別に、ずっと考えてたわけじゃなかった。
だけど、すっ……と口から出てきたんだから仕方がない。
胸の奥からっていうか……1番深い場所から、っていうか。
「…………」
でも、身体の中から出てきたことに間違いはないから、ただただふたりが動くのを静かに待つ。
時間なら、たっぷりある。
私たち、学業を本分としている人間には。
……って、葉月ちゃんはまぁ……確かに、暇じゃないと思うけれども。
でも、この場に同席してくれた以上は、付き合ってもらいたい。
ましてや、私たちにとってまったく想像もつかないようなことを、この華奢な身体に目一杯秘めている人だと思うから。
「んー……っと、それはどういう意味で?」
最初に静寂を破ったのは、葉月ちゃんだった。
かわいらしく細いきれいな指を顎に当て、くりっとした大きな瞳で私を見つめる。
……あー。
これって、まさに“女の子”よね。
こんなふうに見られたら、何も言えなくなっちゃうんだもん。
瞬殺とでも言えばいいかしら。
ぐっ、と言いかけた言葉があったとしても、詰まってしまう。
……魔力ね。
間違いなく、葉月ちゃんはそーゆー何か使えると思うわ。
「えーと……そうね……」
じぃっと見つめられているままだったのに気づいて、慌てて頭を動かし始める。
危うく、何も答えが出ないまま、ひたすら彼女を見つめるところだった。
……どんだけ怪しい人間に成り下がる気だったのかしら。
危なかったと思う。いや、ホント。
「なんでも……って言ったら、あんまりよくないかもしれないけど。でも、言葉そのままの意味でもいいし、そこから連想することでも構わないわ。とにかく、『人を好きになる』ってことについて、ふたりの率直な意見が聞きたいの」
姿勢を正してから、それぞれをゆっくり見つめる。
すると、もう1度目の前のふたりがお互いに顔を見合わせた。
「……人を好きになるって、どういうことだと思う?」
ゆっくり、ふたりへ届くようにもう1度静かに口にする。
――……と。
「……あの……私は、ね?」
「え?」
「うーん。もしかしたら、絵里の求めてる答えとは違うかもしれないんだけど……」
今度は、葉月ちゃんではなくて、羽織がおずおずと右手を挙げて私を見つめた。
「いいわよ、深く考えすぎないで」
「……でも……」
「いーの! ……最初っから、正解なんてないんだから」
にっこりと笑いながら首を振ると、自然に瞳が細まった。
……こういうトコ。
この子が昔から変わらず持ち続けている奥ゆかしさ……まさにソレだと思う。
「私は……私は、ね」
「うん?」
「私は――……どきどきして、嬉しくって……幸せな気持ちになることじゃないかなって思うの」
まるで、ものすごい重大告白をしたときのような。
……そうね。
例えるならば、あの日。
羽織に、『瀬尋先生と……付き合うことになったの』って報告されたあのときみたいな。
それほど決意じみていて。
だけど、身体全部から『しあわせ』オーラが溢れている。
そんな羽織を見たままでいたら、彼女が今、どれほど幸せな境遇にいるのかがしっかりと伝わってきて、本当に嬉しくなった。
「……あ……やっぱり、違う?」
「まさか! ……いい答えだなぁって思って」
「っ……そんなことないよぅ」
にっこり笑って、『羽織らしいわね』と付け加えると、一気に顔が真っ赤に染まった。
「あーもーかわいいんだからー」
「っ……そんなことは……!」
「あるよ。……羽織、とってもいい顔してたもん」
「……ぅ……葉月まで」
慌てたように振った手を、今度は両頬へ当てる。
それを微笑ましげに見つめていた葉月ちゃんと思わず目が合って、お互いにくすくす笑っていた。
思うことは、同じ……ってね。
もしかしたら私、祐恭先生だけじゃなくて、葉月ちゃんとも意外にピッタンコだったりするのかも。
「それじゃあ葉月ちゃんは?」
「んー……そうね」
ひとしきり笑ったあと、今度は彼女へと話を戻す。
すると、こちらもまたかわいらしい仕草を付け加えてくれちゃいながら、ゆっくりと動きを止めて首をわずかにかしげた。
笑みが、ともにある姿。
首をかしげられたことで髪が流れ、一房さらりと音を立てた。
「好きって――……自分以上に、相手を思いやることじゃないかしら」
「っ……」
にっこりと私を見つめたまま微笑まれて、思わず鼓動が大きく鳴った。
葉月ちゃんが答えてくれた『好き』というのは、まさに万人へ対するものだ。
男女問わず、そしてもちろん老いも若きも……って意味での、『好き』。
「……? 絵里ちゃん?」
「え?」
「大丈夫? なんだか……顔赤いけれど」
「へ!? あ、う、ううん。だいじょぶじょぶー! いや、いい答えだなぁーって」
「そうかな? ありがとう」
なんか、レベルが違う。
思わずそんなことを考えてたときに顔を覗き込まれて、どっきりした。
……し、心臓に悪いわね。
羽織と違う雰囲気に、ちょっぴりそう思った。
「…………」
それにしても。
こうして改めてふたりそれぞれの意見を聞き終えてみて、うなずける部分があった。
それは――……。
「やっぱり……どっちの気持ちも純也に抱けてない私は……好きじゃないのかもね」
自嘲気味というより、苦笑が浮かぶ。
それは、どこかでわかっていたからだろう。
『どこが好き?』
そう聞かれたら、困ってしまう。
羽織や葉月ちゃんは、きっとたくさん答えてくれるんだろうな。
優しいところ、カッコいいところ、楽しいところ、面白いところ。
そんな、『好きな人』を表すたくさんの代名詞を挙げて。
……でも、違う。
私は、そんな言葉並べることできない。
「…………」
いつから、だったかな。
……あ、もしかしたら、最初から……だったりして。
うん。ありえなくない。
もしかしなくても、きっと私は、純也に対してそう思ったときがなかったんだろう。
…………なんだ。
悩むことなかったじゃない。
でも、それじゃあどうしてあんなヤツと一緒にいるようになったのかしら。
喧嘩ばっかりで、お互いに一歩も譲らなくて……まさに、日々バトルよ?
なのに、私は何度あそこから出ようとも、結局元に戻っているし。
……ヘンなの。
ふたりが言う『好き』からは1番遠い場所にいるのに、でも、なんだか……。
「そんなことないよっ……!」
「……え?」
いつの間にそうしていたのか、ベッドへ頬杖をついたまま考えにふけっていたらしい。
しん、と静まった部屋に響いた意志の強い言葉で、やっと我に返る。
「そんなことないっ! 絵里はっ……絵里は……! 田代先生のこと、好きに決まってるじゃない!」
「……羽織……」
ふるふるっと首を振って、眉を寄せて。
ぎゅっと私の手を握ったのは、少しだけ怒ったような顔をしている羽織だった。
「本当は、絵里だってわかってるんでしょ?」
「……っ……」
まっすぐに瞳を見つめられて、告げられた言葉。
思わず瞳が丸くなると同時に、どくんと鼓動が大きく鳴った。
……何も言えなかった。
言葉に詰まるって、こういうことなんだ。
身をもって、思い知る。
「だって絵里、田代先生と喧嘩したとき……すごく寂しそうな顔してるよ?」
「そ……んなワケないじゃない! やぁねー。私はいつだって、せいせいして――」
「それは、気付いてないだけだよ。……私はちゃんと見てるんだから」
これ以上見ていたら、不利。
そう判断して顔を逸らすと同時に砕けて見せたのに、羽織は相も変わらずまっすぐに言葉をぶつけてくる。
「そういう顔するってことは、田代先生が好きだからでしょう?」
……しかも、どれもこれも『ど真ん中剛速球』ってヤツを。
「…………」
わかってる。
確かに、本当はわかってるの。
でも――……どうしようもないくらい、不安でたまらなくて。
明確な“何か”が欲しかったから、つい、こんなことを口にしたんだ。
……ああもう。
逃げられないじゃないの。
そんなまっすぐな顔で、痛いトコ突かれたら。
まるで、『逃げたらダメだよ』とでも怒られているような気がして、ちょっとだけ居心地が悪くなる。
……マズいわね。
これじゃあ、一気に羽織の雰囲気に呑まれちゃうじゃない。
や、別にそれはそれでいいんだけど……って、よくないか。
間違いなく、私の形勢は不利になるんだから。
「……そうね」
「え?」
「田代先生の名前が出てきたのも、それが理由なんじゃないかしら」
「……へ?」
羽織の言葉を静かに聞いていた葉月ちゃんが、ふっと笑みを浮かべた。
……あ、ダメ。
ヤバイ。
その顔は、マズイわ。
私、なんとなくだけど、こう……ぴーんと来るものがあるの。
葉月ちゃんに対して働く、直感。
これが外れてなければ、間違いなく私は――……まさに窮地に立たされること必至なはず。
「さっき、絵里ちゃんが言った『好きじゃないのかしら』っていうのは、自分に対する問いでしょう?」
「っ……んな……!」
「自分の気持ちを再確認するため……だったんじゃないのかな?」
ぱくぱく。
どきどきどっきんこ、と言ったら、大正解かもしれない。
いや、もうホント。
いろんな意味でびっくりした。
……な……なんて、見透かす力が大きいのかしら。
そして、人を納得させる力が。
ねじ伏せるではないモノ。
だけど、威力はずっとずっと大きい。
力ずくじゃない。
でも、だからこそ……困る。
だって、自分自身のことなのよ?
それなのに、自分でさえ『あぁなるほど。そういう意味で言ったのか』なんて納得しちゃいそうになるんだから困ったモノよ。
……怖い。
その、にこにこと優しい眼差しの向こうに秘められている、絶大な力が。
…………。
……孝之さん、いろんな意味で大変かもね。
ふと、彼女を見ていたらなぜかお兄さまが頭に浮かんで、うんうんとうなずいていた。
「さっきの、『好き』についての話のときも、好きでもなんでもない人だったら……あのタイミングで口にしたりしないでしょう?」
「……いや、それは……」
「それは?」
「……う」
葉月ちゃんは、単に『なぁに?』と続けるような雰囲気で言ったんだろう。
口調だって穏やかだし、雰囲気だってまったく変わらないし……そうに違いない。
でも、受け取ったこちらとしてはちょっと違う。
今確かに、何か目に見えない力が私へ働きかけた。
「…………」
左と右。
双の眼を交互に見比べていると、私だけ一段低いっていうのもあるんだけど、なんだか妙に圧力がかかってる気がして。
……裁かれてる気分だわ。
まるで、一昨日見た南町奉行所で行なわれていた、越後屋に対するアレみたいな。
「…………」
……こーなると、ね。
いい?
こうなると――……私は圧倒的に不利な立場になるわけよ。
だって、どうしたって……ねぇ?
このふたりに向かって、『そんなわけないじゃない。馬鹿ねぇ』なんて言えるはずないんだもの。
……嫌でも『そうね』なんて、納得したことを示す言葉を口にしなきゃいけなくて。
……。
うーん。
もしかしたらコレって、最初から仕掛けられていたのかもしれない。
私が切り出す、ずっと前から予想されて。
「……っあーーもー!!」
相変わらず、何も言わないままのふたり。
その無言の圧力に耐えかねて、思わずガシガシと頭をかいていた。
……やだなぁ、もう。
1番似たくないクセ、拾っちゃったじゃない。
大げさにため息をついて俯いてから顔を上げると、そこには、互いに顔を見合わせながら、なぜかものすごく満足げにしているふたりがいた。
「ったくもーー。わかったわよ、わかりました! そういうことにしておいてあげるわよ!」
「うんっ! ……っていうか、それが絵里にとっても1番なんだよ?」
「わかったわよ! もー……」
「そうね。それに――……絵里ちゃんは、自分でしっかりわかってるみたいだし」
「……う。それは……」
「ふふ。これ以上は、何も言わないでおくね」
「うぇ」
ふふ、って。
羽織と違って、やっぱりちょっぴり苦手だ。
なんだか、ものすごく年の近いお姉さんのようにも見えるし、お母さんのようにも見えるし。
……参ったなぁ。
まさか、こんなところに思わぬ弱点が現れるとは。
「……ふふ」
「……くすくすっ……」
「あはは! やだもー」
「えー? だって、それは絵里が……」
「いや、そうなんだけどさぁ」
「いいじゃない? ふたりらしくて」
「……えー? なんかそれって、葉月ちゃんだけズルくない?」
「そんなことないよ?」
「そんなことあるよー! ……あ! それじゃあ、次は葉月にいろいろ聞こうかな」
「あ、いいねそれ。……くふふ。私、もっと聞きたいことあるんだぁ」
「えぇー……?」
くすくすと笑い合うふたりを見ていたら、いつの間にか私も同じように笑い出していた。
同じ年で、同じ時間を生きる者。
同じような悩みを持って、同じような答えを求めて。
共通のモノがあるからこそ、ともに歩める。
そんな友人とすごしている今は、心底心地よかった。
……そうね。
ふたりにまで言われたんだし……仕方ないか。
しょうがないから、明日はちゃんと家に帰ってやるかな。
けらけらと笑いながら話している羽織と葉月ちゃんを見ていたら、そんな素直な思いが浮かんだ。
――……ちなみに。
「…………」
瀬那家の2階。
羽織の部屋のドアを隔てたすぐそこでは、ノブを持ったままの男性が1名いた。
手には、漫画の本。
どうやら、羽織に借りた物らしい――……の、だが。
「……入りづれぇ……」
うわ、と呻いて小さく囁いた言葉。
それが、彼の心境すべてを見事なまでに表していた。
中では、何やらがそれぞれ『好き』について、熱く語っているようで。
……聞いちまった以上は、まぁ……知らぬ存ぜぬでいくけどな。
だが、そうは思っても当然――……そこには、約1名超身近な存在の子がいるわけで。
「……ったく。もっと違うときにやれっつの」
ぶつぶつとボヤいた彼が、再び彼女の部屋のノブを掴んだのは――……1度部屋に戻って一服してからのことだったと付け加えておく。
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