「……なんでお前が来るんだよ」
「え? いや、だってさ。田代先生から話聞いて。どーせ、ひとりで寂しく枕を濡らしてるんだろうと思って」
「……いらん世話だ」
「つめてーなー。そー言うなってー」
 判断を間違えたな、と思ったのはリビングのすぐ手前に来たときだった。
 鍵を持ってないからこそ、わざわざエントランスのドアと、玄関と……ふたつの鍵を開けてやらねばならない。
 ……ということは、イコール。
 クソ寒い廊下と玄関に行かなきゃならないワケで。
 ま、コイツに合鍵なんてくれてやるつもりも義理ももちろんないから、仕方ないんだが。
 つーか、普段そんなにウチへこないくせに、どうしてこういうときばかり来るんだ。
 ……ホントに、人の嫌がることを楽しそうにしてくれる。
「……で?」
「え?」
 リビングに着くなり、どっかりとソファを陣取った優人。
 隣にいそいそと座る気にはなれないので、当然のように立ったままの応対。
 ……これでも病人なのに。
 せめて、コイツが『(わり)』という言葉を知ってるヤツなら、また話は違っただろうがな。
「で、って?」
「……あのなぁ……」
 軽く頭痛がして、ふらりと足元がブレた。
 俯いたまま額に手を当て、ひと呼吸置いてから優人を睨む。
「あれ? あ。お前さー、具合悪いんだろ? ちゃんと寝て――」
「……今さら言うな」
 壁に音を立ててもたれたら、さすがに気づいたのか優人が姿勢を直してから指差した。
「…………」
 おせーよ。
 思いっきり、おせーって。
 とげとげした視線で、しっかりと言っておく。
「あ。そーそー。ほら、お前さぁ具合悪いって話じゃん?」
「……見舞いっつーのは、元気なヤツのところに行くモンじゃないだろ」
「まぁ、そーゆーなって」
 ぽん、と手を打った優人にぼそりと呟くと、けらけら笑いながら、何やら自分が持ってきた手提げを漁り始めた。
 手提げ、というか……袋と言うか。
 とりあえず、“物入れ”って感じの言葉が1番しっくりくるようなモノだ。
「ほいっ」

 にこにこと、満面携え、ヤツはやる。

 そんな句が一瞬の内に頭をよぎった。
 それと同時に――……。
「…………」
「え?」
「………………」
「あれ? ……祐恭君?」
「…………帰れこの馬鹿が……ッ……!!」
「え? なんで?」
 無言でがしっと優人の両肩を掴み、そのまま立ち上がらせて問答無用で引き連れていく。
 市中引き回しの刑。
 名付けるならば、そうとも言おう。
「ちょっ……ちょっ! おい、祐恭? なんだよー」
「なんだよ、だぁ? ……っ……それは……こっちのセリフだろうがッ!!」
「えー? なんでだよー。俺、せっかくお前のために持って来てやったんだぜ?」
「どこがだッ……!」
「いや、だってさー。ほら、病気のときって人恋しくなるだろ? だから」
「……だから?」
「そ。だから、寂しくないように、せめてひとりプ――」
「うるさい!!」
 器用に後ろ向きで歩いていくモンだな、なんて廊下を曲がりながら一瞬思った。
 ……一瞬な、一瞬。
 つーか、ひたすら笑みを浮かべながら喋られて、正直なんかもう、本気でテンション下降中。
 だが、ひとつだけ身をもって知ったことがある。
 それは、風邪のときに優人と接触するのは、『自ら悪性ウィルスを吸い込むのと一緒』ってこと。
 ……あぁ……。
 なんか、さらに熱が1度くらい高くなった気がする。
 ぐらぐらと頭痛がまた始まって、焦点が一瞬ボヤけたように感じた。
「とっとと帰れ!!」
 ようやく辿り着いた玄関で最後のひと押しをすると、2、3歩後ろへよろけながらも、素直に靴を履くべく腰かけた。
 ……ち。
 コイツ、ハナっから俺がこういう態度するってわかってて、あえて来やがったな……!
 ギリっと奥歯が軋むと同時に、怒りが膨張。
「しかし、心配して損したよなー。祐恭、元気じゃんかー」
「……誰のせいで大声張りあげ――……っげほげほ!」
「あーあー。無茶するからだぜ?」
「だ……れのせいだ、馬鹿がッ!!」
「わー」
 1発殴ってやろうかと握った拳は、素早く立ち上がった優人のせいで虚しく空を切った。
 ……まぁ、普段も多分当たらないとは思うが。
「んじゃ」
「……とっとと帰れ」
「へいへーい」
「二度と来るな」
「ちぇー。つめてーなー」
 けらけら笑いながら両手をコートに突っ込んで、くるりと回れ右。
 ひらひら後ろ向きに手を振られたが、当然、振り返すほどの元気はなかった。
「……ったく」
 ようやく閉められたドアに鍵をすべく、冷たいサンダルを引っかけてドアへ近づいた――……瞬間。
「あ、そーそー。忘れてた」
「ッ……!」
 ガチャっと音を立てて、目の前のドアがまた開いた。
「そういや、言い忘れたんだけどさー」
「……なんだよ……」

「羽織連れて来たら、嬉しかった?」

「な……っ……」
 真顔でにやりと笑われ、思わず言葉に詰まる。
 ……く……コイツ……!
 すぐさま『してやったり』とでも言わんばかりに上がった口角を見て、ギッと眉が寄る。
「うっわ。正直でー」
「……う……」
「う? あ、嬉しい?」

「うるせェな、あーもーッ……!! とっとと帰れこの馬鹿が!!!」

「わー、祐恭が怒ったー」
「くっ……! おい! 優人!!」
「わー」
 まるで、“ピンポンダッシュ”をした悪ガキよろしく。
 掴みかかろうと伸ばした手は、掠りもしなかった。
「……くっそが……!」
 玄関から顔を出したまま廊下を見るものの、当然そこに姿はなく。
「……馬鹿優人ッ……!!」
 いらんことを思い出したのは確かに自分の責任なのだが――……あー、ちくしょう。
 シンと静まり返った廊下に別れを告げてドアを閉めると、力なく身体がドアにもたれた。


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