「最近、なんていうか……ま、マンネリって言うんでしょうか……」
マンネリなんて言葉を彼の口から聞くはめになるなんて、考えもしなかった。
だから、危うくコーヒーを吹き出しそうになる。
無論、それは純也さんも同じだったようで、慌てて姿勢を正して咳き込んでいる。
「こういうこと、おふたりは感じた経験ないですか?」
「「え!?」」
照れた顔で声を潜め、何を言い出すのかと思ったら。
そんなことを真っ昼間の職場でされて、笑顔でレクチャーできるとでも思っているのだろうか。
ここにいるのは……俺たちふたりだけじゃないんだぞ?
先ほど笑顔で怒られた斉藤先生だって、無論すぐそこの席についているわけで。
ただただ、純也さんと目を合わせて固まるしかなかった。
……俺たちにどうしろと。
……。
…………って、なんすかその顔は。
口パクと仕草で、『何か言ってやれ』と言われてもこっちだって困る。
だが、そういう意味をこめて眉を寄せるも、彼は顎で照れている山中先生を示し、小さく指でバツを作った。
「……えーと……」
出てくるのは、そんな曖昧な言葉だけ。
んー……とりあえず。
「山中先生、ちょっと……いいですか?」
「え? あ、はい」
「……純也さんもっすよ」
「ん? ……ああ、もちろん」
山中先生が立ち上がったのを見てひとり廊下へ足を向けた彼を呼び止めると、一瞬間を空けてから笑みを浮かべた。
嘘だ。
絶対今、ひとりだけ逃げようとしてた。
ジト目を送ると、視線を逸らして浮かべたのは、そ知らぬ顔。
それが何よりの証拠ですって、純也さん。
「……はー」
いくらなんでも、この手の話をおおっぴらにあの場所ではできない。
というわけで、すぐ隣ではあるが誰もいない実験室へまず移動することにした。
ドアを閉めてしまえば、3人だけの空間。
準備室とは違ってひんやりとした室内は、彼自身をクールダウンさせるのにはいいかもしれない。
「……それで、あの……」
「マンネリ、ですか?」
「はい」
早速話を切り出した山中先生に、純也さんが壁にもたれながら呟く。
マンネリねぇ……。
我が身で考えてみると、そんなことで悩んだ覚えはない。
話をするにしてもそうだし、彼女を抱くといったことでももちろんそうだ。
ひとつとして同じことなどなく、いつもすべてが違う。
……そういうモンじゃないのか?
「それで、そのマンネリっていうのは……彼女との付き合いに関してですか?」
そう思い、彼に出た質問。
だがそれを聞いた途端、彼はさらに頬を染めた。
「……あの……」
ものすごく言いにくそうな顔。
ってのは、わかる。
だが、どうしてそこまで赤く……?
「……その、実は……マンネリというのは――……」
ぼそ。
蚊の鳴くような声で囁かれた言葉に、叫びそうになった。
ま……マジか!!?
「……あ、あの……?」
この驚きは、その場にいた者にしかわからないだろう。
だって、そうだろ?
キスひとつで悩んでいた彼が、そっち方面のことでマンネリとか言い出すようになったんだから。
「……え?」
とんとん、と純也さんに肩を叩かれ腕を引かれる。
そのまま壁際に寄り、いわゆる密談。
「……どーするよ」
「いや、俺に言われても……」
「大体、なんつー相談なんだ? これは」
「……こうも人は変わるんすかね……」
山中先生は、背を向けられてのやり取りが非常に気になるらしく、何度もこちらに声をかけて来た。
そのたびに、純也さんが曖昧な笑顔と相槌で返す。
「で、なんて答えればいい?」
要は、そこ。
マンネリだ、という相談をしてきたのが気心知れた友人たちならば、まだ違っただろう。
冗談めいたことも言えるし、いい加減なことも返せる。
だが。
友人らと同じ対応を彼にしてみろ。
冗談を真に受け、本気で実行してしまうに違いない。
「……とりあえず、アレ……っすかね」
「アレって?」
友人、で思い浮かんだこと。
それは、先日の献血車での話だ。
優人が俺たちふたりに持ちかけてきた、ある情報。
――……そう。
あの、“一風変わったラブホの話”だ。
「……あー。アレか」
そのことをほのめかすと、彼も思い出したらしくうなずいた。
「どうっすか?」
「そうだなー。確かに、いいかも」
「……あのぉ……おふたりとも……」
さすがにやきもき度が高まったらしく、待ちきれない様子で山中先生が声をかけてきた。
そこで、純也さんと一緒に振り返る。
「……あ、……あの……?」
「山中先生。手始めに、場所を変えてみるっていうのが1番の手じゃないですかね?」
「……場所、ですか?」
「「ええ」」
うなずくと同時に出た言葉が、純也さんとハモった。
どうやら、『早くこの話題を終わらせなければいけない』という使命は一致しているらしい。
「でも、僕はこれといっていい場所が思い浮かばなくて……」
「だったら、いいところありますよ」
「そうそう! なんでも、ものすごい機能が備わってるとかで」
「そ、そうなんですか!?」
「ええ。ぜひ行ってみてください」
「場所は――……」
詳しい場所を純也さんとともに説明し終えると、そこには笑顔の山中先生がいた。
……よし。成功した。
思わず心の中でガッツポーズをしながら、純也さんと一緒にすっきりとした表情で山中先生を廊下へ導く。
よかった。
……ホントによかった。
「それじゃ、がんばってください」
「きっとマンネリなんて言えなくなりますよ」
「はいっ」
にこやかに彼を送り出そうとした――……その時。
俺たちは、満面の笑みを浮かべた彼にしっかりと告げられた。
「それじゃあ、土曜日。楽しみにしています」
…………は……?
「はい!?」
「え? ですから、おふたりももちろん一緒に行ってくださるんですよね?」
「えぇ!? ど、どうしてそうなるんですか!」
きょとんとした顔の山中先生に慌てて食いかかると、みるみるうちにその顔が青ざめていった。
「そっ……そんな、困りますよ! 僕らだけで、そんなっ……ら、ラブホテルなんてところには、行けません!!」
「ちょっ、まっ……! 待ってください!! だって、普通ああいう場所にグループで行ったりしないでしょう!?」
「で、でもっ……! 無理ですから! そんな! 一緒に行ってくださいよぉおおー!!」
「「えぇええーー!!!?」」
そんな馬鹿な話はないだろう。
夏のように、水族館という開けた場所へ行くんじゃないんだぞ?
マンネリ化してしまって困った挙句に行く場所、なワケで。
普通、ほかのカップルをにこやかに誘ったりしない!
「けど――」
彼に言葉をかけようとした、そのとき。
我々が立っていた廊下に響いたのは、無情にも5時限目の始業を告げる予鈴だった。
「それじゃっ……!」
「あ!?」
「ちょっ!?」
途端、山中先生は素早く身を翻した。
「おふたりとも、当日はお願いしますね!!」
「ちょ、ちょっと!!」
「山中先生!!」
彼が、あれほど軽やかな身のこなしの人物だとは予想だにしなかった。
それほどまでに見事な動きで、彼にとっての根城とも呼べる生物準備室へとダッシュをはかられてしまい、あとに残ったのは――……彼に対して伸ばした腕そのままの、俺と純也さんだけ。
はたから見ると結構……いや、かなり滑稽かもしれない。
「……どーするよ……」
「…………冗談キツい……」
隙間風がどこからともなく吹いてくるこの場所に取り残された俺たちは、仕方なく準備室に戻ることにした――……ワケだった。
|