控え室に入ると、先日羽織ちゃんにドレスを着せていた女性が立っていた。
「おはようございます」
「今日は、よろしくお願いします」
あいさつをしてから、早速衣装に着替える。
男なんて簡単なモンだ。
自分ひとりでできるから、世話がない。
「ああ、よかった。ちょうどいいですね」
「ええ。お陰様で」
直してもらったズボンの丈もちょうどよく、鏡に映った姿を見ると、いかにもこれから結婚式を挙げる新郎の姿そのものだった。
胸ポケットに黄色のスカーフを差し入れ、ネクタイを結ぶ。
そのあとは特に何をされるでもなく、この場で髪を少し弄られはしたものの、すぐに女性は引き上げていった。
「それじゃあ、新婦さまをお待ちくださいね」
「あ、はい」
ふふ、と意味ありげに笑った彼女にうなずくと、小さく音を立ててドアが閉まった。
……新婦か。いい響きだ。
しかし、こうしてただ待っているだけというのは……緊張もするし、手持ち無沙汰。
本当の結婚式だったら、ひっきりなしに誰かしらくるんだろうけどな。
なんてことを考えていたら、ふいにドアがノックされた。
「はい?」
椅子から立ち上がり、ドアへ向かう――……と。
「っ……じーちゃん!」
「よう。ほおー、これはこれは。いかにも新郎さまって感じだな」
元気な声でにこにこと控え室に入ってきたのは、紛れもなく祖父だった。
……それだけじゃない。
「うわぁー、祐恭君すごーい! 本物のお婿さんみたいねー」
「里美さん!?」
タキシードに着替えた祖父と、ドレスに身を包んでいる里美さん。
そんなふたりがにこにこと上機嫌で入ってくれば、驚くというもの。
しかも、たしか里美さんは今日用事があったんじゃ……?
「え? なんで? 里美さん、今日用事あったんじゃ――」
「あー……あれね。……ごめんっ」
「……え」
いきなり両手を合わせて頭を下げられ、面食らう。
どういうことだ……?
思わず祖父を睨むように視線を向けると、慌てて苦笑を浮かべてから首を振る。
「いや、実はな。今回の話は、もともと祐恭に頼むつもりだったんだ。若い男っていうことだったからな。だけど、お前は簡単に引き受けないだろう? だから、ああ言えばお前が引き受けると思ってな」
「……な……っ、それじゃあ騙したのと同じじゃないか!」
「それは悪かったと思ってるさ。だが、羽織ちゃんのドレス姿をひとあし早く見られるんだぞ? それはいいだろう?」
「……それは……まぁ」
「だろう? なら、問題ないじゃないか」
……なんか、うまく丸め込んでないか? それ。
思わず語尾をしぼませたのを見て、じーちゃんは、ほらみろといわんばかりに笑う。
それ、やっぱり気分悪いぞ。
「……で? なんでふたりがここにいるんだよ」
不機嫌さを微塵も隠そうとせずつっけんどんに言うと、顔を見合わせてからじーちゃんが笑った。
「そりゃあ、俺が羽織ちゃんの父親役で出るからだよ」
「…………は?」
にっこりと告げられたひとことに、ぽかんと口が開く。
だが、眉を寄せた俺をものともせず、腕を組んでかっかっかと笑う。
「だから、一緒にヴァージンロードを歩こうと思ってな」
「そうなのよねー。私は、だからまぁ……羽織ちゃんのママって感じ?」
……いやいや、感じとか言ってる場合じゃないだろ。
そんなのって――……。
「新郎さま。新婦さまのお支度ができましたよ」
「っ……」
文句のひとつやふたつくらい言ってもバチは当たらないだろうと意気込んだところで、ドアがノックされて先ほどの女性が顔を出した。
……くそ。
「今、行きます」
ふたりを見すえたままドアへ向かい、後ろ手で閉める。
そのとき、背後で小さな笑い声が聞こえ、思わず舌打ちしそうになった。
……普通にハメられたのか。俺は。
そう思ってしまうと、やるせなさでいっぱいになる。
もちろん、彼女の花嫁姿を見ることができるのは嬉しいし、特に何か問題になってるわけでもない。
それでも、もう少し配慮ってものがあるだろう。
というか、普通に頼んでくれればいいものを。
……わけがわからないな、相変わらず。
せめて、あとで思いのたけを言わせてもらう。
「……っ」
眉を寄せたまま、控え室のドアを開ける――……と、窓からの光で一瞬目が閉じた。
改めて、目を細めながら中に入る。
するとそこには、さらに驚く光景が待っていた。
「…………」
光を受けた、純白のウェディングドレス。
こちらに背を向けているので表情は見えないが、後ろ姿だけでも十分にきれいだと思った。
ドレスと彼女の邪魔をしない、ネックレスとイヤリング。
すらりと伸びた腕。
隠すように纏われている、純白の手袋。
そして、いつもとは違ってアップに纏められた髪。
そこに輝く、控えめのティアラときれいな生花。
「…………」
息を呑むとは、このことか。
昨日、ドレスだけを見たときとは、まったく印象が異なる。
ドアを閉めてそっと彼女に近づくと、気付いてゆっくり振り返った。
「……わぁ……先生、かっこいい」
「っ……」
思わず、喉が鳴った。
にっこりと浮かべられた笑み。
控えめながらも、彼女らしさが際立つ化粧。
……そして、唇には薄いピンクのルージュ。
「……先生?」
「あ……、ごめん。ちょっと、見とれてた」
口元に手を当てたまま、しばらくの間反応がまともにできなかった。
ぽつりぽつりと呟くと、少し照れた笑みを見せてから彼女が首を振る。
「もぅ。そんなお世辞なんて――」
「俺がそんな器用なわけないだろ」
「……え……?」
「すごいきれいで、びっくりした」
「……先生……」
驚いたように瞳を丸くする彼女に笑みを浮かべてから、そっと頬に手を当てる。
「ヴェールはまだしてないんだ」
「うん。チャペルに行く前につけるって」
「……そっか」
手を取ったまま絨毯にひざまずくと、彼女を見上げる格好になる。
彼女が相手なら、幾らかしずいてもいい。
ブーケを持って正装している彼女は、いかにも『花嫁』という言葉がよく似合っていた。
「先生、なんか本当の新郎さんみたい」
「……羽織ちゃんもね」
小さく笑ってから、立ち上がって彼女の口元に親指を当てる。
すると、ついつい笑みが漏れた。
「……やっぱり、似合うね」
「先生が選んでくれたから」
俺が贈った“Something New”は、彼女に似合うだろうと思って買ったルージュ。
案の定、いい色でよく似合う。
いつもよりもずっと艶っぽくて、つい………。
「……! せんせっ、だめ……」
「あまりにも似合ってるから」
「……だって、口紅付いちゃう……」
「いいよ」
彼女の視線の高さに瞳を合わせ、そのまま唇を重ねる。
誓いのキスまでは、申し訳ないが待てそうになくて。
……とはいえ、あまり深く求めれば口紅は落ちるだろうし。
触れるだけのキスにして、あとは頬にしておいた。
「さすが。落ちてないね」
「……もぅっ」
鏡で口元を見ると、やはり口紅は付いていなかった。
さすが、落ちないと定評があるだけある。
「……あ、そうそう」
「え?」
にっこりと微笑んで振り返ると、少し不思議そうに彼女が見上げた。
そういや、これを言うのを忘れるところだった。
「『先生』は、なしね」
「っ……! でもっ」
「呼び捨てしろ、なんて言わない。でも、せめて名前がいいかな」
椅子に腰かけて足を組むと、一瞬悩んでからも小さくうなずいた。
満足。
彼女にわかってもらえるなら、それでいい。
「ん。……わかりました」
「よろしい。じゃ、俺も名前で呼ぶから」
「……え?」
「羽織。きれいだよ」
「っ……」
瞳を細めて呟くと、目を丸くした彼女が頬を染めてブーケで口元を隠してしまった。
「それじゃ顔が見えないだろ」
「だ、だって……なんか、恥ずかしい」
とはいえ、彼女が笑顔になっていることは十分にわかる。
それだけでも、まぁよしとしてやるか。
しばらくそんなやり取りをしていると、控えめにドアがノックされた。
「そろそろ、お時間です」
「あ、はい」
声からして、恐らく山内さん。
今日は客側に回るものだと思っていたので、少し面食らう。
彼女の手を取ってドアを開けると、そこにはやはり彼が立っていた。
「山内さん、いいんですか? 彼女を放っておいて」
「あ、いえ。彼女に言われたんですよ。……仕事してこい、って」
こちらの問いに首を振ると、苦笑を浮べて頭をかいた。
その笑みからして、その後も事なきを得ているらしい。
「それでは、参りましょうか」
「……はい」
彼女と顔を見合わせてからうなずくと、彼女に介添え人が付いてヴェールがかかった。
次に彼女の顔を見られるのは、誓いのキスをするときだ。
「あら……」
「ねぇ、見てー」
山内さんのあとをついてチャペルを目指す間。
何も知らない一般客がいるロビーを通ると、小さく『結婚式だわ』とか『きれいな花嫁さん』という言葉が聞こえてきた。
少し後ろめたいものの、やはり嬉しいワケで。
彼女を見ると、かなり照れていて恥ずかしそうにしていた。
「…………」
いよいよチャペルが見えてきて、ふつふつと実感が湧く。
扉の前にいるのは――……祖父。
中にはすでに人が集まっているらしく、少しざわめいていた。
「それでは、新郎さま。参りましょう」
「はい」
山内さんにうなずいてから、彼女に笑う。
「……転ばないでね」
「もぅ。大丈夫ですよっ」
これで、少しは緊張もほぐれたろう。
苦笑を浮かべてから彼女に背を向け、ひと足先に中へと入る。
いよいよ、形だけとはいえ“結婚式”が始まる。
彼女を迎える新郎。
気分は当然だが、悪くなかった。
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