「――ってワケなのよ!」
一気にまくし立てるように話を終えてから、軽い音のする紙パックを机に叩きつける。
飲み切ったお陰で中身は出なかったけど、やっぱりこういうときはもう少し重たい音が欲しいわね。
一瞬、最後のシメをする遠山の欽さんが目に浮かんで、ひとりうなずいていた。
「酷いでしょ!? 酷いわよね! だって、馬鹿よ? 馬鹿! 人のこと叩き起こすなりソレよ? ありえないわ!」
はむはむとサンドイッチをかじりながら、目の前の彼女に『うん』と言わせることだけを考える。
だけど、彼女はというと――……相変わらずくすくすと苦笑を浮かべたまま、首を横にも縦にも振りそうになかった。
「それで、田代先生……今日はシャツが皺だらけだったんだね」
「……は?」
これまで、私が喋ってたこととはまったく違うこと。
まさに“突拍子ない”ことを口にされて、再び間抜けな絵里ちゃんが顔を出した。
「ほら、今日の授業連絡のとき。田代先生がなんとなく疲れてるみたいに見えて……そうしたら、ネクタイとか、襟元とか……そのあたりが、ちょっとくしゃくしゃになってたの」
あまりにも凝視しすぎてたのか、慌てた様子で手を振りながら『別に、まじまじと見てたわけじゃないよ?』とだけ続けた。
あー……あ。あぁ、アレか。
ぽくぽくぽく、ちーん。
しばしの間考え込んでいるとようやく答えが浮かんで、彼女が言っていることがピンときた。
……なるほどね。
そういや確かに、純也の服をぐしゃぐしゃにしたわ。
いつもきっちりアイロンをかけていく純也にしては、珍しく……くしゃくしゃのまんまで行ったんだ。
よほど時間がなかったのか、はたまたいろんな意味でリミットが近かったのかはわからないけれど、言われて初めて気づくって……もしかしたら遅いのかしら。
かわいらしい色のフォークを握ったまま玉子焼きを食べている彼女を見ていたら、なんだかもう、『スゴい人・エライ人』みたいに、ぺかーんと輝いて見えた。
「わっ!?」
「アンタのその観察力っていうか、気遣いっていうか……。ホント、すごいと思うわ」
「えぇ……? なに? 急に」
ぐりぐりぐりっと頭を撫でてやりながら、うんうんと何度もうなずく。
……うん。ホントすごいわアンタって子は。
まるで、母親か姉にでもなったような気がして、思わず胸を張る。
「もー……。何を言い出すのかと思えば……」
「いやいやいや、それはこっちのセリフだから」
ちょっぴり照れたみたいに頬を染めて、髪を耳にかける。
その仕草はまるで、『奥ゆかしく控えめな古風』を実際に現したかのようで、まさにお手本そのものだった。
……かわいい。
っていうか、愛らしい。
頬杖を付きながらサンドイッチをかじってる私とは、100歩どころか、1kmくらい違うかもしれない。
「…………」
「……うぅ。なんか、食べづらいんだけど……」
その、照れ困りみたいな顔アンド上目遣い。
これでさらに、ポイント追加。
……やるわね。
っていうか、まさに理想型。
いつの間にやら、『じろじろ』から『にやにや』へと表情が変化していて、それと同じように彼女の表情も徐々に変わっていった。
「うむ、合格!」
「えぇ!?」
ワケがまるでわかってないのは、置いといて。
100パー自己完結なのはわかってたけど、やっぱり……やめられない止まらない。
結局私は、本日2度目の『我が自慢かつ、いつ嫁に出しても恥ずかしくない、幼馴染・羽織』の頭を撫でてやるのであった。
……ま、さすがにまだ、今の状況では『貴様になど、娘は嫁にはやらん!!』って言うけどね。
小型のちゃぶ台用意して。
「……ぷくく」
「……?」
ふと、罵声を浴びせられて凝り固まる誰かさんの姿が浮かんだけれど、ズズッと飲みきったジュースと一緒に、ないものとしておくことにした。
「失礼しまーす」
お昼休みを少しすぎた時間帯。
この時間になると、お弁当を食べ終えて廊下に出てくる生徒たちが、徐々に増えてくる。
そんな彼女たちの間をすり抜けて目指すのは、渡り廊下を渡った先にある化学室。
2号館に入った途端に喧騒は薄れ、静けさだけが漂う廊下を左へ曲がると、正面と左側にドアが見えてくる。
――……そんな、この準備室。
ここへは、たまにというよりも頻繁に顔を出していた。
と言っても、さすがにひとりでは来ないけどね。
「失礼します」
私よりも控えめな声で、だけどはっきりとした音で。
数歩後、しっかりとお辞儀してから入って来た羽織は、振り向いた私を見て不思議そうに首をかしげた。
「あっ」
「……あ?」
ここで聞くはずのないような、かわいらしい声。
まさに、瞬間的に発せられたソレを耳にして、思わず訝しげにあたりを見回していた。
私だけじゃなくて、横に並んだ羽織も同じ。
――……だけど。
彼女はどうやら、すでに目標を定めたらしい。
「えっと……何か、ご用かしら?」
ふわり、とウェーブのかかった長い髪がなびいた。
同時に柔らかい花のような甘い香りが広がり、顔が緩みそうになる。
甘い声と、甘い雰囲気。
それこそもう、あたり一面に花びらどころか、満開のお花がわんさかひらひら舞っていそうな……そんな雰囲気。
……すっご。
まさに、“少女漫画”から飛び出てきちゃったような、ほんわほんわの純粋っ子みたいな。
「……あの……?」
ぱちぱちとまばたきを見せるその瞳は、ぱっちりと、そしてかつバッサバサの長いまつげ。
……すげー。
いやもう、ホント、マジですげー。
ホンモノって、いるのね。
漫画の中ではよくありがちなパターンだけど、いざ目の当たりにすると、なんだか一瞬トリップした気分。
うっすらと開かれた唇は桜色で、つやっつやで。
ぷっくりとした感じとか大きさとか、まさに――……。
「ジャストフィット……」
「……え?」
「っ……絵里!?」
ぽつりと呟いた言葉に羽織が反応してから、やっとこ我に返った。
……あ?
もしかしたら、口走ったかしら何か。
ふと周りを確認してみてみると、口を開けたまま書類を片手に動きを止めている人間が1名。
すぐ横に、なぜか頬を少しだけ染めて私の袖を引く人間が1名。
目の前に、ワケもわからずおろおろと困って必死にあたりへ助けを求めている人間が1名。
そして――……急な頭痛でも起きたかのように、そっぽを向いてこめかみを押さえている人間が、1名いた。
「……ん?」
「ん、じゃねぇだろうが」
しぃんと静まり返ったその場で首をかしげると、派手な音を立てて約1名がつかつかとこちらへ歩いて来た。
形相は、鬼。
つっても、まったく怖くもなんともない鬼なんだけど。
くっしゃくしゃに皺の寄ったシャツとネクタイを身につけたまま指差されたって、ぶっちゃけ、迫力もなければ何もない。
むしろ、朝のひと幕が頭をよぎって、仏頂面へさらに輪をかける結果になった。
「何よ」
「平野先生」
「えっ?」
「彼女たちが、今話していた『化学部』の代表です」
まっすぐ見つめた先は、私じゃない。
むしろ、私を隠すかのような格好でこちらに背を向けて、視線の先には彼女を収める。
眉を寄せて抗議したにもかかわらず、目の前の人間は何も言わなかった。
まるで、最初から気づいてなかったかのように。
「まぁっ……そうなんですか? 初めまして。そう……あなたたちが」
瞬時にほころんだ表情は、まさに乙女モードで。
両手をしっかと組み合わせていじらしく指を噛み合わせるところなんか、演技みたいに思えてくるほど完璧だ。
「初めまして。一時的にこちらへ赴任することになりました、平野リエです」
「……リエ?」
にっこりと音が聞こえそうなほど眩しい笑みを向けられたものの、当然私は真正面からなんて彼女を見てはいない。
リエ。
それは、音だけだと、私の『エリ』を並べ替えた物に聞こえる。
……なるほどね。
どうりで、私とは正反対の人格だと思った。
なぜかそう納得できた瞬間、ふっと笑みが漏れる。
目の前に広がっている相変わらずの白を、このときばかりはありがたいと思った。
だって、こんな顔彼女に見せたりしたら、この瞬間のほんわかな空気が瞬時に凍りつくに違いない。
「ええと……部長さんはどちらかしら?」
ほんの少しだけ戸惑ったように動いた手のひらは、羽織の表情からして私たちに向けられていたんだろう。
指じゃなくて、手のひら。
そのあたりからしても、育ちのよさを感じる。
物腰丁寧で、口調も穏やか。
品のよさをあますことなく箇所箇所に漂わせて、いつだってその姿勢を崩さない。
「えっと……あの……」
少し困ったように私を見つめた羽織に、少しだけ申し訳なくなった。
でも、そちらへ反応するよりもまず先に、素直な反応が出る。
「…………」
……こういう人を欲しがるんだろうな。
――……少し瞳を細めて、まるで返事をしないのが煩わしいかのような顔をした、目の前の男のお母さまは。
「初めまして、平野先生。部長の皆瀬絵里です」
微笑ましい光景。
ただそれだけを作り出すように、にっこりと笑みを浮かべてから、首を僅かにかしげてやる。
相手が安心する方法。
それを知っているのは、やっぱり人生において人より少し賢く生きられるはず。
こちらから手を差し出して『よろしくお願いします』を言うと、少し視線が私よりも低い彼女は、心底ほっとしたように安堵の笑みを浮かべた。
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