「……ん? なんだコレ」
「え? あ……。それは、その……」
「ウマそ」
……お。
なんて都合がイイんだろう。
お財布を両手で受け取った葉月ちゃんから目を離した孝之さんは、シナリオ通りと呼ぶに相応しいタイミングで、テーブルに置かれていたマフィンに気付いてくれた。
……うふ。
もちろんアレは、例のマフィン。
見た目や匂いでは決して判断はできないという、究極の塩マフィンだ。
「食ってもいいんだろ?」
「え? ……あ……うん。いいんじゃないのかな?」
「あ? なんだそれ。……まぁいい。ごっそさん」
軽く肩をすくめてからそれを手にした彼が、紙を剥がしてから――……。
「「あ」」
私と羽織が見ている前で、ぱくっと口に含んだ。
……いや。
含んだっていうか、なんていうか……。
「…………」
「……あんなに食べて……平気なのかな」
そう。
私たちが思わず心配してしまうほど、大きな“ひとくち”で。
――……途端。
「っぶえ!? なっ……ンだコレ!!」
……あーあ、やっぱり。
ごほっと大きくむせたかと思いきや、とんでもない物でも見るかのように、慌てて手にしたマフィンを見つめた。
「おまっ……うっわ! マズ! つーか、しょっぺぇ!! なんだよコレ!!」
「え!? ……ご……ごめんね?」
「ごめんってお前なぁ!! ……つか、何? お前作ったの?」
「うん……? うん」
ああ、ごめんなさい。
ものすごく信じられないっていう顔をしている孝之さんに、素直にうなずいてくれた葉月ちゃんを見て、思わず良心のが……。
だってさー、それって私が明かに『マズくなれ』と反愛情スパイスをぶちこんで仕上がったモノだからさー……。
「……ごめんね。おいしくなかった?」
「すげぇ味だぞ。お前が作ったとは思えない」
「わ……ごめんね?」
……うわー、葉月ちゃんごめんー。
ものすごく責めてる孝之さんなのに、葉月ちゃんは健気にうなずいて謝ってくれて。
……ああー。
私ってば相当、鬼かつ悪魔なのかもしれない。
苦笑と言うよりは失笑と言ったほうがいいくらいの乾いた笑みの先にある光景に、申し訳なさしか浮かばなかった。
「……久しぶりにびびった」
「あ、いいよ? 無理しなくて。……おいしくないんだよね?」
「マズい。冗談抜きで食うモンじゃねぇ」
……でしょうね。
彼らからはちょうど見えない角度なので、思いきり肯定するかのごとく首を縦に振る。
――……なのに。
「……え……」
「っ……なんで……?」
思わず、羽織と顔を合わせるまでもなく声がハモった。
……だって……さ。
今、彼自身はっきりと『おいしくない』って言ったよね?
…………なのに。
それなのに。
「……たーくん……」
「あ?」
「え……ねぇ、おいしくないんでしょう? いいよ? 無理しなくて」
「マズいなんてもんじゃねぇぞ。お前、自分で食ったか?」
「た……べてないけど……」
「食ってねぇのかよ!」
困ったように眉を寄せた葉月ちゃんを、指を舐めてから見つめた彼。
……指を舐めた、ってことはイコール……アレよ?
その手は、空っぽってこと。
……さてここで問題です。
じゃあ………その手にあった――……あのマフィンの行方は?
「……っあ……」
「今度はもっとうまいヤツにしろよ」
少しだけ呆れたように、彼はため息をついた。
……だけど。
だけど彼は、葉月ちゃんの頭をわしわしっと撫でてから、笑みを浮かべて入り口に歩いてきたのだ。
…………なんで……?
おいしくないって言ったよね。
ひと口食べれば、それは確か。
自分でだってわかっただろうし、ましてや、おいしくないモノをそれ以上食べることで得られるような何かなんてないのに。
「……なんで?」
丸くなった瞳のまま目の前の光景を見ていたら、ぽつりと言葉が漏れた。
……ありえない。
なんかもう、いろんな意味で……これまで会ったどんな人とも違う。
おいしくないってわかってるのに。
だけど彼は、『食べなくていい』って言葉を聞いた上で、なおもそれを口にした。
――……最後まで、欠片ひとつ残したりすらせずに。
「ッうを!?」
「たっきゅん!!」
「……は……ァ? え? 絵里ちゃん?」
「たっきゅん、サイコーー!! ぐっじょぶ!!」
「……な……。……何? どうした?」
こちらに背を向けたまま葉月ちゃんと何かを話していた孝之さんの背中にしがみつき、びっくりした顔で振り返った彼に何度もうなずく。
そうよ。
コレよ、コレ!
まさに、私の理想がここに!!
「あーもーー超絶カッコいい!!」
「……は?」
「孝之さん、私と付き合って!!」
「…………は!? 何言って……」
「いや、もう私本気だから!! 純也と別れるから付き合って!」
「はぁ!? いやいやいや、おかしいだろソレは!! つーか、ンなこと言ったら純也さんに――……」
「いいの! あんなヤツはもう知らない!!」
「えぇ!?」
がばしっと両手で腕を掴み、真剣な顔で彼を見上げる。
くぅっ……!
昔から、男気があってさっぱりしててちょーカッコよくてまさに『カッコいいにーさん』だったけれど、まさかこんなに立派になっていたとは。
……ああもう。
どーして、純也なんかよりも先に彼のよさに気付かなかったんだろう。
こんなにも身近で、こんなにも付き合いの長い人なのに。
……決めた。
もうね、私本気で決めたの。
誰がなんと言おうと、孝之さんと付き合う。
もう心に大きなフラグを立てた。
「ねぇ!! お願いだから、付き合って!!」
「いや、だから……」
「あ、大丈夫。その辺はちゃんとわかってるから」
「……は?」
困ったように眉を寄せて羽織や葉月ちゃんを見た彼に、ふふっと笑みが浮かんだ。
……そう。
その辺は、私もちゃんと理解してるから。
大丈夫。ぬかりはない。
「もちろん、私は2号さんでイイから」
「……は?」
「だからね? えーと……なんて言えばいいのかな……んー…………」
いぶかしげな彼の前で額に指を当ててから、わずかに俯く。
……うーうーうー。
単刀直入に言うとものすごく引かれそうだから、せめてもう少しオブラートに包んだようなイイ言い回しはないだろうか……。
…………あ。
あった。
「そう! わかりやすく言うと、愛人!!」
「……馬鹿なこと言ってんじゃねーよ」
「あいたっ! ……って純也!?」
びしっと人差し指を立てて彼を見た瞬間、後頭部にチョップのようなモノを食らわされた。
「な……な!? なんでここに!!」
「そりゃお前、誰だってわかるだろ」
ずざっとあとずさってから距離を取り、真っ向から対峙する。
……何よその顔。
相変わらず、『お前馬鹿だろ』とか『人様に迷惑しかかけれねーのか』なんて言われてるみたいで腹が立つ。
……そりゃあ確かに、迷惑かけちゃってるとは思うわよ。
でもね。
それもこれも、すべての根源は純也なんだから。
だから――……そんな顔される筋合い私にはないの。
「…………」
……わかってるの?
私がどうしてあんなことをしたのか。
どうして、葉月ちゃんや孝之さんまでをも巻き込むようなことをしでかしたのか。
「ほら。帰るぞ」
「ヤダって言ったら?」
ため息をついた純也へ、間髪入れずに答えてやる。
……嫌なのよ。
何もかもわかってくれてるのか、はたまた何もわかってくれていないのか。
確かにそれはわからないけれど、でも……どちらにせよ、私には考えを何も聞かせてくれない純也が嫌なの。
……何もかもわかってる、みたいな顔するのはやめて。
そういう態度も、見透かしたような言動も、何もかもがイヤ。
腹立つのよ。ホントに。
「……ほっといて。帰るときには帰るから」
「ダメだ。引っ張ってでも連れ帰る」
「っ……何様よ」
「これ以上迷惑かけんな」
ぷいっとそっぽを向いて言ってやったのに、結局……純也はまっすぐ私を見ていて。
……むかつく。
その顔、ホントやだ。
すごい嫌い。
ものわかりのイイ大人の典型って感じがして、胡散臭くて受け入れられない。
「帰るぞ」
……だけど。
私から視線を外して孝之さんたちに謝っている彼を見て、どうして勝手に身体が動くんだろう。
……どうして、帰る気なんてこれっぽっちもないくせに鞄を持つんだろう。
「…………」
だからイヤなのよ。
…………結局は、言うことを素直に聞いてる自分が。
「……ったく」
「気をつけ――……ぅ」
「……アンタまでそんな顔しないの」
「だってぇ」
軽く舌打してから肩をすくめ、にまにまと何かよからぬことを言い出しそうになっていた羽織の頬をつまむ。
いいの。
わかってるから、それ以上言わないでちょうだい。
そんな意味をたっぷりと込めて舌を見せると、少し離れた場所にいた葉月ちゃんも、おかしそうに笑っているのが見えた。
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