お喋りムードが、一気に払拭される。
荘厳な雰囲気の中流れ始める、静かなアヴェ・マリア。
「…………」
そんな中、神父の前でただひとり待つ。
――……純白のドレスに身を包んだ、彼女を迎えるために。
ゆっくりと重たそうな扉が開くと、祖父の腕を借りた彼女がこちらに向かって歩み始めた。
深々とかけられた、ロングヴェール。
そして、手にはすずらんの入ったブーケ。
すずらんの花言葉は『幸福をもたらす』だそうだ。
すずらんを誰かに贈ると幸福が返ってくると言われているらしく、そのためブーケトスを行う際によく用るのだろう。
「それじゃ、がんばるんだよ」
「……はい」
にこやかに笑った祖父が席へ戻り、彼女はひとりこちらへと足を進めた。
……目の前にいる、俺の待つ祭壇まで。
数段上がるところで手を差し伸べ、しっかりと引き取りながら隣へ。
揃ったところで同時に正面を向くと、神父がそれぞれの顔を見つめた。
そのまま、差し出された聖書の上に、ゆっくりとふたり手を重ねる。
誓約のために。
「それでは、新約聖書コリント前書第13章を拝読いたします」
彼の言葉を受けるように、目を閉じる。
それこそ、本当の結婚式と何も変わらない式次第。
長い聖説を終えた神父が、呼吸を整えるかのようにして顔を上げ――……。
「アーメン」
小さく響いたその声に、会場からも復唱が聞こえた。
「おふたりが、愛の帯で結ばれる幸せな家庭を築かれますよう願っております」
にっこりと微笑んだ神父に揃って笑顔を見せると、小さく咳払いをしてから彼が続けた。
「それでは、新郎新婦に誓約をしていただきます」
いよいよ、誓約。
本番さながらの雰囲気である。
「新郎、祐恭」
自分の名前が呼ばれ、彼を見つめる。
すると、真剣な瞳の彼もまた俺をまっすぐに見た。
「汝この女子を娶り、神の定めに従いて夫婦とならんとす。汝、その健やかなるときも、病めるときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命の限り、固く節操を守らんことを誓うか?」
「誓います」
神父から視線を外し、隣にいた彼女に笑みを見せる。
そのまま一言、『誓うよ』と彼女に唇だけで呟くと、ヴェールの向こうの瞳が丸くなった。
「新婦、羽織」
こちらに笑みを浮かべていた彼女も、名前を呼ばれて神父に向き直る。
「汝この男子に嫁ぎ、神の定めに従いて夫婦とならんとす。汝、その健やかなるときも、病めるときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命の限り、固く節操を守らんことを誓うか?」
「誓います」
俺と同じように、彼女もまたこちらを見て小さく笑った。
瞳を合わせたまま笑みを浮かべ、うなずく。
そんな自分たちを満足げに見てから神父が合図をすると、目の前に指輪が運ばれてきた。
「それでは、指輪の交換を」
まず、彼女への指輪を手にし、そっと左手を取る。
するりと外された手袋を彼女の代わりに持ち、そのまま――……左の薬指へ。
まさか、自分がこんなことをするとは、正直思ってもいなかった。
それだけに、とても感慨深いものがある。
サイズ狂いもなく、ぴったりと収まった指輪。
それを嬉しそうに見てから、彼女も指輪を手にした。
小さい、華奢な手。
きれいな長い指。
その手が、ずっと大きく、しっかりとした自分の手を取り、左手の薬指へとリングを進めた。
失敗することなくはまるのを見てから、互いに顔を見合わせる。
そこにあるのは、もちろん微笑み。
……本番そのものだな。
今、間違いなく挙げているのは自分たちの式で。
ほんの少し先の未来の、予行練習といった気分だ。
「…………」
ふたりそろって神父へ向き直り、再び聖書の上に手を重ねる。
その手は、もちろんだが指輪をはめた左手。
そんな自分たちの上に神父も手を重ねると、静かに言葉を紡いだ。
「おふたりの誓いが神とみなさまの前で真実永久に守られますように、お祈りをいたします。みなさま、祝祷願います」
「……本来でしたら、祝祷の前には結婚証書へのご署名がありますが、本日は省かせていただきます」
山内さんが小さく告げると、チャペル内がふたたび静まりかえった。
それは自分たちとて例外ではなく、瞳を閉じて静かに頭を下げる。
「それでは、いよいよ結婚宣言をいたします。祐恭と羽織とは、神と会衆との前において夫婦たるの誓約をなせり。故に我、父と子と聖霊の御名において、この男女の夫婦たることを宣言す。それ神の合わせ賜いし者は、これを離すべからず」
静けさのまま、神父によって結婚宣言が行われた。
「アーメン」
そう囁いたあと、そっと彼の手が俺たちから離れた。
――……と、いよいよあのときがやって来た。
「それでは、神の御前にて誓いの口づけを」
にこやかに神父が告げ、ゆっくりと彼女と向き合う形になる。
深くかけられた、純白のヴェール。
僅かにかがんだ彼女の動きにあわせてそれを上げ、彼女と瞳を合わせる。
「……きれいだよ」
「祐恭さんもですよ?」
小さく囁き、笑みを浮かべる。
「愛してるよ」
「……私も……愛してます」
少し照れたように呟いた彼女の肩に手を置き、そっと唇を寄せる。
触れるだけの、優しい口づけ。
だが、いつもと違う雰囲気のせいか、ひどく貴重で印象強かった。
……?
ふと違和感を感じ、顔を覗きこむ――……と。
「……どうした?」
「ごめ、なさ……なんか……嬉しくて」
瞳からこぼれる涙。
そんな彼女は、眉を寄せて首を振り、申し訳なさそうに笑みを浮かべた。
「……泣かなくてもいいのに」
「だっ、て……」
彼女に笑みを浮かべてから、そっと目元に唇を寄せる。
途端、声があがったが……もちろん気にしない。
「……ね?」
「…………はい」
目を合わせてやると、少し落ち着いたように笑顔を見せた。
小さくうなずき、彼女の背に手を回してともに神父へ向き直る。
「どうかおふたりはともに愛し合い、許しあい、重荷を分かち合っていかなる試練をも乗り越えてください。おふたりが晴れて結ばれましたところで、最後に祝福の讃美歌430番をみなさまご一緒にお願いいたします」
彼の声で列席者が立ち上がると、静かに音楽が響いた。
もちろん、当事者である自分たちも例外なく口にする。
ゆっくりとした、テンポ。
音のよく響く、チャペル。
本当に、何ひとつ本物と変わらない結婚式そのものだ。
「仰ぎこい願わくは、主イエス・キリストの恵み、父なる神の愛、聖霊の親しき御交わり、両名の上に参列者一同の上に永久に豊かであらんことを。……アーメン」
神父の言葉で列席者も小さく口にする。
――……と、山内さんが前へ一歩足を進めた。
「以上で、式は終了になります。このあとは、新郎新婦さまにご退場いただきまして、披露宴会場へと場所を移させていただきます」
彼の言葉で、一気に会場が和んだ雰囲気になった。
と同時に、思わず笑みが漏れる。
「……それにしても、本当にすてきな新郎新婦さまでしたね。どうぞ、おふたりに祝福の拍手を」
彼の一言で列席者が立ち上がると、こちらに笑顔と拍手を惜しみなく注いでくれた。
もちろん、祖父と里美さんも立ち上がって笑顔を浮かべている。
「……なんか……恥ずかしいですね」
「だね」
思わず苦笑を浮かべると、山内さんが促してくれたので、ひと足先にチャペルをあとにさせてもらうことにした。
「瀬尋さん!」
「……あ」
ロビーまで歩いてきたところで、あとを追ってきたらしい山内さんが声をかけてくる。
「お疲れさまでした。参加者のみなさんはこれから料理の試食会に入りますので、どうぞおふたりは休憩なさってから下へ降りてきてください」
「……いいんですか?」
「ええ。本日の主役ですから」
微笑んでくれた彼に、彼女と顔を見合わせる。
とはいえ、その言葉を断る理由もなく。
「それじゃあ……そうさせてもらいます」
「ええ、ぜひ」
彼に頭を下げてから彼女に笑みを浮かべると、嬉しそうに微笑んだ。
「それでは、参りましょうか」
「……あ……。はいっ」
腕を軽く差し出してやると、嬉しそうに彼女が手を回す。
エレベーターに向かうまでの間、ロビーにいる人々にとっては紛れもない“新郎新婦”。
それが、なんとも言えぬ優越感を味わわせてくれた。
部屋の階を押し、しばらくはふたりきりのエレベーター内。
……案の定、どちらともなくくすくすと笑いが漏れ始める。
「……あー、なんかおかしかったな」
「もぅ、そう言わないんですよ?」
「そういう羽織ちゃんだって、顔が笑ってるよ?」
「……だって……」
エレベーターを降り、部屋のドアを開けて中に入ったところで、彼女のヴェールとティアラを取ってやる。
「お疲れさま」
「……祐恭さんも」
にっこりと笑った彼女は、やはりいつもの彼女。
だが、格好のせいか印象はいつもと違う。
イヤリングとネックレスを器用に外した彼女が、静かにカウンターに置く。
――……と。
「あ、そうだ。この指輪は、どうしたらいいですか?」
「ん? あぁ、あげるよ」
「……え?」
「だから、それはもう羽織ちゃんの私物だから」
「……え……えぇっ!? な、なんでですかっ!!」
驚いたように瞳を丸くする彼女に笑って歩み寄り、手を取ってそっと右手にはめ換えてやる。
「って言っても、本物はまだちょっと先になるけどね」
「でも、これ……」
指輪のはまった手に唇を当てると、まだワケがわかってない感じで瞳を合わせてきた。
そんな彼女の目の前で自分も指輪を外し、小さく笑う。
「よく見てごらん」
「……え?」
彼女の手を取り、リングの内側が見えるようにかざす。
「……HAORI to UKYO……11.6……?」
「そ。今日の記念日」
「っ……じゃあ、これ……!」
「ただのペアリングだから、しばらくはこっちで我慢ね」
そう言ってから、改めて自分も右手の薬指にはめる。
すると、ぎゅっと手を握って俺を見つめた。
「……なんか……すごく嬉しい」
「そう言ってもらえると、俺も嬉しいよ」
手を差し出すと、それこそ満面の笑みで手を取ってくれた。
こういう顔は、やはり嬉しい。
やっぱり、黙って準備してよかったな。
「ありがとうございます」
「いいえ」
もう片手も彼女へ伸ばし、ゆっくりと抱きしめる。
甘い花の匂い。
それに交じって、彼女の髪の匂いが鼻に届いた。
「……瀬尋祐恭は、瀬那羽織を一生愛し、慈しみ、護り抜くことを誓います」
「っ……え……」
「羽織は?」
「あ……えっと、瀬那羽織は……瀬尋祐恭を、一生愛し……慈しみ……幸せにすることを誓います」
少し照れながらも、にっこりと微笑んだ彼女。
愛しいという言葉以外に、何も見つかりそうにない。
素直にうなずく姿。
屈託のない笑顔。
心底嬉しそうな表情。
そのどれもが自分には必要で、なくてはならないものだと、心から思う。
彼女を抱きしめる腕に力を込め、耳元でそっと囁く。
……愛の誓いを。
「愛してる」
ひどく特別な言葉だと、彼女に囁くたびにその重さを実感する。
だが、嫌いでも、重圧になるでもなく。
素直に出てくる、言葉。
愛しい彼女。
離したくはないし、そんなつもりなど微塵もない。
たとえ、彼女に振り返ってもらうことができなくなったとしても――……それは不変だ。
「……愛して、ます……」
少し震える声で、彼女が囁いた。
漏れた笑みを噛み締めるように彼女を抱きしめてから、そっと身体を離す。
すると、その瞳にはやはり……涙。
「……ったく。泣き虫なんだから」
「だって……嬉しいんだもん」
自分の言葉で、行為で、喜んで涙まで流してくれる彼女。
心底、護り抜く女性だと実感させられる。
その涙を指先ですくい、まぶたに唇を寄せる。
くすぐったそうに微笑む顔。
そのどれもが愛しくて、つい離したくなくなる。
「……ん……」
愛しげに名前を呼び、そして誓いをくれた唇。
それを、自分に重ねる。
――……願わくは、本当の結婚式も、同じように……いや、それ以上に深く誓ってほしい。
ゆっくりと唇を離してから彼女を抱き上げると、目が合った途端に両手で顔を覆ってしまった。
「なんか……っ……恥ずかしい」
「あとで写真撮ってくれるって言ってたし。これで撮ろうね」
「えぇ!?」
「嫌なの?」
「……嫌じゃない、ですけど……恥ずかしいじゃないですか」
「何言ってんだよ。みんなの前で誓ったんだろ?」
「……うん」
素直にうなずくところも、またかわいいわけで。
この格好だと、まさに『お姫様抱っこ』だな。
鏡で見せてやりたくなる……のだが、そのままベッドルームに行き、ベッドの上へゆっくりと下ろすのが先だ。
「じゃ。初夜とはいかないけれど」
「……え。だ、だって、休憩するだけなんじゃっ……!」
「昨日から、かわいい姿見させられてるのに我慢してるんだよ? 休憩休憩」
「だ、駄目ですってばぁ! ドレスがっ、皺になっちゃうもん……」
「じゃ、脱ぐか」
「う、祐恭さんっ!」
あっさりと彼女を制してホックを外し、ジッパーを下ろす。
途端に、目に付く白い肌。
これで我慢しろってのは、酷だろ。……マジで。
よくぞここまでもったもんだ、と自分で自分を褒めてやりたい。
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