「……お前、何したかわかってんのか?」
「当たり前でしょ? 馬鹿じゃないわよ」
「…………馬鹿以下だから聞いてんだろうが……」
 見慣れたリビングの、見慣れた配置。
 先ほどまでのちょっと懐かしいなんて思っていた場所とは、まったく違う部屋。
 ……だけど。
 やっぱりどうしたって『落ちつく』って思っちゃって。
 あったまってるこたつの上に置かれたマグカップも、やっぱり私にとっては何ひとつ変わらない当然のモノだった。
「……あのなぁ。お前ひとりが何をしようとそれはお前の勝手だぞ?」
「…………あ、おいしいコレ」
「だけど、そこに羽織ちゃんだけじゃなくて、孝之君たちまで巻き込むことはないだろ?」
「……えっと……あ、今夜特番かぁ……。ちぇ」
「それにそもそも――……って、人の話を聞け!!」
「……何よもー。っていうかツッコミ遅い」
「…………るせーな」
 まるで、『不良娘に説教を垂れる親父』の図さながら。
 こたつの角を挟んだ右隣に座った純也は、ときどきテーブルを叩きながら熱心に説法をしている。
 だけど私は、そんな彼から視線を外したまま自分勝手なことをしていた。
 ……だって、慣れてるもん。
 純也にあれこれ『学校でこうだった』とか『さっきああだった』とか言われるのは、日常だから。
「……で?」
「ん?」
「なんで、あんなヅラとか被ってたんだよ」
「……古いわね」
「そこにつっこむな」
 頬杖をついた純也に眉を寄せると、もっともらしい答えを言ってきた。
 ……まぁね。
 確かに、そこにはツッコミ要らないか。
 でも、普通に出たんだから仕方がない。
 だってこれも――……やっぱり私の、日常だから。
「羽織になりたかったの」
「……は?」
「だから、私は瀬那羽織になりたかったっていう、それだけ」
 新聞のテレビ欄を見つめたまま、再びマグカップを手にする。
 ……あー。
 やっぱ、冬のホットミルクは最高。
 これでビスケットがあったら、文句なし。
「……何よ」
「お前……馬鹿なの?」
「うっさいわね。純也に言われたくないわよ」
 べち、と鬱陶しく額に手を当ててきた彼を睨んでからその手を剥がし、もそもそとこたつに潜る。
 ……ほっといて。
 確かに、おかしなこと言ってるってのはわかってるわよ。
 でも、それはそれでちゃんと自分でもわかってるんだし、それでこれまで行動を起こしてきたんだから、別にヘンなことを答えたつもりはないんだから。
 ……今のが、何よりの本心。
 だから、仕方がない。
「…………なんでまた」
「かわいいから」
「……そりゃあな」
「でしょ?」
 ほらね。
 祐恭先生はもちろんだけど、きっと羽織を知ってる男の人ならば、誰しもが今の問いには賛同してくれると思う。
 ……だけど。
「それじゃ、私は?」
「は?」
「私はどう? かわいい?」
 新聞から顔を上げ、まっすぐ純也を見つめる。
 ――……と。
 一瞬瞳を丸くした彼が、次の瞬間ものすごくおかしそうに笑い声をあげた。
「お前がかわいい? ぶは! どんな質問かと思いきや……言うにことかいてそれかよ!」
「…………」
「あのなー。お前、自分のことは自分が1番わかってるだろ?」
「…………」
「『かわいい』なんてタマか? お前。むしろ、そんな健気な言葉からは1番縁遠いだろうが」
 両手を後ろについて身体を支え、呆れた顔のままで私を見る。
 ……だけじゃなくて。
 さらに純也は、『何を言うのかと思えば』なんておかしそうにまだ肩を揺らした。
「……そうね」
「…………は?」
「だから、羽織になりたかったの」
 ため息くらい、出るかなーって思った。
 だけど、自分がびっくりするくらい落ちついてて。
 ……だろうと思った。
 純也ならば、今みたいに私のことを笑うだろう、って。
「……お前……。何? 本気だったの?」
「別に」
 最初から、期待通りの答えなんて求めてない。
 だって、人は相手に過剰の期待をしたとき、それが叶わないと大きな落胆を覚えるから。
 ……勝手にね。
 都合のいい生き物だから、人間は。
 …………でも。
 だからこそ私は『かわいい』って言われるような子になりたかった。
 同性の私から見てもかわいくて、健気で、本当に女の子らしい女の子。
 それが、羽織。
 小さいころからずっと一緒に過ごしてきたから、彼女のことはいろいろ知ってる。
 ……だけど。
「…………」
 本気で『羽織みたいになりたい』というよりも、『彼女になりたい』と思ったのは、今回が初めてだ。
 これまでは、どんなことがあってもそんなこと思ったりしなかった。
 羽織は羽織で、私は私なんだからって……ずっと思ってきたから。
 それが当たり前だったから。
 ……だけど。
「……かわいい子って、徳なのよね」
 頬杖をつくと、そんな言葉がぽつりと漏れた。
 ――……きっかけは、先日テレビを見ていたときのこと。
 何気ないありふれたワンシーンだったんだけれど、でも、それでも印象に強く残った。
 画面の主役は、若手の芸人。
 そのふたりが何かを面白おかしく喋ってたんだけれど、私の意識はそことは少し違った場所にあった。
 画面の左端の奥。
 そこで、最近人気の女優が、若手芸人たちに軽く何度か頭を下げているのが見えた。
 どうやら、タオルか何かを受け取っていたみたいだったんだけど、その表情は笑顔で。
 それだけでもかわいいと思ったけれど、でも、対している芸人たちは、ものすごく嬉しそうな顔をしていた。
 ……で、思ったのよ。
 あー、かわいい子があんなふうに一歩後ろを歩くみたいに気遣ってると、ものすごくかわいく映るんだなー……って。
 『かわいい』って言葉は、割とざっくばらんに多用される。
 それは、物にだけじゃなくて当然人にも遣われて。
 ……ほら。よく言うじゃない?
 男と女の『かわいい』は違う、って。
 女の場合は、仲がいいだけでも『かわいい』と言うけれど、男はもっとシビアだって。
 ……でもね、思うのよ。
 確かに、仕草とか何気ない表情とか……もちろん、容姿もだけど。
 そういう、部分部分で男に『かわいい』って思わせられる子って、勝ちだなー……って。
 私はこれまで『かわいい』って言われたことがあまりない。
 持ってる物とかを言われることはあったけれど、自分自身に向けられたものはほとんどゼロに等しい。
 ……だから、ハッキリ言って『かわいい』って言われるのは苦手でもある。
 それに、言われ慣れてないから、対応もそうだけど……疑っちゃうのよね。
 素直に『嬉しい』っていう感情には結びつかなくて、『そんなお世辞はいらない』みたいな。
 ……はー……。
 かわいくないって、まさに私のためにあるような言葉なんでしょうね。
 素直じゃなくて、健気でもなくて、相手を思いやるようなこともできなくて。
 ただ本能のままに、あるがままに、思うままに動くのが……私で。
 だから、まさに私の理想である羽織の格好を真似たら、少しは何かわかるんじゃないかなーって思ったのよ。
 口調とか、見た目とか……なんでもいい。
 とにかく、“瀬那羽織”になりきってみたら、何か得られるものがあるんじゃないかなって。
 そう……思ったんだけど。
「……っ……」
「お前ってさー……頭イイんだか悪いんだか、ホントわかんねーよな」
「……悪かったわね」
 頬杖をついて呆れたみたいに瞳を細めた純也から視線が逸れた。
 ……ほっといてよ。
 っていうか、そんなのわかってるってば。
 現に、自分がさっき言ったんじゃない。
 …………それに。
「あのねぇ。私は別に今、純也にそーゆー言葉をもらいた――」
「お前らしくねーぞ」
 ふっと笑って、『どうした?』なんて続けた彼に、思わず瞳が丸くなった。
 ……反則。
 そんなふうにされたら、いつもみたいに罵れないじゃない。
 強い口調で反論できないじゃない。
「…………」
 くすくす笑いながらまた両手を後ろについて身体をささえた純也に、唇が尖る。
「かわいいとかかわいくないとか。そーゆーのは、自分が決めることじゃないってわかってんだろ?」
「……それは……」
「第一、羽織ちゃんは自分を『私ってかわいい』なんて思ってないだろうし」
「……あのね。当たり前でしょ? そーゆーのは、思い込み馬鹿が言うことなの」
 そこでようやく、大きなため息をつくことができた。
 ……何を言うかと思ったら。
 いったい、どこの羽織が自分のことをかわいいなんて思うのよ。
 羽織がそんな子だったら、私だって『羽織になりたい』なんて思わないっての。
 ……馬鹿なのかしら。
 それとも、私のことおちょくってる?
 なんとなく、このまま黙っているのは間違ってるような気がして、自然と寄った眉のまま彼を見定めておくことにした。
「だから、お前にはなんの権力もないんだよ」
「……は? 何が?」
「かわいいかどうかを決めるのは、お前じゃないってこと」
 ……いったい、この人は何を言い出すんだろうか。
 ………………。
 ……え?
 何?
「…………」
 フン、と鼻で笑ったまでは、まぁ……いつもの純也らしい。
 だけど、どうしてそこで視線を私から思いっきり逸らすのかしら。
 ……しかも、なんかちょっとだけほっぺた赤いし。
「…………」
 怪しい。
 怪しさ炸裂っていうか、MAXっていうか。
 とにもかくにも、妙なことを言い出しそうななんともいえない不穏な空気に、思わず喉が鳴った。

「お前がかわいいかどうかは、俺が決めるんだし」

「…………」
「…………」
「……くっさ」
「…………うるせーな」
 まじまじと数秒間見つめ合っていたら、やっぱりあとになっておかしさが炸裂した。
 ぶっと吹き出し、けらけらとしばらく笑う。
 ……頭悪いのはどっちよ。
 だいたい、そういうセリフは言った人間が照れたらおしまいなのよ。
 そーゆーのは、真顔でキメて勝ちなんだから。
 ……祐恭先生みたいにね。
 まぁ、あのふたりの場合は、祐恭先生がどんなにクッサーなことを言っても、羽織が素直に『……先生……!』なんてときめいてくれちゃうから許されてるようなモノであって、私たちには成り立たないことなのよね。
「…………あ」
 ……そっか。
 そこで初めて――……っていうか、ようやく気付いた。
 そっか。
 そうかそうか。
 ……こういうことだったんだ。
「……なるほどね」
「何が」
「いや、別に」
 ぴかーんと頭に閃いたことで手を叩き、ひとり納得する。
 そんな様子を純也はやっぱり訝しげに見つめていたけれど――……そちらを向いたら、ようやく私らしい笑顔が浮かんだ。
 ……そっか。
 そーよね。
 恋愛って、ひとりでするものじゃないんだもんね。
 相手がいるから……成り立つんだから。
「……なんだよ」
「別にー」
 相変わらず眉を寄せている純也に肩をすくめ、くすっと笑みを浮かべる。
 さんきゅー、ダーリン。
 お陰で、これまで独りでぐちぐち悩んでたことが、やっぱり馬鹿なことだったんだって思えたわ。
 緩く首を振りながら、未だに漏れてしまう笑いをこらえずに声を出して続ける。
 らしくないと思いまーす。
 そうね。
 やっぱり、恋愛がどうので悩むのなんて――……全然私らしくない。
 ……だって。

 あとにも先にも私には、私の選んだ道だけがただまっすぐに伸びているんだから。

 くすっと笑ってからホットミルクを飲み干すと、凝り固まっていた大きなモノも一緒に飲み下すことができたような気がした。


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