「…………はー……」
死ぬ。
いろんな意味で、死ぬ。
額に手の甲を当てたまま瞳を閉じると、何度目ともわからないため息が漏れた。
まさか、自分が風邪で寝込むことになるとはな。
なんだか、ものすごく一気に老けた気分だ。
高校時代は、日の上ってない時間からの寒稽古に出たって風邪ひとつ引かなかったのに、今じゃこのザマ。
たった数年とはいえ、ブランクがあるというか……ホントに体力面で劣ってるんだなと実感する。
……と、同時に悲しい。
ものすごく、切ない。
学生時代ですら、なかなか熱なんて出さなかったのに。
本当に、何年ぶりだろうか。
「…………」
ピピピ、といういかにもデジタルを感じさせる音。
午前中、保健室で計ったときからずっと計ってなかった体温を、今になって測り直す。
……こういうのって、ダメなんだよな。
暗示みたいなモンもあるし。
ヘタに、思ってもないような数字が出ると、途端に本気でヘバりそうだ。
……さて。
今の具合はいかがなモノか。
「…………は……ち度2分?」
途端、まっすぐだったはずの気持ちが萎えた。
「…………」
なんだよ、38.2分って。
おかしいだろ。ありえないだろ。
……ああもう。
本気で、頭痛がしそうだ。
「……はー……」
深くため息をついてから目を閉じ、羽毛布団を顎までかぶる。
昼間というよりも、本当に、学校に行ってすぐの時間。
そんなときに家に戻ってくると、なんだか少しだけ……得した気にもなる。
まず、リビングに入ってすぐ、我が家は思っていた以上に日当たりがよかったんだと気づいた。
それは、同じ南を向いている寝室も同じで。
……そりゃ、土日は家にいるんだから、わかるっちゃわかるんだけどさ。
でも、自分が普段働きに行っている時間だからこそ、感じるモノで。
あとは、近くに小学校があるわけでもないにもかかわらず、意外と子どもの声が外から聞こえてきていた。
……普段は耳にしないからな。
ある種の新鮮味を覚える。
…………それにしても。
「……………」
ふと、また目が開く。
ようやく日の暮れてきた窓の外を見ながら、自分がカーテンも閉めずにいたことに気づいた。
普段でさえ、ひと気のないだだっ広い我が家。
唯一音を出す主が寝込んでいたら……そりゃ、静かだよな。
そうは思いつつも、やっぱり……寂しいというか、何というか。
たまに聞こえる生活音だけが、今の我が家の唯一の支配者。
……病気すると人恋しくなるって、ホントなんだな。
これまでのひとり暮らしの中で、そうそう病に伏したこともなかったせいか、改めてそう実感した。
身体自体が疲れているといえば、そうだろう。
正月明けからずっと、バタバタしたままだったし。
精神的に言っても、そうだ。
彼女のセンターといい、年度末考査の準備といい。
まだまだ新任の教師で、しかも今年が冬女への初赴任。
どうも勝手が違ってやりづらいところもあったし……もしかしたら、結構気を遣ってたのかもしれない。
「…………」
なんでもできるとか、なんとかなるだろうなんて、自分をそう過信したつもりはないんだけどな……。
ベッドに入りながら思い返してみて初めて、思った以上に仕事を背負い込んでいたのに気づいた。
「……はー……」
ため息をつきながら再び瞳を伏せ、寝返りを打つ。
ひとり暮らしのお祝いにと、なぜだか知らないがいらん気を利かせて祖父が買ってくれた、このベッド。
今でこそありがたみを感じるが、ひとりじゃやっぱり広すぎる。
……寒いんだよな。
自分以外に、ぬくもりがないと。
「…………」
ぬくもり。
その単語でまずひらめくのは、当然彼女。
そばにいるだけで温かいし、手を伸ばせば自分との体温差は明らか。
きっと、俺よりも代謝は高いんだろうな。
彼女には、冷え性とかって言葉が1番縁遠く感じる。
せっかくの金曜でかつ、来週の半ばからは自主登校。
いろんな意味で絶好だと思っていた週末が、まさかこんなことになるとは。
…………がっかり。
いろいろ考えていたことがすべて藻屑と消え、ヘコんだ気持ちでいる以上、病もそう簡単には俺を諦めてくれないだろう。
……と言っても、忙しいのはほかの先生方も同じ。
できることなら、とっとと復活して自分の仕事にケリをつけたい。
純也さんなんて、無理してまで俺の仕事まで背負ってくれちゃいそうだし。
散々『帰れ』コールをしたのが彼だけに、笑顔で『いいよ。やっとくから』と言ってくれる図が想像できて、申し訳なくなる。
風邪。
すなわち、万病の元。
それを撃退する絶対的な薬は今のところまだ開発されていないが、緩和することはできる。
有難いことに、ウチは根っからの製薬関係。
実家にもごろごろと市販薬だけでなく、病院に卸されてるような薬もある。
もちろん、すべては知人の薬剤師に処方してもらった物だけど。
だからこそ、我が家も例外ではなく病院薬と似た働きをする薬があって。
メシを食って、薬を飲んで、あとは寝て。
そうすれば、病気なんてモノはおのずと快方へ向かう――……はずだが……。
「…………」
……あとは気合か。
病は気からという言葉通り、確かに精神的なモノは大きく体調を左右する。
だがな……。
「……はぁ」
今の俺にとって何よりも欠けていてかつ、縁遠いもの。
それこそが、まさに『気』の部分で。
満ち溢れている休養と引き換えに、なんとかなりはしないだろうか。
……まぁ、栄養の面も足りてないとは思うけどな。
ぴんぽーん
「っ……!」
そんなときだ。
ちょうど気分が下降の一途を辿っていただけに、思わずテンションが上がる。
理由。
そんなモノは、ひとつしかない。
病気をして臥したとき、人が望む物。
それは、人の優しさと愛情。
そして――……。
「……もしかして……」
淡い期待。
1番大切な人が、自分にとってものすごく必要な人が、心配して見舞いに来てくれるんじゃないかという――……今の立場を利用したような、少しだけ不謹慎な。
「っ……」
再び響いた、チャイムの音。
それで思わず、布団を蹴飛ばしていた。
この家に住んでいながらも、彼女とは違ってスリッパを履く習慣はないので、こんなときだろうと素足で歩く。
……来た。
『彼女が見舞いに来てくれるんじゃ』なんていう浅はかな期待を持っていたからこそ、いそいそと足はインターホンへ。
きっと今ごろ、エントランスでは鍵を使って入ろうかどうか悩んでる彼女の姿があるに違いない。
彼女のことだ。
気遣ってくれながらも、そういう部分では1歩引いて――……。
「……な……」
受話器を取ろうと伸ばした手が、思わず止まった。
モニターに映し出されていたモノ。
それは、間違いなく……というか、なんというか……。
「…………なんだよ……」
ガチャ、と音を立てて受話器を取り、不機嫌な声のまま応える。
そこにあってほしいと望んだのは、俺にとって特別な女性であって、男などでは断じてない。
……このツラ。
わざわざレンズを覗き込むように顔を近づけている彼を見たら、当然のように、上がったテンションは地へ落ちた。
『お。いるね、病人』
「……なんの用だ」
『なんの用って……そりゃ、ひとつしかねーべよ。優しい優しい優人センセーがお見舞いに来てあげましたよー』
……現実の味を、改めて思い知った。
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