「いないな……」
教えてもらったショップへ向かったものの、人出が多いのもあってかそう簡単には見つからなかった。
もしかしたら、葉月ちゃんが羽織ちゃんと離れてから、少し時間が経っていたのかもしれない。
だから、その間に彼女が移動して……こうなっているとか。
だとすると、葉月ちゃんが知らないのもうなずける。
今現在、ウチの彼女が見知らぬ男とふたりきりであるという事実を。
「…………」
さすがに、男ひとりで女物の服を物色するワケにもいかず……というか、正直言って入りにくい。
結局、通路から何店かのぞいてはみたものの見つからなかった。
今のところ、収穫ゼロ。
あー……こんなことなら、紗那でもお袋でもどっちか残ってもらえばよかった。
いや、むしろ葉月ちゃんのお供をしたらよかったのか。
そうしたらきっと、無事に会えただろうから。
「……はー」
葉月ちゃんが先ほど姿を消したのは、すぐそこのスーツブランドの店。
大した距離でもないし、もう一度声をかけに……と思いながら足を向けると、モールの案内表示板が置かれている広いスペースが目に入った。
ベンチやテーブルにソファなどがあり、ちょっとした休憩スペースのようになっている場所。
見ると、買い物に付き合わされていたらしき大多数の男性陣が、スマフォをいじっている。
……みんな手持ち無沙汰なんだな。
まぁ、俺もお袋の買い物に付き合って『大変だな』とは思ったけど。
「ッ……」
そのとき、まるで感覚が一瞬にして研がれるような、妙な感じを覚えた。
1点に集中する、自身の神経。
その先には――紛れもなく、先ほど彼女と行動をともにしていた男の姿があった。
「…………」
自然と喉が鳴り、立ち止まったまま様子を伺う。
すぐそこのソファ席に座る、男性。
少し長い前髪をかきあげた彼は、足を組みなおすと頬杖をついて通りを眺めた。
正直……男の俺から見ても、感じるモノがある。
着ている服といい、纏っている雰囲気といい、下手したら俺じゃ敵わないかもしれない相手。
いろんな意味で、恐らくデキる。
俺とて弓道というある種の武道を心得ているからこそ、なんとなく、そっちに通じるものも感じる。
多分、なんらかの有段者。
……だが、俺には『彼女』という免罪符がある。
たとえどれほど優れていようと、俺にしか与えられていない特権が。
「…………」
だからこそ、足を進めることができた。
自然と、忍び寄るように音を立てず動く、足。
ぎこちなく歩を進めながら彼の目の前まで向かうと――……俺の足元から顔へと、視線をゆっくり上げた。
「……何か?」
が、瞬間的に表情が変わったのはわかった。
初対面に違いないのに、彼はひどく威圧的で敵意にも似た感情を声に乗せていた。
歓迎されてないのは百も承知。
だが、それはこちらとて同じこと。
いや……むしろ、もっと。
俺は、彼よりももっとずっと、気を許したりなんてハナからしてない。
「彼女とどういう関係ですか」
「……何?」
敬語になったのは、特に意味なんてなくて。
見た目からして、恐らく俺より年上だと思ったから。
気を遣う相手でないはずなのに、それを許さない“何か”も感じた。
「無礼にもほどがある。あいさつもなしに、なんの用だ」
「っ……」
あからさまに表情を変えた彼は、それこそ嫌なものでも見るかのように眼差しを鋭くした。
途端、あたりの空気感が緊迫度を増す。
ほんのわずか、彼は動いただけ。
ただ、それだけなのに……まるで、俺の何かに気づきでもしたのか、細められた瞳が硬度を増す。
「……さっき、ちょっかいを出していたのは君か」
「ちょっかい……?」
「ああそうだ。あの子に手を出そうとしていたな。……俺の目の前で」
「っ……」
深く腰かけていた彼が、音もなく立ち上がった。
……その、差。
俺だって、別に背が低いほうじゃない。
むしろ、きっと高いほうに部類されるはず。
だが、そんなモノの比じゃなかった。
……デカいんだよ、ホントに。
背の高さこそさほど変わらないが、立ち上がられた途端、驚くほど自分の気持ちが後退したのに気づいた。
恐ろしい、と表現してもいいかもしれない。
正直言ってこれほど『ヤられそう』だと感じたのは、生涯で今の一度だけだ。
「まさか、わざわざ出向いて来るとはな。いい度胸だ。そこだけは褒めてやる」
「……説明してもらえますか。なぜあの子と一緒にいたのか」
「説明も何も、それはこっちが聞きたい。あの子とどういう関係だ。……あんなふうに親しげに話しかけて。自分は何様だと思っている」
は、と短く嘲笑した様は、どこか孝之にも似ていた。
だが、アイツとはまるで違う威圧感。
むしろ、そんな言葉など陳腐にすぎない。
……なんだこの人……!
思わず身体が強張ったが、明らかに試されている今、引き下がるわけにはいかない。
どういう関係? そんなの、明らか。
むしろ俺は、彼を知らない。
「だいたい、君は幾つだ」
「……なんの話ですか」
「年以外に数字を聞かれるか? 馬鹿馬鹿しい。即答しろ」
「っ……」
わかってる。
だが、敢えてしたのはある種のささやかな反抗。
……大人になったと思っていたのに、それがどうだ。
悔しくもあり、情けなくもあり。
不意に、大人に手が届きそうでなりきれなかった、学生時代の苦い思いが蘇った。
「24」
「仕事は? まさか、していないなど言わないだろうな」
「公務員です」
毅然としたというよりは、いささか棘は出た。
明らかに俺を下に見る態度すぎて、気づいたら苛ついてはいた。
……が。
きっちりとそう告げた途端、明らかに彼の態度が変わった。
それはもう、心底おぞましい物でも見るかのように。
「公務員だと……? じゃあ何か。君は、彼女が未成年だと知っていて、声をかけたと言うのか?」
「未成年だとしても、真剣な交際であれば誰に文句を言われる筋合いもありませんが」
「……ンだと」
ゾク。
言葉の端々にあるモノだけでなく、態度で思わず背が粟立つ。
悪寒と言ってもしっくり来るかもしれない。
ある意味そんな感じを瞬時に受けた。
「真剣な交際? 誰がいつ許した。お前の話など、かけらも聞いたことはない」
「あなたに説明する義理はないでしょう。彼女のご両親には正式に許可をもらっています」
「な……ッ……ふざけるな!!」
「くっ……!?」
あからまに舌打ちした彼が、俺へ片手を伸ばした。
瞬間的に払うも競り負け、胸倉をつかまれ奥歯がきしむ。
「貴様ァ……!! もういっぺん言ってみろ!!」
「くっ……るし……!!」
「どこの親が許しただと!? ふざけるんじゃない!!」
瞬間的に息が止まる。
大声でまくし立てられ、当然のようにあたりは騒然となった。
……くそ……! なんだこの力!!
相手は片手でやっているにもかかわらず、両手で応戦しているこちらはびくともしない。
コツを掴んでいるのか、いろんなことを熟知しているのか。
それはわからないが、とにかく圧倒的に不利な状況でしかなかった。
「身をわきまえずに御託ばかり並べやがって……!! いい加減にしろ!!」
「それはッ……こっちのセリフだ……っ!!」
ぎりぎりと精一杯腕を使ってふり解き、荒い息のまま肩を上下させる。
間合いを取るとか、そういう問題じゃない。
きっと、どこまで避けたとしても、彼ならばあっけないほど詰め込んで来るだろう。
「くっそが……ッ! だから嫌だったんだ! こういう躾のなってないガキがいるから!!」
「ッ……な!? どういう意味だ!!」
「うるさいッ!! ちったァわきまえろ!!」
「なっ……ンなこと言われる筋合いはない!!」
「ンだと!?」
「なんだよ!!」
売り言葉に買い言葉でもある。
だが、あからさまに敵意を向けられて、大人しくできるほどデキちゃいない。
手を振り、いつしか吐き捨てるような口調になっていたことにも気づかなかった。
「貴様なんぞ、名前すら聞いたことはない!!」
「はァ!? そんなの俺だって同じだ!!」
「ッお前……!! 目上に向かってなんだその口の利き方は!!」
「目上も何もあるか!! 先に手を出したのはそっちだろ!!」
「な……んだと……! きッ……さま!!」
「やめてっ!!」
「ッ……」
そのとき。
やけに高い鋭い声が、割り込むように後方から飛んできた。
弾かれるように顔を向けると、そこには……それはそれはよく知った彼女。
先ほど別れたばかりの葉月ちゃんが、それこそ見たこともないような厳しい眼差しを向けていた。
「な――っ……え……?」
どうして、と問おうと思ったものの、足早に歩いてきた彼女は俺ではなく……対峙していた彼の目の前まで向かった。
え。
まるで時が止まったかのように、あたりに静けさが満ちる。
だが、葉月ちゃん自身はまったく揺るぎない姿勢のまま、強い口調で彼を見上げた。
「何してるの?」
「ッ……お前は黙ってなさい!」
「もう。そんなわけにいかないでしょう?」
……え、なんで?
俺にしてみれば、この光景は明らかに不自然。
なんせ、さっきまでの勢いはどこへやら、俺に対するモノとはまったく違って彼は困った顔しかしていなかった。
「…………」
先ほどまでの、食うか食われるかなんて雰囲気は皆無。
漂っていたオーラみたいなモノも、すべて吹き飛んだかのようだ。
「……瀬尋先生、ごめんなさい」
「え?」
「嫌な思いをさせてしまって……本当に、申し訳ないです」
「いや……その……」
ため息をついて俺を振り返った彼女は、それはそれは申し訳なさそうな顔で頭を何度も下げた。
……でも、どうして?
ワケがわからず、つい、ぽかんと口が情けなく開いたままになる。
「ッ葉月……! どうしてお前が謝るんだ!!」
「当たり前でしょう? ご迷惑おかけしたんだから」
「何!? それはこっちのセリフだ! いきなり、ワケもわからない男に絡まれたんだぞ!?」
「わけがわからないなんて、そんな失礼なこと言わないで。ちゃんと、私の知ってる人なんだよ?」
「っな……! そ……れじゃあ、何か? それは……それはッ! 葉月!! いったい、いつからそんな関係なんだ!! え!? 知らないぞ俺は! まったく!! アイツからも聞いていない!!」
「もう……お願いだから、落ち着いて」
それこそ、青ざめた表情で葉月ちゃんの両肩を揺さぶり始めた彼は、さっきまで俺に見せていた顔とはまるで違った。
明らかに、強者が逆転。
強いのは葉月ちゃんで、弱いのは彼。
困った顔をしっぱなしの彼女と、顔色を変えてただただうろたえる男。
…………どういうことだ?
まったく話の向こう側が見えず、いつしか眉が寄っていた。
「……すみません、瀬尋先生」
「え? あ……いや。えっと……葉月ちゃんの知り合い?」
「はい」
ため息をついて彼の両手を離すと、葉月ちゃんは俺にふたたび向き直った。
ぺこりと頭を下げ、ちらりと後ろに立つ彼を一瞥。
その瞬間聞こえたのは、想像だにしなかった単語だった。
「ごめんなさい、瀬尋先生。……私の父なんです」
……。
…………。
………………。
……………………。
「……え……」
ぽかん、と口が開いた音がした。
と同時に――ゆっくりと、後ろの彼へ視線が向かう。
敵意は若干緩んだものの、腕を組んで仁王立ちをしている彼は、とてもじゃないが葉月ちゃんがいなくなった途端にまた掴みかかってくるんじゃないかと思うほど。
俺が話していることをひどくおもしろくなさそうに見つめ、それこそ舌打ちをしているとおぼしき態度そのもの。
そんな彼が……オトウサン……?
「…………」
理解できなくて、当然。
なぜならば……いや、だって。
今までのことはすべて、お互いの身の上を知らなかったこその、勘違いに勘違いを重ねた結果でしかなかったんだから。
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