わず、彼女は俺の腕を取りながら続けた。
「恋人ってどういう意味だと思ってるの? なんでもかんでも要求して、『嫌だ』と言えば『どうして?』ばかり。……ホント、うんざりなのよね」
 顔を見なくとも、表情が浮かぶ。
 ……きっと、瞳を細めて淡々と続けているんだろう。
「…………」
 …………しかし。
 絵里ちゃんが言っていた通り、ほかの男には本当に見せてなかったんだな。
 ――たとえ、関係が終わった相手だろうとも。
 そういう意味では、ある意味プロとも言えるかもしれない。
「けどっ……けど俺は! 俺は本気で、羽織ちゃんのこと――」
「……だから嫌なのよ、お坊ちゃま」
 初めてだった。
 彼女が舌打ちしたのを聞いたのは。
「……なんでもかんでも我侭が通ると思ってるの? 女をなんだと思ってるのよ。……ふざけんなっつの」
 彼女を見ると、睨むように彼を見つめていた。
 ……こういう顔をするとはね。
 初めて見るような表情にもかかわらず、不思議ともう今は何かが崩れるようには思えない。
 ……慣れって怖いな。
 今ではもう、いつもの彼女らしかったあの微笑のほうが、わざとらしく思えてきたほどだ。
「ッ俺のこと……騙してたのか……!?」
「騙す? 勝手に被害者ヅラしないでよ。むしろ、被害受けたのは私のほうなんだから」
「な……んだって!?」
「っ! や……!!」
 かぁっと顔を赤くした彼が、いきなり掴みかかった。
 当然、彼女は引っ張られてバランスを崩す。
「っ……」
 咄嗟、だった。
 反射的に手が出たのは。
「な……っ!? 瀬尋先生、どうしてですか!」
「……ちょっと落ち着けって」
「落ち着けません!」
 彼女を掴んでいた手を無理矢理解くと、案の定彼が食いかかってきた。
 だが、その間に彼女は俺の後ろに逃げる。
 ……相変わらず、素早いというか慣れてるというか。
 まぁ、この際なんでもいい。
「いいから落ち着いて」
 少し声のトーンを落として彼を見ると、喉を鳴らして視線を逸らした。
 ……彼女以外には、こうして振舞えるんだがな。
 我ながら、それはいまだに情けない点だ。
「……好きになったんだろ? この子のこと」
 ため息をついて彼を見ると、眉を寄せて視線を落とした。
「俺が好きになったのは、こんな彼女じゃなくて……もっとかわいかった」
「かわいいって何よ。……自分に従順な部分だけがよかったクセに」
「……ちょっと黙ってろ」
「あ、ちょっ……!?」
 案の定、ひょっこり顔を出して首を突っ込んできた彼女をぴしゃりと退ける。
 ……いつもの彼女ならこんなことしないだろうとは思うのだが、今は別。
 絶対に何か言うと思っていたが……以外にも彼女は唇を尖らせただけで、それ以上何も言わなかった。


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