……今、何時だ?
そんなことを考えて身体をずらそうとするが、ふと見ると胸の上には幸せそうな彼女の顔があった。
朦朧としていた頭が一気に覚め、次第に意識がはっきりしていく。
……確か、ソファに座ったときは自分が彼女に抱きついていたはず。
それがどうしてこんな状況になっているのかはわからなかったが、それでも良かった。
「……ったく」
自分にべったりとくっついて、幸せそうな顔をしている彼女。
思わず笑みを浮かべて髪を撫でると、柔らかく指の間を滑った。
電気もついていない部屋の中はやはり真っ暗で、いくつかの小さな家電の光しか部屋には灯っていない。
彼女を起こさないようにスマフォを取り出し、時間を確認。
「……っ……」
僅かな光のはずなのに、あたりが暗いせいかやけに強烈に瞳に入ってきた。
時刻は、19時半を過ぎたところ。
「……はぁ」
少し寝れば軽くなるだろうと思っていた身体だが、逆にどっと疲れが出てきた気すらした。
明日筋肉痛になれば、まだ若い。
もし明後日となると……。
目の前で安らかに眠る彼女は、もし筋肉痛になっても明日のはず。
年の差はどうしたって埋められないな。
……なんて考えるようになったら年だとか言われたけど、しょうがないか。
髪に触れていた手がいつしか頬を滑り、首筋へと向かう。
滑らかな肌。
自分にしか許されていない、触れるという権利。
こうして甘い顔を見せてくれるのも、自分だからこそ……。
これは、本当に喜びだ。
彼女といると、飽きることがない。
自分のしたことに対してすぐに反応し、毎回違った表情を見せてくれる。
……俺が、ここまで堕ちた女。
自分より年下で、幼くて。
だけど、どんな人よりも自分を狂わせる。
自分のペースにはめていると思っているうちに、いつしか乱され。
翻弄しているのは自分なのだが、うまく操られているような……そんな気すらしてしまう。
あどけない顔をしているクセに、意外と鋭い面もあって。
……まるで、今日のバドミントンでの彼女のような。
くすぐったそうに眉を寄せる羽織の首筋に触れながら、そんなことばかりを考えていた。
「……っくしゅん!」
窓側へ視線を向けたとき。
彼女が小さく身体を丸めた。
眠っていたはずなのだが、どうやらくしゃみで起きたらしい。
上半身を起こした彼女が、あたりに目をやる。
「起きた?」
「……ん。……ん?」
まだ眠そうな瞳の彼女に苦笑すると、何度かまばたきしてから柔らかく笑った。
「……先生、起きてたんですか?」
「まぁね」
「……なら、起こしてくれればよかったのに……」
「いいよ、別に。明日休みだし」
髪を撫でながら祐恭が笑うと、小さく欠伸をしてから羽織が伸びをした。
ぴったりと寄り添っていたからか、離れた途端にそこから冷え始める。
「っ……先生……?」
それが無性にもったいなくて、つい手を伸ばして引き寄せていた。
「……温かい」
「先生も温かいですよ?」
「そりゃそうだ」
くすくす笑いながらの声を耳元で感じ、つい瞳が閉じる。
自分の物ではない鼓動が身体を伝わってくるのが、無性に落ち着く。
「……あ。夕飯、どうします?」
「ん? そうだな……俺も弁当貰ったし、それでいいか」
「先生も貰ったの?」
「うん。日永先生が奢ってくれた」
驚いた瞳をした彼女にうなずくと、そっかぁ、と小さく呟いてから身体を寄せた。
いつもは自分が彼女へべったりすることが多いからか、こうして彼女から擦り寄られるのはなんとなく不思議な感じがする。
――……だが、正直に嬉しいし、むしろこうして甘えてほしい思いがあるからか、自然に笑みが漏れた。
眠っていたこともあってさほど空腹は感じられなかったが、食べないわけにもいかないから、という彼女の意見には賛成。
立ち上がってキッチンへ向かう彼女のあとを追うように、つい自分も立ち上がっていた。
風呂上がりの身体に、冷たい紅茶は心地いい。
季節は冬へシフトしているにもかかわらず、風呂上りのこの時間ばかりは冷たいものが欲しくなる。
……ああ、あと車内も飲みたくなるけど。
「はい」
「え? ……あ。いただきます」
キッチンへ歩いてきた彼女にもグラスを渡すと、嬉しそうに笑みを見せた。
そんな彼女の髪を軽く撫でてからソファへもたれて瞳を閉じる。
予想以上に、かったるい。
風呂でうっかり寝てしまいそうになったが、よく堪えれたもんだと感心する。
「……ん?」
「マッサージ」
ふと右腕を見ると、いつの間にやってきたのか彼女が両手でほぐしてくれていた。
自分で揉んでもさほど気持ちよくないが、こうして“される”状態は気持ちよさを素直に実感できるから不思議だ。
やはり、他人にしてもらってこそのマッサージか。
なされるがままになっていると……眠気がどうしても襲ってくるんだが、これはもう年とか性別とかの問題じゃないよな。
なんか、久しぶりに動いた。
……ああ、体力が落ちたなと実感して切なくなる。
が、自分と違って握力がない彼女に揉んでもらっていると、時おりくすぐったくはあるのだが、やはり心地良かった。
「……眠い」
ぽつりと呟くと、手を止めずに彼女が笑う。
「いいですよ、寝ちゃっても」
「ベッドまで運んでくれるの?」
「う。それは無理……かも」
「いや、『かも』じゃなくて無理だから」
困ったような顔が目に浮かび、つられるように笑ってから彼女を見ると、苦笑交じりの顔が見えた。
そのまま今度は手が肩へと回り、つぼを押すように指圧される。
「先生、肩がちがち」
「……最近、座って作業してること多いからかな」
最近は、授業で立っている以外はほとんど席に座りっぱなし。
書類の確認などのアナログ作業もあるのだが、どちらかというとパソコンを使っていることが多い。
近距離で画面をずっと眺めているのはキツいのだが、年配の教師に頼まれるとなると断りづらく、結局引き受けてしまう。
もう少しパソコンに対して前向きな姿勢を拝めれば違うのだが、まったくもって気配すら感じられない。
……まぁ、あの年で始めようという人々がなかなか教育者にいないから、いろいろな問題もあるんだけど。
「あー、そこ気持ちいい」
「そうすか? じゃあ、重点的に」
「よろしく」
首のあたりを押されて声をかけると、どうやらよほど凝っているらしく、コリがあるのがわかるほど。
ほぐされるという言葉がうってつけで、本当に気持ちよかった。
「しかし、絵里ちゃん似合ってたな」
「え? あー、応援団ですか?」
「うん。なんか、いかにも同性に好かれそう」
「もぅ。絵里怒りますよ?」
「いや、けどあれはなぁ……似合いすぎ」
ついつい思い出して笑ってしまうのだが、現に、彼女自身も自分から言っていたことで。
絵里ちゃんは気付いてないのかもしれないが、体育館へ向かう間にすれ違った下級生は、やはり彼女を見ていたし。
何より、あの『きゃあ』なんて悲鳴は同性に向けられてしかるべきモノじゃない。
……本人はノーマルでも、見た目と勝気な性格がどうしても作用してるんだろうな。
もったいない、なんて誰かも言ってた気がする。
「あの学ラン、純也さんのだろ?」
「ですよ。絵里、ひとりっ子だし」
「なんか、昔の純也さんの面影が……」
「あはは」
絵里ちゃんが着ていた学生服は、普通の詰襟じゃなかった。
丈も若干短いし、ズボンも普通の物とは違う。
だからこそ、余計に……いや。絵里ちゃんだからこそ、似合っていたのかもしれない。
「羽織ちゃんは、やっぱりこう苛めたくなるね」
「え。そうですか? んー、いい線いってると思ったんですけど」
「やっぱ髪が長いってのもあるけど、目が女の子って感じだし」
「……うーん……そう、なのかな」
彼女の詰襟姿を思い出してそちらを見ると、なぜか知らないが少し不満げに眉を寄せていた。
ここはお世辞でも『似合ってた』と言ったほうがよかったのだろうか。
いや、それはないな。
『カッコよかった』なんて口にしたら、彼女がどう反応するのかは確かに見モノだが。
「実際、デカかったろ? アレ」
「うん。やっぱり大きかったです」
「それもあるんだよ。なんか、妙なヤラシさがある」
「えぇー?」
「……随分不満そうだな」
「だってぇ……」
正直に言っただけなのに、この反応はどうかと思う。
不満げに唇を尖らせている姿にこっちも眉を寄せると、小さく『あ』の口をしてから視線を逸らした。
いきなり正反対の対応をされると、気になるんだけどね。
彼女はどうやら把握しきれていないらしい。
「何」
「別に……なんでもないですよ?」
「なんでもないなら、ちゃんと人の目を見る」
「っ……」
くいっと指先で顎に触れて上を向かせるも、なぜか不満げな顔のままで。
それどころか、俺が眉を寄せたのを見て彼女はいぶかしげな顔を見せた。
「……えっちなこと考えてないですか?」
「へぇ。なんでわかったの?」
「っ……もぅ! おやすみなさい!」
「あれ。もう寝る? ……ちょっと早いな」
「っ……そ、そういう意味じゃないですってば!」
ニヤリ、と彼女の目の前であからさまに表情を変えてやると、頬をわずかに染めながら立ち上がった。
そのまま寝室へと逃げるように向かう後姿にひとりで笑いながら、仕方なくあとを追うべく立ち上がる。
追いかけてください、って言ってくれてもいいんだけど。
……って、そんな必要ないけどね。
電気を消しながらそんなことを考え、ひとりまた笑みが漏れた。
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