「そういやさぁ……」
 ようやく終わった、晩餐会。
 その後、昨日より多めのお茶を飲み干した孝之さんが、椅子にもたれたまま私を見つめた。
「絵里ちゃん、髪切った?」
「え?」
 正直言って、そこを指摘されるとは思わなかった。
 別に、間違ってるなんてわけじゃない。
 ……だけど……。
「……すごい……。よく気付きましたね」
「そりゃあね。昨日と全然違うし。それに、全体の雰囲気もやっぱ変わってるしさ」
 当然だろ?
 まるで、そう言いたげな表情と眼差しで見つめられ、思わず瞳が丸くなる。
 今日の帰り道。
 羽織に『用事がある』と告げてまず向かったのが、行きつけの美容室で。

「バッサリ切って」

 顔馴染みのおにーさんに告げたひとことは、ずっとずっと用意していた言葉だった。
 そう言ったときの、彼の顔。今でも忘れられない。
 なぜならば、私はずっと髪を切らずに伸ばしていたからだ。
 それを彼にも告げていたから、毛先のカットもほとんどなかった。
 トリートメントをしてもらって、伸ばしたとききれいになるような部分しかカットしてもらってないし。
 徐々に徐々に伸びてくる髪を見ながら、内心……本当は嬉しかった。
 これまで、髪を長く伸ばしたことがあるのは、それこそ遠い遠い昔まで。
 中学に入ってすぐ短くしてしまったから、本当に何年ぶりの決意だった。
 ……あれは、つい最近のこと。
 たまたま――……耳にしたことが原因。

 『髪が長い、大人しい感じの子』

 純也の好きなタイプが、それだと聞いた。
 別に、本人から直接言われたわけじゃなくて。
 ……でも、そういうのってどこからか巡って来るのよね。
 私の場合は、クラスの子がたまたま話してたのを聞いただけ。
 でも、純也が『大人しいタイプ』が好きだってのは知ってたから、それよりもまず『髪の長い』ほうに耳が行った。
 だって、性格はどうにもならないけれど……髪型は、なんとかなるでしょ?
 だから、そうしようと思った。
 私でも……髪を伸ばしたら変わるかもしれない、ってそう思ったから。
 だけど、所詮は入れ知恵。
 合わない物は合わない。
 それに――……。
「……やっぱり私、こういうほうがいいかなって思って。ほら、なんか、こう……女の子女の子してるのって、似合わないんですよね。私」
 喋り方も、行動も。
 すべてがやっぱり私は私らしいほうが『私』だと思っているから。
 誰かの目を気にして、誰かのために生きる。
 そんなの、私の生きる道じゃないと思う。
 だから、まず、髪を切った。
 順調に伸びていた、後ろ髪を。
「……ふぅん」
 苦笑を浮かべてから湯飲みを両手で包み、お茶を見つめる。
 私が髪を伸ばしてるって知ってた羽織は、本当にびっくりしていた。
 どうして? とか、せっかく伸びてきてたのに、とか……なんだか、私以上に残念がっていて、ちょっと申し訳なかった。
 葉月ちゃんは葉月ちゃんで、やっぱり驚いてたみたい。
 昨日の夜、長い髪のお手入れ方法とか熱心に聞いてたから……かもね。

「でも、俺はそのほうが好きだけど」

「……え……?」
「今の絵里ちゃん。……っつーか、普段の……って言ったほうがいいかな」
 前を向いて再び孝之さんと目が合った瞬間、さらり、と笑みと一緒に予想外の言葉を貰った。
「ほら、さっぱりしてるしさ。カッコイイ女って感じがして、誰にへつらうでもなく生きてるだろ? そういうトコ、男だってなかなかできてないヤツいっぱいいるし。だからこそ、自分をちゃんと持ってるって感じするじゃん」
 ど――……。
「……? 絵里ちゃん?」
「ど真ん中ストレート……」
「……は?」
 視線を微動だにせず、笑みをたたえたままもらったことのない『肯定・受け入れ』の言葉を貰い続けていたら、ほろほろと心がひと皮むけた気がした。
 なんって、わかってるのかしら。
 乙女心っていうか、絵里ちゃんゴコロっていうか。
 もう、もう、本当にありえないくらいすごい人。
 昔から、『彼だけは違う』って思ってたけど、やっぱ、孝之さんはほかの男とひと味もふた味も違うわ!!
 男前なんて言葉を遥に通り越して、超人類のような気がする。
 なぜか不安げな顔で羽織や葉月ちゃんに『俺、変なこと言ったか?』とか言ってる姿をまじまじと捉えたままでいたら、ぶるぶると武者震いみたいなモノが沸きあがってきた。

「たっきゅん!!」

「うわ!? ……って、またそれかよ」
 机に置かれたままだった彼の手を両手で引っ掴み、きらきらと光る瞳を間近で向ける。
 途端、びくっと一瞬驚いた反応をしたけれど、でも、すぐに諦めたような表情になった。
「ねぇ、どうして!?」
「え?」

「なんで、たっきゅんが私の彼氏じゃないの!?」

「……いや、そう言われても……」
 神様……!
 なんでなんで? どうしてですか?
 どーーーして、彼が私の彼氏じゃないんですか!
 こんなに理解力があって、こんなに優しくて、こんなに私の欲しい言葉をくれる、彼が!
 ああもう、苦節18年。
 どれほどつらい思いをしてきたことか……。
 もしも孝之さんが私の彼氏だったら、何も恐れることなんてないのに。
 誰かに何か言われたとしても、彼とふたりならば間違いなく打破できる。
 無論、『実力行使』ってヤツで。
「……やっぱり、たっきゅんだけ……」
「……は?」
「たっきゅんしか、私のことわかってくれない!」
「……いや……」
「お願い、たっきゅん! やっぱり私を愛人さんにしてちょうだい!」
「いや、だから、それは――……」

 ぴんぽーん

「っ……あ、っと! お客お客!」
 瞬間。
 がばしっとテーブルに身を乗り出したまま抱き付こうとしたら、うまい具合にするりとかわされてしまった。
「あっ!? たっきゅん!!」
「いや、ちょっ……な! またあとで!」
「……ち」
 なんでいつもいつも、このタイミングでかわされるのかしら。
 だいたい、チャイムって何よチャイムって。
 せっかく、人が獲物――……じゃなかった。
 運命の人に巡り会えたって言うのに。
 ……どこかで見張ってでもいるとしたら、正直言って趣味悪いわよ? 神様。
 今の法律じゃ、ストーカー禁止法っていうのがあって、取り締まられ――……。
「絵里ちゃん」
「……え?」
 腕を組んでどっかりと椅子に座っていたら、リビングのドアから孝之さんが顔を覗かせた。
 ……あ。なんか、ヤな予感。
 いつもこういうパターンって、お決まりで……しかめっ面した純也が入ってくるのよね。
 いくらまくしたててみても、絶対に譲ったりすることなく『帰るぞ』の一点張りの彼が。
 ――……でも。
「絵里ちゃんに、お客さん」
 孝之さんはひとことだけそう告げると、もう1度玄関へ戻って行った。
 それは、純也のときには見られない光景。
 だって、純也ならば間違いなくずかずかと上がりこんで来るから。
「……お客……?」
 眉を寄せて立ち上がり、早足でドアへと向かう。
 ――……と。

「っ……お父さま……」

 玄関に立っていたのは、思いも寄らぬ来訪者だった。


ひとつ戻る  目次へ  次へ