「……っはー」
こたつに顔を伏せたまま出たのは、当然ため息。
でも、ただのため息なんかじゃない。
ものすごく深くて、ものすごく重くて……そんでもって、かなり“諦め”というスパイスが練りこまれているモノ。
……もー、ダメ。
思い出すだけでも、腹が立つどころか、殺意さえ芽生える。
ああもう。
ホント、どうしてあんなヤツと付き合ってるのかしら。
物足りないなんて言葉じゃ物足りなくて、どーにもこーにも……。
「やっぱ、基本的にあのふたりは向いてないわね」
「……何に?」
「乙女心に」
コトン、と目の前にマグカップを置いてくれた羽織を見ずに、即答。
すると、苦笑したままで右隣に腰を下ろした。
「だってさ、ありえないでしょ? 私が作ったのに、『マズい』を言うどころか、何も言わずに手放したじゃない」
「……んー……。でもアレは……仕方ないんじゃ……」
「甘い。甘いわよ羽織」
「……けど、おいしくなかったでしょ?」
「く。……まぁね」
苦笑しながらつっこまれ、思わず言葉に詰まった。
……そ……そりゃあね?
そりゃまぁ確かに、“塩マフィン”は予想以上に悪かったわよ?
俗称『ごめんなさーい! 砂糖と塩、入れ間違えちゃったてへぺろ☆』作戦は、不出来も不出来すぎて張本人もびっくりだったけど。
……でもね。
それでもやっぱり、純也の期待を裏切りまくる行動にはさすがに頭にきた。
もう少し言い方とか行動とかってあるモンでしょ?
なのに、まったく……もう本気で何も考えてないんじゃないの? って思うくらい、期待外れもいいトコ。
びっくりした。
だって、あのマフィンもどきを食べたクセに、何も言わないどころか私の顔すら見なかったのよ?
……別に、遊んでたわけじゃないのに。
こんなナリしてるけど、本気でいろいろ考えての結果だったのに。
「……最悪」
頬杖をついてぶーたれると、羽織が少しだけ心配そうに私の顔を覗き込んだ。
「……だいじょぶよ」
「うん……」
「……はー……」
ひらひらと手を振ってみせるものの、やっぱりその表情が緩むことはなかった。
……参ったな。
別に、困らせるつもりはなかったんだけど。
でも、どうやら私のその考えが、よりいっそう羽織を不安にさせてしまっているようだ。
…………反省。
でも、祐恭先生はやっぱり祐恭先生なんだなーって思った。
純也と違って、あのマズマフィンを食べたものの、『羽織が作った』って彼女の口を塞ぎながら言ってやったら、さすがにおいしいとは言わなかったけれど……それでもちゃんと、文句も言わずにそのあとも数口食べてたし。
あれこそまさに、愛のなせるワザ。
「…………」
一方変わって、隣の化学教師はどうだった?
ひと口恐る恐るかじっただけで、そのあとは一切会話でさえ触れようともしなかったじゃない。
……馬鹿。
私がどうして、ここまであれこれ策を講じてると思ってるの?
すべては――……言うまでもなくほかでもない純也のためなのに。
「……馬鹿たれが」
ふっと羽織から視線を外してため息をつくと、なんだか急に心だけじゃなくて身体までも重たくなったような気がした。
「……あれ。珍しいな」
「あ。お邪魔してます」
「いらっしゃい」
久しぶりに聞いた声でそちらを振り返ると、いかにも『今帰ってきました』と物語っている格好の孝之さんがいた。
……で。
もちろんそんな彼の後ろには、かわいいだけじゃなくて、なんだか不思議な魅力を併せ持つ葉月ちゃんの姿も。
「…………」
…………えへ。
いいこと考えちゃった。
仲良さげに話すふたりを見ていて、ぴーんと頭に閃いたこと。
それを実行に移すべく、キッチンへと向かいかけた葉月ちゃんを手招く。
「……え? なぁに?」
「あのねー、ちょっとだけ……お願いがあるんだけど」
「うん?」
……どうだろ。
彼女、こういうのに興じてくれるかな。
にこにこしたまま耳を貸してもらい、ごにょごにょと例の案を伝えてみる。
――……と。
「……面白そうね」
「ホント?」
「うん」
「ぃよっしゃ!」
くすっと笑った葉月ちゃんが、うなずいてから床に膝をついた。
……よし。
彼女がこう言ってくれればもう、百人力よ。
何も知らない顔のままお茶を飲んでいる孝之さんを見つめながら、ふっと人の悪そうな笑みが浮かんだ。
「……は……ァ?」
「ダメかなぁ?」
ワンショルダーのバッグを肩にかけたまま壁にもたれる孝之さんと、そんな彼を上目遣いに見上げる葉月ちゃん。
……あー。
なんか、アレね。
今までは孝之さんと羽織の組み合せしか見てなかったせいか、なんだかこう……とっても貴重なものを見ているような気がする。
いや、まぁ、葉月ちゃんがこんな猿芝居に付き合ってくれたこと自体が、きっと貴重なんだろうけど。
「…………」
訝しげに見つめたままの彼と、少しだけ心配そうな彼女。
その理由は、たったひとつ。
……そう。
昨日私たちがそれぞれの彼氏に叩きつけた、第1段階の挑戦状のせい。
『どうしても理由は言えないけれど、お金貸してほしいの』
こう切り出されたら、いったいどんな反応をくれるのか。
確かに、お金の金額とかそのときの反応だけで、価値とかいろいろな物事なんて量れないと思う。
でも、少しくらいはわかることだってあるんだよね。
……普段気付いていないけれど、誰よりもそばにいる相手だからこそなおさらに。
「…………」
「…………」
とまぁ、そんな理由から葉月ちゃんにも私たちがしたのと同じ質問を彼にしてもらった。
当然、私と羽織は今回ノータッチ。
あくまでも葉月ちゃんと、その彼女に対する孝之さんの問題なんだから。
「……お兄ちゃん、結構ケチだよ?」
「あら。それでも、案外甘いんじゃないの? 葉月ちゃんには」
「……うーん……」
ふたりの行方を見つめたままで、羽織とぼそぼそやり取りを続ける。
質問を取り交わしたふたりは、まだ動きそうにない。
……これはもしかしたら、選択ミスだったかしら……。
なんて、ちょっとだけ葉月ちゃんに対して申し訳なさが浮かんだ――……そのとき。
「……お」
「あ」
まじまじと彼女を見つめていた孝之さんが、小さくため息をついてからおもむろに財布を取り出した。
「ほらよ」
「…………え……?」
「大して入ってねーけどな」
そう言った彼は、彼女の手のひらへなんの躊躇もなく、丸ごと財布を置いた。
「…………」
「…………」
「……うそ……」
「……え……お兄ちゃんが……?」
目が丸くなるっていう経験を、身をもって今初めてした。
……うっそ。
すっごい。
……え? 何?
だって今、孝之さん……財布そのまま渡したよね。
いや、だって考えてもみてよ。
っていうか、よーく思い出してみて。いい?
祐恭先生は、諭吉さんをひとり。
……で。
純也にいたっては、英世さんどころか神社仏閣や植物をモチーフに描かれてる硬くて丸いヤツでさえくれなかったのよ?
なのに。
それなのに。
「……え……? いいの……? これ……」
「ああ。返してくれりゃ、それでいい」
表情も声も、さっきまでとまったく一緒。
だけど、やってることは全然違う。
……すごい。
なんかもう、何?
大人とかそういうレベルじゃなくて…………まさに、男。
ううん。
“漢”と書いて“おとこ”と読ませるみたいな!
そんな感じのカッコよさが、めちゃめちゃ漂っていた。
……うっわ。どうしよ。
ちょーカッコいい。
「……すっご……」
思わず口元に手を当てて、ニヤけそうになるのを抑える。
だけど、ごくっと喉が鳴っただけじゃなくて、血の気が引くと同時に鳥肌が立った。
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