とある昼休み。
 心地よい日差しが窓から入ってきて、非常に気持ちいい。
 ましてや窓際の席となると、余計に……。
「……おーい寝るなー」
 笑い交じりの声で、目が開いた。
 ……あぶねー。
 そのまま寝るところだった。
「確かに気持ちはわかるけどね。メシ食って、こーいうのんびりした時間過ごしてると……眠くなるよなぁ」
「……そーなんすよね。ヤバい。寝そう」
 椅子にもたれれば、どうしても再びまどろんでしまう。
 つーか、瞼が重い。
 今日の昼休みは、彼女が来ない日。
 なので、余計に気が抜けて眠くなるというか……。
「ごほん」
「……っ……」
 背中に感じる、冷ややかなモノ。
 振り返りたくないのだが、人間には怖いもの見たさというものが存在するわけで……ゆっくりと首がそちらに向いた。
「……さ……いとう先生」
「いただけませんな? 瀬尋先生」
 にっこりとした笑みながらも、明らかに怒りオーラが漂っている彼に慌てて背を正すと、何も言わずにその場を離れて行った。
「……こ……こえー……」
「あーあ。祐恭君、あとで説教かもな」
「……覚悟します」
 苦笑を浮かべた純也さんに重くうなずくと、ため息が漏れた。
 ……参った。
 まさか、こんなところに斉藤先生がいるとは思いもしなかった。
 とりあえず、眠気を覚まそう。
 軽く伸びをしてから立ち上がり、コーヒーメーカーの前へ。
 普段はコーヒーを自ら好んで飲んだりはしないんだが、こういうときは別。
 少しカフェインでも摂って、頭を覚醒させるか。
 カップにコーヒーを落とせば広がる、いい香り。
 ……匂いは好きなんだけどなぁ。
「…………あふ」
 席に戻り、早速ひと口――……の前に、やっぱり欠伸が出た。
 ……眠い。
 ものすごく帰りたい。
 あ、いや。
 その前にアレだ。保健室で仮眠――……。
「失礼します」
 普段聞きなれない声が聞こえた。
 お陰で、若干目が覚める。
 とはいえ、まさか俺に用事だとは考えもしないので、指先の眠気防止のツボを押すのに視線を落としてたんだけど。
「おふたりとも、よろしいですか?」
「え?」
 不思議そうな純也さん声で顔をあげると、そこに立っていたのは意外な人物。
 ……というか、なんでここにいるのかとかなり不思議に思った人だった。
「山中先生」
「お昼休みにすみません。……あの、少し……ご相談がありまして」
「相談、ですか?」
 純也さんが声をかけると、山中先生がわずかに視線を落としてうなずいた。
 ……このとき。
 この、彼の表情で俺は気づくべきだったんだ。
 今回ばかりは関わっちゃいけない、と。
 ――……なぜならば、このときの彼の顔が少し照れたように赤かったから。

「……なんつー相談……」
 昼休みも、あと数分。
 山中先生がここを訪れたときのままになっている机を見ながら、ついそんな言葉が漏れた。
 ……たまらん。
 ていうか、ああいう結果になってしまったのは、まぁ、俺たちのせいでもあるのかもしれないけど。
「……あー、俺今回はパス」
「なっ!? ダメっすよ!」
「いやいやいや、ホント無理だって! だいたい、絵里を考えればわかるだろ!?」
「それでもダメですって!」
 逃げようとする純也さんの腕を掴むと、困惑の色を浮かべて首を横に振った。
 でも、俺だって困るんだ。
 今回の話、俺だけに任せるなんて……純也さん、人悪すぎ。
「……連帯責任っすよねぇ?」
「な……なんの?」
「ほら。相談受けたのは、“俺たち”なんですよ?」
「……う」
 苦笑を浮かべながら呟くと、さすがの彼も諦めたらしく大きくため息をついてから椅子ごと向き直った。
「……で。どうする?」
「どーするって……何がっすか?」
「だから。……土曜日、ホントに行くのか?」
「……あー。俺、確か歯医者が――」
「ちょっと待て祐恭!!」
 視線を逸らして呟いたら、やっぱり怒られた。
 ……でもな。
「なんでそもそも、あんなことになっちゃったんすかね……」
「……なぁ……」
 ふたり揃って、出てくるのは諦めとため息ばかり。
 ホント、なんでこんなことになってしまったんだろうか。

「……は? 何それ」
「いや、だから……」
「山中先生、また凝りもせずにそういう相談してきたの?」
「凝りもせずって……そんなに数多く相談受けてないだろ?」
「けど、夏のときだってそうでしょ? ひとりじゃ行けないから、一緒に行ってくれって」
「……そりゃまぁ」
 金曜日の夜。
 またしても開かれた、純也さんちでの緊急会議。
 ……なんか、ここに集まるときは必ず何かしら問題が起きたときだよな。
 それも、“大”が付くほどの。
「……ったく」
 テーブルを挟んだ向かいに座った絵里ちゃんが、眉を寄せて隣の純也さんを睨むのももちろんわかる。
 一方の羽織ちゃんはと言うと……顔を赤くして眉を寄せているわけで。
 明らかにその顔は、困惑を示している。
 まぁ、理由はわからないでもない。
 なぜならば、彼女はこれまでに経験があるのだから。
「だいたい、マンネリしたからどうにかしたいって……普通、そういう相談は人にするモンじゃないんじゃない?」
「そりゃ、普通はそうだけど。なんつーか、山中先生としてはもうどうしようもなかったって感じだったんだよ」
「……何よ、それ」
「だから! なんか、半泣きだったし……なぁ?」
「え? あ、ええ」
 羽織ちゃんの様子を見ていたら、急に話を振られた。
 思い出される、先日の昼休みの山中先生の顔。
 それはもうものすごく必死で、頼るべき者はほかにないって感じだった。
「……そんで?」
「ん?」
「私たちも、また、行くの?」
 言葉を区切りながら向けられた、鋭い視線。
 相変わらず、絵里ちゃんは厳しい。
「いや。さすがに、断るつもりだ」
「あれ? そうなの?」
「ああ。祐恭君とも話したんだけど、ああいうところは大勢で行くものじゃないだろ?」
「……ふぅん」
 結局今日までずるずると引きのばしてしまったが、『俺たちは行かない』という答えを山中先生には告げるつもりだった。
 いやまぁ、そうするという決定事項と、彼が納得してくれるかどうかというのは、また別問題なんだけど。
「私、行きたい」
「は!?」
 何やら考え込んでいた絵里ちゃんが顔を上げたかと思いきや、しれっとした顔を見せた。
「うん。ね、行きたい。てか、行こうよ」
「お……おまっ……! 馬鹿かっ!! 誰がンなところに――」
「あら。じゃあいいわよ。羽織とふたりで行くから」
「「えぇ!?」」
 ぐいっと彼女の腕を取った絵里ちゃんを見て、羽織ちゃんと思わずハモった。
 純也さんはといえば、呆れたように大きくため息をついている。
 ……ちょ……ちょっと待て。
 絵里ちゃんの顔を見れば、それが本気かどうかくらいすぐにわかる。
 だからこそ、断りたい。激しく。
「だって、楽しそうじゃない?」
「そういう問題じゃないだろ! だいたい、羽織ちゃんは――」
「大丈夫よ。羽織も行ったことあるでしょ?」
「えぇ!?」
 くりんっと向けられた、鋭い視線。
 ……っていうか、なんで俺を見るんだ。
 話の矛先は、彼女なんじゃないのか?
「……なんで俺を見るんだよ」
「ん? だって、羽織がひとりで行くわけないじゃない」
「そりゃそうだけど……」
「だから、ちょっと待てって! なんでお前はそんなに行きたがるんだよ!」
「だって、最近はいろいろとすごいらしいわよ? だもん、楽しそうじゃない」
「おま……そんな理由か」
 相変わらず、物怖じしない意見しか述べない絵里ちゃんを呆れながらたしなめるものの、一向に意見を受け入れる様子はない。
 ……マジか……。
「だって行きたいじゃない? 最近の、ラブホってヤツ」
 満面の笑みを浮かべた絵里ちゃんにはもう、誰も何も言うことはできなかった。
 ――……そう。
 山中先生から受けた相談に対して、俺たちが返した答え。
 それは、『場所を変えてみること』だったのだ。


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