「お疲れさまです」
「あ、お疲れさまです。じゃあ、お願いしますね」
「ええ」
日も暮れてきた、金曜の放課後。
今日はいつも通り、彼女が家に来る。
……のだが、その前に一仕事。
施錠の確認ってヤツだ。
さすがにこの時間だと生徒たちもほとんどが帰宅しているが、中にはまだ残っている子もいる。
当然というかなんというかウチのクラスの生徒も例外ではないようで、教室からはまだ明かりが漏れていた。
しょーがねぇな……。
というか、多分その中に羽織ちゃんもいるんだろう。
珍しく、実験室には姿を見せていなかったし。
……まぁ、それは絵里ちゃんも同じなんだけど。
3年9組から順に施錠の確認をして、廊下を進む。
ほかのクラスは電気も消えて、生徒の姿もない。
それだけに、やけに2組が目立って見えた。
……ったく。
とっとと帰ればいいものを。
だいたい、受験生がこんな時間までフラフラしてんなよ。
と言いつつ、自分もこんな時間まで彼女を残しているようなモンなんだけど。
自分のことを棚に上げて、よく言うもんだ。
などと苦笑を漏らしながら、2組の教室へ――……差しかかったとき。
……ふいに足が止まった。
中から聞こえた声。
それはもちろん聞いたことがあるし、誰の声かもわかる。
…………だが、つい姿を現すのをはばかれた。
なぜならば、その子が彼女の名前を出したから……だ。
「羽織、相変わらずよねー」
「そうそう! 3年になって少しは落ち着くかと思ったのに、全然変わらないんだもん」
くすくすと笑いながら言う声に、反論を示す彼女の声が聞こえた。
「そんなことないよ! ……私、結構落ち着いたよ? それに、去年までの私とは違うもん」
「へぇー、言うじゃない。どこ? んー? どの辺が変わったのかなー?」
「もぅ!」
相変わらず、女の子ってのは他愛ない話で盛り上がれるもんだと感心してしまう。
だが、やはり彼女らの話に興味はあった。
俺は去年の彼女を知らない。
だから……立ち聞きってワケじゃないぞ?
まぁ、人から見ればそうなってるだけに、言い訳はできないけど。
「でも、羽織も少しは変わったわよ。ねぇ?」
笑い声の後で最初にそう切り出したのは、絵里ちゃんだった。
だが、その声に野次にも似た声が続く。
「そぉー? 私には、相変わらずの羽織チャンにしか見えないけどなぁ」
「うんうん。相変わらず、派手にやってるもんねぇ」
「そうそう!!」
……派手……だと?
妙なことを言うもんだ。
だって、そうだろ?
いったい、彼女のどこが派手だって言うんだよ。
どこからどうみても、派手という言葉からは縁遠い。
むしろ、彼女より絵里ちゃんのほうこそ、その言葉はしっくり来ると思うんだが。
……って、こんなこと聞かれたら何言われるかわかんないけど。
「もー。みんな、ヒドいよ。人のこと、なんだと思ってるの?」
まったくだ。
言いたい放題だな、おい。
まぁ、そんな彼女の声にも笑いが混ざっているので、いつもの冗談的な話なのだろうが。
――……と、俺はそう思ってた。
だって、どう考えたってそう思うだろ?
恐らく笑顔で彼女たちは話していたであろうから。
……なのに、だ。
「出たよ、小悪魔羽織ぃ。えー? 何人その笑顔で騙したの?」
……騙す……?
普通、『騙す』なんて言葉は、冗談だとしてもそう簡単に遣ったりしないものだ。
だが、その言葉は平然と彼女へ投げかけられた。
騙すなんて言葉が不似合いの、彼女に……だ。
しかも、けらけらという笑い声は先ほどから何ひとつ変わらないまま。
……なんでだ?
壁にもたれながら、自然に眉が寄る。
「ちょっとー。何か言うことあるんじゃないの?」
「そうそう! 羽織センセイ、レクチャーしてよー」
相変わらずはやし立てている子たちに対して、返らない彼女の言葉。
……ほらみろ。
あんなこと言うから、彼女が――……。
「いいでしょ? 別に。騙すより、騙されるほうが悪いんだから」
「っ……」
くすっと笑って続けられた、その言葉。
声は……もちろん、彼女本人。
だが、いつもの彼女とは違っていた。
声色も、語調も、そして声から伺える雰囲気も。
すべて……そう。
何もかも、が。
「あーあ。かわいい顔して、言うことキツイんだから」
「そうだよ。羽織、先生受けいいクセにさー。やること、結構えげつないよね」
「ちょっと。人をなんだと思ってるの? まるでとんでもない悪女みたいじゃない」
「えー! ひょっとして、自覚なし!?」
「うわー、怖い怖いっ」
「……まぁ、それはしょうがないでしょ。かわいい顔して、したたかに。それが羽織のモットーだもん」
「さすがは、絵里ね。幼馴染だけあって、よくわかってるなぁ」
ちょっと待て。
この会話は、なんだ?
まるで別次元のことのようで、どうしてもうまく飲み込めない。
彼女が……何?
つーか、今ここで……壁1枚隔てた向こうで喋ってるのは本当に彼女なのか?
「…………」
思わず、喉が鳴ると同時に頭が働かなくなる。
確かに、声は彼女だ。
……だが……本当に?
絵里ちゃんですらも否定しない、そこにいる彼女。
それからして、これが――……ひょっとしたら冗談ではないのかもしれない、という気になってきた。
いや、でもまさか。
……嘘だろ……?
まるで、悪い夢のよう。
……いや、それよりも――……まるで、映画か何かみたいな。
そんな、いろいろな物が欠落した事実に直面して、かえってリアリティを感じられなかった。
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