いざ、向かわん。
ようやく難を――……といえば、まぁ、難か。
やっとお袋を送り届け、得た自分だけの時間。
……つってもまぁ、結局は、同じモール内の美容院に行ってた紗那に引き渡したってだけなんだけど。
当然、先ほど買い込まれた大量の食材は、持って帰ってもらった。
……まぁ、多少は駐車場の車に乗ってるけど。
それは時給ってものに換算して、とりあえずいただいておく。
で、現在。
「…………」
戻ってきたのは、先ほど彼女を見かけた1階のフロア。
モールというだけあって店舗の数も多ければ、規模もデカい。
この中をあてもなく歩き回って、はたして彼女とばったり出会える確率は――……いったいどれほどのものか。
そんなモン、まぐれとしか言えないよな。
だから俺は、とりあえず1番確かだと思える手段を選ぶことにした。
「…………」
ポケットからスマフォを取り出し、アドレスを呼び出す。
“羽織”
そう書かれた、彼女の番号を。
「…………」
タップしてから耳に当て、続く呼び出し音を聞いたままあたりを見回す。
もしも偶然とやらが重なるならば、こんなふうに見渡していれば彼女を見つけられるかもしれない。
それはあくまでも、偶然。
だからこそ、起こりうる確率は極めて低い。
……だが。
やっぱり、何もしないで立っているだけというのはできなかった。
不安、焦燥。
そんなマイナスな感情が、俺を急き立てるから。
『もしもし?』
「……あ」
突然響いた、彼女の声。
……普段と同じ。
繋がったことが実感できて、それだけでなんだか安心した。
「もしもし。……羽織ちゃん?」
『どうしたんですか? ……えっと……忘れ物、とかしました?』
「いや、そういうんじゃないんだけど」
後ろに聞こえるのは、ザワザワとした雑音にしかなってない大勢の人間の声。
――……その奥に響くのは、時間を告げるアナウンス。
まったく同じ物がここでも流れているから、やはりこの場所に彼女もいるのは間違いない。
「羽織ちゃんさ、今どこにいる?」
『えっ? ……えっと……お買い物、してますけれど……』
「どこで?」
『っ……ど……してですか?』
なぜ。
なぜそこで、言葉に詰まる?
いつもならば『どうしたんですか?』なんて言いながらも、笑って教えてくれるのに。
……教えてくれるというか……正直なんだよな、彼女は。
だからこそ、今回もそうだと思った。
何も疑わずに。……なのに。
『……あの……今は、えっと……モールにいますけれど……』
「モールの、どこ?」
『えっ? ……あの……っ……先生、どうしたんですか?』
……変化があった。
『先生』と俺を呼んだとき、少しだけ声の変化が。
小声になったというのもある。
だが、それ以上に――……まるで、こそこそと話しているかのように。
瞬間的に、雑音と一緒に声が篭ったのだ。
それが意味すること。
それはもしかして……隣にいる誰かに聞かれないようにと、自然に彼女が手を添えたからじゃないのか。
まるで、内緒話をするときのように。
『っ……あ!』
「え?」
突然、彼女が短く声をあげた。
と同時に、ガサッという耳慣れない雑音。
――……刹那。
「っ……な……」
なんの前触れもなく、いきなり電話が切れてしまった。
普通、こんなことをされればまず不安になる。
そして、相手の安否を心配する。
……だが。
直感的に、それが誰か第3者の手によって為されたんだと思った。
これは、勘。
だが想像は容易い。
「……ッ……くそ!」
思わず、スマフォを力強く握り締めていた。
いったい、どういう権利があってそんなことをする。
俺と彼女の邪魔をする理由はなんだ。
あまりにも理不尽な行動に出たヤツのせいで、いろんな感情が表に噴き出しそうだった。
「…………」
このモールで1番見通しがきく場所が、この2階の通路。
吹き抜けになっているおかげで、1階の様子も当然見て取れる。
……だがここにいるからといって、もちろんすべてが見通せるワケじゃない。
モールの端にいてここを通らない限りは、見えないんだし。
……でも俺には、これしか方法がないんだ。
どうせアナウンスで彼女だけを呼び出してもらったところで、彼女が必ず来てくれるという保証もない。
ヘタにそんな手に出て、俺たちを知る第三者に怪しまれでもしたら、それはそれで面倒だし。
ちなみに、あのあともう一度電話をかけたが、『おかけになった電話は……』というアナウンスに変わってしまった。
電源を切られたのだとしたら、会えるのはそれこそどんな確率になることやら。
「……どこにいるんだよ……」
手すりに両腕を乗せてその上に顎を乗せると、やっぱりため息が漏れた。
もどかしくてたまらない。
この時間も、彼女が俺の知らない男と一緒にいると考えただけで――……。
ぽんぽん
「……え……?」
不意に、後ろから肩を叩かれた。
今日二度目。
一度目はつい先ほど、お袋にされたときだ。
……が、少しだけ感じが違った。
おずおずというか、そんな類のちょっとした遠慮がある。
それに少しだけ高さが――……。
「……あ、れ?」
「瀬尋先生、こんにちは」
「葉月ちゃん……」
そう。
振り返った先にいたのは、にっこり笑った彼女だった。
意外な人物に、思わず目が丸くなる。
「そうかなぁと思って声をかけたんですけれど……よかったです、間違いじゃなくて」
少しだけほっとしたように笑った葉月ちゃんは、手に持っていたコートを改めて持ち直した。
相変わらずの、穏やかで丁寧な口調。
孝之と一緒にいるのに、よくあのガサツさがうつらないもんだ。
……ある意味感心する。
いや、むしろ反対に孝之が丁寧になったほうが、絶対イイとは思うんだが。
「あれ……孝之は? ひとりで来たわけじゃないでしょ?」
「今日は、たーくんは一緒じゃないんです。あ、でも羽織とは一緒ですよ」
「え、羽織ちゃんと?」
「はい」
にっこりと。
目の前の葉月ちゃんは、ふたつ返事でうなずいた。
が、俺にはどうしても適当な相槌を打つことができない。
理由はもちろん、葉月ちゃんではなく見知らぬ男が一緒にいたのを知っているから。
……葉月ちゃん、もしかして知らないんじゃないか?
彼女が今、知らない男と一緒にいるなんて。
「羽織ちゃん、今どこにいるの?」
「あ。羽織はさっきまであのお店にいましたよ」
彼女が指差した方向には、いくつかの服屋があった。
……ああ、きっとそうだ。
ナンパされてるなんて知らないんだろう。
というか、ナンパにしてはやけに親しげだったようにも見えるんだよな。
となると……意図的?
まさか、彼女には考えられない。
とすると、相手は誰だ。
ぱっと見た感じ、俺より年上のようには見えた。
……そういえば、羽織ちゃんの表情はあまりよくなかったような……。
「瀬尋先生……?」
「あ、ごめん。ちょっとだけ、探してみるよ」
「羽織に用だったんですか? ごめんなさい……せっかくのお休みなのに、連れてきてしまって」
「いや、そういうわけじゃないんだ。葉月ちゃんのせいじゃないから、気にしないで」
たちまち申し訳なさそうな顔をした彼女へ手を振り、そちらへ身体を向ける。
だが、彼女は小さく頭を下げるもそちらへは足を向けなかった。
「葉月ちゃんは別の買い物?」
「ワイシャツを1枚、買って帰ろうかと思ったんです」
「孝之の?」
「……はい」
もしかしたら、少しだけ表情に出たのかもしれない。
一瞬目を丸くした彼女は、どこかはにかんだように笑う。
アイツ、葉月ちゃんがこういう顔するって知らないんじゃないのか。
……そういえば、アイツはちゃんと葉月ちゃんへ伝えたのかな。
それこそ、ついこの間だ。
本屋に行ったときたまたま会い、葉月ちゃんから気持ちを伝えられたと聞いたのは。
あのときの孝之は、迷っていたどころか自分でもまったく答えを出せていなかった。
でも……もしかしたら、葉月ちゃんになんらかの形で伝わったのかもしれないな。
嬉しそうに笑った顔は、前までとはどこか違うように見えた。
「葉月ちゃんが選んでくれるなら、アイツは喜ぶと思うよ」
「んー……自信ないんです」
「え、どうして?」
「私よりもずっと、センスがあるというか……色合いとか、きちんと自分が着たときのイメージを大切にしてるから」
あー、なるほど。
そう言われてみると、アイツは自分を俯瞰して見れてる気はする。
これを身につけたら人にどう思われるかとか、この行動を取ったら相手にどう映るか、とか。
そういうところはマメというよりも、自分を客観視できてるかどうかなんだろう。
……俺は苦手なんだよな。
「いや、なおさらだよ。いつも、葉月ちゃんが見てるアイツに似合うと思うものを選べば、それはベストじゃないかな」
きっと、俺よりも彼女の目にはよく見えてるはずだ。
オフの日の姿だけでなく、仕事へ行く姿も今は毎日目にしているはずだから。
きっと、間違いはないはず。
そう思っての言葉だったが、葉月ちゃんは意外そうな顔をすると次の瞬間先ほどよりも嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます」
「いいえ。今度会ったら言っておくよ。葉月ちゃんにもっと感謝したほうがいいって」
「ふふ。そんなふうに言ってくれるのは、瀬尋先生だけですよ?」
「じゃあなおさら。言っておくね」
アイツはもっと、身を持って知ったほうがいい。
どれだけ彼女に大切にされているか、を。
「っと……それじゃ、羽織ちゃん探してくるよ」
「あ、ぜひ。ありがとうございます」
「こっちこそ」
丁寧に頭を下げた彼女へ手を振り、教えてくれたショップへ向かう。
決戦は……もう間もなく。
葉月ちゃんへ背を向けると、自分でも表情が引き締まるのはわかった。
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